第1話 史季と不良

 夏凛の前から逃げ出し、あっという間に階段を上り切った史季は、三階にある二年二組の教室を目指す。

 そこが史季のクラスであると同時に、自分をいじめる不良グループが待ち受ける地獄でもあった。


 教室に辿り着き、窓際後方の席にたむろしている三人の不良のもとへ向かうと、買ってきた缶飲料をおそるおそる机の上に並べる。

 その様子を、ふんぞり返るようにして椅子に座りながら見届けていた汚い金髪の不良――川藤は、睨むような視線をこちらに向けながらも、露骨に不機嫌な調子で言った。


「まさか、タイムリミットの倍以上待たされるとはな。折節の分際でナメた真似してくれるじゃねえか」

「ご……ごめん……」


 と、謝る史季の声を、


「あ~らら、川藤を怒らせちゃったね~折節く~ん」

「こりゃ腹パンか? 腹パンだよなぁ?」


 取り巻きの二人が、わざとらしくも茶化すような物言いで遮る。


「あぁ? 遅れてきたくせに詫びもなしかよ?」


 ガタッと、これ見よがしに音を立てながら川藤が立ち上がり、史季はビクッと震えた。

 一〇センチ近くある身長差から睨んでくる彼の視線が、ただただ恐い。


「いや……謝ったけど二人の声が――」

「おいおい、俺たちのせいかよ?」

「ひっでぇな、折節くんよぉ」

「やっ……違――」


「もういい」


 川藤の一言に、史季はおろか取り巻きの二人も黙り込む。


「遅れた上に、詫びの一つも入れられやしねえ。となると、今回のペナルティは二発ってことになるよなあ?」

「そ、そん――ぶふっ!?」


 聞く耳は持たないとばかり繰り出されたボディブローが史季の腹に突き刺さり、口に出そうとしていた抗議の言葉が、珍妙な吐息に変わる。


「おら、もう一発だ!」


 宣言どおりに繰り出された二発目のボディブローが、再び土手っ腹に突き刺さる。

 当然と言うべきか、不良校ゆえにクラスメイトも不良ばかりなので、この程度のことで止めに入る人間など一人もいない。


 少なからずいる不良ではない生徒も、下手に関わると自分がターゲットにされる恐れがあるため、いじめられている史季に視線すら向けることはなかった。


 今すぐこの場で腹を抱えてうずくまりたかったけれど、そんなことをして川藤にオーバーリアクションだと判断される。

 そうなってしまったら余計にペナルティが増えることになるので、どうにかこうにかこらえきった。


「お~お~、タフだね~折節く~ん」

「ちげぇよ。川藤の力加減が絶妙なんだよ。なぁ?」


 取り巻きに同意を求められた川藤は、ドヤ顔を浮かべながらも頷く。


「そういうこった。下手に痛めつけすぎて、〝女帝〟に目をつけられたら面倒だからな」


 そりゃちげぇねぇ――とか言いながら、三人して楽しげに笑う。

 殴られた腹部が痛む史季からしたら、いったい何がそんなに面白いのか毛ほども理解できなかった。


 川藤はウーロン茶の缶の蓋を開け、一口呷ってから今さらすぎる質問を投げかけてくる。


「で、なんで遅くなった?」

「その……今川藤くんが言った〝女帝〟とぶつかりそうになって……」


 それを聞いた瞬間、取り巻きの二人は揃って情けない声を上げる。


「ちょっと待てよ……まさか〝女帝〟に、俺たちにいじめられてるとか何とか告げ口しチクったんじゃねえだろな?」

「おいおいおい! やべぇじゃねぇか、それ!」

「落ち着け、お前ら」


 川藤の言葉に、取り巻きの二人は揃って口を閉じる。


「考えてもみろよ。折節のヘタレが〝女帝〟とまともに話なんてできると思うか? それに、俺たちがこいつにやらせてんのはただのパシリだ。それくらい、この学校じゃ珍しくも何ともねえだろ」

「そ、そうだよな……」

「た、確かに川藤の言うとおり、ビビるような話じゃねぇよな」


 川藤の言葉に、取り巻きの二人は揃って安堵する。


〝女帝〟こと小日向夏凛は、弱きを助け強きを挫く所謂いわゆるヒーロー気質の人間であることは周知の事実であり、史季をいじめる川藤と取り巻きの二人は、まず間違いなく彼女の言う「気に入らねー奴」にカテゴライズされる。

 取り巻きの二人が安堵したのも、三回連続でリアクションが揃ってしまったのも、その自覚があったがゆえのことだった。


 そうこうしている内に、休み時間の終了を告げるチャイムが鳴り、川藤は舌打ちを漏らしてから犬でも追い払うような手つきで、史季に「さっさと失せろ」と命じてくる。

 不良のくせに一応ながらも授業をちゃんと受けているのは、やはり〝女帝〟の影響が大きいためであることはさておき。

 史季は地獄から解放されたことに安堵しながらも、自分の席に戻った。


 川藤たちのいじめが授業中にまで及ばないのも。

 川藤たちに暴力を振るわれた場合においても、顔は目立つからという理由で一応は手加減されたボディブロー程度で済んでいるのも。

 ひとえに小日向夏凛が学園のトップを張ってくれているおかげだということは、史季も理解している。

 そういった意味では、多少なりとも夏凛に感謝しなければならないのかもしれない。


 けれど、どうしても、世紀末学園とまで呼ばれているこの学園で頭を張れるほどにケンカが強い彼女に対しては、感謝よりも畏怖が先に立ってしまう。

 その畏怖のせいで、川藤の取り巻きたちが言っていたように、夏凛に助けを求めることすらできないでいる。


 そこまで夏凛にビビっているくせに、心のどこかで「僕のいじめに他の誰かを巻き込みたくない」とか「それが女の子なら、なおさらだ」とか思っているものだから、我ながら度し難い性分をしていると思わずにはいられなかった。


(でも……仕方ないじゃないか。それが僕なんだから……)


 開き直ったように、心の中で独りごちる。


 史季がこの聖ルキマンツ学園に入学する羽目になってしまったのも、川藤たちに目をつけられるようになってしまったのも、元を正せばこの性分が原因だった。


 第一志望だった公立高校の入試の日、史季は時間的に余裕を持って家を出たにもかかわらず、道中歩道橋の階段が上がれずに困っているお婆さんを見かけては助け、迷子の子供を見かけては一緒に親を捜し、大幅に遅刻してしまったせいで一部の科目の試験を受けることができず、落ちてしまった。


 第二、三志望の私立高校の入試の日も、同じような理由で遅刻してしまい、例によって一部の科目が試験を受けず、落ちてしまった。


 最後の滑り止めとして受けた聖ルキマンツ学園の入試の日だけは、なぜか困っている人を見かけなかったおかげで試験を受けることができ、不幸にも聖ルキマンツ学園への入学を果たしてしまった。


 とはいえ、ただ学園に入学しただけならば、川藤たちにいじめられることはなかったかもしれない。

 入学してすぐ、偶然川藤と取り巻きの二人が同じクラスの生徒をいじめている場面に出くわした史季は、心の内にあったそこそこの正義感がつい顔を出してしまい、自分がこの学園において草食動物であることも忘れて、いじめられていた生徒を庇ってしまった。


 そのせいで不興を買ってしまい、それ以降ずっと史季は川藤の玩具にされる羽目になってしまった。

 おまけに、庇った生徒は聖ルキマンツ学園の治安の悪さに恐れをなして転校したものだから、なおさら救われない思いだった。

 史季自身、親に心配をかけさせたくない手前、転校という選択肢を除外しているから、なおさらに。


 まだ夏凛が〝女帝〟とは呼ばれていない頃。

 彼女は、不良どもが弱い者いじめをしている現場を見かけてはシメまわっていた。

〝女帝〟という脅威を正しく理解していた川藤たちは夏凛の目につかないよう、史季に対して、大怪我を負わせるほどの暴力、私物の破壊や故意の紛失、恐喝などといった、いじめをエスカレートさせるような真似は決してしなかった。


 代わりに、いじめのやり口は日を追うごとに陰湿に進化していき、不良同士の上下関係からくる、縦の付き合いのていを崩すような真似も決してなかった。


 学年が上がり、クラスが変わればこの地獄から抜け出せると思っていたが、最悪なことに、二年になっても川藤はおろか取り巻きの二人とも同じクラスになってしまった。


(まさか、三年になってもまた川藤くんたちと同じクラスなんてことはない……よね?)


 ついうっかり脳裏に浮かべてしまった最悪の自問を振り払うように、史季は小さくかぶりを振る。さすがにその未来は、想像すらしたくない。


 そうこうしている内に教師がやってきて、二時限目の授業が始まる。

 正直授業なんて特段好きではないけれど、川藤たちの存在を気にしなくて済むので、この五〇分間は史季にとって憩い以外の何ものでもなかった。


 それから休み時間ごとにパシりやら、遊びと称した暴力やらを受けながらも、どうにかこうにか終礼のホームルームを迎える。

 川藤たちは学園内に存在する不良どもの派閥に所属しており、昼休みや放課後はそちらに顔を出さなければいけないらしいので、ここまで来ればもう地獄からの解放は約束されていた。


 とはいえ、下手に学園に居残ったり、寄り道をしたりして、派閥への顔出しから解放された川藤たちと出くわしたら事なので、史季はホームルームが終わり次第すぐに帰路についた。


 今日も一日なんとか乗り切れた――そのことに、心の底から安堵しながら。

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