3話 家族愛

 バス停が見えた。ベンチには一人の女性が座っていた。


『あら、こんにちは』


「こ……」


 おっと、まさか霊だとは思わなかった。


 何事もなかったかのように隣に座る。


『もしかして、見えてます?』


「見えてませんよ」


『じゃあ、聞こえてます?』


「聞こえてもいませんよ」


『聞こえているじゃないですか。その様子だと、見えてもいますね。バスが来るまでお話ししませんか?』


「……来るまでですよ」


『良かった。バスがなかなか来なくて退屈してたんです。あなたもしかして、藤井さんのお孫さんですか?』


「ええ、そうですけど。どこかでお会いしましたか?」


『はい、あなたのお祖父さんにお世話になったのです。その時にはもう引退されていたそうですが、無理を言って伝言して貰ったのです。そのときに、まだ幼かったあなたと会っているはずです』


 もちろん、覚えていない。


「そうでしたか。今は街の方で暮らしてまして、今日は里帰りに来たんです」


『そうなのですね。あの子も喜ぶと思いますよ』


「あの子?」


 妹のことだろうか。そこまで知られているとなかなか不気味に思うが、田舎の情報網というのは侮れない。ましてや幽霊となると特に。


『おや、バスが来ましたよ』


 はぐらかされた。


 ゆっくり止まり、ガタガタ、とドアが開いた。


「誰も来なかったらどうやって乗るつもりだったんですか?」


『そうなると窓枠にでも必死に掴まらないといけなかったでしょうね』


 もう死んでいますけどね、とこちらを見る。


 霊のなかには、人やものをすり抜けることを嫌っている者がいる。

 かと言って、バスに掴まって移動するのはどうかと思うが。


 プシュー、とドアが閉まった。


 大きな図体で、緑のなかを駆け抜けていく。


 どこで降りたら良かったっけ。


『下ノ橋で降りると近いですよ』


 後ろから聞こえた声に、さりげなく右手を上げた。



『次は、下ノ橋~下ノ橋』


 《とまります》のボタンを押した。

 ピンポーン、と何度聞いても慣れないあの音が響いた。



 薄緑色の橋が見えた。

 随分と年季が入った柱は、今でもしぶとく橋を支えていた。


「ありがとうございます」


 運転手にそう言って、無事に里帰りを果たした。


 二年ぶりだと、大して景色は変わっていなかった。


『今日はお会い出来て良かったです。それでは、まこと君。またお会いしましょう』


「はい、またどこかで」


 日が暮れだしたな。

 周りを見渡すと、見知らぬ建物がわりとあった。


 記憶をたどりながら、家路をたどる。



 着いた、懐かしの家に。特に変わったところは無く、強いて言うなら玄関前に招き猫が置かれているくらいだ。


 二年ぶりの引き戸に手を掛ける。


「ただいまー」


 奥からごそごそと聞こえた。

 出てきたのは、


「お、お兄ちゃん? なんで……」


 何の連絡もしていないので、当然の反応だ。


「さぷらーいず」


 ガタンッ……。閉められた。


「しずちゃん、誰が来とん」


 ばあちゃんの声だ。


「誰も来てないよ」


 まだ言うか。


「孫だよー、まことだよー」


「まーくん? ちょっと待ちい」


 そう言って、玄関を開けてくれた。


「久しぶりだね」


「どしたん、連絡もなしに」


「びっくりさせようと思って」


「びっくりせんわ、来るなら連絡くらいよこしい」


「元気そうで良かったよ」


「なによん、まだまだこれからよ」


 相変わらずだ。


「風呂沸かしとるから先入りい」


「うん、ありがとう」


「ありがとうなんか言わんでええ」



 熱いお湯が骨まで温める。


「タオルここに置いとくで」


「ありがとー」



 のぼせてきたし、そろそろ上がるか。


「良いお湯でした」


 おっと、妹もいるし流石にパンツは履いとくか。


「お先に―」


 リビングでテレビを見ていた妹がまじまじと見てくる。


「しずく、お風呂空いたよ」


「うん」


 よかった。

 兄の入った風呂なんざに浸かれるか! なんて言われたら泣いてしまうところだった。


「まーくんの部屋掃除しといたから、好きに使い」


「うん、ありがとう」


「はいはい」


 本当に、ばあちゃんを前にすると「ありがとう」しか言えなくなる。



 《まこと》と書かれたプレートが貼られた襖を開けると、懐かしの勉強机、中身の変わっていない本棚、真新しい布団が置いてあった。


 無造作に並べられた本の列に目を向けると、ほとんど手に取らなかった一冊がこちらを見ている気がした。


 仕方なく手に取り、畳にころんでから表紙をめくった。



 ……やっぱり難しい。

 難しいというよりは、何を伝えたいのか分からなかった。

 この本は母が書いたものであり、唯一の形見だ。

 母を理解しようと譲り受けたはずが、余計に分からなくなった始末である。



 なんだか眠くなってきたな。

 ……すこしだけ。




 中学生になろうとしていた頃、両親は交通事故で亡くなった。それも単身事故で。

 ガードレールを突っ切って崖に落ちたそうだ。

 それを知らされたのは、家でしずくに構っているときだった。


 必死に願った、祈った。両親の魂がこの世に留まれるように。


 しかし、二人の霊は現れなかった。

 事故現場にも、家にも、葬式にも、墓にも、この町の何処にも。


 僕が支えないと、妹を、この家を。

 そんな使命感が身体を循環した。


 それからだ、僕が祖父の真似事をするようになったのは。

 霊の言葉を伝え、悪霊を追っ払っていった。



 中学二年生、今の妹くらいの年齢だ。

 この町に幽霊が増えている事に気づいた。


 僕の噂を聞きつけて、町の外からやって来たのだ。


 もちろん、悪霊やイタズラをする霊も集まってしまい、人に害する心霊現象が多くなった。


 その点、祖父は上手くやっていたのだなと思う。


 ついに、一線を越える事が起きてしまった。


 僕の同級生、のぞみが悪霊にとり憑かれたのだ。


 そして、その身を橋から落とした。

 悪意を乗せて。


 町中で騒ぎになった。

 

「この町にとんでもない悪霊が住み着いている」


 ここらで、一番大きい神社の神主さんが言った。


 きっと、僕が引き寄せたのだ。


 僕のせいだと神主さんに言った。


「そんなことはない。例え君が引き寄せたとしても、悪いのはあの霊だ」


 しかしその言葉は、僕の心には届かなかった。



 最悪の事態が上塗りされた。


 妹にまで、あの悪霊の手が伸びたのだ。


 アイツが妹の背後に回り僕に言った。


『俺に身体を寄越せ。さもなくば、こいつもあの子どものようになるぞ』


 僕は即答した。しかし、


「駄目だ!」


 神主さんが悪霊の動きを封じる。


 とっさに、祖父から渡された御札を使った。


 キキキキイ!ウガガガアアアアア!!


 聞いたことの無いようなうめき声が、頭を響かせる。



 悪霊は祓われた。



 僕は悟った、この町にはもう居てはいけない。



『……ん』


 遠くから何か聞こえる。


『お兄ちゃん』



「お兄ちゃん」


 妹の声だ。


「おはよ」


「大丈夫? 泣いてるけど 」


「ああ、寝ながら欠伸でもしたのかな」


「あくびの量じゃないよ……」


 頭を置いていた所を見ると、そこだけ少し雨漏りしているみたいになっていた。


「もしかして、兄ちゃんが心配になって見に来たの?」


 回らない頭で精一杯ごまかした。


「ち、ちがうし! おばあちゃんがご飯出来たから呼んできてって……」


「そっか、ありがとう」


「……べつに」



 ばあちゃんが配膳をしてくれていた。


「今日は肉じゃがしたけん、温かいうちに食べ」


「ありがとう、頂きます」


「いただきます」


 こうやって誰かと食卓を囲むのは久しぶりだな。



「ご馳走さまでした」


「ごちそうさまでした」


「いいね、家族と食べるのって」


「あんなとこ居らずに、こっちに住みい」


「そういう訳にはいかないよ」


「どうして?」


 どうしてって……。


「兄ちゃんにも仕事があるんだよ」


「今なにやってるの?」


「……接客だよ」


 間違ってはいない。


「えー、似合わない」


 急に傷つけてくるな。


「しずくは学校どうなの?」


「んー、ぼちぼち」


「……ぼちぼちって。困ったこととかは?」


「別にないよ」


「じゃあ恋は?」


 ブフォッ、とジュースを吹き出した。


「お兄ちゃん聞きすぎ! そんなこと言うわけないでしょ 」


「えー、ばあちゃんも気になるよね」


「ああ、ここだけの話にしとくから話してみい」


「何もないってば。それに、おばあちゃんがそう言ってここだけの話にしたことないでしょ」


 確かに、ばあちゃんの「ここだけの話」より信用出来ない言葉は無い。


「まあええわ、話したくなったらいつでも言いねえ」


 そう言って、台所に戻った。


「私は宿題しないといけないから」


 え、急に一人になったら寂しいじゃないか。


「兄ちゃんが見ようか?」


「鬱陶しいからいい」


 仕方ない、僕も部屋に戻るか。



 ブーブー、と電話が振動した。

 スマホには《けんじ》と表示されていた。


「もしもし」


『お、まことか?』


「どうしたこんな時間に」


『お前がこっちに帰ってるって聞いたからよ』


「耳が早いな、さっき着いたばかりだよ」


『また適当なこと言いやがって、来るなら連絡くらいくれよ』


「サプライズするつもりだったんだよ」


『嘘つけ。そんなことより、明日会わないか? 日曜だしよ』


「ああ、覚えてたらな」


『じゃあ朝に家まで行くからな』


「せめて十時にしてくれよ」


『分かった、じゃあ九時な』


「なにが分かったんだよ」


 あ、切られた。

 まったく、なんて勝手なやつだ。



「とんとん」


 ノック音の真似をする声が聞こえた。


「はいはい」


「お兄ちゃん……」


 襖を開けると妹が布団を持ってやって来た。


「やっぱり、宿題を見てほしいのか?」


 少し意地悪を言ってみる。

 こういうところが嫌われるんだろうな。


「……とっくに終わってる」


 ご立腹だ。


「あー、一人で寂しい兄の隣で一緒に寝てくれる妹がどこかにいないかなー」


「仕方ない、一緒に寝てやる」


 妹が枕を持ってくるたびにやっていた、恒例の茶番である。


 布団を敷き、毛布を肩までかけてやる。


「寒くないか?」


「うん、あったかい」


「何か悩み事か?」


「違う、何もない」


「何かあったらすぐ言えよ。急いで駆けつけるから」


「それは私だから? それとも妹だから?」


「家族だからだよ」


「家族じゃなかったら助けないの?」


 おっと、言葉に気を付けないと。


「僕がそんなひとに見えるか?」


「私が先に聞いてる」


「……もちろん助けるよ。ばあちゃんの後になるかもしれないけど」


「そんなに家族が大事?」


「大事だよ、何よりも」


「じゃあなんで、一緒に居てくれないの」


 これが本題か。


「僕がいたら、みんなが困るんだよ」


「そんなこと……ないよ」


 否定しきれないのは、しずくも分かっているからだ。


「代わりに、しずくに何かあったらいつでも会いに来るから」


「……うん」


「今はそれで我慢してくれ」


「……わかった」


「ありがとう、おやすみ」


「……おやすみ」


 本当は納得してないだろうに。

 しずくも成長しているんだな。


 僕も、いつまでも背けてないで向き合わないと。


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