第103話 絶望の光景

『グゥゥッ…………ガァアアッッ!!』


「ぐッ、…………はぁああッッ」


 ブラックオーガの膂力に任せた連撃を、此方も回避と迎撃を織り交ぜながら、応戦する。

 力は完全に上を行かれており、速さは俺が上回っているとはいえ、やはり相手も相当だ。

 時間を稼ぐためのものにしても、綱渡りの攻防が続く。


 しかし、これまでの戦いでブラックオーガの攻撃のパターンは掴めた。

 元々の挙動も大きいため、此方の攻撃を喰らわせる隙は、幾度も突けている。


(此処……………!)


 ブラックオーガの大剣の一振りの隙に対して、振り切った右腕に刃を入れる。

 だが。


「…………ッッ!?」


 頑強な皮膚によって、あえなく弾かれる。

 切断など以ての外で、浅く切り傷を与えるのが精一杯。

 どうやっても、深手は負わせられない。


(呆れる程に硬いな。やっぱり普通に攻撃しても、ダメージを与えられる気がしない…………)


 既に何度も攻撃を加えていて、ブラックオーガも血を流してはいるが、気にした素振りは見せない。

 そこまでの損傷では無いという事だろう。


 対して、俺はやや苦しい。

 致命傷では無いとはいえ、身体の至る所に手傷は負っている。

 血も流しているし、体力も奪われている。



 人と魔物では、そもそもの身体の作りが違う。

 同じような傷を負ったとしても、人間の方が損傷は激しい。

 拮抗した戦いでも、先に力尽きるのはどうしたって人だろう。


 

 とはいえ、反撃の目が無い訳ではない。


(身体強化を全開にすれば、一気に有利にはなるかもしれない)


 魔力消費度外視の身体強化を用いれば、恐らくダメージは与えられるだろう。

 それどころか、致命傷を負わせられる可能性も高い。



 だが、やはりあくまで可能性だ。

 確証が持てない。


 仮に全力の身体強化で攻撃をしたとして、そのまま倒す、若しくは戦闘力を大幅に削げるまでの深手を負わせられるのなら良い。

 けれど、そうはいかなかったら。


 魔力を一気に消費して、今度は此方が圧倒的な劣勢に立たされる。

 現時点での身体強化さえ維持出来なくなれば、3分と経たずにやられるだろう。



 と、そんな事を考えていると。


(ッ、また…………!?)


 ブラックオーガが先程と同じように、俺では無い別の標的を襲おうとする。

 その方向はこれもまた先程と同様、塔付近の人々だ。


(やらせないッ)


 俺も先程の要領で加速し、ブラックオーガの面前へと回り込む。

 

『ッッ……ガァアアアッッ!!』


 再び阻止された事による激情か、大剣やその巨腕を乱れるように振るってくる。

 その連撃を捌きながら、思考する。


(…………やっぱり、このままが賢明か)


 先のような超加速でも、魔力は大きく消費する。

 部分的とはいえ身体強化の出力急上昇と、風も操っているのだから当然だ。


 この現状で、確証も無いのに勝負を決めに行く事は出来ない。

 決着を急いではいけない。


(………俺の目的はコイツの足止め。冷静になれ。自分の役目を果たすんだ)


 思考を落ち着ける。

 苦しい戦いを強いられているとはいえ、状況は狙い通りだ。

 問題は無い。



 それに博打を打たなくとも、付け入る隙はある。


 依然劣勢な事に変わりは無いが、ブラックオーガとの戦闘にも感覚が掴めてきた。

 例え身体強化に大幅な魔力を割かなくても、傷を与えられる可能性はある。


(どれだけ防御が固くても、関節部は幾らか脆いはず)


 動きを掴めてきたのなら、激しい戦闘の最中でも急所を狙う精緻な攻撃も加えられる。


(出来れば足を奪いたいけど、贅沢は言ってられないな。可能な所から削っていく)


 足にダメージを入れ機動力を奪う事が出来れば、戦闘は大分楽になる。

 周囲への被害も抑えられるからだ。


 とはいえ、流石にそこまで都合良くはいかないだろう。

 それでも構わない。

 あまり意味を為さないとしても、削れる所から削っていく。


「…………ふッッ!!」


 

 そうして俺はブラックオーガの乱撃を防ぎながら、何とか優勢に立とうと攻撃を開始した。









 それから、どれだけの時間が経っただろう。

 いや、決して何時間も経過などしていない事は分かっているが、この相手を前に単独で凌ぎ続けるのは、体感ではかなり長い。

 体力も魔力も、相当に消費している。



「はぁッ、……はぁッ、…………ッッ」



 元々大規模魔法を連発した事に加え、この怪物との戦闘。

 苦しく無い訳がない。

 けれど、こうして俺が時間を稼いでいる内に、周囲の魔物も大分数が減ってきている。

 状況は、決して悪くない。


 それに、流石のブラックオーガも俺との交戦で消耗しているだろう。 

 一つ一つは浅い傷に過ぎなくとも、血も確かに流している。

 傍目にも、相手も荒い息を吐いているのが見て取れる。


 未だ致命傷を負わせるまでは至っていないけれど、ブラックオーガもその能力を落としている。

 このままもう暫く粘っていれば、俺以外の戦力も揃い、倒せるだろうと思える。



 俺とブラックオーガ。

 消耗の度合いで言えば、確実に俺の方が劣勢だが、戦況全体で見ればその逆だ。

 後が無いブラックオーガに対して、俺は今後の増援が見込めている。



 決して、楽な戦いでは無かった。

 何度も危ないと思う場面もあった。

 それでも、此処まで耐えてきた事が報われる。


 集中を途切れさせている訳では無いが、あと少し粘る事が出来れば、コイツを倒せる。

 俯瞰して戦況を見渡せば、確実に状況は此方に傾いている。

 楽観的な願望では無く、この戦場が確かにそう物語っている。



『ガァアアアッッ』


「ぐッ、…………ぁあああッッ」


 

 ブラックオーガの大剣の振り下ろしを、此方も剣を使って受け流す。

 身体の奥までじんじんと響く痛みがあるが、気にしない。

 そんな事は気にしていられない。


 返す刀で斬り掛かるが、それを避けられる。

 先程からブラックオーガも肉体で受けるのでは無く、回避行動を取っている。

 一発一発は取るに足らない威力でも、積み重なれば危険だと判断したのだろうか。


 都合何十度目かも分からない攻防も、またしても拮抗。

 感情としては、心底嫌になる。

 けれど、冷静な思考はこれが正解だと告げている。



 そうだ、これで良い。

 どれだけ消耗しようと、どれだけ悲観的になろうと、か細い理性が正しい判断を行っている。

 俺のしている事は決して間違っていない。 

 今確実に、ブラックオーガを追い詰めている。



『グゥゥゥ…………グァアアア!!』


「………………!」



 そこで、突然攻撃を止めるブラックオーガ。

 何事だろうと注視していると、またしても俺では無い別方向へと動き出す。

 これで、三度目。

 三度、塔付近を目指しての突進だ。



 俺を崩せないが故の、悪あがきだろうか。

 先程と同じように、塔のある方向へと駆け出す。


 急な転進に加えて中々の速度だが、二度の経験があるように、止める事は問題無い。

 足に魔力を収束させ風で背を押すように、ブラックオーガより前に先回ろうとする。


 

 繰り返される光景。

 また俺がブラックオーガの面前へと立ち塞がり、仕切り直しに攻防が始まる。



  


 そのはずだった。



 けれど。




 俺が爆発的な初速で駆け出した、その時。

 唐突にブラックオーガが此方へと振り返る。

 そして、そのままの勢いで俺へと向かって突進を繰り出す。 


 

(………………!?)



 予想外の行動。

 停滞する思考。

 

 それでも、何が目的かと考えたのは一瞬。

 すぐに、奴の思惑を理解する。



(釣られたッッ!?)



 罠。

 誘導。

 此方の動きを見越しての欺瞞フェイク


 相手は決して、闇雲に別方向へ突っ込もうとした訳では無い。

 俺の行動を誘導すべく、計算された上での罠。



 既に二度行われていた、塔付近へと駆けるブラックオーガへの先回り。

 

 学習したのだ。

 俺が戦いの中でブラックオーガの攻撃パターンを掴んだように、向こうも自分がどう動けば、俺がどう行動するのかを学習していた。


 

 油断、していた訳では無い。

 相手が思考し、対応してきた。


 魔物とは思えない程に、高い知性。

 これがBランク。

 俺が戦った事の無い、高次元の存在。




 気付いた時には、もう手遅れだった。

 出力を増加させた身体強化による膂力と、突風の勢いを乗せた、超加速。

 停止する事は勿論、方向転換もままならない。



 駄目だ、完全にやられた。

 ブラックオーガは俺の行動を予期していたため、既に面前へと迫っている。

 

 この距離では、受け流す事など不可能。

 回避も迎撃も、選択肢には存在しない。

 この攻撃は、間違いなく喰らう。



 それでも、致命傷だけは避けなくてはと、俺は魔法を行使する。

 身体強化の度合いを高め、風を俺とブラックオーガの間にクッションとして機能させる。

 そして、左腕でなけなしの防御姿勢を取る。



 出来た事はその程度。

 一拍後には、途方も無い衝撃。



『ガァアアアアッッッ!!』



 ブラックオーガは突進の勢いを殺さず俺へと体当たりをし、そのまま片腕で薙ぎ払う。

 大質量が超速で衝突し、一瞬視界が真っ白になった。



「がッッ………………」


 

 吹き飛ばされる。

 人間の肉体が、いとも容易く宙を舞う。

 駆け出したのとは真逆の方向へと、数十mは弾き返される。



 正面からの衝撃の次は、背後からの衝撃。

 吹っ飛ばされた先で、建築物の壁へと激突する。



「がッッ、…………はッ、………ッッ」



 感じたのは、味わった事の無い激痛。

 口から漏れたのは、声にならない声だった。



 視界が明滅する。

 思考が定まらない。

 何が起きたのかは明白なのに、自分がどうなったのかが理解出来ない感覚。

 それでもこの戦いにおいて、手遅れになりかねない負傷をした事は明確に分かった。



 最も重症なのは、咄嗟に庇った左腕。

 前世でも骨折の経験など無いため分からないが、間違いなく折れている。

 いや、それだけならまだマシか。


 腕全体が灼けるように熱い。

 ……………違う、何も感じない?

 分からない、考えたくも無い。



「かふッ、…………ごほッ、こほッ………」



 血の咳を吐き出す。

 内臓の損傷も酷いかもしれない。

 此処に来て、これ以上血を失うのは不味いというのに。



「がッッ、………あ、ぁあああッッ」


 

 何とか身体を動かす。 

 けれど、上手く力が入らない。

 自分が今、どんな姿勢なのかも分からない。


 立っている?

 座っている?

 横たわっている?

 駄目だ、思考が纏まらない。


 

 いや、違う。

 こんな事を考えている場合では無い。

 すぐに体勢を立て直さなければ。

 奴からの攻撃に備えなくては。



 なけなしの力を振りかぶり、顔を上げる。





 そして俺の視界に映ったのは、すぐ面前で魔力を収束させた右腕を振り上げる、ブラックオーガの姿だった。

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