4話 約束

 寒気を感じ、目が覚める。

 カチ、カチ、と鳴っている時計は六時を示そうとしていた。


 寒そうに丸まっている妹に、僕の毛布を上から掛け、こっそりと部屋から出た。


 台所に行くと、ばあちゃんのコップが飲みかけのまま置いてあった。


 僕も何か飲もうと、引き出しを漁る。


「お前も何か飲むか?」


 呼びかけに応えるように、僕の影から人影が浮き出てきた。


『ココアを貰おうかな』


「好みまで合わせなくても良いんだぞ」


『そういう気分なんだよ』


 ポットからお湯を注ぎ、ココアを二つ作る。


『それで、何の用だ? てっきり、夢で話すのかと思ったけど』


「疲れてたんだよ。そろそろ、自由行動をして貰おうと思ってな」


『良いのか? 何かやらかすかもしれないぞ』


「その時はその時だよ。どっちが話してるのか分からないくらい似てきてるし、親離れしてもいい頃だろ」


『あんたを親だと思ったことなんてねぇよ』


「僕も、お前を息子だなんて思ったことねぇよ。ものの例えだ」


『それで、制限時間はどうするんだ? 自由行動と言っても時間くらいは決めとくんだろ』


「そうだな。僕がけんじと会う時に別れて……昼には帰ってくるようにするか。それまでは、家の敷地内ならうろついてても良いぞ」


『分かった。にしても、いきなり緩くなったな』


「……こっちにも事情があるんだ」


『そうかよ。まあ、そこまで聞くつもりは無いけどな』


 ココアを飲み干すと、あいつも同じように飲み干していた。


「ものに触るときは誰も見ていないか注意してくれよ」


 そう言って廊下に出ると、ばあちゃんが庭の手入れをしていた。


「おはよう、ばあちゃん」


「ん? おはよう。寝付けんかったんか?」


「いつもこのくらいだよ。車庫開いてる?」


「ああ、鍵はかけとらんよ」


「分かった、ありがとう」


 車庫と言っても、随分と前から車は一台も入っておらず、完全に物置小屋と化している。


 固くなったドアノブに力を入れ、強引に引っ張ると、キイイイ、と音を鳴らしながら開いた。


 側にあるスイッチをカチカチ、とするが反応は無い。

 どうやら蛍光灯が切れているようだ。


 スマホのライトで照らすと、2年前と大して変わらないメンツが冬眠しているように息を潜めていた。


 ブラウン管テレビや二層式洗濯機、鯉のぼりや雛人形まで、ありとあらゆる物が置いてある。


 確かこっちの棚に……あった。

 埃被ってはいるが本来は綺麗な木目をした木箱だ。

 中には祖父が残した御札が数枚入っている。


 使う相手は決まっているが、出来れば使いたくない。


 中身だけ抜き取り、車庫を後にした。



 家に戻ると、妹がこたつで寛いでいた。


「おはよう、しずく」


「お、お兄ちゃん、おはよう」


 なんだかよそよそしい。


「どうした、幽霊でも見えた?」


「わたしには見えないってば。そうじゃなくて……いや、何でもない」


 どうも歯切れが悪い。いつもなら言いたい事ははっきり言うのに。


「いつまでこっちに居るの?」


「今日中には街に戻るよ。言ってなかったっけ」


「今日!? 早くない?」


「明日は仕事だしな」


「そっか……そうだよね」


「おや? 兄ちゃんが居なくなると寂しいのかな?」


「……うん」


 どうしたんだ、やけに素直じゃないか。


「今度の冬休みにでも街に遊びに来いよ。いくらでも案内してやるぞ」


「え! いいの? 絶対に行く!」


 調子の良いやつめ。


「じゃあ指切りね」


 妹がそう言うと、僕は左手を出す。


「ん? 右手じゃないの?」


「ああ、右手にはまだ約束が残ってるんだ」


「そうなんだ……はい、指切った!」


 この町では、約束事は何よりも大事だと教えられている。

 たとえ相手が居なくなっても。



 そろそろ九時になる。

 僕が好きな芸人の番組の始まりが、それを伝えていた。


「じゃあ……ちょっと出掛けてくる」


「うん、行ってらっしゃい」



 玄関を開けると、けんじは既に居た。


「お前の罪は重いぞ」


「一言目がそれかよ。もしかして、まだあの芸人が好きなのか? 録画しとけよ」


「ウチにそんな機能は無い」


「そりゃあ……悪かった」


「まあ、ぶらぶらしようぜ」


 そう言って、あいつと別れた。



 遠くに駄菓子屋が見えた。


「まだやってんのか?」


「ああ、一応な」


 店を覗くと、婆さんの姿は無く、代わりに大きな貯金箱が置かれていた。


「肺が悪いんだとよ」


「あんな婆さんでも体が悪くなるんだな」


 そんな当たり前のことを言いながら、品を選ぶ。


 僕はチョコレート、けんじはポテトのスナック菓子を選び、五百円玉を一つずつ貯金箱に落とした。


 店前のベンチで頬張る。

 これが堪らなく美味しい。


「永山のとこにはもう行ったか?」


「いいや、まだ」


「なら一緒に行くか?」


「覚悟が決まって無いんだ。後で一人で行くよ」


「まだ負い目を感じてるのか?」


「……それなりにな」


「あいつのことだ。笑顔で迎えてくれるさ」


「ああ、そうだな」


 あの事件以来、僕は上ノ橋には一切近づかなくなった。

 のぞみが、今でも待っている気がして。




 自由行動と言っても、どこに行くかな。

 出来れば、藤井まことを知っている者に会いたいが。思い当たるのは……永山のぞみか。


 だとすると、やはり上ノ橋か。

 以前に夢で見たから大体の場所は分かる。


 川沿いの土手を水流に逆らって歩く。


 吊り橋が、遠目に見えた。



 風がなくとも微かに揺れているこの橋は、今にも崩壊しそうなほどに古びていた。


 入り口には、年明けに解体することを知らせる看板が立っていた。


『まこと、くん?』


 パチンッ。

 引っ張っていたゴムが千切れたような音が、頭に響いた。


 目の前には、永山のぞみの幽霊が立っていた。


『うそ……しん、じゃったの?』


 成功だ。

 妹尾さきから下された「藤井まことに成れ」という命令は、藤井まことの偽物でも分身でも無く、本人と認識される事で完了した。


 これで、自由の身だ。


 もう、身分を偽る必要も無い。


『いいや、死んでないよ。僕は藤井まことの……代わりだ』


『代わり?』


『ああ、意気地無しのあいつに一発かましてやろうぜ』


『いいね、それ』




 けんじと河原で水切りをしながら、色恋話で盛り上がっていた。


「へえ、バイトの先輩か。永山が知ったら発狂もんだ……な!」


「おい、そういう事言うな」


「すまんすまん。でもまあ、前を向けてるようで何よりだ」


「……背けてるだけだよ」


「それでもだ。逃げながらでも前に進めてるなら充分だ、ってお前も言ってたろ」


「そんな格好いい言葉を僕が言うか?」


「あれ、違ったっけな」


 足元の影がいつの間にか短くなっていた。


「そろそろお昼か。次で負けた方が肉まん奢りな」


「よし来た! とっておきのを残してあるぜ」


「準備はいいか? せーのっ!」


 結果 七回対九回

 言い出しっぺの僕が負けた。


 コンビニで肉まんを二つ買う。

 残念だったな、こんな田舎でもコンビニくらいはあるんだよ。


「ほらよ」


「サンキュー」


 湯気を出しながら口に入った肉まんが、小腹を満たす。


「今度、街に行ったらよ、お前んち寄ってもいいか?」


「来る前に連絡くらい寄越せよ」


「やだね、驚かせてやる」


 そんなことを言いながら、僕たちの家路が分かれる所に着いた。


「じゃあ、元気でな」


「ああ、今度会う時は例の先輩紹介してくれよ」


「いやだね」


 そう吐き捨て、互いに背中を向けた。



 家に着くと、あいつの姿が何処にも見えなかった。

 もう帰ってきてもいい頃だ。

 まさか約束を破ったか?


 だとすると、命令は完了したはずだ。

 そこは想定していた。 


 僕のことを知っていて、この町であいつのことが見えるのは、神主さんくらいだ。

 バス停で会った女性もそうだが、居場所は知らないはず。


 あとは……のぞみか。

 あいつが行くとなると、やはり上ノ橋だ。


 ……行くか。


「お兄ちゃん、ご飯は?」


「ごめん、出てくる!」



 やってくれるじゃねえか。

 お前が自由になってハッピーエンドのつもりだったのに。



 土手を走り、息を切らしながら上ノ橋へ向かう。


 吊り橋のど真ん中にうっすら人影が見えた。


「のぞみ!」


 僕の声に人影が振り向く。


『待ちくたびれたよ、まこと君』


 そこにはのぞみが居た。あいつの姿は無い。


「僕みたいなやつが、会いに来なかったか?」


『うん、来たよ』


「どこに」


『わたしとの話をしてよ』


 僕の言葉を遮り、彼女が言った。


「えっと……」


『久しぶりに会えたんだからさ、わたしとの話をしてよ』


「ああ、分かった」


『側まで来て』


「……分かった」


 今にも壊れそうな橋の上を一歩ずつ、一歩ずつ。


『約束、覚えてる?』


「……もちろん。また一緒に遊ぼう、だろ」


 のぞみと会って、別れる度にやっていた約束だ。


『正解。ちょっと時間が空いちゃったけどさ、また一緒に遊んでくれない?』


「……ああ」


『いいの? わたしに構っちゃって。好きな先輩がいるのに』


 あいつ、余計なことを言いやがって。


「今はのぞみが優先だよ」


『ふふっ、ありがとう。それで今日の遊びなんだけどさ』


 彼女は不敵な笑みを浮かべて、


『一緒に、ここから落ちない?』


「え?」


 恐る恐る、手すりから顔を出して覗く。

 今日は流れが緩く、あの日ほどじゃない。

 だとしても、ここから飛び降りてただで済むとは到底思えない。

 

『わたしの死因は多分、溺死。どこかに頭をぶつけたとかじゃないんだよ』


 僕は何も言えなかった。


『まこと君はあの日、わたしを助けなかったけど、それで正しかったと思うよ。そんなことしてたら、きっと君まで死んでた』


 怒っているのだろう。

 今まで会いに来なかったことを。


「ごめん、会いに来れなくて」


『わたしが見捨てられたのを怒ってると思ったんでしょ。そんなことないのに』


「怒ってないならそっちから会いに来てくれよ」


『わたしも意地になっちゃったんだよ。まあ、お互い様だね』


 いや違う、彼女をここに縛っていたのは僕なんだ。

 それなのに会おうともしなかった。


 きっとこれは罰だ。

 のぞみを助けようとしなかった僕への。

 その事実から目を背けてきた自分への。


「……ああ、分かったよ。一緒に落ちよう」


 言ってしまった。


『まこと君は優しいね』


「違うよ。僕は甘いだけだ、自分に」


『まこと君、ずっと好きだったよ』


 手すりを登り、手を繋ぐ。


「ありがとう。好きで居てくれて」


 橋が大きく揺れる。


 もう、どうにでもなってしまえ。




 バシャーン




『遊んでくれてありがとう』


 繋いでいた手が離れた。


 否、消えた。



 全身が冷たい。


 落ち着け、力を抜くんだ。


「ぶはぁっ」


 流れに逆らうな。深呼吸だ。


「……ふぅ」


 一体、どこまで流れるんだ。



『おーい! 掴まれ!』


 ロープが括られた黄色い浮き輪が、足下に飛んできた。


 震える手で、慎重に浮き輪を掴む。


「おっけー!」


 力を振り絞り、叫んだ。


 ずるずると、河原へ引き寄せられていく。



『お疲れさん』


「よくも、やってくれたな」


『サプライズだ』


 申し訳程度のカイロを持ってきたようだが、そんなものは意味を成さなかった。



 けんじの家が近かったので、遠慮なく駆け寄る。


「どうした、まこと! びしょ濡れじゃねえか!」


「ふろ、風呂だ」


「ああ、こっちだ!」



 ああ、死ぬかと思った。

 そりゃあ、真冬の川へ飛び込んだんだから。

 僕が馬鹿だった。



「まじで助かったよ」


「一体、何があったんだよ」


「けじめだ」


「……会ったんだな」


 らしくない気を遣って、それ以上深くは聞いてこなかった。



「ただいま」


「おかえり、どこまで行ってたの?」


「ちょっと……川まで」


「え、その服濡れてるじゃん! まさか……泳いだの?」


「ああ、まあ」


「大馬鹿じゃん。お風呂入る?」


「大丈夫、けんじに借りたから」


「じゃあお昼ごはん食べようよ。待ってたんだから」


「ちなみに何?」


「ふふん、わたしの手作りカレー」


「……最高じゃん」



 この世の全てに感謝し、妹の手作りカレーを美味しく頂いた。



「じゃあ、そろそろ行くよ」


「風邪引かんようにな」


「冬休みに遊びに行くからね」


「ああ、待ってるよ」


 そう言い残し、下ノ橋へと向かった。



 後は、こいつをどうするか。

 やはり祓うべきか。


『あ、僕はここに残るよ』


「え、なんで?」


『この町を守ろうと思ってな、お前の代わりに』


「おいおい、それじゃあ完全に僕の分身じゃないか。そんなことをしてもお前に何の得も無いだろ」


『僕は損得だけで動くような人間じゃないんだよ』


 僕がこいつを言いくるめるために言った台詞を、まんま返されてしまった。


「そうかよ、それならしっかり守ってくれよ。この町を、僕の家族を」


『ああ、任せろ』


 そう言って、あいつは来た道を戻っていった。



 バス停に着くと、あの女性が座っていた。


『あら、こんにちは』


「こんにちは。もしかして、待って

ましたか?」


『はい、どうしても、お礼をしなくてはと思いまして』


「お礼?」


 お礼をされるような事をした覚えは無いが。


『この度は娘が、のぞみがお世話になりました。とても我が儘な子だったと思いますが、最後まで遊んで下さり、有り難うございました』


 ああ、思い出した。

 確かにこの女性は、じいちゃんを訪ねてきた。

 あれは、僕が小学生にもなっていない頃だ。



 父と娘で住んでいる一家に、じいちゃんと向かった。その時に、女性の幽霊が案内してくれた。


 じいちゃんが何かを伝えると、女の子は座り込んで大泣きしてしまった。

 父に抱えられながらも、その子は泣きじゃくっていた。


 僕はどうしていいか分からず、


「いっしょにあそぼう」


 それしか思いつかなかった。


 ボールやままごと、いろんな事をして遊んだ。


「まことくんはやさしいね」


 女の子はそんなことを言った。


「ありがとう」


「また、あそんでくれる?」


「うん」


「じゃあ、やくそくね」


 そう言って二人は指切りをした。

 右手の小指で。



 気が付くと、バス停に女性の姿は無かった。

 まるで初めから居なかったかのように。



 今日はやけに疲れたな。

 あいつも居なくなったし、帰ったらゆっくりしよう。


 家に着くと、なにやら嫌な予感がした。

 まあ、気のせいだろうけど。


「ただいまー」


『『『おかえり』』』


 ん? なんか増えてないか?


「おい、ウチは幽霊ホームじゃないんだよ」


 そう言いながらリビングに行くと、


『やあ、久しいね。まこと』


 それは懐かしい声だった。

 しかし、忘れてしまっていた声。


「母さん、何で居るんだ」


『何でって言われても、そうだね……』


 思いついたかのようにニヤリと笑みを浮かべると、


『さぷらーいず』


 くだらないことを言うのだった。

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