第107話 何よりの報酬

 目を開ける。

 ぼんやりとした意識で辺りを見渡す。

 どうやら寝台ベッドで横になっていたようだが、室内は見慣れたものでは無い。


 とはいえ、此処が何処なのかは流石に見当がつく。

 起き抜けで頭が回らない感覚があるが、記憶はしっかりとしている。

 ブラックオーガとの戦闘の後に気を失い、今はローレス家の屋敷の一室で寝ていた、といった所だろう。


 とはいえ、理解し難い事もあった。

 此処がローレス家の屋敷である事はほぼ確定だと思うのだが、居る筈の無い人物の姿が見える。

 具体的には、寧ろ普段の生活で見慣れ過ぎている人物が。


 というのも。


「アンナ……………?」

 

「はい。御目覚めですか、レイトさん?」


 俺の居る寝台ベッドのすぐ近くに座る、室内で俺以外の唯一の人物は、アンナだった。

 何故此処にアンナが居るのだろうと思っていると、彼女が俺の顔を心配そう覗き込みながら問い掛けてくる。


「起きて早々ですが、身体のお加減は如何ですか?記憶ははっきりしているでしょうか?」


「…………ああ、問題無いよ。何があったのかも覚えてる。けど、どうしてアンナが?」


「良かったです。それでは、順を追ってご説明しますね。…………あ、因みに。今は二人きりですけど、此処はローレス家の御屋敷なので、これからは念の為ラース様とお呼びしますね」


 体調を心配するアンナに問題無い旨を返答すると、俺が倒れてから何があったかを説明してくれる。

 先ず、やはり此処はローレス家の屋敷のようで、二人きりとはいえ誰かに聞かれては不味いので、ラースと呼ぶ事を小声で伝えてきた。



 そして俺が気を失ってからの仔細を、アンナから説明される。

 

 取り敢えず、俺が寝ていたのは二日程らしい。

 意外にも早く目を覚ます事が出来たのは、やはりあのタイミングでアリアの治癒魔法によって、全ての傷が癒えていたから。

 気を失ったのは、出血と魔力枯渇、後は精神的な疲労のようで、どれも一先ずは問題無いようだ。

 無論、暫くは絶対安静を言い付けられているが。


 疑問だったアンナが此処に居る事については、特段難しい点は無かった。

 大魔侵攻パレードが収束した時点でフェルディア家へと通信魔導具で連絡は行っており、フェルドからロストへと確認に向かう一団に、アンナも同行させて貰ったらしい。

 俺が寝ていた時間があれば、既に到着しているのは何も不思議では無い。


「と、一先ずはこれがラース様の容態と、私がこの場に居る経緯ですね」


「そっか、ありがとう。…………それでアンナ、大魔侵攻パレードの被害規模はどの位のものになったのかな?」


 大まかな流れを説明して貰った後に、気になっていた事を尋ねる。 

 即ち、今回の大魔侵攻パレードでロストでどれだけの被害があったのか、という事だ。


「はい。二日経った現在でも戦闘の後処理は続いています。物的被害も人的被害も、決して少ないものとは言えませんから」


「…………………」


 予想していた、というより当然ではあるが、やはり全くの問題無しとはならない。

 家屋など建造物の倒壊も酷いだろうし、魔物の死体処理などもある。

 負傷者の治療だって、あれだけの人数が戦いに参加していれば、時間は掛かるだろう。


 そんな事を思い俺が表情を暗くした事を察したのか、アンナが空気を変えるように明るく告げる。


「ですが、それでも今回の大魔侵攻パレードは、皆さんの大勝利と言って良いと思いますよ」


「……………え?」


「街の損害も、10年前と比べたら雲泥の差のようです。復興に関しても、数ヶ月もあれば完全に終わるだろうとの見立てです。…………何より、今回の戦闘で死者は出ていません。重傷者に関しても、命に関わる大事に至っている方は一人として居ません。…………どうです?これなら大勝利と言っても、差し支え無いと思いませんか?」


 俺を元気付けるためだろう。

 そうやって戯けるように告げるアンナの言葉を聞いて、胸中が安堵で埋め尽くされる。

 確かにそれを聞けば、俺達の大勝利と呼ぶに相応しい結果かもしれない。


「……………ああ、そうだね」


「ふふ、ラース様が頑張ったからですよ」


「いや、俺だけの成果って訳では無いよ。他の人達が居なければ、俺は何も出来なかったと思うから」


 アンナが讃えてくれるが、当然俺一人の功績という事などあり得ない。

 あの場に居た全員が死力を尽くして戦ったからこその結果だ。


 ところが、そうとは理解しながらも、アンナは尚も言葉を重ねる。


「それはそのとおりだと思います。それでも、西側の戦場に居た方々を主として、皆さんが口を揃えて仰っていましたよ。『ラース様が居なければ、自分達の勝利は無かった』と」


「………………!」


「…………こういう時ぐらいは、素直に誇って良いと思いますよ」


「……………そう、だね。ありがとう」


 全員が戦ったからこその結果ではあるけれど、その中でも俺もかなり頑張れたのかもしれない。

 アンナの言う通り、今回ぐらいは素直に自分を褒めておこう。


「まあ、とはいえ。私は心配させられてばかりで、文句の一つも言いたい所ですが」


「……………いや、それは」


「聞きましたよ。ブラックオーガを相手に一人で戦ったり、その途中で動けなくなる程の重傷を負ったり、時間稼ぎと言っておいて結局は自分で倒してしまったり。話を聞いている時は目眩がしました」


「…………その、ごめん。心配を掛けて」


 不満げな半目を向けつつ文句の要因を列挙するアンナに、ただ謝る事しか出来ない。

 我ながら無茶が過ぎたとは思うし、アンナからしたら確かに怒りたくもなるだろう。


 けれど、そこでアンナが不満げな顔から一転、困ったような笑顔で告げる。


「でも、ちゃんと約束を守ってくれたので、特別に許してあげます。………ラース様が、頑張った証ですもんね」


「……………ああ、今回は結構頑張ったかな」


「それでも、結構なんて言っちゃう所がラース様らしいですね。…………貴方は凄い事を成し遂げて、沢山のものを守る事が出来たんです。それは紛れも無く、貴方だけの功績ですよ」


「…………そうだね、ありがとう」


 達成感、安堵、何とも形容し難い感情が胸中を占めるが、とにかく良かったという感想が浮かぶ。

 まあ、もう全て終わったんだ。

 俺も頑張れたという事で、あまり難しく考える必要は無いのかもしれない。



 さて、色々と必要な話も聞けたので、最も大切な事を聞こう。


「それで、アンナ。アリアさんはどうしてるのかな?」


 本来は真っ先に聞きたかった事ではあるのだが、アンナの方から何も言い出さなかったという事は、心配するような事態にはなっていないだろう。


「アリア様でしたら、何も問題はありません。魔力枯渇の影響で気を失ってしまいましたが、その日の内には目を覚まされています。後遺症なども無いので、今はもうお元気ですよ」


「…………そっか、良かった」


 どうやら俺の予想通り、アリアはもう目を覚ましていて特に問題も無いようだ。

 推測出来て分かっていた事ではあるが、やはり実際に聞けば酷く安心する。

 アリアが無事で何よりだ。


 すると、補足するようにアンナが続ける。


「というより、つい先程までアリア様もこのお部屋にいらしていたんですけどね……………」


「………そうなの?」


「はい。いつラース様が目を覚ましても良いようにと、何度もお水を汲みに行ったり、食事や着替えの用意を行ったりなど。………私がすると申したんですが、この位は自分にやらせて欲しいと仰られてしまいまして」


「…………そっか」


 どうやら、アリアにも心配を掛けてしまったようだ。

 挙句、側仕えのような事までさせてしまい、申し訳無い気持ちが強い。


「今も、新しくお水の用意をされに行かれた所だったんですけど…………………」


 と、アンナがそこまで言いかけたタイミングで、部屋の扉がノックされる。

 今の話を聞く限り、その人物は確定しているようなものだろう。


「…………噂をすれば、というやつですね」


 そんなアンナの言葉に笑みを返した後に、彼女がノックに応える。

 「失礼します」と律儀に告げながら入室したのは、やはりアリアだった。

 そして既に起きている俺を見て、その目を大きく見開き、驚いている。


「……………………ラース、様?」


「はい。つい先程目を覚ましました。申し訳ありません、色々とお手数をお掛けしてしまい」


 アリアの呼び掛けに言葉を返すが、当の彼女はまだ理解が追いついていないのか、何処か呆然とした様子だった。


 そんなアリアを見て、アンナが「今は特別です」と言って、そのまま部屋を出て行く。

 その言葉の意味はいまいち分からなかったが、恐らく俺とアリアを二人にしてくれたのだろう。


 アリアは尚も呆然としていたが、アンナが退室した事をきっかけに、ふらふらとした足取りで俺の元へと近寄って来る。


「一先ず、どうぞお掛け下さい」


「は、はい。失礼します」


 先程までアンナが腰掛けていた、寝台ベッド脇の椅子へ座るよう薦める。

 アリアはおずおずと腰を下ろし、はっとしたようにその手に持つ水を差し出した。


「………あの、ラース様。宜しければ、お水をどうぞ」


「ありがとうございます。丁度喉が乾いていた所ですので」


 アリアが用意してくれたであろう、コップに入った水に口を付ける。

 本当に喉は乾いていたため、何だか生き返るような思いだ。


「その、ラース様。お身体は大丈夫でしょうか?何処か具合が悪いという事は…………?」


「いえ。身体は特に問題無いようですので、ご安心下さい。もう元気と言って、差し支えないかと」


 酷く心配した様子で問い掛けるアリアに言葉を返す。

 アンナにも言った事だが、実際に身体は特に問題は無い。


「そう、ですか。良かったです、本当に」


「…………アリア様のお陰です」


「…………え?」


「あの時、アリア様に魔法を使って頂いたお陰で、私は今こうして元気でいられます。ですので、本当にありがとうございました」


 あの時にアリアの治癒魔法が無かったら、俺は本当に死んでいてもおかしくは無かった。

 仮に生きていたとしても、こんなにすぐ治るような身体ではいられなかっただろう。


 そんな事を思い感謝を伝えると、アリアは何故か暗い表情をしてしまう。

 そして、心苦しそうな声音で告げる。


「御礼を伝えなければいけないのは此方です。それに、謝罪もしなければなりません」


「……………謝罪、ですか?」


「はい。我が領都のために、ラース様に命の危険となる程の重傷を負わせてしまいました。本当に、申し訳ありませんでした」


 そう言って、深く頭を下げるアリア。

 確かにアリアの暮らす街で起きた事ではあるが、何もアリアが謝る事では無いと思うが。


「アリア様が謝罪されるような事ではありません。寧ろ貴方のお陰で、私は助かったのですから」



「いえ。そもそもの話、私はこの街を思うばかりに貴方を危険な戦場へと向かわせてしまいました。引き止める事すら無く。魔法で治療したといっても、その後も結局は貴方に戦いを続けさせてしまいましたから」



「いえ、それは………………」



「私は、………私は自身の感情を優先し、貴方の事を利用したようなものです。この街が守られたとしても、貴方が死んでしまっては意味など無いのに。そんな当たり前の事にすら気付けず。…………本当に、申し訳ありません」



 実際に俺が死にかけた事もあってか、未だ動揺しているのだろうか。

 或いは全てが終わったとあって、街を守るために戦いを強いた形となっていた事を思い出し、罪悪感が芽生えてしまったのだろうか。


 

 理解も納得も、出来ない事は無い。

 もし俺がアリアの立場だったら、そんな風に考えてしまっても、仕方ないのかもしれない。


 けれど、違うんだ。

 そんな苦しそうな顔をして欲しかった訳では無い。

 そんな謝罪の言葉を聞きたかった訳では無い。



 だから、俺は泣きそうな面持ちで顔を伏せるアリアの頭にそっと手を置いた。

 そして、その絹のような綺麗な髪を優しく撫でる。


「……………ッッ、ラース様、何を!?」


 唐突過ぎる行動に、自分でも何をやってるんだろうなと呆れる。

 けれど、謝罪なんてするアリアの意識を、無理やりにでも変えたかったのだろう。


「……もし、傲慢な物言いが許されるのなら」


「………………え?」


 俺がこれから告げようとしている言葉は、酷く驕ったものだと思う。

 それでも、もしアリアが今回の事で俺に助けられたと感じてくれているのなら。


 驚きで顔を上げたアリアの目を見つめ、ゆっくりと告げる。


「そんな顔が見たくて、戦った訳では無いんです。そんな言葉が聞きたくて、守った訳では無いんです」


「………………!!」


「俺は貴方に利用されたなんて思ってはいません。俺は紛れも無く、自分の意志で貴方の力になりたいと思ったから戦った。…………それでも、利用でも何でも構いません。貴方を助ける事が出来たなら」


 経緯なんて関係ない。

 今だけは全てが終わった後の、素直な感情を聞かせて欲しい。

 だから。


「改めて聞かせて下さい。俺は、貴方の力になれたでしょうか?」



 俺の問いを受け、アリアは流しかけていた涙を強く拭った。

 そして、ぎこちなくはあっても、眩しい位に綺麗な笑顔ではっきりと告げる。



「はいっ。ラース様のお陰で、私はとても助けられました。ありがとう、ございますっ」



「…………いえ、どういたしまして」



 思わず、俺も笑みを刻む。

 アリアに笑顔でこんな事を言って貰えたのだから、それで全てが帳消しになる。



 傷付いた事も、苦しんだ事も関係無い。

 この綺麗な笑顔を見れた事が、俺にとって何よりの報酬だと、そう思うから。

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