第18話 いちゃらぶえっち
帰宅後、俺は一人で勉強机に向かっていた。自主的にお勉強をしている。えらい。たいちくんえらい。
というのも、この間の中間テストで悪魔的な点数を取ってしまったためだ。入学後一発目でこれはまずい。再テストするとか言われたので、ちょっとばかし危機感を覚えているところである。
ペンを片手にしっかりスマホゲーの周回も忘れない。ゲーム8勉強2ぐらいの割合でマルチタスクをこなしていると、コンコンとドアをノックする音がした。
「入ってまーす」
入口に向かって即答すると、ややあってゆっくりドアが開いた。わずかな隙間からじっと中を覗いてくる。言わずもがなみつきだ。だからホラーやめろ。
目が合うとオッケーとでも思ったのか、みつきが入室してくる。
「なんだよ、入ってるって言っただろ」
「ちゃんとノックしたよ?」
いやおかしいおかしい。
その理屈だとうんこしているところにもノックして入ってくるわけだが。
「なあ、ドアに張ってあった『みつき立ち入り禁止』の張り紙が見えなかったのか?」
「え? これ?」
「なんで破り捨ててんだよ」
みつきは紙くずを丸めてゴミ箱に入れた。強い。というか資源の無駄遣い。
「悪いけど今は勉強中だから」
「勉強? じゃあ教えてあげる……」
「いらん」
にべもなく言うと、みつきはぷくっと頬をふくらませる。はいはいあざといあざとい。
「お前そんな顔して、自分のことかわいいと思ってるだろ」
ふるふると首を振った。はいはいかわいいかわいい。
みつきが首を振った拍子に胸元が揺れる。Tシャツにショートパンツという相変わらず無防備な格好。自分が家にいるときのラフな格好でそのままやってくるのでこうなる。つい足に腰に胸に目がいくのはしかたないことだ。みつきは俺がそんなことを考えていることなど夢にも思ってなさそうな顔で小首を傾げてくる。
「テストどうだったの?」
「まあまあかな」
正直に言うと「せっかく教えてあげたのに~」とふてくされることうけあい。しかしみつきの解説は実のところあまりうまくはない。ときおり話がそれたり、言葉に迷ったりする。それでも一生懸命に説明してくるので胸の谷間とかが気になる。ん? 少し論理が飛躍したな。
みつきは近づいてきて俺のすぐそばに立つと、横から机の上をのぞきこんでくる。
「ほんとに勉強してるの? ゲームやってるだけじゃなくて?」
広げているノートはほぼ白紙なのでバレる。
さらにみつきが顔を近づけてくるので、見られないよう身を乗り出して隠そうとすると、
「あいたっ」
額が俺の側頭部にぶつかった。みつきは頭を手で押さえて舌を出した。何がおかしいのか笑っている。
「いてえなお前、距離感がおかしいんだよいっつも」
「えへへ、ごめんね」
「えへへじゃねえこのこの!」
「あぁんごめんごめん」
おでこをべしべしする。
にしても本当におかしい。とにかく近い。
勉強を教えてもらうときも下手すると頬ずりしそうになったりする。胸が肘とかに軽く当たったりする。俺が集中できないのはそういう理由もある。
まあそのぐらいでそんなキレることもないが、ここはあえて不機嫌オーラを出していく。邪魔者を部屋から追い出すのだ。案の定みつきはご機嫌を伺うように人の顔をのぞきこんできた。だから近いのやめろ。
「どうですかぁ~? 最近は」
「別に? あらゆることすべてがうまくいってるけど」
「へ~? そうなんだぁ~?」
と言いつつもどこか引っかかるようだ。
みつきちゃんがいないと僕さびちいとでも言ってもらいたいのか。
「明日もまあ、友達とちょっと遊ぶし?」
気持ちドヤ顔で言う。
これがやりたかったというか、これのために茉白を誘ったみたいなとこある。現状明日のことはノープランでどこで何するかもよくわからんけどまあ大丈夫だろう。
「ふ~ん? 友達って中学のときの?」
「違う違う今の学校の」
「へ~?」
めちゃめちゃ疑わしい目つき。そういう自分だって友達が多いタイプではないくせにだ。
休日に友達と、とかいう話もめったに聞かない。それは俺の相手で忙しいからなのかもしれないが。
「そういうわけで俺は今から筋トレするから去れ」
あんまり見られると勉強してないのがバレる。俺は机の上を片付けて立ち上がった。
真人間たるもの口だけでイキるのではなく、イキった陽キャもどきをワンパンできるぐらいにはならないと。最近妙にあちこちでバトりかけてるし。
部屋中央のスペースに両手をついて、足を伸ばす。まずは腕立て伏せだ。ゆっくり腕を折り曲げて、戻す。……ん? あれ? 腕立てってこんなキツイんだっけ?
驚愕していると、みつきがかたわらにしゃがみこんでじっと俺を眺め始めた。気が散る。太ももがむちむちしている。
「さーん、よーん」
みつきは勝手に数をかぞえだした。かなり気が散る。
とはいえここですぐやめるわけにもいかない。せめて十回ぐらいやってみせないとダサすぎる。
「がんばれ~」
拳を振って応援を始めた。めちゃめちゃ気が散る。
それでもなんとか十回。一度膝をついて声をかける。
「気が散るからやめろ。出ていきなさいしっしっ」
みつきはぶすっと口を尖らせた。それから立ち上がって、姿が見えなくなった。
やっと出ていくか、と思って腕立てを再開する。がその矢先、ずしっと背中にとんでもない重圧が乗っかってきた。
「ぐぇっ」
変な声が出た。腹ばいに床に押しつぶされる。
何事かと首をひねって見上げると、みつきがニコニコで俺の背中にまたがっていた。
「ほら起き上がって、がんばれがんばれ~」
しっかり体重をかけながら応援してくる。いや煽ってくる。
とはいえこの重さは、とてもじゃないが起き上がれそうにない。
「お、お前バカ、重たいわ!」
「重くないですぅ~。この前の身体測定も平均だったし」
平均と言い張るわりにやけに肉付きがいい。やたらに柔らかい。腰に当たる感触はなんというかお尻の形がまるわかりである。みつきは小刻みに体をゆすりながら、
「あれれ動けないのかなぁ~? そんなんじゃ女の子にも負けちゃうよ?」
「は? なめんな」
このぐらい本気を出せば造作もない。
ただ力に任せてはねのけると、変なところを触ってしまったり変な体勢になってしまったりするかもしれない。という紳士的な配慮だ。しかし遠慮は不要らしい。俺は両腕に力を込めながら勢いよく腰をひねる。
「きゃぁっ!」
と悲鳴を上げながら、あっけなくバランスを崩して落馬するみつき。床に落ちかける背中を、反射的に伸びた俺の腕が抱きとめる。腕だけでは支えきれず、お互い横倒しになる。
「いたた……。だ、大丈夫? 泰一」
「ち、ちょっと腕が……」
片腕がおっぱいの下敷きになっている。圧迫されている。そしてなぜかみつきの両足が俺の足に絡まっている。動かない。
腕を引き抜こうとすると、みつきの目と目が合う。まさに目と鼻の先。気づけば俺たちはカーペットの上で抱き合って見つめ合っていた。
「あ……」
ふっくらとした唇がかすかに動いて音を発した。鼻に吐息がかかる。目の前で瞳が何度か大きく瞬きをした。
触れた二の腕から、手のひらから、全身から柔らかさと体温が伝わってくる。
そのまま微動だにしなかった。体を絡ませながら、間近でお互いの呼吸を感じていた。
「たいち~めしだぞ~」
そのとき背後でドアが荒々しく開く音がして、凪の声が聞こえた。
ビクっとしたみつきが慌てて上体を起こす。両足をほどいた。ようやく解放され、起き上がる。
「あ」
凪は俺たちを見て固まった。ぽかんと開いた口で聞いてくる。
「せっくす?」
「違うわ」
表情をいっさい変えることなく淡々とド直球発言をする凪。
当然食い気味に即否定する。
「じゃあなにしてた?」
「いちゃらぶえっち」
「ほーん」
今ので納得したらしい。
でもこいつアホだから真奈美とかに言うからあとで口止めしないと。
俺と凪がやりとりをするかたわらで、みつきの顔がみるみるうちに真っ赤になっていく。急に立ち上がったかと思うと、ふらふらと謎のステップを踏みながら、
「あっ、ご、ご飯ね! もうこんな時間、うちも早くご飯にしないと!」
すさまじく挙動不審な動きで逃げていった。
やっとのことで撃退したが、はぁ……もう本当に骨が折れる。
みつきが見送った凪が、俺を振り返って見上げてきた。
「つぎは動画撮る?」
「撮らんわ」
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