第6話 真人間

 その夜。

 俺は晩飯を済ませるなり、早々に自室に引っ込んだ。

 今日一日、あまりに衝撃的な出来事が続き、飯もろくに喉を通らなかった。と言ってみたかったがそれはまだ全然通った。


 しかし非常に頭を悩ませているのは事実である。日課のスマホゲーもログインボーナスだけ受け取ってその後やる気がおきない。

 そんなおり、ドアをノックする音がしてみつきが顔をのぞかせた。呼びつけてもいないのにこの時間にやってくるのは珍しい。


「一緒にたーべよ」


 フルーツヨーグルトのカップが二つ、テーブルに置かれた。

 もしや深雪さんに俺の様子がおかしいとかなんとか聞いたのかと思ったが、そんな様子は微塵もない。相変わらず頭お花畑っぽく、へにゃへにゃ笑っている。


「いやヨーグルトはもういい」

「え~食べないの~?」


 それはマジでいい。今朝のこともありもはや軽くトラウマである。

 みつきは行儀よく正座すると、持ってきたスプーンでヨーグルトを口に運び出す。


「んーおいしー」

「はいはいよかったね」

「えへへへ~」


 笑いながら頬がゆるゆるになっていく。みつきを中心にぽわ~んなオーラが漂い始め、あたりがぽわぽわに包まれていく。通称ぽわぽわ空間である。


「泰一も食べたい~? ほらあ~ん」

「あーん」


 気づけば俺もアホ面であーんしていた。

 すぐに我に返り、慌てて口を閉じる。ぽわぽわ空間おそるべし。

 こんなことやっている場合ではないのだ。このままではふたりとも共倒れになる。いや主に俺が。


「みつき、しっかりしろ! 目を覚ませ!」


 みつきの両肩をつかんで揺さぶってみる。俺によって洗脳を受けているとかなんとか言われていたが、それならこうしたら洗脳が解けるかもしれない。


「ちょ、ちょっと泰一揺らさないで! ……あぁん、もうこぼれたぁ」


 みつきはスプーンから落ちたヨーグルトを手で受け止める。そして指に付着した白い液状のものを舌で舐め取った。

 ふーん、えっちじゃん。……とかやってる場合でもない。

 俺はみつきの両肩を握ったまま、まっすぐ目を見つめて言う。


「年頃の女子がな、こうやって夜遅くに異性の部屋にやってくるのはよくないと思うんだ」


 薄手のパジャマで家を行き来するのはどうかと思う。無自覚に性的なポーズを披露して誘惑してくるのもよくないと思う。たまにブラチラとかするのもいいけどよくないと思う。


「異性の部屋……? や、やだもう急に……」


 みつきは頬を赤らめてうつむく。いったい何を想像しているのか。

 あっち方面には疎いといいつつ、実はものすごいムッツリなんじゃないか説。

 かたや俺はすっかり心を入れ替えつつある。今やダメゴミ人間から真っ当な人間――真人間を目指す身であるからして、そういう邪な考えは一切ない。ていうかこいつの肩めっちゃやわらけえ。揺れる胸元をちら見しながら言う。


「俺もいい加減、考えを改めようと思ってね。明日からはもう起こしに来なくていいから」


 そう告げると、一瞬変な間があった。

 みつきは無言で俺の手を肩から下ろさせて、ヨーグルトのカップをテーブルに置いた。

 緩慢な動き……かと思いきや両手がすばやく伸びてきて、俺の顎を掴んで引き寄せた。


「なんで?」


 手で顔面を固定したまま尋ねてくる。口元は笑ってるが目が笑ってない。


「お、幼なじみが毎朝起こしに来るとか、普通に考えておかしいだろ」

「別におかしくないでしょ」


 食い気味に反論された。

 うんおかしくないよねそうだよね、と思わず頷いてしまいそうな剣幕だ。ていうかなんで若干キレ気味?

 慌ててみつきの手を振り払う。なぜか首をゴキっとひねられそうな予感がして怖かった。


「こうやってあーんで食べさせるのもおかしいだろ」

「ん? やっぱりあーんしてほしい? ほらあーん」

「ヨーグルトはいらないっての。話聞いてる? とにかく朝も起こしに来なくていいから」

「またまたご冗談を~」

「いや冗談じゃないから」


 まったく聞く耳持たずなので、ここはきっぱりはねつける。

 みつきは一瞬むっとした表情になるが、すぐににやっと相好を崩した。


「え~でも泰一、ひとりで起きられるのかなぁ~?」


 いや俺幼稚園児とかじゃないからね?

 人を何だと思っているのか。話しているとこっちまで頭がおかしくなってくる。

 というか待て、だいたい俺がみつきを洗脳しているとか、言いがかりもはなはだしい。

 むしろ逆で……諸悪の根源ってこいつじゃね?


「……お前、俺をダメ人間にしようとしてるだろ」

「そんなわけないじゃん。そうならないようにしてあげてるんでしょ」


 はい自覚なし。

 いやまあ本人的には悪気はないのかもしれないが、ダメ人間にならないよう手を貸した結果さらにダメ人間になるという負のスパイラルに陥っているのでは。

 甘やかしが先か堕落が先か、今となってはどうだったか定かではないが、気がついたらもうこんな感じだった。


「ねえ急にどうしたの? 誰かになんか言われた?」


 みつきは真面目な顔で見つめてきた。

 いじめられてるなら私が言い返してきてあげる、とか言い出しそうな雰囲気である。

 そんなことされたら俺のサイコ度が爆上がりするじゃん。俺の命令で動いてるみたいな感じになるじゃん。やっぱり洗脳されてるじゃん。


「なんもないなんもない。いいからほら、もう帰った帰った」

「ふーん。じゃあもう耳かきもしなくていいんだ?」

「お、おう。当然だよ」


 断腸の思いである。最後に一回、と口走りそうになったがここはこらえる。

 正直あれも第三者視点からすると、相当まずい光景だ。


「本当にいいの? 明日起こさないからね? 本当に!」

「しつこいな、いいからさっさと去れ。しっしっ」

「べー。起きられなくても知らないよーだ」


 みつきは食べ終わったヨーグルトの容器をひっつかんで立ち上がると、やや足音荒くドアへ。そのまま出ていくのかと思いきや、ドアノブに手をかけて足を止めた。なんとも言えない表情でこちらを二度見したあと、部屋を出ていく。


 ……うーむ。これはこれで胸が痛む。今までの恩を仇で返すようである。

 しかしこのままではダメになるのだ。主に俺が。そしていずれは共倒れになる。

 俺をダメ人間扱いするのはいい。ただみつきまでそういう目で見られるのはよくない。ここは心を鬼にして突き放そう。


 今は許してくれ、みつき。

 そして待っていてくれ、俺は真人間になって必ず戻ってくる。ゆくゆく目指すは完璧超人である。そのために今からできることと言えば……。

 まあとりあえず今日はこのぐらいでいいだろう。土下座とかしていろいろ頑張った。疲れた。

 明日からガチで本気出す。

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