第92話 再来

 場面は移り変わり、時も少しだけ遡る。

 場所は、ローレス男爵家の屋敷にて。


 アリア・ローレスは、一人屋敷の中を歩いていた。

 大の趣味である読書をしようと、書庫から本を持ち出し、自室で読もうと戻っている途中だった。


 大切に本を抱えるアリアの脳内では、未だ数日前の出来事を想起していた。

 婚約者であるラースの来訪、及び彼と共にロストを二人きりで散策した事。


 心から楽しいと思える一日だった。

 次に会えるのは何時になるだろうかと、アリアはそんな思考をする。

 

 そして、ふと思う。


(以前は寧ろ嫌っていたというのに、人間関係とは変わるものですね…………)


 水無瀬令人の人格が生まれる前のラースの事を、アリアは嫌っていた。

 それも、当然だろう。

 お世辞にも良い人柄とは言えないし、彼女の尊敬する母とは正反対と言っていい存在だ。


 けれど、今は違う。 

 今のラースの事は、好きと呼べる程に憎からず思っている事を、流石のアリアも自覚していた。

 その感情が、人としてなのか友人としてなのか、はたまた別の何かなのかは、アリアにはまだ分からなかったけれど。


 

 そんな思考と共に、アリアは再び数日前の記憶を辿る。

 ラースとの散策の思い出を。


(あれは恋愛小説で良く見る、………デート、というものなのでしょうか?)


 彼女は、ふとそんな事を考える。

 男女が二人きりで外出し、色々と街を回ったのだから、それはもうデートと呼んで差し支えないのかもしれない。


 けれど、自分とラースの場合は良く分からないと、アリアはそう感じた。

 

(……私は終始緊張していたというのに、あの方は常に落ち着いていて、澄ました顔をしていましたからね。………何でしょう?思い返すと、少し腹が立ちますね)


 アリア自身、よく分からない感情だった。

 けれど、別に嫌な感じがある訳では無い。

 物腰柔らかで落ち着いた佇まいのラースの事を、アリアは好ましく思っているからだ。


 それに。


『……だからこそ、間違いなんかではありません。無駄なんて事はあり得ません。………きっとこの光景こそが、レーア様の守ったものですから』


 ラースの言葉を思い出す。

 母であるレーアの話をした時に、彼に告げて貰った、その言葉。

 レーアの行動は間違いなどでは無く、確かに意味のあるものだったのだと。

 

『だから、アリア様も信じてあげて下さい。愛娘に慕われているとなれば、きっとレーア様も誇らしいと思いますから』

 

 アリアはずっと悩んでいた。

 母を尊敬する気持ちは決して揺るがないけれど、レーアを貶す他者からの心ない言葉に対し、釈然としない気持ちを抱き続けてきた。


 けれど、そんな悩みをラースが払ってくれた。

 

 アリアはそこでふと、窓から街の様子を眺める。

 ラースも言っていた。

 この光景こそが、レーアの守った証だと。



 アリアはもう、悩むのはやめた。

 母の事を信じようと、いつまでもレーアに誇れる自分で居ようと、改めて決意した。



 悩みを払ってくれた人物を想い、アリアはまた彼の事を考えてしまう。


(次はいつ、会えるでしょうか…………?)


 そんな思考をした刹那、思い止まる。

 つい数日前にも会ったばかりだ。

 これではまるで、会いたい気持ちを抑えられない程、ラースの事を想っているようだと、アリアは一人羞恥に悶えた。


 そこで彼女は、ふと服のポケットに手を入れる。

 そして中に入っている物を取り出した。


 ラースからの贈り物である栞。

 アリアは彼女にしては珍しく、幸せそうな微笑でその栞を見つめる。


 今はラースとは離れ離れではあるけれど、こうして近くで感じる事は出来る。

 この栞はアリアにとって大切な物となった。

 

 というより、初めは大切に扱い過ぎて、逆に使う事が出来ず、実際に使うのは今日が初めてという、某侍女メイドのような真似をしていた。



 何はともあれ、栞を使うためにも早く読書をしようと、アリアは自室への足取りを早める。

 そして、道中にある父ユリアンの執務室の前を、何気なく通ろうとした、その時だった。



「…………………ッッ!?」


 

 アリアは聞こえてきた父の言葉に、驚愕と共にその足を止める。

 その内容を呆然とした思考で理解した瞬間、思わず抱えていた本を落としてしまう。


 平時の彼女ならば、あり得ない失態。

 けれど、大切な本を落としてしまった事も、今の彼女には気に留める余裕が無かった。

 


 そんな中、婚約者の少年から贈られた栞だけは、今尚アリアの手に辛うじて握られていた。







 再び、ほんの少しだけ時刻は遡る。

 同じく、ローレス男爵家の屋敷にて。


 当主ユリアン・ローレスは自身の執務室で、一人政務に勤しんでいた。

 そんな折に、ドンドンという荒いノックと共に、一人の人物が入室する。

 

 その男性はローレス家の家令であり、ユリアンにとっては側近のような存在だった。

 そんな家令の突然の入室に、ユリアンは驚き目を丸くする。


 けれど、その家令は明らかに慌てていて、様子がおかしい事が見てとれた。


「一体どうしたんだい?そんなに慌てて……」


「ユリアン様、非常に重要なお知らせがございます。ですが、どうか。………どうか心を鎮めてお聞き下さい」


 家令の並々ならぬ物言いに、流石にユリアンもそれ程の事態が起こったのだと察する。

 そして、一呼吸置いた後に尋ねる。


「…………分かった。聞かせてくれ」


「少し前に、此処ロストよりまだ距離のある森に探索に出ていた冒険者が居たそうです。そして、その冒険者の証言を基に、冒険者ギルドから通達が入りました。…………その森には夥しい数の魔物が発生しており、魔物達は一つの方角を目指して進行している。………その先はこの街であり、ロストにて大魔侵攻パレードが起こる可能性が高いと」


「………なっ!?」


 家令の言葉に覚悟をしていても尚、ユリアンは計り知れない衝撃を覚えた。

 この街に大魔侵攻パレードの起こる可能性が高いとなれば、耳を疑うのも当然だった。


「………………それは、本当なのかい?」


「複数の冒険者が同一の報告をしているようですので、………事実とみなす他無いかと」


 せめてもの思いと、ユリアンは今一度事実確認をするが、返って来るのは非情な現実だった。


「………なんという事だっ。何故こうも、我が領都ばかりが……………」


 思わず、ユリアンはそう声を漏らす。

 天を仰ぎたい程の思いだった。

 

 しかし、それも仕方ないだろう。

 つい10年前にも、ロストは大魔侵攻パレードの被害に遭っている。

 その時には街の半分近くまで被害が及んだ。

 

 ここにきて、再びの大魔侵攻パレード

 嘆く方が無理だという話だ。


 

 元々、ロスト周辺の森といった魔物の発生地の調査は、ユリアンがギルドへと委託した事だった。

 10年前、対応が遅れてしまった事の戒めとその後の対策として、騎士も登用した上で、冒険者にも異変が無いかを依頼として調べて貰っていた。



 そして、今になってその対策が生きた。

 そんな事など望んでいなかったけれど、言い換えれば早期発見が出来たとも取れる。


 前回の二の舞を踏む訳にはいかない。

 ユリアンは嘆き暮れたい気持ちを押し殺し、末端とはいえ貴族家当主としての意地を見せた。


「ッッ、あの悲劇を繰り返す訳にはいかない。直ぐに行動を起こす!まずは住民の避難が先決だ。………魔物達はどの程度の時間で、街まで辿り着く?」


「冒険者達の推測ですと、早くとも明朝のようです。………ただ、その規模は10年前を遥かに超える程だと」


「ッッ…………それでは、都市外への避難を検討しなければならないか」


 家令の告げる追い討ちのような悪報に対しても、ユリアンは強靭な精神で耐えた。

 そして、直ぐに思考を纏める。


「騎士や兵士、屋敷の人間も総動員して住民の避難を誘導する。だが、都市内部に限ってだ。都市外にも同行する者は厳選する」


 全ての人間を都市外へと付き添わせては、肝心の大魔侵攻パレードを迎え撃つ戦力が無くなる。

 街道は安全が保たれているとはいえ、住民達だけで移動させる訳にもいかないため、慎重な判断が必要不可欠だった。


「付近の村や町に住民の避難を請う。幼子や老人、病人など、移動が難しい者については屋敷への避難を。ギルドへと連絡を入れ、冒険者達の協力も仰いでくれ」


「承知致しました」


 ユリアンの的確な指示に、家令は粛々と従う。

 そのまま部屋を出て行動を開始しようとした家令だったが、ユリアンの最後の指示に足を止める。


「………それと、通信魔導具にてフェルディア家への救援要請を」


「!!………しかし、宜しいのですか?10年前にもフェルディア家へと救援を要請し、既に大恩があるというのに」


「…………………ッッ」


 家令の返答に、ユリアンは顔を歪める。

 その言葉は、至極正論だった。


 10年前の時点で、フェルディア家には助けられている。

 ここにきて再び救援を求めるとなれば、本当に返しきれない程の借りが出来る。


 貴族家としての体裁などあったものでは無い。

 ユリアンとしても断腸の思いだった。

 

 けれど、そんな事を言っていられる状況では無い。

 現在進行形で、この街は災禍に飲まれようとしている。

 10年前の悲劇を乗り越え立ち直った街が、今度こそ無惨に破壊されるかもしれない。


 それでは亡き妻の、レーアの遺したものはなんだったというのか。

 その後の事など、今は考えるべきでは無い。

 真に想うは、街の生死。

 それが領主としての勤めだと。


 だから、ユリアンは決然と告げた。


「全て承知の上だ。それでもっ、第一に考えるべきは、この街だ!終わった後の事など、その時に考える!まずは街を守る事に全力を懸けるんだ!!」


「ッッ…………承知致しました」


 ユリアンの意志を悟り、家令は今度こそ行動を開始する。

 足早に執務室を出ていった家令の後ろ姿を見ていたユリアンは、そこで思わず呟く。


「しかし、大魔侵攻パレードの再来とは。救援を要請するフェルディア家にも、申し訳が立たないな……………」


 仕方ない事ではあるし、街を守るために助けを求めるしか無いが、危険な戦地へと向かわせてしまう事を申し訳無く思うユリアン。

 それでも人格者であるライルなら、きっと要請に応えてくれるはずだと意識を切り替える。


 嘆いている暇は無いし、自らも行動しなければと、そう思った時だった。



 ゴトッと、何かが落ちた音がした。



 部屋の外から聞こえた音に反応した、すぐ後。



「…………お父様。先程、大魔侵攻パレードと仰っていましたが。……聞き違い、でしょうか?」


「ッッ……………アリア」


 

 ユリアンの視界に現れたのは、愛娘であるアリアの姿だった。

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