第88話 この光景が

 少し歩いた先に、大きめの公園があった。

 そこのベンチに腰掛け、ゆっくりと話が出来るようにする。

 アリアの座るスペースにハンカチを敷き、綺麗な服が汚れないようにして、先に座っていて貰う。


 俺はというと、近くにあった露店で二人分の果実水を購入していた。

 長い話になりそうだし、何か飲み物があった方が気分も落ち着くかなと思った。


「どうぞ、アリア様」


「ありがとうございます」


 アリアに果実水を手渡し、俺も隣へ腰掛ける。

 これで準備は整った訳だが、アリアは何から話すか悩んでいるのか、まだ話す事が躊躇われるのか、憂わしげな表情を浮かべていた。


「…………ゆっくりでも、順序だった話で無くとも構いませんよ。アリア様の思うままに話して下さい。聞かせて頂けるだけで、私は嬉しいですから」


「……ラース様。……ありがとうございます」


 どれだけ時間が掛かろうと、支離滅裂な内容だったとしても問題無い。

 アリアの母親の事を、そしてアリアの事をもっと知れるのなら何だって良い。

 

 俺の言葉を受け、アリアは安心したように表情を和らげた後に、それでも数秒の間を置く。

 けれど、やがて静かに口を開いた。


「………お母様と共に居られた時間は、幼少の折の本当に短い間でした。それでも、その間の日々の記憶は今も鮮明に残っています。……私はお母様の事が大好きですし、尊敬しています。お母様のようになりたい、と強く思っています」


 そんな風にぽつぽつと語り出すアリア。

 まずは自身の母に対する思いを、純粋に吐露していた。


「お母様は普段はとても優しくて、穏やかな人でした。けれど、芯があるというのでしょうか。いざという時には、とても固い意志があって、とても真っ直ぐな人柄をしていました」


 ここまではまだ普通の話に聞こえる。

 けれど、アリアの母親が既に亡くなっている事など分かり切っている。

 ならば、これからの話はきっと彼女にとって辛い話になるだろう事は想像に難くない。


「だからこそ、なのでしょう。そんな真っ直ぐなお母様だからこそ、この街のために、………命を落としてしまったんです」

 

 

 そして語られる10年前の悲劇。

 既に俺も知っている、ロストへの大規模な魔物の侵攻。

 アリアの母がその時に命を落とした事は知っているし、この話になる事は分かっていた。


 

 この世界で稀に起こる大規模な魔物の侵攻。

 魔物の異常発生に伴う、都市規模で起こるその現象。

 

 通称、〈大魔侵攻パレード〉。

 

 そうそう起こる事では無い。

 数十年に一度あるかどうかというレベルだ。

 けれど、悲運な事に10年前にこのロストが大魔侵攻パレードの餌食となってしまった。


 先にも語った通り、その時にロストへ救援に向かったのがフェルディア伯爵領である。

 けれど、被害を抑える事は出来なかった。

 滅多に起こる事の無い大魔侵攻パレードという脅威に、対応の遅れてしまったロストの戦力だけでは抑え込む事も出来ず、被害は街の半分近くまで及んだと言う。


 それでもフェルドの戦力も合わさり、結果的には鎮圧する事は出来た。

 けれど、当然ハッピーエンドとはならない。

 街の損害は激しく、家屋や露店など、その多くが無惨にも破壊された。


 街は惨憺たる有様だったと言っていい。

 実際に見た訳では無いので想像でしか推し測れないが、きっと目を覆いたくなるような光景だったのだろう。



 しかし、悲劇だったばかりでは無い。

 失われた物は多かったけれど、失っていない者も確かにあった。

 

 大魔侵攻パレードによる損害。

 その目立った物的被害に比べ、人的被害は極端に少なかった。

 街に暮らす多くの人々が、惨劇の中被害に遭わずに済んだのだ。

 

 そんな奇跡とも呼べる結果の最も大きな要因として挙げられるのが、アリアの母親である。

 

 

 ローレス家現当主ユリアン・ローレスの奥方であり、アリアの母親、レーア・ローレス。

 彼女の行動がロストの人々を救ったのだ。


 レーアはその美しさや民思いの人柄から、街中から慕われていた。

 ロスト内に彼女を厭う者など居らず、誰からも好かれた存在だった。


 そして、そんなレーアだからこそ出来た事が、大魔侵攻パレードの最中にはあった。


 

 大魔侵攻パレードの予兆を発見し、それに備えるべく行動しなければいけなかったローレス男爵家ではあるが、その希少性から対応が遅れてしまった。

 住民の避難誘導も完全には行えていない現状で、魔物が街へと侵入してしまった。


 民衆はパニックに陥った。

 安全な都市中心部へと逃げようと行動するが、大勢が動くためスムーズにはいかなかった。

 このままでは、いずれ民衆にも被害が及ぶ。


 そう考えたレーアは、自ら避難誘導を買って出た。

 騎士や兵士、冒険者達が魔物の相手をしているとはいえ、死地と隣り合わせの前線へと赴き、住民の避難を行うべく動いた。


 そして、その行動は絶大な意味を持った。

 パニックに陥っていた住民だったが、広く慕われているレーアが声を張り上げた事で落ち着きを取り戻した。

 打って変わったように人々は冷静となり、避難はとてもスムーズに進められた。



 レーアは分かっていたのだ。

 自らが危険を伴う事で、人々を救えると。

 自分が声を上げれば、大勢を助ける事が出来ると。



 住民の避難が粗方終えても尚、レーアは最後まで前線に残った。

 逃げ遅れた者が一人でも居ないかと、誰よりも後ろに居た。



 結果、流れてきた魔物により命を落とした。


 

 以上が、レーア・ローレスの功績だ。

 彼女の行動によって、多くの民衆が救われた。

 結果的に自らが命を落としたとはいえ、その事実だけは決して変わらない。

 



「お母様は、誰よりもこの街を想っていました。危険なんて事は分かり切っていて、それでも愛するこの街のために、自分に出来る最善を尽くしていたのです」


 ラースの記憶だけでは、レーアが亡くなった背景までは詳しく知らなかった。

 アリアの語った内容を聞けば、彼女が母親を深く敬愛している事は頷ける。


 レーアの行動は合理的だ。

 愛される彼女の言葉なら、住民達の避難をスムーズに行う事は確かに可能だ。

 

 けれど、だからといって実際に行動出来るかは別だろう。

 すぐ傍には魔物が居て、自分の身が危険に晒されると分かっていながら、戦地に身を置く事の出来る人間がどれ程居るだろうか。


 アリアの言葉の意味がよく分かる。

 本当に、芯のある真っ直ぐな人だ。



「私は早くに避難してしまったため知らなかったのですが、お父様を始め、身近な人達はお母様の事を止めたそうです。危険過ぎる、お母様がそこまでする必要は無いと」


 それも当然の事だろう。

 レーアにとっては自分が動けば人々を救えると分かった上での行動ではあるが、周りの人間にとってはレーアの命だって大事だ。

 街とレーア、天秤に掛ける事など出来ずとも、両方が大切だったのだろう。


「それでもお母様は行きました。自分にも出来る事があると。この街を、人々を救いたいと。………本当に、一度決めたら真っ直ぐな方で困ってしまいます。………けれど、私はそんなお母様を誇りに思っています」


 母を想い、悲しげな微笑を浮かべるアリア。

 制止を振り切り、行動を起こしたレーアはどこまでも真っ直ぐで、周りからしたら確かに困ってしまうだろう。



 すると、ぎこちない微笑を浮かべていたアリアだったが、突然その顔を憂慮に歪める。

 そして、これまでとは異なる雰囲気を放ちながら、続きを語る。


「ですが、そんなお母様の事を讃える人ばかりではありませんでした。特に貴族達の間では、お母様の行動を愚かだったと口にする方も、少なからず存在するのです」


 アリアは自身の感情を抑えるように、そう静かに告げる。

 しかし、レーアの行動が愚かだったと言う人が居るとは驚いた。


 けれど、確かによく考えれば、その理由も見当が付くのかもしれない。


「貴族という立場なのだから、守られる事を自覚するべきだ。戦う術を持っていないのだから、大人しく安全地帯に居るべきだった。平民を救い、自分が命を落とすなんて貴族としての矜持が無い。……そんな声が向けられました」


 その人達の言う貴族の矜持なんて物は理解出来ないけれど、全てが的外れかと言われれば、そうでは無いのかもしれない。

 守られる立場であった、力が無いのなら安全な場所に居るべきだった。

 

 そんな言葉は、ある種正論なのかもしれない。



「私は、………悔しかった。立派な行いをしたお母様が、そんな風に罵られる事が。お母様の決断と勇気が、否定される事がっ」


 普段は見せない、感情を荒げるアリア。

 その貴族達の言葉が正論を含む事を理解しているからこそ、尚更なのだろう。


 拳をキュッと握りしめ、顔を伏せるアリア。

 感情のままに貴族達を否定しないだけでも、十分に理性的だろう。

 それでも、溢れ出る気持ちを止める事は出来ないのだと思う。



「お母様は、間違っていたのですか………!?お母様の行動は、無駄だったのですか……!?罵られなければならないような、愚かな行いだったのですか!?」


 声を荒げ、そう問うてくるアリア。

 答えを期待しての問いかどうかは分からないけれど、何か言葉を返したいと思う。


 けれど、難しい問いである事は分かり切っている。

 正解なんてあるのかも定かでは無いし、俺なんかが口を挟んで良い問題なのかも分からない。



 それでも、今のアリアを見ていれば、何か告げたいと自然と思える。

 沈黙なんて有り得ない。

 正解で無かったとしても、気休めにしかならないとしても、この顔のままで居させる事だけは違うと胸を張って言える。


 だから。



「………確かに、愚かだったのかもしれません。正しい行いだったのかは、私にも分かりません」


「…………ッッ」


 俺がレーアを否定するような発言をしたからか、更に顔を悲しげに歪めるアリア。


 その事を酷く申し訳なく思う。

 けれど、適当な事は言えない。

 正解が何だったかなんて、俺にも分からないのだから。


 けれど、それでも……………。



「それでも、………間違いでは無かったと私は思います。無駄なんかでは無かったと、そう思います」


「……………!」


 正解なんて、分からない。

 それでも、誰よりもこの街を想い行動したレーアを間違いだったなどとは思えない。

 無駄なんて事はあり得ない。



 けれど、言葉だけでは何の説得力も無いだろう。

 純粋な俺の感情を伝えた訳だが、それだけでは足りない。

 レーアの行動の意味は、今尚確かに在る。



「………顔を上げて下さい、アリア様」


「……………?」


 俺の言葉を疑問に思いながらも、素直に顔を上げるアリア。

 その目に映る光景は、見慣れた街の様子だろう。

 


 公園の中では、遊んでいる子供達が居る。

 その近くには、子供達を微笑ましく見守る親達が居る。


 少し遠くに目を遣れば、通りを歩く多くの人が視認出来る。

 笑い合って歩く家族が居れば、仲睦まじそうに歩く恋人も居る。

 露店を営む店主達には活気が満ちており、今も客を捕まえようと笑顔で声を上げている。


 

 そんな見慣れた、当たり前の光景。

 けれど、当たり前を当たり前として享受出来る事にも理由がある。

 そんな当たり前を、守った存在が居る。



「10年前、この街は大きな被害を受けました。復興する事も、決して容易くは無かったと思います。それでもこうして立て直った要因は、街に暮らす人々が失われなかったからだと思います。そして、今ではこんな平和な光景が当たり前のものとして見られています」

 

 どれだけ街が壊されようと、人々さえ無事なら立て直す事が出来る。

 簡単な事では無いけれど、暮らす人まで失ってしまえば、本当に街は終わりだ。

 だからこそ、住民が救われた事は、街が救われた事と同義と言って良い。


 だからこそ…………。



「………だからこそ、間違いなんかではありません。無駄なんて事はあり得ません。…………きっとこの光景こそが、レーア様の守ったものですから」



「……………ッッ!!」

 


 きっと、レーアもそう考えたのだと思う。

 人々の命さえ守る事が出来れば、この街は死なないのだと。 

 既に破壊の限りを尽くされてはいるけれど、本当の意味で街を守る事が出来るのだと。



「完璧で、正しい行動だったのかは、やはり分かりません。ですが、目に見える結果として、この街は救われています。ならきっと、間違いではありません。レーア様の決断と勇気は、意味あるものだったのだと、そう思います」

 

 

 その部分に関してだけは、簡単な事だと思う。

 結果論に過ぎずとも、この光景が間違いだったなどと、誰に言えるだろうか。

 いや、そんな事は誰にも言わせはしない。

 残された、救われた者達がそう信じる限り。



「だから、アリア様も信じてあげて下さい。愛娘に慕われているとなれば、きっとレーア様も誇らしいと思いますから」


「……………ッッ。………ぁ」


  

 何か大切な事に気付いたように、小さく声を漏らすアリア。

 俺の言葉で、少しでも彼女の心が軽くなれば良いのだが。


 そして、当のアリアが俺の言葉を受け、どう感じただろうかと思っていると、彼女が口を開く。




「……………あ、貴方に言われずとも、そのくらい分かっていますっ」



「………………」



 思わず、目を見開く。

 俺なりに感情を込めて語ったつもりだったが、どうやら一蹴されてしまったようだ。


 それでも、この話をする前より明るい顔になったのなら良かったかな。

 と、そんな事を思っていると。



「………ですが、その、………本当に、本当に嬉しいです。…………ありがとう、ございます」


 

 そんなアリアの言葉に苦笑する。


 まあ、先の言葉が照れ隠しだという事は分かり切っていた。

 それまで決して見せなかった涙を、俺の言葉を聞いて流していたのだから。


 その涙が悲しみによるものでは無く、嬉し涙だった事は流石に分かった。

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