5.呪いとは何ぞや
私は呪物というものに半信半疑だった。
これは、呪いというものへの私の捉え方に因る。
私が思うに、呪いとは悪意の表明を伴ってはじめて成就するものだ。対象に、自分が恨まれていること、呪われていることを自覚させる必要がある。その気づきがトリガーとなる。識らぬ間に誰かから悪意を向けられている。そう思った瞬間から世界は鈍色に変わる。すると、目に映るすべてが呪物へと変わる。
何も特別なことをする必要はない。紙に赤文字で <ユルサナイ> とか <ノロウ> とでも書いて、それを対象の家のポストに投函すればいい。SNSなどで悪口を書くのは当世風の呪いだ。ただ最近は誹謗中傷への罰則が厳しくなっているから、直截的な表現をそのままぶつければ、罰は免れないだろう。
併し、罰せられないような婉曲的な悪意の表明方法など、腐るほどある。それに、罰せられたり強制的な和解をさせられたとしても、一度表明された悪意と呪いは決して消えずに対象の身の裡に残り続ける。呪いは簡単で、かつ強力だ。
閑話休題、悪意を相手へ表明しない限り呪いは成就しないという私の持論からすれば、相手の知らないところで変な物を使って変な儀式を行ったところで、何の意味も成果もない。
世の中には忌物として扱われるものがある。読者諸賢も、呪われた絵画とか呪われた家具などの話を耳にしたことがあるだろう。つまり放射性物質のように害悪をまき散らすと考えられているもの。これ自体も、視る人がそこに呪い(悪意)を認識するから悍ましく思えるのであって、物それ自体に力があるわけではないと、私は考える。イワシの頭も信心から、と言う通りである。
ポーランドに、世界的に有名な呪物コレクターのK氏が居る。彼は自宅に、所有した者は死ぬという評判の呪物を多数蔵している。それでも、彼は御年90ながらもピンピンしている。理由は単純、彼の体が頑丈であること、そして彼がコレクションに対して呪いなど見出していないからである。
同じ話を何度も繰り返して申し訳ないが、呪いが成就するためには先ず、呪う側が悪意(呪い)を表明し、呪われる側が悪意(呪い)を認識するというステップを踏む必要がある。人がただの藁人形を見ても気味悪く思うだけ。藁人形に自分の名前が書きこまれているのを見るからこそ、人は恐怖し、呪いにかかる。
だから初めてその仏像を見た際も、奇妙な仏像だなという以上の感想を私は抱かなかった。それが呪物だという説明を受けても、私が呪われているわけではないのだから恐れる必要がなかった。百歩譲って、この仏像が先ほど説明した忌物、つまり放射性物質のように無差別に害悪をまき散らすタイプのものだとしても、桜木が平気な顔をして扱っている時点で、あまり脅威は感じなかった。
ただ私も一端のオカルト好きではあったので、「ひょっとしたら」と思う気持ちがなかったと言えば嘘になる。
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