第7話 新しい目覚め

 ベッドの上で目が覚める。自然な、優しい目覚めだった。

 カーテンの隙間から、柔らかい光が差し込んでいる。さわやかな朝の空気が漂ってくる。

小鳥のさえずりが聞こえてくる。気持ちのいい朝。


 そう、今日は学校が休み…………じゃない!

 俺は反射的にがばっと身を起こすと、枕元のスマホを手に取った。

 スマホは完全に沈黙していた。昨晩アラームをしっかりセットして眠りについたのは間違いない。それは間違いない。


 しかしどういうわけか現時刻はセットしたアラームより三十分近く遅れている。そしてアラームがオフになっている。無意識のうちにアラームを切ったとでも言うのか。完全に記憶がない。


 しかしこの時間ならまだ間に合う。いろいろすっ飛ばせば全然いける。

 奇跡的にも俺は目覚めることができたのだ。自分ひとりで。自らの力で。にわかに信じがたい。正直自分で自分にビビっている。


「のどかわいた」


 のどかわいたの呪文を唱えるがしかし何も起こらなかった。

 すぐに自分で自分の顔面をビンタする。何をバカなことを言っているのかと。

 勢いよく布団を跳ね上げ、ベッドから降りる。とっととさっさと準備だ。

 まずは着替えを……と制服のかかったハンガーに近づくと、何者かの視線に気づいた。


 はっとして振り向くと、部屋のドアが半開きになっている。そしてその隙間から、不審人物――制服姿のみつきが顔をのぞかせていた。目が合うなり、にまっと笑ってみせる。


「あれれ? 遅刻しちゃうよ~? 大丈夫かなぁ~?」


 というわりにやけにうれしそうだ。

 もしかしてこいつ……俺が起きられるかどうか観察してたのか?


「見ろ、ちゃんと一人で起きたぞ」

「うんうんえらいえらい」

「えらいでしょ? ほめてほめて」

「よしよし泰一くんえらいぞ~」


 近づいてきたみつきが頭をぽんぽんしてくれる。やったね。

 ……じゃなくて。いま一瞬でペースをもってかれそうになった。やってる場合じゃない。


「これぐらい当然だ。お前の助けはもういらん、これでわかっただろ」

「ご飯は?」

「いらん」


 いらんと言ったはずなのにみつきは勝手にオーブントースターを用意し始めた。しっかり食パンも持ってきている。

 この子人の話を聞かないフシがあるのよね。


「ほら、パン焼いてあげるから」

「いやいい、俺が自分で焼く」

「いいよいいよわたしがやるって」

「だから俺がやるっての」

「チッ」

「今なんで舌打ちした?」


 みつきは口をとがらせてぶすっとそっぽを向くが、キレられるいわれはない。

 ちんたらやっている時間はないので、トースターに適当にパンを二枚突っ込んで焼く。その間、服を全部脱ぎ捨て制服に早着替えをする。みつきが裸を見て「きゃっ」とか言ってるが無視。途中ボタンを掛け違えていることに気づいたが後で直せばいい。

 それから焼けたパンをオーブンから取り出す。みつきが横からじっと覗き込んできた。


「それちゃんと焼けてないんじゃないの~?」

「肉焼けてないみたいに言うな、食パンなんて生でも食えるわ」

「あーもうジャムつけすぎ」

「いいんだよこのぐらいで」

「糖尿になるよ」

「その程度でなるか」


 というかパンなんて焼いて食ってる場合じゃない。

 ジャムを塗りかけたパンをそのまま口の中に押し込むと、カバンをひっつかんで部屋を出る。

 みつきのことは放って、そのまま一人で家を出た。これで時間的にはセーフ。バス停に到着すると、すぐにみつきが走って追いついてきた。


「泰一これ! 財布置きっぱなしだったよ」


 あぶねええええ。

 無銭乗車してドライバーのおっさんにキレられるとこだった。


「ありがとう偉いぞ、みつきちゃんないすぅ」

「えへへ、みつきないすぅ」


 頭をぽんぽんしてやると、みつきはへにゃっと笑顔になる。かわいい。

 ……ってだからやってる場合じゃねえんだよ。何たる失態。こうやってみつきにお世話されるようじゃダメなのだ。


 バスの中は相変わらずの微妙な混み具合だった。

 いち早く乗り込んだ俺は、みつきに手で空席を指し示す。


「そこ空いてるから座れよ」

「いいよ泰一座りなよ」

「座っていいっての」

「んもう。ヘンな泰一」


 なんで席譲ったら変な人扱いされなきゃならんのだ。

 みつきを無理やり座らせ、俺は傍らに立つ。みつきは弁当用にカバンを二つ持ってきているので一つ預かる。バスが発車するなり俺は言った。


「俺もうバス通やめるわ。明日からチャリで行く」

「え?」

「だいたいバス通とか軟弱だよな。男ならチャリ一択だろ」

「えー、でもわたし定期買っちゃったし……」

「みつきはバスでいいじゃん」


 この距離ならチャリでいけるっしょと真奈美には言われていたが、とりあえず様子見でごまかしていた。正直通学気分を味わうためにバスに乗っていた部分もある。


「泰一やっぱり変だよ? 昨日の夜から。どうかしたの?」

「みつきは今日もかわいいな」

「うふ、泰一もかわいいよ」


 毎回毎回怪しまれるのも面倒なので、とりあえず今まで通りを装ってアホな会話をする。

 さらにこのままだと年金が、教育が、選挙が……日本は終わる的なネットで聞きかじった知識を気持ちよく披露すると、


「へえ~」

「すごーい」

「うんうん」


 いやちょっと待て。みつきのやつ……よく聞くとだいたいこれしか言ってない。ニコニコしながら頷いているだけだ。

 俺のツッコミどころ満載の話を遮ることもせず、黙って聞いてられるなんて……。


「お前……釈迦の生まれ変わりか?」

「なにそれ、うふふっ」


 そしてうすら寒いギャグも笑ってくれる。

 二人で話している分にはいいかもしれないが、こんなノリをよしとされたらヤバイだろ実際。


「お前さ、なんかちょっとこう……社会に不満とかないのか」

「え~~? 別にないかなぁ」

「支持政党は? この先そんなんでやってけると思ってんのか。自己主張しないと死ぬぞ」


 そこまで言うと、さすがにみつきの表情も曇った。

 そうなったらなったでかわいそうになって胸がきゅっとなったので、焦りつつも慌ててフォローをする。


「あっ、ご、ごめんね? 別にそういうアレじゃないから。みつきちゃんっていっつもニコニコしてて頭空っぽなのかなってちょっと疑問に思っただけだから」


 謝ると見せかけて煽ってしまっていることに気づく。

 しかしみつきはうれしそうにはにかんだ。


「泰一は優しいねぇ」

「え?」

「私のためを思って言ってくれてるんだもんね」

「そ、それはまあね……」


 なんとかセーフ。しかし本当にそうなのだろうか……自分で自分がわからなくなってきた。

 優しいなんてみつき以外に言われたことがない。というか昨日からのこの一連の流れは客観的に見てかなりクズい。


「今日もお弁当作ったからね。お昼持ってくね」


 みつきは膝の上のカバンを持ち上げながら言うが、俺はもう目覚めた側なのだ。

 これまでのように教室で二人一緒に頭お花畑ランチなどできるはずもなく。


「いや、昼はもういいから。食べるから一人で」

「なんで?」

「いやなんでってそりゃ……」


 言いよどむと、みつきは微笑を浮かべたまま、無邪気に首を傾げる。

 やはりいっそのこと、事情を話すべきか。俺たちよくない噂をされてるぞと。陰でああだこうだ言われてるぞと。


 ……いや、やめよう。みつきはきっとこのままでいいんだ。彼女は悪くない。俺がすべての罪をかぶる。汚れ役は俺だけでいい。守りたいこの笑顔。

 ていうかディスられてるの俺だけだったからね。聞く限りでは。


 とにかく俺がそんな噂はすぐに消してやる。ちょっと本気になればすぐだ。

 だから「お前は何も心配することなんてない」とここで言ってやるのが真人間への第一歩。


「いや、お前は何も心配することはない。俺に任せろ、ガンガン行こうぜしなくていい」

「なんで? って聞いてるんだけど?」


 これみつきちゃん軽く禅問答モード入っちゃってるね。たまに真顔で低い声返してくるから怖い。どんだけ俺に信頼ないんだよ。

 このままだとらちが明かないので、とりあえず適当に取り繕う。


「それは……と、友達と食べるからさ」

「え? 泰一友達いないよね?」


 はい論破されたけど事実陳列罪で逆転勝訴。


「で、できたんだよ最近! ていうかいちいち自分の教室から椅子持ってくんな」

「人の椅子勝手に使ったらかわいそうでしょ」


 うーんいい子なんだよなぁ。

 ちょっと席を離れたら自分の席が勝手に占領されてたときの気持ち、すごくわかる。


「今日はとりあえずもらっておくけど、明日から俺の弁当は作らなくていいから」


 みつきのカバンから弁当を自分のカバンに入れる。

 弁当だけは受け取るという今ものすごいクズなことをしているのではという疑念が一瞬頭をよぎったが、真人間は一日にしてならず。

 許せみつき。少しの間の我慢だ。


「むぅ~~……」


 とんでもなく不満そうな目。やはりお気に召さないらしい。

 許して。みつきちゃん怒らないで。

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