後編
トモエウドンを出たエマが、通りを渡ろうとした時のことだ。通りの真ん中をゆっくり歩くエマを馬に乗った一団が近づいた。
複数の蹄の音に気付いたエマは避けようと足を早めるが、運悪く、大きな廃棄物に躓いて通りの真ん中で転んでしまった。
「なんだぁ貴様? このカッツ様がお通りを邪魔するのかぁ?」
聞き覚えのある声だった。エマはすぐにカッツの部下で、いつも怒鳴り散らす男の顔が思い浮かんだ。
思い出すだけで憎悪と恐怖が蘇る。父のジョージを捨て犬のように撃ち殺した、憎き男。エマが最後に見たカッツは、短くなったホウキのようなオールドダッチな髭を生やし、岩のようなデカい男だった。カッツの五人の部下も同じように人相が悪く、汚らしい髭を生やした男たちであった。
「お前、穀潰しのエマじゃないか。目も見えねぇガキが、フラフラ大通りを歩いているんじゃあねえっ!」
腹の底まで響くカッツの声にエマは肩をビクつかせた。
「申し訳ありません」とうやうやしく頭を下げるエマ。慌てて立ち上がり、通りの隅に行こうと足を進める。馬を降りたカッツの部下がおぼつかないエマの足を引っかけ、転ばした。湧き起こる嘲笑。
エマは屈辱を覚えるが、謝ることしかできない。なぜなら、ここではカッツ・ファミリーに逆らうことはできない。通りを歩いていた人々も、弱気な猫のようにコソコソ去っていく。
「俺のブーツに手を添えて謝れ」
倒れたエマにカッツの部下の一人が、カウボーイブーツのつま先をエマの顔ににじりよせる。
エマは目を閉じたまま、怒りと屈辱に震える手をゆっくりと伸ばす。指先がブーツの先を捉えた時、騒ぎを聞きつけたマリーがエマとカッツの部下の間に割って入った。
「やめておくれ。エマはまだ十六の小娘だ。そんな風に乱暴に扱うことなんて、ないじゃないか」
ははーんと嫌味な笑みを浮かべるカッツ。
「十六歳だったら生娘だなぁ。マリー、お前の店で娼婦として雇ってやりな。穀潰しのエマにゃあお似合いだ」
「そうだそうだ」と囃し立て、部下の中で一番の大男がエマとマリーの手を乱暴に掴み上げると、「じゃあ早速商売して貰おうじゃあねぇか」といきりたつ。
「なにするんだい、やめておくれよっ!」
マリーが懸命に男の手を剥がそうとするが、手下の二人が加わり、二人を乱暴に引き摺っていく。周囲の人間は目を背け、カッツの蛮行などないかのように振る舞う。
その時だった。
ババアァン、という耳をつんざくような破裂音が轟いた。
□
エマには、それが銃声だとわかった。しかし、この世に生を授かってから十六年と六ヶ月。銃声など何度も聞いてきた。父の練習や、狩りの時。そして、荒くれ者たちが訪れ、父を撃った時。様々な目的の銃声を聴いてきた。だが、たった今聴いた銃声はその中どれにも当てはまらない。それは、ありえないほど速く、やかましいものだった。
エマとマリーの腕を掴んでいたゴツイ手が、重力に引かれて地面に落ちる。エマとマリーの身体も引き込まれるように土埃にまみれたアスファルトに崩れる。よく見れば、周りで笑っていたカッツの部下二人も倒れていた。倒れた男の目は、死んだ者にしか出せない淀んだ瞳をしていた。
カッツとその部下が慌ててヒップホルスターから拳銃を引き抜き、周囲を睨みつける。だが、発砲者の姿は見えない。
「な、なんだ、今の銃声はっ!? マシンピストル(※連射機能が備わった拳銃)かっ!?」
「馬鹿野郎、こんな時代にそんな精巧なもん持ってる奴はいねえはずだっ!」
騒ぎ立てる部下たちに「少し黙れっ!」と一喝するカッツ。
「いったいどこのどいつだ、出てきやがれっ!」
カッツの怒声が町の彼方に消えていった。静寂が訪れようとした時だった。
「当ててみろよ。天王寺動物園にご招待するぜ」
声は酒場の中からだった。
ぬらりと姿を現したのはあのベアーであった。ベアーは饒舌にいう。
「よってたかって女に乱暴するたぁ、男が廃れちまうぜ」
ベアーの姿を目にしたカッツとその部下は、思わず息を呑んだ。一秒ほどの思考停止が挟まる。
「随分とふざけた野郎だ」とカッツ。「馬鹿なやつがいたもんだ」
カッツの言葉に、部下たちはハッとしてすぐに拳銃の銃口をベアーの頭に向けた。だがベアーは動じることもなく、うんざりしたポーズを見せつける。
「よしな。命を無駄にするだけだぜ」
ベアーの舐めた態度に部下たちが怒鳴り散らす。
「ふざけるなっ! ブッ殺してやるっ!」
「生きて帰れると思うなよっ!」
怒りに震える銃口からは、いつ弾丸が飛び出してもおかしくはなかった。だが、ベアーは媚びることも慄くこともない。
「先に言っておくぜ。俺は人を撃つ趣味はねぇ」
一度タメを作り、「俺は、人の皮を被ったケモノを撃つだけさ」
、と言ってのけるベアー。
意味のわからぬ言葉に部下たちは怪訝な顔をするが、カッツは違った。改めてベアーのつま先からてっぺんまで嘗め回すように見る。そこでようやく思い出した。カッツには、この男の出で立ちに思い当たる節があるのだ。
「二丁のピースメーカー(※リボルバー)に、カウボーイハットと、ガンベルトにブーツ。そして、金のバッジだけ身につけた男……!」
間を開けてカッツはいう。
「てめえは……
ベアーことマッパは「ご名答」と頷く。
「俺も悪い奴にだけは有名になったなぁ。あんたがツーテンカクのハイエナ、クーシ・カッツだな」
「ならどうする? ハグしてキスするか? ストリーキングの捜査官さまよぉ」
制止するように人差し指を立て、左右に振るマッパ。
「あんたにゃあ、五件の殺人容疑と武器の不当所持。違法酒の密造と売買の容疑で手配書が回ってる。その額は二百五十万関西ドル。食い倒れ人形だって、一生食いっぱぐれることはないな」
カッツは表情を崩さなかった。それはマッパも同じで、互いに不敵な笑みを浮かべる。
「おまけに、保安官殺しは市中引き回しの吊るし首だ。あんたは派手にやり過ぎたよ。今度は地獄で凱旋パレードするんだな」
フッと鼻で笑うカッツ。
「マッパよ。寝言は寝ていえ。こっちは三人。あんたはひとりだ。口笛でも吹いて騎兵隊でも呼ぶつもりか?」
カッツは挑発する素振りを見せる。呼応するように部下たちがクスクスと嘲笑を投げた。しかし、当のマッパは物怖じせずに人差し指をチッチッと口を鳴らして振る。
「火遊びってのはひとりでやるもんだ。群れてちゃあ、楽しみがないってもんよ」
挑発返しに、カッツとその部下は殺気立ち、間合いを取り始めた。マッパを囲むようにジリジリと動く。
部下二人はマッパの左右に歩み、建物の壁に背を預ける。まるで、壁に同化するかのように。
カッツはマッパの射線が大きく開いたことが分かると、勝ち誇った時の悪巧みの笑みを見せつける。
「マッパ、悪いことはいわねぇ。俺たちの仲間になれ。安い給料なんだろ? 俺と来れば、着るものに困ることはないぜ」
「悪いが、正義と
マッパも構えに入った。右手をポキポキと鳴らし、射撃の準備に入る。
取り乱すこともなく、視線だけでカッツと部下を捉える。
通り全体が張り詰め、その場にいる誰もが釘を打たれたように動けなくなった。
ガタン、と何かが倒れる音を合図に両者の身体が動いた。
瞬間。殺意が交差するのをエマは肌で感じ取った。
緊張に満たされた空気が火薬と破裂女で引き裂かれる。エマは思わず身体を丸めた。
この時、エマは一発の銃声しか聞いていない。だが、確かにその耳は三人の男が地面に崩れ落ちる音を捉え、肌からも同じように三人が倒れる振動を捉えた。
風だけが騒がしく通り過ぎ、人の声も死んだように静まり返る大通り。
「と、とんでもねぇ、奴だ……」
地面の砂を握り、カッツが顔を起こす音を耳にした。
「見事な……早撃ち、だった、ぜ……」
最後の台詞の残し、カッツは息絶えた。
勝ったのはマッパだ。
街を支配した暴君が死んだというのに、テンノージの住人は動くことが出来なかった。解放された瞬間が、あまりにも呆気なかったからだ。
マッパはホルスターに拳銃を戻し、二人の元に歩み寄った。まだ地面に尻を押し付けている二人の体を抱き起こす。
エマは初めてマッパの身体に触れた。ゴツゴツとした筋肉質の肌を直に指でなぞる。まるで家畜馬のように無駄のない身体であった。
「あなたは……いったい……?」と耳元で囁く。
「実はおじさんは足長おじさんなのさ。真ん中の足が靴を履いてないけど」
マッパこと、ベアーのジョークだ。笑えないけど、面白い男。
エマはこの男は二枚の顔を持つ人なんだと思った。それこそ、マッパがいったピエロなのかもしれない。
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