第106話 収束

「《最上位治癒エクス・ヒール》!!」  


 アリアの声が聞こえると同時に、俺の身体が膨大な光粒に包まれる。

 立ち昇る魔力の奔流。

 普段アンナに掛けて貰っている治癒ヒールとは比べ物にならない。

 いっそ熱い程の癒しの魔力が、肉体の損傷を修復していく。


 

 全快。

 治癒系統、最上位魔法。 

 その名に相応しい効力を持って、傷付き果てた俺の身体は完全に回復した。


 そして、それだけでは終わらなかった。


「《加速アクセラ》!《加力ライズド》!《加耐デュラブロート》!」


 重ね掛けされる支援魔法の数々。

 全身が万能感に包まれる。

 きっとこの状態ならば、万全のコンディション以上の実力すら発揮出来るだろう。


 

 けれどその肉体とは裏腹に、心の内は決して平静と呼べるものでは無かった。

 自身の回復など、素直に喜ぶ事は出来ない。


(……………………アリア、さん?)


 何故、どうして。

 こんな場所に。

 こんな危険な戦場に。

 貴方が居て良い場所では無い。


 そんな感情が胸中で渦巻くが、目に映る光景が否応無しに現実を突き付ける。

 その場で頽れるアリア。

 最上位魔法に支援魔法の多重同時展開。

 魔力枯渇に陥った事は、火を見るより明らかだった。



 気を失っただけではある。

 その寸前は激しい頭痛や倦怠感に苛まれただろうが、暫く眠れば問題は無い。

 けれど、それは平時に限った話。


 此処は大魔侵攻パレードの最前線。

 気を失うなど、致命的な隙だ。


 目の前の怪物は依然として動かないが、その他の魔物は違う。

 今まさに、一体の魔物がアリアへと迫っている。


(……………………ッッ)


 駄目だ、止めろ、待て。

 突然のアリアの登場から未だ現実を受け止めきれていないが、思考は後回しだ。

 すぐにアリアを助けなればいけない。


 

 けれど、俺の心配は杞憂となった。

 アリアの元へと駆ける、魔物とは別の影。

 

 そして、斬り伏せる。

 アリアを襲う寸前だった魔物を。 

 その人物は。


(………………コーディさん!!)


 間一髪のタイミングで、アリアへと迫った魔物を両断したコーディ。

 その事実に、酷く安堵する。


 けれど、それで終わりとはならない。

 アリアは依然として、戦場に居る。

 

 彼女の元へと駆け出したい。

 魔力枯渇の症状も、やはり心配だ。

 早く安全地帯へ。

 

 その他の一切を忘れ、アリアを想う感情だけが胸中を支配する。

 そうして、半ば無意識にアリアの元へと走り出そうとした。


 その瞬間。



「ラース様ッッ!!…………今はッッ」



 コーディの言葉で我に帰る。

 自らの責務を思い出す。

 俺にはまだ為さなくてはならない事がある。


(ッッ……………そうだ、今は)


 目の前の怪物を倒さなくてはならない。


 アリアが託してくれた思い。

 戦おうとする俺の背を押してくれた。

 その覚悟を裏切る事は出来ない。

 

 だから。


(ごめんなさい。…………すぐ、終わらせます)


 心配に思う感情を封殺し、今だけは戦い続ける道を選択する。



『グァアアアアッッ』


 ブラックオーガは、未だ力を溜めていた。

 幾ら魔力の収束に時間が掛かるとはいえ、放つ隙はあっただろう。

 それでも、まだ溜める。


 きっと、関係無いのだろう。

 誰が生きていようと、死んでいようと。

 この一撃を持って、全てを終わらせようとしている。

 俺も、アリアも、コーディも、纏めて消し去ろうとしている。


 それ程までに、凝縮された魔力。

 尋常じゃない威圧感プレッシャー

 アレが放たれれば、誇張抜きに全員消し飛ぶだろうと予感させる。


 けれど。


(……………やらせない)


 そんな結末を許す筈が無い。

 全てを終わらせるのは此方だ。

 眼前の脅威を振り払い、いち早く彼女の元へ。



 肉体に魔力を纏う。

 風纏ブラストは使わない。

 身体強化に全力を込める。


 魔力消費度外視。

 もう出し惜しみはしない。

 時間稼ぎなど考えない。

 此処で終わらせる。



(…………………勝負だ)



『ガァアアアアアアッッッ!!!』


「はぁああああああッッ!!」


 

 解き放たれる怪物の一撃。

 此方も全霊を持って迎え撃つ。


「ぐッッ」


 これまでに無い敵の膂力。

 腕が軋む。

 身体が押し潰されそうな程の大質量。



 それでも、負ける訳にはいかない。

 こんな所で躓いている暇は無い。

 彼女に倒れさせてまで、背を押して貰ったんだ。

 これで負けるなど、絶対に許されない。

 

 

「ぁぁぁあああああッッッ!!」

 


 吠える。

 感情を糧に力に変える。

 魔力を振り絞る。

 俺の出せる全てを持って、怪物の一撃を真っ向から捻じ伏せる。



『グァアアア!?』


    

 全力の身体強化とアリアの支援魔法。

 純然たる膂力で、怪物を圧倒する。


 剣を振り抜く。

 敵の全霊をも上回る程の破壊力が、そのまま怪物を飲み込む。



 消し飛ぶ。

 ブラックオーガの右腕が、俺の一撃の元に消滅する。


『ガァアアッ!?……………グゥゥゥ』


 右半身の軽くなったブラックオーガが、痛みに悶えつつ後退する。

 溢れ出す鮮血。

 一目見て、致命傷だと分かる。


 

 けれど、俺も無事とは言えない。


「はぁッ、………はぁッ、………はぁッ」

 

 外傷は無い。

 先の攻防は、確実に俺が勝った。

 しかし、コンディションは依然として万全では無い。


 アリアの治癒魔法によって、肉体は癒された。

 けれど、魔法では失った血までは戻らない。

 これまでの戦いによって、圧倒的に血を流し過ぎている。


 それに肉体とは違い、もう心はぼろぼろだ。

 精神は摩耗し切っている。

 これから長時間は戦える気がしない。



 だから、この一撃で終わって欲しかった。

 けれど。


『グァアアアアアアッッ!!』

 

 片腕を失って尚、敵は依然として怪物。

 その瞳には、確かな闘志を湛えていた。

 そして吠える。

 こんなものでは終わらないと言うように。


(………………………強いな)


 眼前の脅威を再認識する。

 向こうだって、これまでの戦いで幾重もの傷を重ね、血を流している。

 そこへ更に、あれだけの重傷。

 もう倒れていても、何もおかしくは無い。


 強い。

 呆れる程に強い。

 敵は正しく遥か格上。


 きっと俺だけの力では、やはり勝てないだろう。

 けれど、決して一人で戦っている訳では無い。

 

 アリアが癒し支えてくれたから、俺は今も立っていられる。

 コーディやレクター、多くの人々が戦っているから、俺はこの怪物の相手を出来る。


 そうだ、初めから一人で戦っている訳では無い。

 多くの人の助けがあって、俺の戦いは成り立っている。



 ならば、絶対に負ける訳にはいかない。 

 沢山の人の戦いを無駄にする事は出来ない。

 何より、この怪物を打ち倒し、大魔侵攻パレードを収束させ、早く彼女を安心させたい。

 暗く悲しい顔では無く、明るい笑顔で居て欲しい。


 だから。


(行こう。……………最後の勝負だ)


 駆け出す。

 確かな意志を宿して。

 これが本当に、最後の勝負ファイナルラウンドだ。



『ガァアアアアア!!』


 そんな俺の闘志に応えるように、ブラックオーガも飛び出す。

 血潮を撒き散らしながらも、眼前の敵を排除しようと、全霊を賭して突っ込んで来る。



 始まるは真っ向勝負。

 先程までの、時間稼ぎのヒットアンドアウェイでは無い。

 どちらかが果て、雌雄を決するための死力を尽くした殴り合い。


『グァアアアアアッッ!!』


「はぁあああああッッ!!」


 剣と大剣、拳と巨腕。

 衝突する。

 力と力のぶつかり合いが幾度も生じる。


 剣術と体術を織り混ぜ、俺のこれまでの全てを持って攻撃する。

 そして、確実に通る。

 敵は片腕すら失い、瀕死の状態。

 

 対して、俺は万全とは言えないものの、傷は完全に癒えている。

 圧倒的に劣っていたはずの力も耐久も、互角かそれ以上となっている。

 天秤は明らかに此方に傾いている。


 けれど。


『ガァアアアッッ!!』


「……………ッッ!?」


 それでも尚、怪物は止まらない。 

 眼前の敵を討ち倒すためだけに、その命を燃やしている。


「がッッ………………」


 吹き飛ばされる。

 剣でその身を斬り裂かれながらの突進。

 深手など気にも留めない、捨て身の一撃。


 敵はもう、此処で全てを使い切るつもりだろう。

 そう思わせる程の決死の攻勢。



 分かる気がする、敵の感情が。


 吹き飛ばされながら、怪物の心中を察する。

 そして、共感する。

 俺も同じだからだ。


 例え、これで動けなくなったとしても。



(………………お前だけは、倒すッッ!!)



 地に着地すると同時に、駆け出す。

 俺もきっと同じ気持ちだ。

 此処で全てを使い果たしてでも、この相手だけは自分が討ち倒す。


 そんな俺の攻勢に歓喜するように、ブラックオーガはまたも大剣を振り回す。

 重い、重い一撃。

 剣で受ける度に、全身がびりびりと痺れる。



 けれど、明らかに威力は落ちている。

 限界なんだ。

 敵はもう、風前の灯火。

 そうと分かっていながら、最後の最後まで命を燃やし尽くす。


 

 俺とブラックオーガ。

 お互い、此処で倒れても良いという感情は一致しているだろう。

 けれど、確たる違いが一つ。


 俺は此処で、死ぬ訳にはいかない。

 例え動けなくなったとしても、これで終わる気は毛頭無い。

 俺は、一人では無いから。



 一人で戦っている訳では無い。

 俺は多くの人の戦いと、何よりアリアの支えがあったからこそ、こうして戦えている。



 けれど、ブラックオーガは違う。

 初めから終わりまで、ずっと一人で戦っている。


(………………………凄いな)


 そんな怪物を相手に、場違いな憧憬を抱く。

 たった一人で戦い抜く姿が眩しく映る。


 それでも、止まる事は無い。

 情けをかけるなど有り得ない。

 眼前の敵も、そんな事は望んでいないだろう。


 だから、最後に一つだけ誓いを立てる。

 誰に言うでも無い、自分へのけじめ。


 もし次にまみえるような事があれば。

 その時は。 



(一人で倒せる位に、強くなるから……………)



 今はもう、終わりにしよう。


  

 ブラックオーガから、一度距離を取る。

 呼吸を整える。

 魔力を限界の更に先まで絞り尽くす。


 相手も同様に力を溜める。

 けれど、お互いにもう残りは少ない。

 対峙していたのは、僅か数秒。


 そして。


(……………………ッッ)


 駆け出す。

 全くの同時。


『ガァアアアアアアアッッ!!』


「ぁぁぁぁああああああッッ!!」


 ブラックオーガの大剣の振り下ろし。

 対する俺の、渾身の一撃。



 すれ違う。

 拮抗は無かった。

 俺の手には、確かな感触。


 

 後方へと振り返る。

 確心はあった。

 だからこれは、ただの確認だ。




 俺の一撃がブラックオーガの大剣を砕き、その体躯を両断した事の。

 



 身体が二つに分たれる。

 血潮が滴る。

 その骸から瘴気が溢れ出し、対象の絶命を本当に確認する。



「………………ふぅ」

 


 終わった。

 俺が、いや俺達が勝った。

 最大の脅威は取り払われた。

 


 けれど、安堵に浸ってはいられない。

 早く、彼女の元へ。



(……………………アリア、さん)

 

 

 それでも、身体は限界を迎えた。

 多量の出血と完全な魔力枯渇。

 視界が明滅する。

 意識が朦朧とする。



 アリアの元へと一歩を踏み出した所で、俺の意識は暗転した。











 ラースとブラックオーガの最後の衝突。

 ラースの一撃が大剣を砕き、その勢いのままにブラックオーガの身体を両断した。


 その光景をアリアを背にしたコーディが視界に焼き付ける。


「……………やった、………ラース様!!」

 

 歓喜する。

 本当にあの怪物を打ち倒した。 

 けれど、すぐに我に帰る。

 此方へと一歩を踏み出したラースが、もう一度地を踏み締める事は無く倒れ伏す。


 不味い、早く助けなくては。

 けれど、アリアを置いていく訳にもいかない。

 コーディがそんな葛藤を抱いていると、数体の魔物がラースの元へと迫る。


 ラースに対処する術は無い。

 アリアを抱えてでも駆け出さなくてはと、コーディが思考した瞬間。


 突如として現れた影が魔物達を沈める。


「………お疲れ様でございました。まさか本当に倒してしまうとは。流石はラース様ですな」


 その人物はセドリックだった。

 東側の大魔侵攻パレードがほぼ収束し、急ぎ西側へと駆け付けた。


 実を言えば、セドリックはラースがアリアの治癒魔法を受け、再びブラックオーガと戦い出した時点で、既に西側へと着いていた。

 それでも、手を出す事が出来なかった。


 ラースの戦う姿を見て、助力する事は野暮だと思ってしまった。

 無論、危うくなれば問答無用で加勢していたし、何もしていなかった訳では無い。

 セドリックはセドリックで、その他の魔物を片付けて回っていた。


 その証拠に、残り僅かとなっていた魔物も既に全滅している。

 先程倒したラースの元へと迫る魔物達が、最後の生き残りだった。


 

 ラースを抱え上げ、セドリックは独り言ちる。


「本当に素晴らしい。貴方はやはり、自慢の弟子だ」


 セドリックから見ても、ブラックオーガは十分過ぎる脅威。

 今のラースでは勝つ事は不可能だと、以前なら思っていただろう。


 けれど、実際に勝ってみせた。

 背を押してくれた人が居たかもしれない。  

 一人の力では無いかもしれない。

 それでも圧倒的な強敵を前に、命を燃やし勝利を掴んだ。


 これは紛れも無いラースの偉業だと、セドリックは心中で讃えた。

 そして、ふと思う。


「貴方はきっと、私が師である事を光栄に思って頂けているのでしょうが、寧ろ逆です」


 そう前置きをして、セドリックは笑う。

 本当に、心からの思いだった。


「貴方の師になれた事が、私にとっての誇りです。どれだけの高みに登られるか、楽しみで仕方が無い」


 この少年はきっと、これからも立ち止まる事なく歩み続けるだろう。

 そして数多くの奇跡を積み重ねると、セドリックは根拠も無く確信した。


 けれど、一先ず今は。

 成し遂げた偉業を胸に刻み、ゆっくりと休んでいて欲しい。


 そんな感情を抱き、セドリックはラースを丁寧に運ぶ。



 この瞬間を持って、ローレス男爵領・領都ロストで起こった大魔侵攻パレードは、完全なる収束を迎えた。

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