第105話 自分達に出来る事を

 アリアは走っていた。

 周囲には誰もいない。

 たった一人。

 ある場所を目指して、ひた走る。


 都市中央の支援部隊。

 そこで前線からの負傷者の治療や補給物資の運搬などに尽力していたアリア。

 ずば抜けた技量を持つアリアは、誰よりも戦士達を癒していた。


 けれど、そこに飛び込んでくる悪報の数々。

 そもそもが東からだけで無く、西側からも大魔侵攻パレードが来ると知った時は、支援部隊の面々と共に悲嘆した。


 それでも、戦う者達を信じた。

 自分に出来る事は、後方で支える事だけだからと。

 

 けれど、その覚悟すら踏み躙る凶報。

 西側からの負傷者が告げた、ブラックオーガの出現。

 そして圧倒的な脅威を前に、時間を稼ぐ為にラースが単独で戦っているという状況。


 アリアの胸中で、様々な感情が交差した。


 ラースを助けに行きたいという意志。

 けれど、戦えない自分が行くべきか。

 他にも治療を必要とする者は居る。

 身勝手な行動をする罪悪感。

  

 様々な感情が鬩ぎ合い、アリアは迷っていた。

 

 けれど、消す事の出来ない思いが一つ。

 後悔はしたくない。

 10年前、幼かったから仕方ない事など分かっているけれど、何も出来ない自分を心底悔やんだ。 

 

 今、此処でも動かないのか。

 それは正しいのか。

 それは、レーアに誇れる在り方なのか。


 様々な感情を精査し、それでもアリアはあの少年を忘れる事など出来なかった。

 助けたい。

 傷付いて欲しくない。

 居なくならないで欲しい。


 だから、飛び出した。

 けれど、アリア程の存在が前線に赴くとなれば、引き止められる事は必至。

 問答をしている余裕は無かった。


 幸い支援部隊の居る都市中央は、多くの人で溢れ注意は逸らす事が出来た。

 そのまま家屋などの影を利用すれば、西側へと向かう事は可能だった。

 後はもう、走るだけだった。


(お父様、皆様、…………申し訳ありません)


 戦いの前にはユリアンと前線に近づいてはならないと約束をした。

 ラースだけで無く、傷付き治療を必要とする人間は他にも居る。


 それでも、この感情は抑えられない。

 身勝手な自分を許して欲しい。

 もし自分が動く事で助けられるなら、止まる事など出来ない。


 そんな思いを胸に、アリアはただ走った。








 アリアは可能な限りの力で走った。

 戦況は西門付近で抑え込めているのか、道中の辺りに魔物は存在しなかった。

 そして、一回たりとも足を止める事なく走った末に、西側の前線へと辿り着いた。


 そこで見た。

 婚約者の少年が、漆黒の大鬼と死闘を繰り広げている様を。

 アリアは瞠目した。

 あんな怪物を相手に渡り合っているラースの姿に、まさに忘我の胸中だった。


(…………………凄い)


 血を流し、幾重もの傷を重ねながらも、真っ向から挑んでいる。

 そんな場合では無いと分かりながら、アリアは数瞬魅入ってしまった。


 けれど、その時はすぐに訪れた。

 婚約者の少年が、大切な存在が、怪物の一撃の元に吹き飛ばされた。


 何が起きたか分からなかった。

 数十mは先で痛みに堪えるラースを見て、アリアはようやく現実に気付く。


(………………ラース、様?)


 茫然としてしまった。

 起きた事象を、脳が処理出来なかった。


 けれど、否応なしに現実に引き戻される。

 追い討ちとばかりに、ブラックオーガがラースに渾身の一撃を叩き込む。

 一目見て分かった。

 先程とは比肩する隙も無い衝撃。

 人の身体など容易く砕くであろう轟音。


 再び吹き飛ばされた先で、今度はピクリとも動かないラース。

 夥しい量の血。

 死という言葉がアリアの脳裏を過ぎる。


「………………嫌、………うそ」


 そんな言葉を紡ぐしか出来ない。 

 現実を受け止められず、ただ立ち尽くすしか無い。


 その間にも、怪物はゆっくりと倒れ伏すラースの元へと迫っている。

 あと一撃を加えられれば、間違いなく死ぬ。

 いや、アリアの目には今でさえ生きているかは分からなかった。


 動けない。

 自分の事でも無いのに、足が竦む。

 アリアの心は、もう折れかかっていた。


 此処へ来た目的も忘れていた。

 生きている保証など無くとも、すぐに治療をすれば良い。

 魔法を使えば、助かる可能性はある。


 頭の片隅でそう理解していても、心は違う。

 心が諦めていれば、身体も動かない。  

 アリアは、見ている事しか出来なかった。


 歩み寄る。

 ブラックオーガがラースへと迫る。

 少し先の未来を幻視し、アリアは遂にその瞳すら塞いでしまった。


 もう何も見えない。

 何も分からない。

 けれど、知らないで済む。

 その光景を、見なくて済む。

 アリアの心が完全に閉ざされる、その寸前。



 声が聞こえた。



「がッ、………ぁぁああああッッ」



 決して幻聴などでは無い、確かな現実。

 その叫びに突き動かされ目を開けば、ラースが震える身体で立ち上がろうとしていた。


 無理だ。

 そんな身体で。

 何故。



「ぁぁぁあああああああッッッ!!!」



 そんな感情の唸りを、再び聞こえたラースの声が断ち切る。


  

 立ち上がった。

 ぼろぼろの身体で、その瞳に闘志を宿して。

 剣を構えた、倒すべき敵がまだいると。

 死ぬつもりなど、毛頭無いと。



 アリアは理解した。 

 まだラースは折れてなどいないと。


 アリアは分からなかった。

 何故、諦めないのか。



『私はこの街のために、死力を尽くして戦います。どれだけ敵が強大でも、どれだけ心が折れそうになっても、絶対に諦める事なく戦います。このロストを守るために、最善を尽くすと誓います。…………それだけは確かに、お約束します』



 想起する、戦いの前の誓い。

 あの約束を守るために、彼は諦める事なく戦おうとしているのだろうか。


 自分はもう、折れていたというのに。

 


「……………………来いッッ」



 その言葉が、アリアの目を醒ます。


 戦おうとしている。

 絶望的な状況などと理解していても、それでも抗おうとしている。


 何の為に?


 決まっている。


(………………………私の、為に)


 自らと交わしたあの約束を、今もラースは果たそうとしている。

 

 それなのに、自分は諦める。

 そんな事、許される筈が無い。

 先程までの諦念を、アリアの全てが否定する。


 それは愛する母に誇れる在り方では無い。

 このロストで戦う全ての人達を侮辱するような真似は出来ない。


 何より、あの少年を助けたい。

 


 だから、アリアは魔力を練る。

 決意だけでは何の意味も無い。

 今、自分に出来る事を。



 アリアの最大の治癒魔法。

 その効果有効範囲は限られる。

 更にラースへ近づかなくてはならない。


 戦場に飛び出せば、確実に狙われる。

 あの怪物が襲いかかるかもしれないし、他の魔物が殺そうとする可能性も高い。


 それでも、アリアは駆けた。

 だって、今も彼は怪物を前に剣を構えている。

 止まる要因など在りはしない。


 そして発動する。

 アリアの渾身の魔法。

 治癒系統、最上位。


「《最上位治癒エクス・ヒール》!!」


 魔力が失われる。

 元々多くの負傷者の治療を行い、魔力は底が見えかかっていた。

 此処に来ての最上位魔法。


 割れるように頭が痛い。

 目眩が止まらない。

 意識が霞がかる。


 抗う事の出来ない魔力枯渇の症状。

 もう数瞬後には気絶するだろう。

 戦場において、致命的な愚行。

 

 そうと分かっていながら、アリアは未だ魔力を練る。

 どうせ木偶になるのなら、最後にもう少しだけ彼の背中を押させて欲しいと。


「《加速アクセラ》!《加力ライズド》!《加耐デュラブロート》!」

 

 支援魔法の多重同時展開。

 正真正銘、アリアの魔力は尽きた。

 そして、その場に頽れる。


 戦場で単身気絶など、本当に死ぬかもしれない。

 

 けれど、これは贖罪だ。

 身勝手な行動をした。

 一度は諦めてしまった。

 こんな事で償えるとは思えないけれど、せめて自分も苦しむべきだと。


 何より、少しでもラースを支えられたなら。

 

(…………お母様。私は、お母様のようになれたでしょうか?)


 レーアの様に命を賭してでも、誰かを助ける事が出来ただろうか。

 もし、助ける事が出来たなら。

 その人が彼ならば、これ程嬉しい事は無い。


 そんな思いを抱き倒れるアリアの元に、一匹の魔物の凶刃が迫った。







 

 少しだけ時間は遡り、西側塔付近。

 未だ残されている魔物達を相手に戦っていたコーディの目に、理解し難い光景が映った。


 轟音に引き寄せられ目を向ければ、ラースがブラックオーガの一撃に吹き飛ばされた。

 家屋を突き破って尚止まらない衝撃。

 頽れるラースは、最早生きているように見えなかった。


「ラース様ぁぁぁぁぁ!?」

 

 絶叫する。

 信じられない。 

 嘘だと思いたい。


 けれど、例え生きていたとしても、もう少しでその命は潰えるだろう。

 今もブラックオーガはゆっくりと歩み寄っている。


 コーディは助けたい思いに駆られた。

 けれど、周囲にはまだまだ魔物が居る。

 この塔を守ると、ラースに誓った。

 自分が行った所で、あの怪物が相手ではどうする事など出来るだろうか。


 コーディは何をすれば良いか分からなくなった。

 そんな迷いを、友の言葉が断ち切る。


「行けッッ、コーディ!!」


「…………レクター?」


「こっちは俺が死んでも守る!だからお前は、ラース様を抱えて逃げちまえ!逃げるだけなら、何とかなるだろ!!」


 塔の護衛と魔物の討伐はレクターに任せる。

 そして自分はラースを連れて逃げる。

 確かに逃げるだけなら、可能かもしれない。


 けれど、それは友と未だ戦っている人々に、全てを押し付けるという事。

 果たして、それは正しい事なのか。


「迷うなッ、行け!!今度は俺達が助ける番だろ!!」

 

「………………ッッ」


 その言葉に、突き動かされるコーディ。

 大魔侵攻パレードが始まってからずっと、自分達はラースに助けられている。

 果てには、ブラックオーガの相手をラース一人に押し付けた。

 散々助けられた。

 なら、今度は自分達の番だ。

 ラースを助ける人が居たって良いだろう。


 駆け出す。

 全力の身体強化で、コーディの出せる最高速度で走る。

 もうラースは十分傷付いたから、休んでも良い筈だと。


 そんな思いを抱くコーディの目に、その光景が映し出される。

 ぼろぼろの身体で立ち上がろうとするラース。

 いや、立ち上がった。

 剣を構えた。

 彼は未だ、戦おうとしている。


 自分が助け、逃そうとしていた存在は、諦める気など毛頭無い。

 そんな彼を逃がすのは正しいのだろうかと、またも葛藤が生じる。


 

 そんなコーディの視界に映る、もう一人の存在。

 そこでコーディは目的を機械的に変更した。



 ラースを助ける事を辞めた。

 それはきっと、自分の役目では無い。

 彼女がラースを助ける。


 自分の役目は、その後。

 ラースが十全に戦えるように、彼の憂いを断つ。  

 戦おうとしているラースを、止める事など出来ない。


 だから。



「はぁあああああッッ!!」



 コーディはアリアの元へと駆け、彼女を襲わんとしていた魔物を斬り伏せる。

 

 アリアがラースを助けた。

 そのアリアを守る事が、きっと自分の役目。

 せめて、自分に出来る事を。


 ラースが存分に戦えるように。



「ラース様ッッ!!…………今はッッ」


 

 貴方の代わりに、この人は何が何でも守る。

 だからどうか、今は何も気にせず戦って欲しい。


 きっとアリアも、そう願っている。

 何よりラース自身が、そう決意している。

 だから。


 

 ラースが憂いなく戦えるようにと、コーディはアリアを死守すべく剣を構えた。

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