第3話 準備係もやぶさかではない

 クラス対抗球技大会の準備が始まった。


「じゃあ、道具の準備係を決めましょう」


 クラス委員長の声に、教室がざわついた。誰もが避けたい役目だった。準備係は朝も昼も走り回らなければならない。


「私がやります」


 突然、下高強が立ち上がった。机が大きな音を立て、クラスメイトたちがくすくすと笑う。


「え、下高が?」

「大丈夫なの?」


 不安げな声が教室に広がる。強は必死に耐えた。


 強はみんなの役に立ちたいという強い思いに動かされ、手を挙げたのだ。


「じゃあ、下高君と……」


 委員長が言いかけたとき、もう一つの声が聞こえた。


「私も手伝います」


 藪坂梨代だった。


 教室が静まり返る。いつも目立たない二人が、突然前に出てきたことに、クラスメイトたちは戸惑いを隠せないようだった。


「えっと……じゃあ、下高君と藪坂さんにお願いします」


 決まった瞬間、強は思わず梨代を見た。彼女は静かに頷くだけだった。


 翌朝。強は早めに学校に来て、体育倉庫から道具を運び出そうとしていた。


「重いから、気を付けて」


 梨代の声に振り返ろうとした瞬間、強の手からバレーボールのネットが滑り落ちた。慌てて拾おうとして、強は額をしたたかに支柱にぶつけ、倒してしまう。


「ごめん、ごめん!」


 必死に謝る強の姿を見て、梨代は小さく息をついた。


「焦らなくていいのよ」


 そう言って、梨代は自然な動きで支柱を起こし始めた。


「藪坂さん、それ重いから……!」


 強が駆け寄ろうとした時だった。


「おっと、危ないな」


 クラスメイトの田中が、倒れかけた支柱を支えてくれた。


「手伝うよ。俺も暇だし」


 それをきっかけに、次々とクラスメイトたちが集まってきた。


「下高、あんまり気負わなくていいんだよ」 「藪坂って、結構気が利くよね」 「うん、優しいっていうか……」


 周りの声に、強は戸惑いを感じていた。でも、その声には温かみがあった。


「ね、みんなで協力した方が早いでしょう?」


 梨代の言葉に、強は思わず目を見開いた。彼女の表情には、いつもの静かな微笑みがあった。強は梨代が場を和ませるのが上手いということに気がついた。


 昼休み、教室で弁当を食べながら、強は朝のことを思い返していた。


「下高くん」


 隣の席から、梨代が声をかけてきた。


「今日の放課後も準備があるけど……」

「うん、頑張る!」


 強は必死に返事をした。拳を握り、ガッツポーズをすると机に肘をしたたかにぶつけた。


「もう」


 梨代の声には、少し困ったような、でも優しい響きがあった。


「藪坂さんって、下高のことよく見てるよね」


 前の席の女子が、クスクスと笑いながら言った。


「え?」


 梨代は少し顔を赤らめた。


「べ、別に……」


 その反応に、クラスメイトたちの笑い声が広がる。強は状況が把握できず、ただ赤くなった梨代の横顔を見つめていた。


 帰り道、夕暮れの中を歩きながら、強は自分の胸の高鳴りや、心の中で渦巻く感情を整理できないでいた。


 藪坂さんは、本当に優しい人なんだ――その確かな思いだけが、強の心の中でゆっくりと大きくなっていった。

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