第9話 ノルン侯爵家

 エルヴィーラを乗せて走り出した馬車を睨んでいるのは、ノルン侯爵家の当主に仕える女性使用人。



 同行に失敗して、ちっと舌打ちをした。主が気が付かなければそれをフォローするのが使用人なのに、あの御者は私を無視した。あれで侯爵家とは。

 私がわざわざあの場でアピールしたのに、気が付かない令息もどうかしている。失敗したことを旦那様に報告しなければならない。


 思わず手を握りしめてしまうくらい腹立たしい。それでも部屋の扉の前で、一番美しく見えるが上手く出来ずに落ち込んでいる顔を用意する。

 準備が出来て、扉をノックする。


「入れ」

 私が戻って来た時点で、旦那様は失敗を悟っているだろう。


「失礼します。申し訳ございません。ディートリヒ様に阻止されました」

 部屋には大好きな旦那様の香りが立ち込めている。

 旦那様の姿をしっかりと視界に収めたいけれど、落ち込んでいる雰囲気を出すために目は伏せておく。


「そうか」


 絨毯を見つめながら全身で旦那様の気配に集中する。聞こえるのは書類を触る音とペンが紙を走る音だけ。

 失敗した為に、書類から顔さえ上げてもらえない。それもこれもあの愚かで反発ばかりする娘のせいだ。


 私を援護するべきところを、無視しやがった。旦那様は何故かあの娘が自分に従順だと思っていて、反発されたと言っても信用して下さらない。

 悔しい、悔しい、悔しい。領地に行ったままの娘より、私の方が信頼されて然るべきなのに。


「そうか。ご苦労だった。もしもの場合を考えて、他の者にも後を追わせている。下がれ」


「失礼します」

 結局旦那様は、一度も顔を上げて下さらなかった。




 使用人が部屋から出た後、ノルン卿は思わず舌打ちをした。


 関係が浅い男と娘が出掛ける場合、当主がお付きをつけるのはままあること。それを受け入れないなど心が狭いにも程がある。

 次期国王の側近候補と見做されているからと、調子に乗っている様子が窺える。ただの遠縁の親戚でしかない癖に。


 あまり強引に付き添わせると、側近候補を信用していないようで心象が悪くなる。

 具体的な話の内容を全て把握したかったが仕方が無い。後を追わせているからそれなりのことはわかるだろう。




 旦那様の命令で、ガロン侯爵家の馬車の後を追ってカフェに着いた。かなりおしゃれなカフェで、客は女性客かカップルが多い。

 ここに自分たちが入れば目立ってしまう。命令では近くの席で話を聞くようにとの事だったが、これは無理だ。


 ガラス張りで店内が見えるので、外から様子を窺った。二人は個室に入って行ったので、どのみち無理な命令だった。

 まぁ、普通に考えて上流貴族の令息が令嬢を誘っておいて、一般席はないか。旦那様はそういう事に疎い。


 近くの店に同僚と入って窓から店を見つつ、二人が出て来るまで時間を潰すことにした。

 店員に珈琲を頼み、店員が居なくなったら同僚が小声で話始めた。


「さっきのあの女の顔は凄かったな」

「ああ」

 本当に。人に向けていい顔じゃ無かった。表情にこそ出さなかったが、絶対に令息と御者は見ていた。


「胸が大きいのは認めるが、あんな女の何処が良かったんだか。奥様の方がいい女じゃないか」

 あの女はお手付きになってから女主人気取りで、本当にうざい。自分は特別だと勘違いしている。


 旦那様はこれまでにも使用人に手を付けている。あれの前の女は堂々と話していて、彼女は貯金が目標額に達したからと円満に退職した。

 旦那様は引き留めたりしない。見返りに金銭を渡すがどうかと本人に意思確認をするので、契約関係に近く体だけとも聞いている。


「奥様は領地に行ったっきりで、シーズンにしかタウンハウスに来ないからだろ。シーズン中だって屋敷にほとんど戻って来ないじゃないか」


「まぁな」


 完全に二人は仮面夫婦。奥様は美人で器量もいいから、他所に愛人がいるのかも知れない。

 そうだとしても、旦那は旦那で使用人に頻繁に手を出しているのだから、お互い様だ。


 ダラダラとくだらない話をして過ごし、二人の退店を見届けてから同僚を残して先に馬で屋敷へ戻った。

 報告するのも面倒くさい。旦那様は家族を信用していない。だからこうして俺らに見張らせる。


 そして、見張らせて得た情報に有益なものがあれば金一封をくれる。

 俺は護衛として雇われたが、上流貴族より強い護衛など早々いない。


 俺の実力には見合っているが、旦那様は安い給料で護衛を雇おうとする。そんな護衛の質は推して知るべし。

 大した仕事はしなくていいし、臨時ボーナスがあるこの職場は悪くはないが、旦那様の事は好きになれない。


 さて、面倒だが報告に行くか。


「カフェでは個室でしたので、話の内容まではわかりませんでした」


「そうか。エルヴィーラが戻って来たら報告に来るように伝えろ。カフェから真っ直ぐ帰って来たなら、もう一人にも報告は不要だと伝えておけ」


「かしこまりました」


 お嬢様もこの屋敷は居心地が悪いのだろう。しばらくしたら社交シーズンだと言うのに、翌日の朝にはさっさと領地に帰って行った。

 御者が護衛も兼ねているとは言え、離れた領地にたった二人で帰るのは流石侯爵令嬢ってところか。


 あの護衛が腕が立つのは見たらわかるが、奥様は旦那様とは違って子に愛情はあると感じている。

 普通の親なら心配して護衛を付けるところだろう。まぁ、俺らなんて不要なのだろうけれど。なんだかな。


 十四歳のお嬢様にも、俺は既に負けているのかもしれん。いや、負けているのだろう。

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