第108話 進展

 アリアが暗く悲しい顔では無く、明るい笑顔となってくれた事を嬉しく思う。

 言い方を変えれば、俺の為に笑ってくれとでも言うような何とも傲慢な物言いだったが、それでも笑顔で感謝を告げられるだけで俺は報われる。

 だから、きっとこれで良いんだ。



 すると、ぎこちなくも綺麗な笑顔だったアリアの顔が、段々と紅く染まっていく。

 震えながら顔を俯けてしまい、その様はいかにも羞恥に耐えているといったものだ。

 そして、その理由は当然。


「…………あの、ラース様。頭を」


「ッ、………申し訳ありません。不躾に触れてしまい」


「………………ぁ」


 すぐさま、手を退けて謝罪する。

 幾ら意識を逸らしたかったとはいえ、女性の髪に気安く触れるというのは流石に無かった。

 やはり、まだ目覚めたばかりで頭が働いていないのだろうか。

 いや、そんな事は決して言い訳になりはしないのだが。


「本当に、申し訳ありません」


「いえ、その、…………気になさる必要はありませんよ。私が見当違いな事を言ってしまったのが原因ですので」


「…………ありがとうございます」


 寛大なアリアに感謝する。

 俺の失態で一悶着はあったが、どうやら空気は変えられたようだ。


 そこでわざとらしく咳払いをしつつ、話を纏めようと言葉を紡ぐ。


「…………まあ、とにかく。俺も貴方も、こうして無事に生きています。結果論に過ぎないのかもしれませんが、今はその事実を素直に喜びましょう」


「はい。その通りですね」


 アリアも先程までの暗い雰囲気は鳴りを潜め、俺の言葉に同意を返してくれる。

 

 どちらも無事だった。

 そんな事は結果論なのかもしれないが、純然たる事実でもあり、俺達が掴み取った勝利だ。

 難しく考えるより喜びを分かち合う方が、よっぽど建設的だろう。



 そんな風に穏やかとなった空気の中笑い合っていた俺達だったが、ふとアリアが思い出したように口を開く。


「…………あの、ところでラース様。先程からラース様の一人称が変わっていませんか?」


「?………………あ」


 アリアの指摘を受け自身の発言を振り返る。

 そして、思い至る。

 先程から一人称が「私」から「俺」へと、普段の口調に変わってしまっていた。


「申し訳ありません。失礼しました」


 気付いたと同時にすぐに詫びを伝える。

 やはり、駄目だな。

 大魔侵攻パレードも収束した後とあって、完全に気が抜けてしまっている。

 

 するとアリアは俺の言葉を受け、鷹揚に首を振った後に言葉を返す。


「謝る必要などありません。そもそも、私達は歳も同じですし、家格で言えばラース様の方が上です。そこまで気を遣わずとも宜しいですよ」


 そんな風に気にした様子も無く、ありのままの事実を告げるアリア。

 確かに、その言葉は全て正しい。


「私への敬称や口調も、もっと砕けたものにして頂いて構いません」


 そうして一人称だけで無く、アリアへの敬称や口調も変えて良いと告げる。

 そして、そんな指摘を俺は素直に受け入れていた。


(……………まあ、それもそうか)


 元々は少しでも印象を良くするために、丁寧であろうと意識した結果だ。

 出会ったばかりならいざ知らず、関係も改善出来た今となっては、あまり気にする必要も無いのかもしれない。


 という事で。


「分かりました。では、今後はアリアさんと呼ばせて貰って、口調ももう少し砕けたものにしますね」


「……………はい。(呼び捨てでも構いませんし、敬語で無くとも良いのですが)」


 接し方を変える旨を伝えると、承諾をしながらも何処か不満そうなアリア。

 肯定を返した後も何か喋っていたような気もするが、流石に声が小さ過ぎて聞き取れなかった。


「申し訳ありません。なんと仰いましたか?」


「な、何でもありません!」


「………そうですか。失礼しました」


 何でも無いという様子には見えなかったが、詮索するのも失礼かと思い、大人しく引き下がる。

 アリアの提案通りに、敬称も口調も緩めたはずなのだが。



 まあ、取り敢えずは。


「改めて、今後も宜しくお願いします。アリアさん」


「……はい。此方こそお願いします。ラース様」


「………アリアさんから俺への敬称や口調は変えないのですか?」


「私は家格も下ですし、今回の件も踏まえて、ラース様には御世話になってばかりですので。このままの方が宜しいかと」


 それを言うなら俺の方が世話になっているし、大きな恩もあるのだが。

 まあこの辺りはアリアの気質というべきか。

 無理に変えさせるのも良く無いし、今後の付き合いの中で更に打ち解けていけば良いか。


 そうして敬称や口調など、これからの接し方も改め、雰囲気は穏やかなものとなる。

 とはいえ、一連の流れも踏まえて、話すべき事はもう話し終えたとは感じる。

 沈黙が苦という事は無いが、これからどうしようかと考える。



 そんな折にふとアリアを見ると、何故かどことなくそわそわしていると言うか、落ち着かない様子が見て取れる。

 視線はチラチラと俺の方を見ており、その頬は僅かに上気している。


 そんな様子を不思議に思っていると、当のアリアがおずおずと口を開く。


「…………その、ラース様」


「はい、何でしょうか?」


「……………あの、先程の、…………頭を撫でられた件なのですが」


「……………ッッ」


 唐突に先の俺の行動に対して言及するアリア。

 正直そこを掘り返されるとは思っていなかったので、内心かなり驚いてしまう。


「その、改めて申し訳ありませんでした。今後はあのような事が無いようお約束しますので」


「ち、違います。そういう事では無く。…………そもそも私は、不快などと言っていなければ、止めて欲しいなんて事も告げていません」


 やはり気分を害してしまっただろうかと思い慌てて謝罪するが、そういう事では無いようだった。

 嫌だった訳では無いのかもしれないが、だとすると何故再び言及したのだろうか。


「えっと。だとすると、一体どういうお話なのでしょうか?」

 

「………ですから、その。……………勝手に撫でておいて、勝手に止めてしまうというのは、それはそれで失礼だと思いませんか?」

 

「………………?」


「私は別に、止めて欲しいなんて言っていないのですから」


 そんな事を告げつつ、僅かに下げた頭を此方へと向けるアリア。

 その瞳には、何処となく期待の色が見て取れた。


(……………えっと。もしかして、これは)


 その言葉と仕草から察するに、まだ撫でていても良かった、という事だろうか。

 

 しかし、あのアリアが?

 自分で思い至っておいて、信じられない気持ちが強い。

 いや、けれど流石にここまで言われれば、その可能性以外考えられないとは思う。


 

 半信半疑な感情を抱きつつも、ゆっくりとアリアの頭へと手を遣りその髪を優しく撫でる。


「…………これで宜しいでしょうか?」


「!………べ、別に私は撫でて欲しいとも言っていませんが。………嫌では、ありませんね」


 そんな事を言いながらも、目を細め気持ち良さそうにするアリア。

 正直、その様子はとても嬉しそうに見える。



 頭を撫でられるのが好きなのだろうか。

 何というか、アリアの印象がかなり変わる。

 いや、別に悪い方向にという訳では無いし、寧ろ途方も無く可愛らしいという感想しか浮かんでこないが。


(…………って、何考えてるんだ俺は)


 浅はかな思考を自制する。

 とはいえ、流石にこれは仕方ないと思う。

 普段はクールで美しいという形容が似合うアリアのこんな姿を見てしまっては、どうしたって心が揺さぶられる。

 何というか、危険な可愛さだ。


(………………だから違うッ)


 不味い、本当に不味い。

 もうアリアが可愛いという感情しか浮かんで来ない。

 止めるべきか?

 いや、しかし勝手に止めるのは失礼だと言われてしまったばかりでもある。

 


 そんな風に、俺が何とも馬鹿な葛藤をしている、その時だった。



 コンコン、というノックの音が響くと共に、部屋の前から声が掛けられる。

 

「ラース様のお食事をご用意したのですが、如何でしょうか?」


 声の主はアンナであり、俺達を二人にしてくれている間に食事を用意してくれたみたいだ。

 このタイミングだった事も相まって、とても有難い気遣いに感じられる。


 とはいえ、一部始終を見られた訳でも無いが、アリアからしたら唐突に現実に引き戻された感覚に陥ったのだろうか。

 顔を真っ赤にして、見るからにあたふたとしていた。


 そして。


「あ、あのっ。私はこの辺りで失礼します!どうかお大事になさって下さい!!」


 そう言い切り、そのまま駆けながら部屋を飛び出してしまうアリア。

 急に扉を開けられ、外に居たアンナが驚いた事は言うまでもない。


「あ、………………ふぅ」


 俺としては驚いたというか、ほっとしたというか不思議な胸中だった。

 そんな風に安堵のため息を付いていると、食事を持ったアンナが近付いてくる。

 そして、その表情は何処となく怒っているような、不満げなようなものだった。


「ラース様。アリア様がお顔を真っ赤にされながら飛び出して行ってしまったのですが、お二人で何かしていたんですか?」


「あはは、…………いや、特には何も」


「本当ですか?正直に!答えて下さい」


 別に隠すような事でも無いのかもしれないが、何となくアンナに打ち明けるのは、とてつもなく嫌な予感がした。

 現に今も、背中から冷や汗がだらだらと流れる感覚がする。



 とはいえ、結局はアンナの追求から逃れる事など出来ず、洗いざらい白状した。

 全てを聞き終わった後に無言で頭を向けて来るアンナを前に、俺が両手を上げて降参した事は言うまでもないのだった。

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