第9話 命の恩人

 昼休み。俺はみつきの弁当を片手に校舎をさまよっていた。

 昼めしは友だちと食べる、と啖呵を切った手前、みつきに教室でぼっち飯をしているところを見られるわけにはいかない。

 外に出るのも考えたが、庭のベンチはほぼほぼリア充に占拠されていた。不審人物がちょっと近くを横切るだけでも危険である。


 徘徊の末やってきたのは、教室のある建物とは別棟の、屋上へ続く階段。屋上は封鎖されているので出られないが、周辺にはまったく人の気配はない。ここなら誰にも見られず誰も来ないだろう。

 階段に腰掛け、膝の上で弁当を広げる。ほこりっぽいし、ワックスのような変な匂いがする。あと微妙に暗い。


 一方でみつきの作ったお弁当は、色あざやかできらきらとしていた。朝早起きして作ったのだろう、ところどころ手が込んでいる。またほうれん草入ってるのも嫌がらせではなく俺のためを思ってのことだ。こんな場所で食べるのには正直似つかわしくない。

 あれなんだろう、なんか急に泣きそうになってきた。


 ――ブーッ、ブーッ、ブーッ!


「はひっ!?」


 突如こだまする謎の異音。びくっとして口から変な裏声が出た。箸でつまんだからあげが床にころりんした。

 何だこの音は何だ? とあたりを見渡す。

 ここにはもちろん俺ひとりだ。視界にこれといった変化はないが、ブーッ、ブーッと謎の異音はやまない。

 心臓をバクバクさせながら音の発信源をたどっていくと、階段下の踊り場に置いてある小汚いバケツにいきあたる。これまた汚い雑巾がひっかかっていて使われてなさそうだが、バケツの中にはなぜか小綺麗なスマホが落ちていた。


 おそるおそる振動を続けるスマホを手に取る。画面を見ると、謎の番号から着信していた。

 このピンク色のカバーといいキラキラした飾りといい、見た感じ女子生徒のものと思われる。凪が持っているものよりよさげなスマホだ。

 その間もスマホはブルブルと震え続け、コールはやまない。こういうのは絶対に出ない方がいい、きっと詐欺とかそういうやつだ。あ、いやこれは俺のスマホではないから別に関係ないのか。


 なぜこの汚いバケツの中で雑巾の下敷きになっていたのかは不明だが、どのみち120%面倒事である。これまでの俺なら気づかなかった体でスマホをもとに戻して、何事もなかった顔で飯を食らうだろう。

 しかし今の俺は真人間を目指す身だ。ここは毅然とした態度で、しかるべき処置を施してみせる。

 きっとこのスマホの持ち主は女子であるからして、気持ち女声を作って電話に出る。


「は、はい、も、もしもしぃ?」

「も、もしもし!? ど、どなたですか?」

「だ、誰ですか!?」


 テンパって聞き直してしまった。女声で。

 負けじと慌てた声が返ってくる。


「あ、あのっ、これ私のスマホにかけてるんですけど……」

「えっ? あっ、その、これ落ちてて、拾って……」

「落ちてた? い、今どこにいらっしゃいますか?」

「き、教室のリア充グループの中心にいます!」

「はい?」


 とっさに意味不明な位置情報を教えてしまった。

 まぁ気持ちとしてはね、そのあたりにいるんじゃないかと。


「えっと、さ、三階の階段のとこの……」

「あっ、階段……ちょ、ちょっと動かないでください! 今から行きますから!」


 ブツっと通話が切れた。俺はスマホの画面を見て固まる。

 やばいやばいどうするどうする? この感じ、今にもダッシュで駆け込んできそうな勢いだ。

 スマホ置いて逃げるか? いやでも変に鉢合わせしたら……待て待て、俺は何も悪いことはしてないはずだ。いやマジでしてないよね?


 頭がフットーしかけていると、しばらくして下から足音が近づいてきた。

 姿を現したのは、血相を変えた女子生徒。茶色がかった長い髪をなびかせ、ほっそりした足で一段とばしに階段を上がってくる。

 彼女は手前の段で立ち止まった。大きく見開いた瞳が見上げてくる。視線は俺が手にしているスマホへ。彼女は白い腕を伸ばしてスマホをかっさらっていくと、胸の中で抱きしめるようにした。


「はぁ~よかったぁ……ありがとうございます、命の恩人です!」


 安堵の笑みを浮かべながら、ぺこぺこと大げさに頭を下げてくる。

 走ってきたのか息を切らしている。改めて相手のなりを見ると、これがまた整った顔立ち。妙に肌が白く、興奮のためか頬に赤みがさしていた。腕も足も、全体的に細い。身だしなみはきちんとしていて、なんとなく優等生っぽい。


「声で女の人かと思ったんですけど……男の人だったんですね!」


 いけるやん。男の娘いける。

 きれいな目で見つめられてちょい緊張である。彼女はスマホを持ち上げて、


「これ、どこにありました?」

「や、その、バケツの中に落ちてて……」

「バケツ!? え~……なんでそんなとこに! いつの間に落としたのかな……」


 ご飯を食べていたらお腹が痛くなって慌ててトイレに。このときスマホをポケットに入れたはずが見つからない。ここにも一度戻ってきて探すが見つからず、人にスマホを借りて電話した。

 というようなことを彼女は早口でまくし立てた。まだ興奮冷めやらないようだ。


「や~なんにせよ、よかったよ。ははは……」

「はい! 本当にありがとうございます」


 それきり会話が終了してしまった。変な沈黙が流れる。

 なにやら彼女、ひとしきり話し終わって徐々に冷静さを取り戻したらしい。

 俺も俺で初対面の女子とこれ以上何を話したらいいかわからなくなっていた。なんかすげえ気まずい。ていうかこの状況どうしたら?

 とりあえず名前を名乗ってみる。


「えっと……俺、一年一組の黒野泰一です」

「あ、私……一年三組の、桜木茉白(さくらぎましろ)です」


 はい会話終了。

 茉白ちゃんっていうのかぁ肌が白くてきれいだねぇグフフとか言おうかと思ったが、セクハラになりそうだったのでやめた。


「黒野、泰一……?」


 茉白ちゃんは口の中で小さく繰り返した。驚いたようなまなざしでじっと見つめてくる。見つめ時間がやたら長い。

 これは……あれか。もう完全にあれだな。惚れたな。

 それかもしくはあれだ、ダメ人間として俺の悪名が知れ渡っているかだな。


「あ、あの……」


 彼女はなにか言いたそうに口を開いた。ビビりながらも聞き返す。


「な、何か……?」

「や……別に」


 ふいと目をそらされた。あっ……。

 どうやら後者の説が濃厚である。俺って意外に有名人なのかもしれない。

 とにかくなにか話題だ。ここで圧倒的コミュ力を見せつけて変な噂は払拭する。


「茉白ちゃんって肌が白くてきれいだねぇグフフ」


 結局言った。いやこれはちょっと空気が重いので、ここらでユーモアで和ませて話しやすい空気にしようかと。

 しかし返ってきたのは無言の眼光だった。こころなしかゴミを見るような目で睨まれている。話題チェンジだ。


「い、いや~しかし驚いたよ。いきなり変な音がすると思ったら、スマホが落ちてるとは……」

「落としたら、悪いですか?」


 やっぱりちょっと不機嫌そうなんですけど。

 僕スマホ見つけた恩人よ? それ忘れてない?


「……黒野さんは、どうしてこんなところに?」

「え? あ、そ、それは……」


 幼なじみに友達と一緒に昼飯を食うと言い出した手前、一人で食べるわけにもいかず、かと言って相手もいなくて教室から逃げてきた。

 なんて言えるか。

 茉白は脇においてある弁当箱をじろりと見る。


「それ……お弁当ですか」

「え? お弁当? あぁ、はい」

「ここで、食べてたんですか? ひとりで?」

「ま、まあね。たまにはね、気分を変えようかと……」

「え、ていうかぼっち飯の方ですか?」

「ば、バカ言うんじゃないよ僕が?」

「こんなとこにお弁当持ってきてるって、どう見てもぼっち飯ですよね」


 やっと話が弾んだと思ったらこれだ。

 なぜかこの女、さっきまで丁寧だったのに急に上から口調である。詰めてくる感じである。そして妙にうれしそうである。


「い、いやちょっと待て。そっちこそご飯食べてたらっ……て言ったよな? つまりここで飯食ってたってことだよな?」


 そう返すと茉白は黙った。

 そもそもこんなところでスマホを落とすというのがどう考えてもおかしい。ていうかさっきご飯食べててお腹痛くなってトイレ行ったって自分で言ってたし。


「あれれ? もしかしてぼっち飯の方でしたか?」


 やられたとおりやり返す。

 ぼっち飯をのぞくとき、ぼっち飯もまたこちらをのぞいているとかそんな感じ。

 勝ち誇った笑みを向けると、茉白はニヤリと不敵な笑みを返してきた。

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