第32話 静かな夜

 晩ご飯が終わると夜になる。

 夜は静か。夜になるとひとり。

 ひとりの時間は苦手。だけどひとりっ子だからしょうがない。


 洗い物をして、リビングに戻った。テレビは消えていて静か。お母さんはテーブルの上でパソコンをカタカタ。パソコンをするときはメガネをかける。メガネをかけたお母さんは、すごく真面目。頭が良くなったみたいに真剣な顔だ。いつもとは別人みたい。


「どしたの?」


 お母さんはわたしの視線に気づいた。手を止めて、聞く姿勢を作ってくれる。

 言いたいことがあった。でもなんて言葉にすればいいのかわからなかった。だからそうやって言おうかと思ったけど、やっぱりやめた。お母さんはお仕事中だから邪魔しない。


「ちょっと隣行ってくるね」


 代わりにそう言って、冷蔵庫から棒のアイスを二本取り出す。

 リビングの引き戸を開けて、サンダルに履き替え外へ。

 狭い庭を、家から漏れる明かりを頼りに歩く。ぽっかり空いた生け垣の隙間から、隣の家の庭へ。


 生け垣を抜けた先で、わたしはぎょっとして立ち止まった。縁側に誰かが座っていた。みじろぎもせず、物音一つたてず。ぜんぜん気配も感じなかった。

 凪ちゃんだった。姿勢よく腰掛けて、ぼうっと夜空を見上げている。

 そばに近づくと、凪ちゃんはようやくわたしに気づいた。ちょっと眠たそうな目に向かって、手にしたアイスを見せる。


「アイス食べる?」

「たべりゅ~」


 両手を上げて伸ばしてくる。うれしそうだけどあんまり表情には出ない。

 隣に座って、一緒にアイスを食べる。凪ちゃんはアイスをかじりながらわたしを見て、ちょっとだけ笑った。


 こういうとき、わたしにも妹がいたらいいのに、なんて思ったりする。もちろん思うだけで、そんなこと言えるわけないけど。

 けどもし妹がいたら、きっとこうやって二人で縁側に座って、仲良くアイスを食べて……あれ、でもそれって今とおんなじか。


 凪ちゃんは食べ終わったアイスの棒をくわえたまま、足をぶらぶらさせてまた空を見ている。ご機嫌。四六時中スマホを触っているのに、今は珍しく持ってない。聞いてみる。


「凪ちゃんはなにしてたの?」

「でじたるでとっくす中」

「へえ~?」


 凪ちゃんはちょくちょく難しい言葉を知ってる。よくわからなかったけどお姉ちゃんが知らないのは恥ずかしいので、知ったかぶりをしておいた。

 それから一緒になって夜空の星を見た。澄んだ夜の空気と、遠くで聞こえる虫の音。

 なんてことのない、のんびりした時間。凪ちゃんは何もしゃべらなかったけども、それだけでだいぶ気分が晴れた。


 いつのまにかわたしのほうが一生懸命に星空を眺めていた。気づいたら、隣で凪ちゃんが首をうなだれて、こっくりこっくりしていた。わたしは戸を開けると、凪ちゃんをうしろから抱きかかえて家の中に入った。


 真奈美さんはちょうどお風呂にでも入っているのか、リビングには誰もいなかった。泰一はきっと自分の部屋だ。凪ちゃんをソファに寝かせて、タオルケットをかける。それから二階の泰一の部屋に上がっていく。


 部屋の前は静かだった。泰一が銃で撃ち合うゲームをやってたりするときは、「はいはいクソゲークソゲー」とかって奇声を上げてたりする。今日はそれもなかった。

 ドアの前に立って握りこぶしを作る。いつだったか「みつき立入禁止」なんて紙に書いて貼ってあったときは、むかっとしてすぐ剥がした。いくら冗談にしてもあれはひどい。


 意を決してノックをする。何も返事がない。

 ゆっくりドアを開けて、おそるおそる中をのぞきこむ。泰一はベッドに寝転がって、スマホをいじっていた。きっと気づいてるけど無視されてる。もういいや入っちゃえ。

 わたしはベッドに近づく。


「なにやってるの? ゲーム?」

「いやライン返してる」


 泰一はろくにわたしの顔も見ずに答える。そっけない。

 ラインって、もしかして茉白ちゃんや杏奈ちゃんとしてるんだろうか。

 本当はいろいろ聞きたいことがあった。二人とはいつのまに仲良くなったの? とかどんなふうに仲良くなったの、とか。

 けどそういうのもウザがられるのはわかってる。だからおとなくしくベッドの端っこに座る。


「何しに来たんだよ?」


 わたしが静かにしていると泰一は言った。用がないと来たらダメみたい。

 手土産にアイスを持ってきたつもりだったけど、凪ちゃんにあげちゃったんだった。それにしたって、最近のわたしへの態度はひどい。

 ぶすっとして控えていると、泰一はベッドを這いずってきてわたしの顔を見た。


「なんで勝手に入ってきて不機嫌な顔してるわけ?」

「別に普通です。こういう顔です」

「なんだよかまってほしいのか~? はいはいよちよち」


 乱暴に頭を撫でられる。

 ちょっとだけ胸がきゅっとしたけど、やっぱりなんか違う。撫で方が雑。子供扱いされてる。


「笑えよほら」


 今度はほっぺたを引っ張って伸ばされる。

 少し痛いけど、これはそんなに嫌いじゃない。痛くされてうれしいとか、わたしはちょっと変なのかもしれない。


「はい終わり。お帰りください」


 急にそっけない。むかっとしたので、指にがぶりとかみつく。

 泰一はびっくりしたっぽい。変な声を出して固まってる。

 そのままがじがじ指を噛んだ。でもあんまり痛くないように優しく。口に含んだままじっと上目遣いで睨むと、泰一は焦って手を引っ込めた。顔を赤くして早口でなにか言ってる。ざまあみろと思ったけど、急に恥ずかしくなってきた。これって、すごく変なことをしているのかもしれない。


「いやホント、勘弁してくれませんかねそういうの……」


 泰一はぶつくさ言いながら背を向けて、またスマホいじりに戻る。

 それならと、わたしも負けじとポケットからスマホを取り出す。

 まだあんまり使いこなせてないけど、さいきんSNSを見るのにハマってる。ハマっているというか、手持ち無沙汰につい見てしまう。


 表示される写真をどんどんたぐっていく。かわいいお洋服とか、メイクとか。きれいな風景とか、おいしそうなスイーツとか、猫ちゃんとか。すごくきらきらしている。

 どれもわたしの日常にはないものだ。なんだか新しい世界が開けたみたい。……えっ、この子わたしと同い年なの。すごい。


「みつきちゃんな~に見てるの」


 すっかりスマホに集中していると、泰一が猫撫で声で近づいてきた。

 わたしが黙ったから不安になってご機嫌を取りに来たみたい。そういうのもお見通し。

 でも泰一はなんだかんだでかまってくれて、頬がにやけそうになる。ばれないようにぎゅっと奥歯を噛んで真面目な顔をつくる。

 そしたら泰一が勝手にスマホをのぞいてきたので、慌てて背を向けて隠す。


「おや? エロサイト見てるのかな」


 サイテー。

 ちがうSNS、というと、泰一はどうでもよさそうに鼻を鳴らした。興味なさそう。思い出して話題を振ってみる。


「すごいよね、茉白ちゃんフォロワーいっぱいいるって」

「ああ、らしいね」

「なんか学校とかでも、すごい人気者みたいだし……」

「んーそうなんかねぇ?」


 やっぱり泰一はどうでもよさそうだ。でもあえて素っ気ないふりをしているのかもしれない。

 茉白ちゃんにアカウント教えて、って聞いてもはぐらかされて教えてもらえなかった。そういうのって見られたくないものなのかな。わたしだったらうれしくなってすぐ教えちゃいそうだけど。

 この中に茉白ちゃんもいるのかな。探したら出てくるのかも。

 この前もきれいなお洋服を着てて、すごくかわいかった。モテモテで人気者なのもうなずける。でもすごい人なんだって思うと、なんか緊張しちゃう。


「杏奈ちゃんも絵描いたのアップしてるって……最近ちょっとフォロワー増えてきて、反応あるようになってきたって」

「ようやるねえ。あっちもあっちで承認欲求強そうだもんな」

「すごいよね、なんかみんな」

「うーん……まあ、そのかわりお前は俺をフォローしてるだろ」


 うまいこと言ってやったみたいな顔をしてくるけどよくわかんない。たぶん泰一も自分で言っててよくわかってないと思う。そういうのよくあるけど慣れてる。

 みんなすごい。なんだかわたしだけ、なんにもない。

 人に誇れる特技なんてないし、得意なことだってあんまりない。なにか優れた実績があるわけでもない。

 これといって考えてることとかもない。難しいことだってよくわからない。趣味だって人の真似。泰一にたまに俺の真似すんなって言われるけど、しょうがない。いつも人に流されるまま。周りに合わせるまま。


 なんだか今になって調子がでてきた。お母さんに言おうとしたこと。

 だけどやっぱり言わなくてよかった。こんなこと言っても困らせちゃうだけだ。

 気づいたら、わたしはじっと泰一の顔を見つめていた。

 今のはちょっとわからなかったけど、もしかしたらもっとなにか言ってくれるかな。そう思って、上目遣いをしながら待った。


 泰一もわたしの顔を見ていた。目を見て、お互い無言で見つめあっていた。どれぐらいだったか、結構長いことそうしていた。途中で我慢比べみたくなっていた。先に目をそらしたのは泰一だった。少しきまりが悪そうに、あごを手でかいた。それから言った。


「お前って……俺のこと好きなの?」

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