第109話 自覚する想い

 勢い余って部屋を飛び出してしまったアリアは、屋敷の中を落ち着き無く歩いていた。

 未だ熱い顔と、否が応でも感じてしまう羞恥を忘れようとした結果だった。


(私は何を血迷った真似をっ………………)


 忘れたい筈なのに、アリアは幾度も先程の光景を思い出してしまう。

 ラースに頭を撫でられ、とてつもない多幸感を味わう自らの姿を。


 おかしかった。

 自分の事ながら、あれは流石に似合わないとアリアは後悔の念を抱く。

 いや、決してラースに撫でられた事が嫌だったという訳では無いが。


(…………挙句、自分から撫でるよう強請ってしまうなんて)


 最初はまだ良かった。

 自らに気を遣った行為だとアリアも気付いてはいるが、初めに撫でたのはラースだ。

 けれど、その後は完全にアリアの要望だった。


(ラース様にも、絶対に変に思われました………)

 

 普段は感情の起伏に乏しい自分が頭を撫でられ心地良さそうにするなど、絶対におかしく思われたとアリアは考えてしまう。

 

(次から一体、どんな顔でお会いすれば…………)



 アリアは自分でも不思議に思っていた。 

 自分があんな真似をしてしまった事を。

 けれど大魔侵攻パレードも収束し、自らが落ち込んでいる時に掛けて貰ったラースの言葉が嬉しく、何というか妙な気持ちになってしまった。



(…………ラース様は、やはり私との約束を守るために、あんなに必死に戦ってくれたのですね)


 今でも思い出す。

 ブラックオーガとの戦闘の中で、立ち上がれなくなる程ぼろぼろとなるラースの姿を。

 自分に起きた事でも無いのに、足が竦むような思いだったとアリアは振り返る。


 あの時、アリアはもう諦めかけていた。

 ラースが倒れ伏した姿を見て、あんな脅威には抗えないと思ってしまった。

   

 けれど、視界すら閉ざした中で聞こえてきたラースの声が、アリアの意識を覚ました。

 そして、アリアは思い出した。

 戦いの前に、ラースが自身に告げた約束を。


 そして、その言葉通りにラースは諦める事無く戦い抜き、この街を守ってくれた。

 アリアはその事を、どうしたって返し切れない程に恩に感じている。



 けれど、同時にアリアは少し後悔もしていた。

 あの約束を結んでしまった事を。


(私はあの時、戦いへと赴くラース様を止める事などしなかった。ラース様の厚意と覚悟を、当然のように享受してしまった……………)


 この時のアリアの心情は、仕方ないと納得せざるを得ないものではある。

 大魔侵攻パレードという未曾有の災害に晒された自らの領地を思い、救援に駆けつけてくれた人々を心強く思ってしまった結果だ。

 確かにアリアは、ロストを守るために戦おうとするラースを引き止めたりはしなかったけれど、それを薄情などと言うはずは出来ない。


 それでも、アリアは罪悪感を抱いた。

 あの時自分がラースを止めていれば、あんなに傷付く事は無かったと思ってしまう。

 例え、それがラースの覚悟に泥を塗る行為だったとしても。


 死にかけるラースを見て、アリアはそこで初めて分かってしまった。

 自らとの約束が、ラースの選択を縛り付けていた事を。



 だからこそ、戦いが終わりラースが目覚めた時にアリアが先ず抱いた感情は罪悪感だった。

 ラースが無事だった安堵やロストの為に戦ってくれた感謝の念も当然あったが、やはりアリアは命の危機となる程の怪我を負わせた事を申し訳なく思った。

 それ故に、謝ってしまった。



 けれど、違った。

 それすらラースの感情を踏み躙る事だと、アリアはようやく理解した。



 確かにブラックオーガとの戦いの最中、ラースはアリアとの約束を遵守しようとした。

 それは、縛られていると言ってもいいようなものだったのかもしれない。


 それでも、もっと深い根底の部分にある気持ちは違う。

 ラースが戦ったのは、ただ純粋にアリアを想うが故だった。



 アリアはそれを、他ならないラースに気付かせて貰った。

 罪悪感を抱いて欲しかった訳でも無ければ、謝罪なんて以ての外であったと。

 ただ笑顔で、どうせなら感謝を伝えて欲しいという思いを、アリアはその瞬間理解した。

 


 そんな思いを告げられた事で、アリアの暗い感情は吹き飛んだ。

 自らへの憤りも、ラースへの罪悪感も消える訳では無い。

 それでも、他ならないラースの為にも自分は明るい笑顔で居る事が大切なのだと、アリアは気付く事が出来た。


 とはいえ、アリアは決して気を遣って明るく振る舞ったのでは無い。

 本当に心から幸せだった。


 断りも無く髪に触れるというラースらしからぬ行動には驚いたが、自分を励ます為だと理解すれば、そんな気遣いがアリアはまた嬉しかった。

 


 そう、だからだった。

 あの瞬間に、アリアは何だか変な気持ちになってしまって、また頭を撫でて欲しいなどとも思ってしまった。

 心の奥が甘い感情に溶かされ、ラースを想う度に胸が切ない気持ちで満たされる。


(何でしょう。この感情は………………)


 アリアは、自らの心を揺さぶる感情を疑問に思う。

 


 けれど、違う。

 それは欺瞞だ。

 考えるまでも無い事だと、アリアは既に思い至ってしまっている。



 アリアの疑問は、形だけのものだった。

 本当はその感情の正体に見当が付いている。

 その感情の名前を予想してしまっている。

 


 アリアの趣味は読書。

 その中でも好みだと特筆される物の一つが、他ならない恋愛小説。

 そうなれば必然。

 今も自身を惑わす感情についても、幾度もその記述を目にした事がある。


(ッ、……あ、あり得ません!何かの間違いです)


 アリアはその感情を知っている。

 けれど味わった事は、体感した事は無い。

 それは物語の世界の話だと思っていたから。


 だから、信じられない。

 自身が誰かに対して抱く感情では無いと、心に蓋をしてしまう。


(……………まだ心が落ち着きません)


 そう考えるアリアは、引き続き当てもなく屋敷の中を歩き回る。

 幾ら自身の家とはいえ、何処へ行くでも無く足早に歩き続けるアリアの姿は、見方を変えれば完全に不審者のそれであった。


 そうしてアリアは外の空気でも吸おうと、遂には屋敷の外へと繰り出す。

 緩やかな風がアリアの白銀のセミロングを靡かせ、熱の篭っていた顔も冷まされる思いだった。


(ふぅ、大分落ち着いてきました。…………やはり、何かの間違いです)


 心が平静を保ち始めたアリアは、そろそろ屋敷へと戻ろうかと考える。

 とはいえ、ラースの元へと戻るのは何処か躊躇われる。

 「全く意識している訳では無いが」、などと誰に聞かれているでも無い言い訳をして。


 

 そんな事を考えつつ歩いていると、ふいに二人組の騎士を見かける。

 貴族家の屋敷なのだから騎士が居る事など当たり前ではあるが、アリアはその騎士の事が目に留まった。


 その騎士達はローレス家の騎士では無く、フェルディア家の騎士だった。

 とはいえ、目に留まった理由はそれでは無い。

 まだ大魔侵攻パレードも収束したばかりとあって、ロストに残っているフェルドの人間も少なからず居た。


 では、アリアが気にかけた理由は。


(あの方は、確か………………)


 アリアの視線の先に居る騎士というのは、コーディとレクターだった。

 気にかけたのは具体的にはコーディの方で、その理由は大魔侵攻パレードの際にアリアがラースへと魔法を行使し気絶した後に、魔物から守ってくれたのがコーディだという話を聞いたからだった。


 アリアも魔力枯渇の影響で眠っていた事やコーディも戦闘における負傷で安静にしていた為、まだお礼も伝えていなかった。

 そう思い至ったアリアは、雑談を続けるコーディ達の元へと近づく。


「失礼します。少しお話を宜しいでしょうか?」


「これは、アリア様!私どもに何か御用でしょうか?」


 男爵令嬢であるアリアに急に話し掛けられたとあって、コーディもレクターも緊張を顔に浮かべる。

 

「御時間を取らせるつもりは無いのですが、貴方はコーディ様で宜しいでしょうか?」


「え、ええ。私がコーディですが…………」


「やはり、そうでしたか。大魔侵攻パレードにて私が気を失った際に、貴方に魔物から守って頂いたとお聞きしました。お礼を伝えるのが遅れてしまいましたが、誠にありがとうございました」


 そうやって感謝を伝えるアリアを見て、ようやく二人はアリアの用件を理解する。


「と、とんでもありません!私は騎士として、当然の事をしたまでですので」


「それでも、貴方が居なければ私は危なかったと聞いています。命の恩人ともあれば、確かな礼をすべきです」


 頭を下げる事こそ無いが、深く感謝を伝えるアリアにコーディは恐縮してしまう。

 だからだろう。

 決して自らだけの功績では無いと、アリアへと当時の状況を伝える。


「いえ。ラース様がブラックオーガとの戦闘に臨まれていたために、私がせめてもの代わりとしてお守りしただけですし、此処に居るレクター達が自分の分まで塔を守ってくれたお陰ですので!」


 気持ちは分かるが自分の名前を出された事で、レクターは「おいっ」と言いたい気持ちに駆られた。

 とはいえ、流石にアリアの前とあって、調子者の気質のあるレクターも自制したが。


 

 そんな中、アリアは一人コーディの発言に引っ掛かるものを感じていた。

 ラースがブラックオーガと戦ってくれた為というのもその通りなのだが、後半の内容に意識を奪われていた。

 というのも。



「………………………塔、ですか?」



 自身に非常に関連の強そうな単語が聞こえてきたためだった。

 けれど本当にあの塔の事かは分からないし、そうだとして何故コーディ達が塔の名前を出したのかも理解が及ばなかった。


 

 そして当然、コーディ達もあの塔とアリアに繋がりがある事など知る筈も無かった。



「あ、申し訳ありません。アリア様はご存知無い事ですよね。お気になさらないで下さい」


「いえ、その。………もしかすると、その塔というのは西門付近にある物見用の塔の事でしょうか?」


「その通りですが………………」

 

 そこでアリアの疑念が確信へと変わる。

 けれど、未だに分からない事もある。


 街を守る為に戦っていたのだから、その場にある建造物なども守る事は、特段不思議では無いだろう。

 しかし、何故ピンポイントで塔の事を守ると告げていたのかが分からない。


「…………その、何故その塔の事を守ろうとしていたのでしょうか?」


 質問しておきながら、アリアは既にその答えを得ているようなものだった。

 あの塔の事を知っているのは、普段利用している兵士と亡き母、父ユリアンと後はラースだけ。

 レーアは問題外だとして、西側の戦場にはユリアンは勿論、ロストの兵士は居なかったと聞いている。

 

 つまり、候補は限られる。



「いや、それが私達も詳しくは存じ上げ無いのですが、……………ラース様がとにかくあの塔の事を必死に守ろうとされていまして」



(…………………ッッ)



 アリアの推測は正解だった。

 レーアとの思い出である塔の事を、ラースが大魔侵攻パレードの最中にも守ろうとしてくれた。

 覚えてくれていた。


 その事実を知った瞬間、アリアの胸が締め付けられるような感覚がする。

 そんなアリアの様子には気付かず、コーディとレクターは更に詳細な情報を告げる。


「元々、西側にも魔物の大群が現れたという伝令があった時も、ラース様がお一人で駆け出したんですよね。あの時はどうしたんだろうと思っていましたが、あの塔を守ろうとしていましたね」


「ええ。それでブラックオーガが現れてからは、単身で挑まれたラース様に代わって、私達があの塔を守っていました。…………それでも結局、ラース様はブラックオーガと戦いながらも、終始塔の事を気に掛けていたように見えましたが」


「そうですね。その、ラース様が致命傷を負われた時も、塔の元へと駆けるブラックオーガを必死に止めようとした結果に見えましたね」



 そんな二人の説明を受けながらも、アリアの意識は呆然としていた。

 けれど、その内容だけはしっかりと理解していた。


(………全て、私との話を覚えていて。私の大切な物を守ろうとして?)


 始まりから終わりまで、レーアとの大切な繋がりである塔を守ろうとしてくれたラースに、アリアは信じられない気持ちを抱く。

 

 確かに自分は掛け替えの無い物だと言った。

 レーアとの思い出だと告げた。


 それでも、まさかあの塔を守るために死にかけたなど、つゆ程も思わなかった。

 勿論、事情を知らずとも一緒に守ってくれたコーディ達にも深い感謝の念を抱く。



 けれど、それ以上に。

 ラースに対する想いが、堰を切ったように溢れ出す。


 心臓が脈打つ感覚がする。

 胸が熱い。

 自分の為に、自分の大切な物の為に戦ってくれたラースにアリアは泣きそうな思いを抱く。



「?………どうなされましたか、アリア様?」


「……………いえ、お話を聞かせて頂きありがとうございました。急で申し訳ありませんが、この辺りで失礼させて頂きます」


 それだけを言い残し、アリアはゆっくりと歩み出す。

 今はとにかく一人になりたい気持ちだった。



 ラースが自分の為に戦ってくれていた事は、アリアなりに分かっていたつもりだった。

 けれど、違った。

 ラースは自らが考えている以上に、自分の為を思ってくれていた。


 そんな事実を知り、アリアの胸中では様々な感情が渦巻く。



(ラース様、私は………………)


 

 塔を守り抜いてくれた事に対する感謝。

 やはり自分の為に傷付けさせてしまった事による罪悪感。

 一度話しただけの事を覚えてくれていたという驚き。



 けれど、それ以上に。




 ラースに対する恋慕の想いが、溢れ出して止まらない。




 そんな自分が心底浅ましいと思う。

 そんな感情を抱いてしまう自分が恨めしいと、またも罪悪感を覚える。



 それでも想ってしまったからには、もう抑えられなかった。




 ラース・フェルディアでは無く、水無瀬令人であるラースに出会った日からだったのかもしれない。

 気付いていないだけで、ずっと想いは育まれてきたのかもしれない。

 いやそれどころか、もうとっくに自分の中でその感情に名前を付けていたのかもしれない。



 けれど、この日、この瞬間。

 言い逃れが出来ない程、明確に。





 アリア・ローレスは水無瀬令人に恋をした。












 とある場所。

 白い、何処までも白い空間。

 

 その空間に佇む、一つの存在が居た。

 その存在は眺める。

 距離などという概念があるかも定かでは無いが、その瞳に、確かに一人の少年を映して。


「初めの関門は乗り越えたようね」


 誰に聞かせるでも無く、その存在は独り言ちる。

 そして、微笑む。

 その表情に紛うことなき喜びを湛えて。



「頑張っているのね、…………水無瀬、令人」



 存在が口にしたのは、世界においてアンナと令人本人、その二人しか知る筈の無い、ラース・フェルディアの正体だった。











※ これにて「悪役貴族に転生して」第2章は完結となります。

これまで読んで頂き、誠にありがとうございます。

 第3章更新開始については、また期間が空くと思いますので、お待ち頂けると幸いです。

 再開時期については、近況ノートでお知らせをしたいと思います。

 それでは此処までお付き合い頂き本当にありがとうございます。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る