第4話 アレはダメ

 その日、俺は学校につくなり男子便所の大のほうにこもっていた。

 というのは朝からとんでもない腹痛に見舞われた。今朝みつきが用意した食事を気分じゃないと言って断り、代わりに食べたヨーグルトがよくなかったのかもしれない。


「ふぅ……」


 つい安堵の声が漏れてしまうほどにはきわどかった。

 なんとか事なきを得てトイレの個室から出ようとすると、どかどかと数人の足音が入ってくる。男子たちが何事か話しながら、用を足し始めた。


 耳を傾けると、どの女子がかわいいかエロいかとかそんな低俗な話だ。連中は用を足し終わったあとも居座ってだべっている。別に小学生ではないので学校でうんこしてるとか言われることはないだろうが、今出ていくのはなんとなく気まずい。早くいなくなってもらいたい。


「んーじゃあ僕は百瀬みつきちゃん!」

「あ~あの子ね。いいとこつくじゃん」


 会話の中によく知った名前が出てきてビビる。

 こうやって噂されるぐらいには、みつきの名は知られているようだ。


「あ~わかるわかる! 見る目あるわ。擦れてなさそうな感じがいいよな、ちょい地味っぽいけど絶対化けるわ」

「声もかわいいし、癒し系だし」

「そしておっぱいがでかい」

「それな」


 おっぱいは満場一致らしい。それに関しては俺も認めるところだ。


「笑顔がいいよな、いっつもニコニコしてて」

「いやいや、真面目な顔をこっそり盗み見るのがいいんだよ」


 そこは下ネタを振ったときに恥ずかしがる顔だろ。どいつもまだまだ初級だな。


「ていうかさ、マジなんなん? あのいつも一緒にいるやつ」

「え? お前知らんの? 結構有名じゃん、なんか幼なじみらしいけど」


 ……ん? 急に流れ変わったな。


「マジかよ? もうデキてんのかよ、もしかしてアレコレしちゃってんの?」

「そういう話するなよ、マジでテンション下がるから」


 すまんね。美男美女の二人組となると、やっぱりこうやって噂されちゃうわけだ。

 まあ実際は当人たちもよくわからん微妙な距離感なわけだが……。

 俺は当然聞こえてくるであろう羨望の声に耳を傾ける。


「あんなんでもイチャイチャできるとか不公平じゃん。あれって、なんか変な洗脳でもしてんじゃね? 怖いんだが」


 いや誰が落ち目の芸能人とかとセットで出てくるうさんくさいスピリチュアル催眠術師だよ。


「ていうかあいつヤバイだろマジで。教室であーん、とかやらせてるし。たまになんか一人でブツブツ言っててキモいし」


 ……は?


「いや~ああはなりたくないわな」

「な。まぁみつきちゃん付いてきてなんとかって感じか」


 ……は?

 ……は?





 そして昼休み。

 俺は椅子を持参したみつきと自分の席で飯を食っていた。

 今日もみつきの弁当は色とりどり。味も見栄えも文句なし。

 が、何か落ち着かない。というのも、今朝の出来事が俺の中で尾を引いている。

 よっぽどみつきにも言うかどうか迷った。


『朝ちょっと便所で変な噂話聞いちゃってさ。みつきちゃんは巨乳でかわいくて付き合いたいけど、なんであのキモイわけわからん男と一緒にいるのか謎って言われててさ~』


 言えるか。

 あんなものはただの嫉妬にしか聞こえない。幼なじみもいない負け犬どもの遠吠えである。俺が聞いてしまったのはたまたま、本当にごく一部の声である。個人の感想である。実際の映像とは異なりますである。気にするほうがバカバカしい。


「どしたの泰一? 食べないの~?」


 このへにゃへにゃ能天気顔は、自分が意外に注目されていることに気づいてないだろう。

 昔はさほど目立つタイプではなかったが、出るとこが出てきて容姿も深雪さん譲りとなると、野郎どもが自然にそういう目で見始めるわけだ。

 俺は前から深雪さんを見て育ったこともあり、みつきとか芋くさいガキだろという認識でいたが最近はそうも言ってられなくなった。


「ほら卵焼き、今日上手にできたの~。中にほうれん草入ってるの」


 どんだけほうれん草食わしたいんだよ。

 にしてもこの窓際一番先頭というポジションもよくない。改めて注意を払うと、なにやら常に背後から突き刺さるような視線を感じるような気がしないでもない。対面のみつきはクラス全体が見えているはずだが……。


「ねえ泰一聞いてる?」


 ふと思い立ち、不意に背後を振り返ってみる。

 すると後方にいた女子グループ数人と目が合った。が、すぐにそろって視線をそらされた。


 ……んん?

 ぐりり、と首を前に戻すと、背後からクスクスと忍び笑いのようなものが聞こえる。たまたま誰かがギャグを言った……という感じでもない。

 え? なに今のあっちむいてほい的なやつ。

 これは……笑われている?


「お前さ……いま変顔した?」

「何が? そんなのしてないよ~?」


 みつきはいつものニコニコ顔で口をもぐつかせている。

 一瞬凄まじい変顔をして背後の女子連中を笑わせたとか、そんな様子は微塵もない。

 これって……もしかして、めちゃめちゃ注目浴びてる感じ?

 いや、やっぱり俺の気のせいだろう。そもそも俺たちはそれなりに目立つ美男美女カップルであるからして、みんなも微笑ましい感じで見守っているに違いない。きっとそうだ。




 放課後、俺は一人教室を出た。そのまま帰路につく。

 普段はみつきが迎えに来るのを教室で待っているのだが、みつきは今日委員会の活動があるとかで居残りらしい。

 ちなみに俺はじゃんけんで負けて風紀委員になったが一度も活動したことがない。初回の集まりをバックレたがなぜか何も言われなかった。ゆえに具体的にどういう活動をしているのか謎である。


 なぜ俺がこんな反抗的かというと、じゃんけんで最後まで俺と残った中途半端な陽キャっぽいやつが後出しかましやがったのがまだ納得いっていないからだ。

 今の後出し……と思った瞬間にいきなり「イエーイ勝った! あぶね~!」とか言って仲間のところへ逃げやがった。なので今後一切委員会活動なぞやる気はない。ツンデレ風紀委員が男子のエロ本を回収してこっそり読んでいるところを俺が発見するとかそういうイベントがあるなら考えてやらんでもないが。


 下校する生徒の群れに紛れ、俺は一人粛々と歩みを進める。みつきと一緒でないときのオーラはゼロである。これはあえて使い分けをしている。要するに芸能人のオフの日みたいな感覚だ。いつも注目を浴びるようでは疲れるからね。


「マジでうざいよね~きゃははは」


 前を歩く女子生徒の集団から笑い声が聞こえてくる。

 誰がウザいとかかっこいいとか、そういうたぐいの低俗な話だ。決して盗み聞きをしているわけではなく、横並びに廊下を塞がれているため背後を歩かざるをえない。連中は髪を染めて制服を着崩していてスカートも短く、明らかに逆らったらヤバそうなグループ。あんまり近づかないようにペースを調整して歩く。


「でもさーちょっとやばくない? わざわざ教室から椅子持ってくるんでしょ?」


 急に話題が変わって「教室から椅子持ってくる」という強めのワードが飛び出た。

 ぎくりとした。正直それには思い当たるフシがある。椅子持参に関しては俺もちょっとどうかと思ってはいたが、本人は全然気にしていないので注意もしなかった。


「なんていうか、軽く不思議ちゃん系?」

「かわいいのにねー」


 おいお前ら、あんまりみつきのことを悪く言うのはやめろ。あれはあれでいい子なんだよ。

 これ以上言うなら俺も黙ってねえぞ。全力でみつきちゃんに告げ口してやる。


「いやいやみつきはいい子だって」


 そのとき一人がフォローに入った。ていうかマジでみつきのうわさ話だった。

 口ぶりからするにみつきの友人らしい。よしいいぞ言ってやれ友人A。


「まああの子は別にいいんだけどねー。でもやっぱアレがね。アレと一緒なのがちょっと……」

「やっぱアレがねぇ……アレだよねぇ~」


 アレってなんだよどいつもこいつも濁すな。名前を口にしたら呪いを受けるやつかよ。

 ていうか絶対俺のことだろ、俺ってそういう扱い?


「うんうんアレがやばいよね。アレさえいなければって感じなんだけど」

「ってことはやっぱ、あの男が諸悪の根源みたいな?」


 どの男ですかねぇ……。後ろからご本人登場してドッキリ種あかししてやろうか。

 ていうか友人Aの人! ちょい押されてるよ言ってやって言ってやって!


「んーまあ……アレはダメかもなぁ」


 ……え? 友人Aさん?

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