第5話 最後の砦
帰宅すると、妹の凪(なぎ)が家の庭先で一人スマホを構えていた。
ごついカメラを搭載した最新型のスマホだ。俺がゴミスペックのボロスマホを使っているのに対し、やたらいいスマホを使っている。
凪は一人でブツブツ言いながら、スマホ片手に庭をウロウロとしていた。意味もなく動画を回しているようだ。
ムダに伸ばしてシャレたふうに縛った髪。ブランドらしきロゴの入った服。いろいろと買い与えられ、明らかに俺より金がかかっている。
「ただいま凪ちゃん」
無視された。代わりに凪はスマホのカメラを向けてくる。
「珍獣はっけん」
兄を珍獣扱いしてくるこの妹、あまり感情を表に出さないタイプである。無表情で口数も非常に少なく、基本何を考えているか読めない。
小さい頃なら無口ロリかわいいですんだのだが、小学校も四年生になるというのにこれでは先行き心配になってくる。あんまり口もきいてくれないし。
ちょい年が離れてしまうとジェネレーションギャップがね。まさか下ネタを振るわけにもいかないし。
「ごらんください、やせいのたいちが、エサをさがしています」
「違うだろ、お兄ちゃんおかえりだいしゅきぃって言え」
「おや? たいちのようすが……」
「ブモモモ! たいちはメガたいちに進化した!」
「などといみふめいなことをくちばしっており」
ちょっと遊んでやろうと思ったらこれだ。
ずっとスマホのカメラを向けてくるのはやめてもらいたい。
「お前それアップすんなよマジで」
以前にこんなノリでやった俺のしょうもないギャグが動画投稿サイトに勝手に上げられていたときはマジでビビった。
うちの親父が小遣い欲しさにUtuberの真似事を始めてしょうもない動画をアップしていて、凪はさらにその猿真似をしているという負の連鎖。
それもこれも、だいぶ前に凪がひたすらうとうとしているだけの動画がなぜかバズったせいだ。
以来クソ親父が凪を優遇し始め、ワンチャン仕事をやめようとしていてしょっちゅう真奈美とバトっている。というか一方的に罵倒されている。この前も凪をバーチャルUtuberデビューさせたいと言って、「ダメに決まってるでしょなんだか知らないけど!」となんだかよく知らんなりに全否定されていた。
とまあそんなどうでもいい家庭事情はさておき。
「もっかいもっかい」と連呼してくる妹を見る。キラキラと澄んだ目……汚れを知らない無垢な瞳だ。やはり高校生――同世代ともなると余計な知識、偏見、邪念が入りすぎている。ここは一つ、彼女から忌憚のない意見を聞いてみるのがいいだろう。
「凪ちゃんはどう思う? お兄ちゃんのこと」
「どう思うって~?」
「イメージっていうか印象っていうか。たとえばかっこいいとか尊敬できるとか……正直な感想を言ってごらん。怒らないから」
「う~ん……? しょーじきな感想……? たんてきに言って……」
「言って?」
「ごみくず」
凪のほっぺたを限界まで引き伸ばしてから、俺は家の中に入った。
リビングでは真奈美がテーブルに肘を付きながら、タブレットをいじっていた。暇さえあれば謎の海外ゲームアプリで延々まちづくりをしていて、さらに耳が遠いのかムダにでかい音でテレビを垂れ流しにしている。
リビングへ入るなり、俺はリモコンでテレビを消して真奈美のそばに正座した。すると俺を一瞥すらしなかった真奈美が、じろりと睨みつけてきた。
「なんでテレビ消すの」
「ちょっと大事な話があるんだけど」
「なに? めんどくさいな」
真奈美は心底めんどくさそうな顔をした。最愛の息子が帰宅するなり神妙な顔で話がある、というのにその反応はいかがなものかと。
しかしそんなことに腹を立てている場合ではない。
俺はマジ顔を作ってマジトーンで言った。
「あのさ、俺ってそんなに……ダメかな?」
真奈美は一転、険しい表情をして考え込む……ようなことはせず、タブレット片手に間抜けヅラで即答した。
「は? 自覚なかったの?」
「は?」
お互いあっけにとられた顔で固まる。
「え、待って。まず俺ってイケメンだよね?」
「別に普通じゃない? ていうか髪型がダサい」
髪型のことは言うな。
俺がイケメンの切り抜きを持っていっても近所の床屋のじじいは「あいよ!」で毎度似たような頭にしてくる。この前だってセフィロスみたいにしてって言ったら「任せろ!」でいきなりバリカン取り出してきやがった。「頼むまじで頼む」と頭を下げたら下げたで「いやあ、泰一くんはその天パ、まずどうにかしないと無理だね!」と切り捨ててきた。俺の個体値が根本的にダメと言わんばかりだ。もうあそこ行くのやめようかな。
「ていうかみつきと俺ってお似合いじゃん? いい感じじゃん?」
「越してきた先に偶然みつきちゃんが住んでて運がよかったね」
俺が隣に越してきてみつきは運のいい女だ本当に。
真奈美はため息をつきながらタブレットを置いて俺に向き直った。やっと聞く気になったらしい。
「何なのよ? 急に」
「いやなんか、学校で俺のことさんざんダメとかクズとか噂してるやつらがいるんだけど」
「ふははっ」
真奈美は笑った。俺が普段どんな渾身のシャレをかましても笑わないのに笑った。
それで話は終わりとばかりに、真奈美はまちづくりに戻ろうとするので、
「いやいやいや終わりかよ! なんとか言えよ!」
「え? っていうか今さら何なのさ。そんなの自分で百も承知だと思ってたけど」
百も承知というかまあ、正直言うと三十ぐらいはあった。しかし面と向かって言われたことはないのだ。いやあるのかもしれないが意にも介していなかった。要するに意識したとたんにどんどん情報が流れ込んでくる認知的バイアスとかなんかそういう感じのアレ。
「もう何言っても手遅れでしょ。やーしかしまさか、ここまでダメに育つとはねぇ」
「はぁ? ババアてめえが育成失敗したんだろ! ここであきらめんなよ! もっと熱くなれよ、もう少し頑張ってみろよ!」
「あぁっ? なんだぁ!?」
真奈美が腕をまくって勢いよく立ち上がった。俺も立ち上がった。
そしてバトること数分後。
「大変申し訳ございませんでした」
最終的に俺が深い深い土下座をして事なきを得た。
さすがの俺も本気で親に当たるというクズみたいなことはしない。
かわりに今後、俺に小遣いという概念が一切なくなった。金が欲しけりゃバイトでもしろと。歯向かったやつには情け容赦ない。愛してるぜ真奈美。
まぁだいたい話はわかった。もしかしたら俺はクズなのかもしれないという予感は薄々あった。自ら見て見ぬフリをしていたフシもまったくないとは言い切れない。半分ネタでやってるみたいな。
しかし親の欲目というのもある。息子のかわいさあまりについ罵倒してしまうこともあるだろう。よってまだ最終的な決断を下すには早い。というかこれが最後の砦。
一度外に出て、隣の家の門の前へ。
みつき宅は同じ二階建てでもうちの中古のボロ屋と違って、壁の材質からして違う。なんというかスタイリッシュ。敷地や建物のスケールこそ小さいものの、いい家に住んでいるのだ。
門の扉の横にあるインターフォンを鳴らし、イケメン顔で待つ。
しばらくしてスピーカー越しに深雪さんの声がする。
「ハイ、どちら様ですか?」
「あなたの泰一くんです」
「うふふっ」
モニターで俺の顔は見えているはずだがあえて聞いてくる、というネタ。
このように深雪さんはちょいSなところもある。だがそれがいい。
すぐに玄関の扉が開いて、深雪さんが笑顔で出迎えてくれる。
「いらっしゃい、みつきまだ帰ってないわよ?」
「いえ深雪さんに会いに来たんです」
「あら」
わざとらしく驚いた表情をしてみせる深雪さん。いちいちリアクションしてくれるのもいい。
深雪さんに招き入れられ敷地の中へ。
玄関上がってすぐ脇に、衣類の入ったカゴが置いてあるのが目に留まる。洗濯物を片付けていた途中らしい。その中にパンツらしきものが見えて思わずガン見する。俺の視線に気づいた深雪さんは、カゴに手を入れて畳んであったパンツを広げて見せつけてきた。
「って見せつけんのかい!」
「みつきのパンツかわいいでしょ?」
なんだよみつきパンツかよ。深雪さんが自分のを恥ずかしがって隠すところが見たかったのに。
いきなり洗濯物をガン見するという俺のギャグをちゃんと拾って裏切ってくれる、こういうおちゃめな部分もある。そういうとこ最高。
「あの、深雪さんに折り入ってお話が」
「なあに?」
深雪さんは優しい微笑を浮かべながら小さく首を傾げた。
うちのババアとは天と地の差だ。まるで女神と悪鬼。いやたとえとかではなくガチに本気で。
俺はマジ顔を作ってマジトーンで言った。
「結婚してください」
「はい?」
間違えた。うっかり求婚してしまった。やり直し。
「あの……俺って、ダメですか?」
ここは直球勝負。
深雪さんと話すときは九割方ネタを仕込むのだが、ふざけているのではないとわかってくれるはず。
「う~ん……」
深雪さんは首をひねった。少しだけ考える仕草をしたが、すぐにニコっと笑った。
「もうちょっと、しっかりしたほうがいいかな」
てっきり「全然そんなことないよ? どうしたの急に? 抱っこしてあげるからおいで」という返答をされるのだと思っていたが、一句として合致しなかった。
深雪フィルターを解除すると、「ちっとはまともになれよこのゴミクズ」と言われているに等しい。
俺は膝から崩れ落ちた。衝撃にうちひしがれていると、深雪さんは慌てた顔で、
「あっ、でも泰一くんのことは好きよ?」
めちゃめちゃフォローされてしまった。対等ではなく、明らかに子供をあやす感じ。
正直深雪さんとのやり取りが何よりも一番こたえた。横殴りにひっぱたかれて目が覚めたような思いだった。
「あとみつきに変な言葉教えるのはやめて」と真顔で付け足された。変な言葉とは下ネタのことを言っているようだが、それはそんなにこたえなかった。
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