第104話 二つの約束

 絶望的な光景が視界に映る。

 初撃と同様、魔力を収束させた巨腕。

 流石に溜めの時間が違うため最初の一撃よりは威力も劣るだろうが、そんなものは誤差だ。


 既に攻撃をもろに喰らい、重傷もいい所。

 生死の瀬戸際に居ると頭では理解していても、身体に上手く力が入らない。



 死を予感させる。

 終焉を予期させる。

 それ程までの窮地。



 そんな中俺が出来た事は、身体強化の出力を最大にする事だけだった。



 防御など有り得ない。

 身体が動かないなら、回避すら不可能。

 この一撃は甘んじて受けるしか無いと、本能で悟ってしまった。




 ブラックオーガが右腕を振るう。

 掬い上げるような振り上げが迫るのを、何処か穏やかな思考で認める。

 けれど、一瞬後には命の灯火が消える光景を幻視した。

 


 

「がッッ、…………ァ…………」

 


 

 吹き飛ばされる。

 先程とは比にならない衝撃。

 一体どれだけの距離・時間を宙に浮いていたのかも分からない。



 家屋が倒壊する。

 吹き飛ばされた先にある建造物数軒を破壊しながら、尚止まらない。

 幾度もの衝撃を全身で感じながら、ようやく身体が地に堕ちる。

 


 

「ァ……………かッ、……………ッッ」




 全身という全身が悲鳴を上げる。

 叫び出したい程の激痛を感じながらも、発する事が出来たのは、音を含まない呼気だけだった。



 視界に火花が散る。

 大量の血が滴り落ちる。

 もう身体は指先さえも動かず、ただただ大地に横たわるしか無い。

 意識を保てているのが奇跡という話だ。


 




 ……………どうすれば良い。

 この状況から、一体どうしたら良いのか。



 いや、どうする事も出来ない。

 それ程までに、身体は限界を迎えていた。

 当然だ。

 そもそもが血も体力も失っていた所に、これだけの致命傷。

 もうどうする事も出来はしない。



(…………………ッッ)



 気配を感じる。

 音が聞こえる。

 ブラックオーガが此方へと歩み寄っているのが、霞む視界に映し出される。



 その巨腕には、またも魔力が収束していた。



 散々自身を翻弄した俺を、確実に仕留めようとでも言うのだろうか。

 風前の灯火に過ぎない敵に対し、その力の全てを持って消し去ろうとしている。



 初撃と同様、長い長い蓄力。

 他の人々には目もくれず、倒れ伏す俺へとゆっくりと歩み寄って来る。

 それを分かっていながら動く事すら出来ない俺を、それでも全霊を賭した一撃で葬ろうとしている。



 ゆっくりと歩み寄ってくるブラックオーガの挙動が、更にスローモーションに感じる。

 死の淵に立つ事を自覚しながら、その身体とは裏腹に、何故か思考は十全に動いていた。





(…………………もう、駄目か)




 近づく終焉。

 忍び寄る破滅。

 待っているのは、抗いようのない死。





 終わる。

 ラース・フェルディアの、水無瀬令人の軌跡は、此処で潰える。



(それでも、此処までは耐えた。後はきっと、他の人達が………………)



 当初の目的である、時間稼ぎは果たした。

 今此処でブラックオーガを自由にしてしまえば、都市被害は加速してしまうが、壊滅的な被害は免れるだろう。

 そう思える程には、俺の戦いにも意味はあったかもしれない。



 だから、もう仕方が無い。

 訪れる死を享受するしかない。

 抗う事の出来ない運命を、受け入れるしか道はない。




 不可能だ。

 この身体で、この状況で、アレを相手に。

 此処からどうする事など、もう何も無い。




 この世界で目覚め、新たな存在として生きてきた俺の物語は、今此処で終わる。  

 短い、本当に短い時間だった。


 

 けれど、良くやったんじゃ無いだろうか。

 ラースとして少しは成長し、様々な人との繋がりを築き、最後はあんな怪物を相手に戦ってみせた。



 この街を守る事も、完璧とは言わずとも成し遂げられたと思う。

 俺にしては、頑張った方だろう。

 



 だからもう、思い残す事も無い。






(…………………………本当に?)





 心の中で自問する。

 この現状を正しく認識しながらも、感情の奥底で叫んでいる。

 大切なものが、まだ残されている筈だと。




『私を、………一人にしないで下さい』




 声が聞こえる。

 現実では無いと、幻聴だと理解していながらも、決して無視してはいけない声が。




『ラース様を、皆様を信じていますっ』




 残されたものが確かにある。 

 絶対に違えてはいけない何かが。

 それを忘れてしまえば、俺は自分を殺しても許せない。



『ああ、約束する』


『それだけは確かに、お約束します』



 今度は自分の声だ。

 誰かに向けて放った言葉。

 絶対に守らなくてはと誓った、大切な約束。



 なら、誰に?

 俺は誰と、その約束を結んだ?



 思い出せ。

 絶対に失いたく無い人が居る。

 何より大切な存在が、俺にはまだ残されている筈だ。






(………………アンナ、……………アリアさん)



 



 脳裏に浮かんだのは、二人の少女だった。

 


    


 その瞬間。



(………………ッッ)



 途切れかけていた意識が覚醒する。

 消えかけていた闘志に火が灯る。

 

 

 そうだ、何故忘れていた。

 約束をした。

 絶対に破る事の出来ない誓いを、その少女達と結んだ。




 戦いが始まる前、俺は彼女達に何と言った?



 

 絶対に一人にしないと告げた。

 諦める事なく戦うと誓った。




 ならば、今此処で寝ているのは何故だ。

 終わりを享受しようとするのは正しいのか。




 いや、そんな事は有り得ない。

 あってはならない。

 受け入れて良い筈が無い。




 傷だらけだから。

 血が流れているから。

 骨が折れているから。




 そんな事は約束を破る理由になりはしない。




 全てを諦めて、此処で死ぬ。

 許容出来る訳が無い。

 



 それでは一体、何の為の約束だ。

 何の為の誓いだ。


 


 巫山戯るな。

 お前には諦める資格も、死ぬ資格も無い。

 このまま終わるなんて不義理が、許されると思っているのか。


 

    

 立て。

 立ち上がって、剣を執れ。

 彼女達の為に出来るのは、アイツを討ち倒すこと他にない。

 


「ッッ………がッ、………ぁぁああああッッ」



 吠える。

 感情を薪に闘志へ焚べる。

 燃え上がる意志を力に変える。



 動かなかった指先に熱が込もる。

 いや、指先だけでは無い。

 身体全体へと伝わり、肉体全てが俺を奮起させようと後押しする。



「ぁぁぁあああああああッッッ!!!」



 痛い。

 ほんの少し動かすだけでも、身体の至る所から激痛が走る。

 もうやめろと、本能が警鐘を鳴らしている。

 


 けれど、それが何だ。

 実際に身体は動いている。

 俺の苦痛と、二人との約束。

 どちらを優先するかなど、比ぶべくも無い。

 

 

 地面に手をつく。

 腕を起点に身体を押し上げ、半身を起こす。

 そのまま立ちあがろうとし前傾に倒れかけるも、何とか踏み止まる。

 もう一度身体全体に力を込め、重心を安定させる。



 ほら、立ち上がった。

 指先すらも動かせないと思ったのに、立ち上がる事が出来た。

 

 なら、この後はきっと戦える。

 一度限界を超えたのだから、二度も三度も同じ事だ。

 俺には、その選択しか許されない。



 身体に魔力を込める。

 剣を執って、構える。

 力強い眼光で、敵を見据える。




「……………………来いッッ」

 

 


 そこで、ほんの数mまで迫っていたブラックオーガが、一歩引き下がる。

 まだ臨戦体勢である俺に対し、警戒でもしたのだろうか。



 けれど、引いたのは一歩。

 そこからはもう、止まる筈も無い。

 


 優劣は決然。

 相手にしてみれば、その魔力を収束させた巨腕を振り下ろすだけで事足りる。

 たった一動作。

 緩慢な動きであろうと、俺に対処する術は依然として皆無。




 決意は満ちた。

 闘志は燃えた。

 両の足で、震えながらも確かに立った。




 けれど、そこまで。

 覆しようが無い現実は存在する。

 俺は未だ、吹けば消える命。


 

 それでも。

 諦める事は無い。

 死ぬ訳にはいかない。

 心の奥底には、今も確かに二つの約束が刻まれている。




 だから。





「………………お前を、倒すッッ!!」





 根拠など無い決意を、改めて吠えた。




 

 

 その瞬間。







「《最上位治癒エクス・ヒール》!!」




 

 この戦場で聞こえてはいけない筈の、それでも確かに聞き慣れた声音が、高らかに耳朶を打った。

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