第93話 愛娘
「…………お父様。先程、
「ッッ……………アリア」
話を聞かれていた事にやるせない気持ちを抱いたユリアンだったが、関係の無い事だと思い至る。
どうせ直ぐにアリアも知ってしまうだろう。
だから、真実を伝えるしか無かった。
嘘でも聞き違いだと、何かの間違いだと言ってやりたい気持ちを、ユリアンは封殺した。
「………聞き違いでは無いよ。冒険者ギルドからの通達だ。このロストで、再び
「ッッ!?」
そんなユリアンの言葉に、アリアは泣きそうな面持ちで息を呑む。
聞こえてきた言葉が間違いであって欲しかったと思ったのはアリアも同じだった。
「魔物達が来るのは、早くとも明朝のようだ。それまでに出来得る限りの準備を整える」
「ッ、お父様……………」
アリアも泣き崩れたい気持ちで一杯だった。
それでも決意に満ちた父の顔を見て、賢いアリアは思い留まった。
今は、そんな事をしている暇は無いのだと。
この残酷な現実を、受け入れるしか無いのだと。
しかしその後に告げられた父の言葉には、そんなアリアもつい感情を荒げた。
「直ぐにでも住民の避難を開始する。アリア、君も住民達と共に都市外へと避難を……………」
「ッ、嫌です!私だけに逃げろと言うのですか!?」
「…………アリア」
避難を促したユリアンにも、アリアが断るだろう事は分かっていた。
亡き妻と同じように、誰よりこの街を想う娘が街を置いて逃げる訳が無いと。
それでも、ロストと同じ程、またはそれ以上にユリアンはアリアを大切に思っている。
妻を失った今、アリアまでも危険に晒す事はどうしても感情が許さなかった。
「アリア、分かってくれ。今回の
「嫌ですっ、嫌ですっ、嫌です!!」
いっそ別人かと見紛う程に、感情を露わにするアリア。
そこには無機質で聡明な彼女の面影は何処にも無く、ただ一人の少女の姿だけがあった。
「また繰り返せと言うのですか!?気付いた時には全てが終わっていて、街は破壊され、お母様が亡くなっていた、あの時のように!!」
「……………ッッ!!」
そんなアリアの訴えに、今度はユリアンが悲痛な面持ちを浮かべる。
娘の気持ちが痛い程に分かってしまったから。
先のラースとの会話でも語った通り、10年前の
けれど、それは当たり前の事だった。
まだほんの幼いアリアが避難するのは、至極当然であった。
アリア自身、一人安全を享受していた事を悔いてはいるけれど、その時の自分に何も出来なかった事など理解している。
けれど、全てが収束した後、避難場所を出た先は地獄だった。
住み慣れた街が、当たり前の光景が、無惨にも破壊し尽くされていた。
魔物と人々の戦いの爪痕が色濃く残り、街は瓦礫の海と化していた。
何よりアリアの心を抉ったのは、母レーアの死だった。
自分が後方でぬくぬくと安全を享受していた裏で、懸命に行動していた母が死んだ。
アリアは死にたくなった。
生きている意味が分からなくなった。
魔物の脅威が蔓延るこの世界に、もう希望など見出せなかった。
それでも、アリアは立ち直った。
その要因は全てが終わった後に、住民の避難誘導へと向かう母が言い放ったと聞いた、あの言葉。
『立場なんて関係ない。誰かの為、何かの為。大切なものの為に、自分に出来る事を為すだけだ』
アリアは、ハッとした。
レーアが命懸けで守ってくれた今を、アリアが捨てる事などあってはならない。
自分に出来る事だって、きっとあるはずだと。
だからアリアは、この街を大切にしようと誓った。
亡き母の遺したこのロストを、今度は自分が守っていくのだと。
そんな誓いを胸に、アリアは魔法を極めた。
再び街に危難が訪れた時に、今度こそ自分も力を尽くせるようにと。
初めは、剣を習った時もあった。
けれど、聡いアリアには分かってしまった。
自分に戦いの才能など、微塵も無い事が。
だから、せめてもの思いで今度は魔法を習った。
ここでも攻撃魔法には欠片も才能が無く、自分が前線で戦う事は不可能だと悟った。
けれど、アリアは折れなかった。
戦う事が出来ないのなら、せめて戦う者達を支えようと決めた。
だからこそ、アリアは治癒と支援魔法を学んだ。
この魔法に至っても、アリアには特別才能があった訳では無い。
魔力量という点において、貴族の生まれという事で人並みを超えてはいたが、あくまでその程度。
けれど、アリアは嘆く事など無かった。
才能が無いのなら、その分努力すれば良いと。
そうして齢3歳からアリアは魔法の鍛錬を始め、今では治癒に至っては、最上位魔法を扱えるレベルにまで成った。
だからこそ、アリアは決意している。
此度の
「私はこのような時のために、これまで魔法を極めてきました。前線で戦う事は出来なくとも、力になれる事はあるはずです!!」
「…………………」
愛娘の必死の訴えに、ユリアンは言葉を返せなかった。
それが事実だと分かっているから。
アリアの魔法の技量は、騎士や冒険者達の魔導師と比べても、群を抜いている。
後方で支援隊として魔法を振るってもらえれば、どれだけの助けになるのかも理解している。
それでも承諾出来ないのは、偏に娘を想う気持ちだった。
利害では無い、感情の問題なのだ。
幾ら後方とはいえ、危険はゼロでは無い。
それだけで、ユリアンが思い悩むには十分だった。
そして、そんなユリアンの苦悩はアリアにも伝わっていた。
どこまでも深い愛情を注いでくれる父に対して、アリアは泣きそうな程に感謝している。
それでも、退く事は出来ない。
だからアリアは、10年前の彼女のように決然と言い放った。
「お父様、私はこの街を愛しています。心の底から大切に思っています。そんな大切なもののために、私にも出来る事があるのです。ここで逃げてしまっては、お母様に顔向け出来ません!危険を顧みず、大切なもののために自分に出来る事を為す!それが亡きお母様に誇れる、今の私の在り方です!!」
「………………ッッ!!」
アリアの決死の訴えを前に、ユリアンは自然と10年前を想起した。
此方の静止も聞かないで駆けて行ってしまった、真っ直ぐな最愛の女性を。
思わず、ユリアンは破顔した。
諦めの境地に至り、苦悩していた事など嘘かのように、表情を緩めた。
そして、困ったような声音で告げる。
「全く、レーアの名前を出すのは反則だろう」
亡き妻を持ち出されては、もうユリアンに止める事など出来なかった。
嬉しいのか、悲しいのか、レーアの面影を見たユリアンは、そこで覚悟を決めた。
「………分かったよ、アリア。君も街に残る事を認める」
「お父様っ!!」
父の裁可に、アリアは歓喜した。
そんな娘に、注意を促すようにユリアンが補足する。
「けれど、あくまで後方で支援部隊としての働きをして貰う。前線に近づく事は絶対に無いように、分かったね?」
「はい!」
アリアの気持ちの良い返事に、ユリアンは思わず肩の力を抜く。
困った子だな、と。
「それでは、君も準備をしなさい。まだ猶予はあるとはいえ、時間は限られている」
「承知しました」
そうして軽快な足取りで去っていくアリアを眺めた後、ユリアンは室内の窓へと近づく。
そして、空を見上げながら独り言ちる。
「レーア、どうやらアリアはまさしく君の子だよ。全く、意固地で真っ直ぐな所はあまり似て欲しくは無かったんだけどね……………」
そんな言葉とは裏腹に、ユリアンの声音は酷く幸せそうだった。
今は亡き妻との繋がりを感じられた思いだった。
けれど、そこで意識を切り替える。
「さて……………」
感傷に浸っている暇は無いと、ユリアンは行動を開始した。
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