第89話 横顔

「……………気分は落ち着きましたか?」

 

「は、はい。見苦しい姿をお見せしました」

 

 レーアに関する話も一段落着き、アリアも落ち着きを取り戻したようだった。

 まあ泣いていたといっても、ほんの少しだけではあったが。


 とはいえ、アリアからしたら人前で涙を流した事を気にしているのか、恥ずかしそうに頬を朱に染めていた。

 それでも何処か晴れやかな表情をしている事は読み取れ、俺も嬉しい思いだ。


「あの、ラース様。長々と話を聞いて頂き、ありがとうございます。それに、私の問い掛けにも答えて下さって…………」

 

「いえ。先程も申しましたが、そもそも私から聞いた事ですので。それと、私の言葉などでアリア様のお役に立てたのなら、とても嬉しく思います」

 

 気負わせないよう笑顔を意識しつつ、そう告げる。      

 すると、アリアは驚いたように目を見開いた後に、どうしてか顔を伏せてしまった。


「………如何しましたか、アリア様?」


「な、何でもありませんっ」


 声を上擦らせ、そう答えるアリア。

 やはり、まだ気分が落ち着き切ってはいないのだろうか。


 アリアは、すーはーと浅く深呼吸を繰り返し、やがて顔を上げる。

 それでも俺と目が合うと、一度顔を逸らされてしまったが。


「も、もう大丈夫です。ご迷惑をお掛けしました」


「いえ、なら良いのですが………」


 迷惑などでは全く無いので、謝る必要はない。

 疑問には思ったが、アリアが大丈夫だと言っているのだから、詮索するのも良くないだろう。


 という訳で、話題を切り替える。


「それで、一応今も散策の途中ではありますが、この後は如何致しましょうか?」


 そう、レーアの話などですっかり空気が変わってしまったが、今は散策の途中である。

 別にすぐに行動する必要は無いのだが、あまり長々と此処に居ても、本当に日が暮れてしまう。

 せめてこれからどうするのかだけでも決めようと、アリアに問い掛けると、


「そうですね…………」


 俺の質問に、アリアは思案する表情を見せる。

 とはいえ、これまでの時間で案内する場所には全て行ってしまったため、もう訪れる場所は無いかと俺は思っていた。


 しかし、アリアの様子にはそういう訳では無さそうな雰囲気があった。

 そして、数秒思考した後にアリアが告げる。


「………一箇所だけ、御案内したい場所があります。そちらに向かっても宜しいでしょうか?」


 真面目な顔つきで、そう問うてくるアリア。

 どうやらアリアの言う場所というのは、ただの観光エリアなどでは無さそうだ。

 

 どんな場所なのかは気になるが、そこはいずれ分かる事だろう。

 アリアへの答えは、当然決まっている。


「ええ、勿論です。それでは、行きましょうか」


 そんな言葉を返し、アリアの思う場所を目指して、再びロストの街を歩き始めるのだった。






 アリアの案内の元辿り着いたのは、街の西部だった。

 街中という訳では無く、本当に端の辺りだろう。

 都市外に出るための西門もすぐ近くにある。


 もしかすると街を出るのだろうかとも思ったが、流石にそんな事は無かった。

 とはいえ、何処に向かっているのだろうと疑問に思っていると、ふいにアリアが口を開く。


「到着しました。此方です」


「これは……………」


 アリアの示す先、というより俺達の目の前にあるのは、一基の塔だった。

 特に何か特徴がある訳でも無い、無骨な見た目の一本の塔。

 その用途としては、所謂物見台のような物だろうか。


「警備のため、都市の外側を見渡す事の出来る塔なのですが、………私にとっては少し特別な場所でもあるのです」

 

 塔の解説をしつつ、そんな事を告げるアリア。

 この塔が特別な場所、というのに思い至る事は特に無いが。


「一先ず登りたいと思うのですが、宜しいでしょうか?」


「ええ。それは勿論、構いませんが………」


 詳しい話は塔の上でするつもりなのか、取り敢えず登ろうと提案するアリア。

 無論断るつもりなど無いが、中々に予想外の場所だったため、少し驚いてしまう。

 まあ一先ずは、アリアの提案通りにしよう。

 

 元々塔に居た警備の兵士にアリアが事情を説明すると、意外にもあっさりと承諾を得られた。

 その事を少し不思議に思いつつも、アリアと二人塔の上部へと登る。


 そして最上部へと辿り着いた先では、何とも見晴らしの良い光景が広がっていた。

 結構な高さの塔のため、街を広く見渡せる程だ。


「良い景色ですね」


「はい。私は、此処から見える景色が好きです」


 先程特別な場所だと言っていた事からも分かる通り、何か雰囲気の違うアリア。

 そして、一頻り街の様子を眺めた後にゆっくりと口を開く。


「………此処は、お母様が御存命の折に、よく連れてきて頂いた場所なのです」


「レーア様が………。そうなんですね」


 母であるレーアとよく来た場所というなら、それだけで特別な場所という事も伺える。


「………お母様は、このロストを愛していましたから。街並みを見渡す事の出来るこの塔に、よく足を運んでいたそうです。そして、私もよく一緒に連れてきて貰いました」


 その話を聞けば、先程兵士がすんなりと承諾した事も納得出来る。

 つまり、アリアにとって此処は馴染みの場所なのだろう。


「街の様子を広く見渡せるこの塔からの景色が、私もお母様も大好きでした。………何の変哲も無い、無骨な塔ですが。私にとっては思い出の場所で、お母様との繋がりを感じられる、掛け替えの無いものです」


 このロストという街を愛したレーアだからこそ、街並みを見渡す事の出来る此処からの景色を、とても気に入っていたんだろう。

 そして、早くに失った母との思い出の残るこの塔は、アリアにとっても大切な物のようだ。


「お母様はいつもお忍びで来ていましたから。この事を知っているのは、その時に居た兵士の方々のみです。…………今はご存じですが、当時はお父様すら知らなかった、お母様との秘密の場所です」


「……………!」


 そんなアリアの言葉に驚きを覚える。

 レーアが亡くなった後は流石にユリアンにも伝えたのだと思うが、それまでは父親すら知らなかった場所だと言う。

 というより、今でもユリアン以外は知らない事なのだと思う。


 だというのに、


「…………そのような大切な場所を、私が教えて頂いて宜しいのですか?」

 

 そんな感情が芽生える。

 俺なんかが連れてきて貰って良い場所なのだろうかと。


 疑問を抱きつつアリアに問うと、当の彼女は少し恥ずかしそうに瞳を揺らし、告げる。

 

「誰彼構わず教える訳ではありません。………その、貴方だから、………です」

 

 分かって下さい、と言わんばかりに少しの不満を滲ませるアリア。

 

 どうやら無粋な質問だったようだ。

 そう思って貰える程に、アリアからの信頼を得られているのなら、本当に嬉しく思う。


「申し訳ありません。………それと、ありがとうございます」

 

 謝罪と共に感謝を伝えると、アリアは「いえ」と短く返す。

 アリアにこの場所を教えて貰えたという事実は、俺にとって凄く光栄な事だ。


 

 そして暫く、会話を交わす事もせず、アリアと二人塔からの景色を眺める。

 夕暮れに照らされるロストの街並みは、本当に綺麗だと感じる。

 

 レーアとアリアの愛した、この景色。

 俺も同じ景色を見る事が出来ていると思えば、より一層繋がりが感じられる思いだ。


 

 と、そんな風に思いを馳せていると、それまで静かだったアリアが唐突に告げる。


「………『立場なんて関係ない。誰かの為、何かの為。大切なものの為に、自分に出来る事を為すだけだ』」

 

 歌うように、そんな言葉を紡ぐアリア。

 とても良い言葉だとは思うが、突然言い出した事に少し驚いてしまう。

 どうしたのだろうと思っていると、俺の疑問に答えるように、アリアが告げる。

 

「………お母様が度々口にしていた言葉です。大魔侵攻パレードの際も、引き留めるお父様達を前に決然と言い放ったそうです」


「………………真っ直ぐで、良い言葉ですね」


 レーアの言葉だというなら、自然と納得が出来る。

 人々のために命を賭した彼女らしい、慈愛や正義に満ちた、とても真っ直ぐな言葉だ。


 アリアは俺の言葉に同意しつつ、自らの心情を端然と告げる。



「はい。本当に、素晴らしい言葉だと思います。お母様の在り方を示すような。………………私は、そんなお母様を尊敬しています。お母様のようになりたい。お母様に誇れる自分で在りたい。そう、思います」



 

 

 それは、………儚くも、美しい横顔だった。

 

 母を喪い、それでも尚想いは色褪せず、今も亡き彼女に誇れる自分で在ろうと生きている。

 喪失も哀哭も乗り越えて、少女は前に進む事を望んでいる。


 凄いと思った。

 強いと思った。

 けれど、そんな感情も塗り潰すように、いっそ場違いな程に。


 その横顔が、美しいと思った。



 そして、一陣の風が吹く。

 アリアの絹のような白銀のセミロングが、さらりと揺れる。

 沈み始めていた夕日が煌めき、眼下の街並みを艶やかに彩る。


 それでも尚、俺はただその横顔に目を奪われていた。

 儚くも美しい微笑の浮かぶ横顔は、アリアの在り方すら映したように、酷く綺麗だった。




 根拠なんてあるのか分からない。

 本当に、ただ思っただけだ。


 それでも…………。

 これからはもう、この顔を曇らせたくは無いと、俺はふと思った。

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