第82話 出立前
俺がローレス家へと伺う事が決まった後。
フェルディア家でのアリアの滞在は、前回と似た一日となった。
基本は本館の書庫にて読書をしており、会話も時折挟みつつ、二人の時間を楽しんだ。
夕食や入浴も前回同様行い、就寝前にも書庫へと籠っていた。
そして翌日。
朝食を取った後に、アリアと話をしていれば時刻は昼前となり、フェルディア家を出立する時間となった。
現在は離れにて出立の準備をしており、アリアはアリアで支度をしている。
とはいえ、準備は前もってしていたので、然程時間も掛からずに終了した。
現在はアンナと別れの挨拶をしている所だ。
「レイトさん、お気を付けて行ってきて下さいね」
「ああ、ありがとう」
アンナからの言葉に応える。
やや不安そうな表情なのは、俺の正体を知っているが故に、他貴族の領地へ行くことを心配してくれているのだろう。
「アンナも、数日間離れを空ける事になってしまってごめん」
「いえ。寂しい気持ちもありますけど、お気になさらないで下さい。此方の事は気にせず、ローレス家への訪問を頑張って下さい」
事前に話していたとはいえ、数日間アンナ一人にさせてしまう事を申し訳無く思う。
アンナも同行出来たら良かったのだが、専属とはいえ一介のメイドを連れていく事は、流石に難しいだろう。
唯でさえ、急な訪問なのだから人数は最小限に絞った方が良い。
それに馬車に同乗出来る人数は限られるし、行き来の行程を考えると、尚更だ。
「…………ありがとう、分かった」
申し訳無い気持ちも強いとはいえ、アンナがこう言ってくれているのだから切り替えよう。
アンナの事は信じられるし、確かに初めて他領へと行く自分の事も考えなければならない。
「…………でも、なるべく早く帰ってきて下さいね」
すると、そんな思考をしていると、ふいにアンナが両の指を突き合わせ、目を逸らしつつ告げる。
その頬にはやや赤みが差しており、先程気にしないで良いと言ったからか、覆すような発言をする事を恥ずかしく思っているのだろうか。
そんな姿を可愛らしいと思うと同時に、心底嬉しいと感じる。
帰ってくる場所があり、そこで待ってくれる人も帰りを望んでくれている。
その事実が、ただただ嬉しかった。
「ああ。出来る限り早く帰ってくる事を約束するよ」
はっきりとそう告げると、アンナは安心したように微笑んでくれる。
「では、アリア様達をお待たせさせてしまってはいけませんし、そろそろ行きましょうか。門の近くまでお見送りします」
「そうだね。じゃあ、行こうか」
そんな会話を皮切りに、離れを出てアリア達の馬車がある門まで向かう。
数分と無い短い時間だったが、アンナと別れる最後の時間を楽しんだ。
ただその道中で、
「(それと、あ、あんまりアリア様とイチャイチャしたらダメ)………や、やっぱり何でも無いです!!」
「……………?」
という謎のやり取りがあった。
前半は声が小さ過ぎて全く聞き取れなかったが、何を言っていたんだろうか。
とはいえ、アンナ自身が何でも無いと言っているし、アリア達を待たせてもいけないため、会話はそこで打ち切りとなった。
こうして出立前のアンナとの別れは、平穏(?)に終わるのだった。
アンナと別れて直ぐに、馬車のある門の元へと到着する。
既にアリア達は揃っており、どうやら待たせてしまったようだ。
「申し訳ありません。お待たせしました」
罪悪感を滲ませつつ、直ぐに謝罪する。
とはいえ、アリアは気にした素振りを見せずに、鷹揚に首を振った。
「いえ、私達も丁度準備が整った所ですので」
「ありがとうごさいます。此方も準備は整っているので、何時でも出立出来ます」
寛大なアリアに感謝しつつ、言葉を交わす。
すると、そこで何故かアリアが何処か遠くの方を見ている事に気付く。
方角としては、離れの辺りだろうか。
そんな様子を不思議に思っていると、ふいにアリアが口を開く。
「先程一緒に居た方は、ラース様の侍女のアンナさん、ですよね?」
「?………ええ、その通りです」
唐突な質問に疑問を抱きつつも、取り敢えずアリアに肯定を返す。
門に着く前に別れたとはいえ、遠目に俺達の姿が見えたのだろう。
「……………随分と、親しそうでしたね」
と、そこでアリアが何処かもの言いたげな目で、そう告げてくる。
その眼差しはいつも以上に冷ややかなもので、何故か背筋がひやりとする感覚がある。
「……ええ、幼い頃から仕えてくれているので。侍女として御世話にもなっていますから」
「………侍女として、ですか。そうですか、そういう事なら理解出来ますね」
「?…………ええ」
よく分からないやり取りだったが、アリアは納得したようで、そこで会話は打ち切りとなる。
ローレス家への行程もあるため、あまり長々と雑談をしている訳にもいかないだろう。
「ラース様。道中についてなのですが、私達が乗ってきた馬車にラース様も同乗されるという事で宜しいでしょうか?」
「ええ。そうして頂けると、助かります」
行きは元々アリア達が乗ってきた馬車に俺も乗せてもらい、ローレス家へと向かう。
もう一台馬車を増やした所で邪魔になるだけだし、俺が加わるのみなので問題無いだろう。
御世話になる身としては申し訳無いが。
ちなみにフェルディア家への帰路に関しては、当然アリア達とは別れるため、馬車は使えない。
とはいえ、そこは俺が乗るための馬を一頭余分に連れていけば良いだけの話だ。
俺としては行きも馬車で無くとも良いのだが、流石に身分的にそんな真似はさせられないだろう。
また俺以外にもフェルディア家から数名の騎士がローレス家への訪問に同行する。
単純に護衛としての側面もあり、帰りに俺一人にならないためだ。
と、そこでアリアが問い掛けてくる。
「私達が乗ってきた馬車にラース様も同乗されるのは全く問題無いのですが、その場合私の専属侍女も同乗する事になるのですが、宜しいでしょうか?」
「ええ、無論です。此方が御世話になるのですから、気になさらないで下さい」
アリア達がフェルディア家に訪れる際に侍女の方も乗っていたのだから、当然だろう。
俺が乗るからといって、追い出す事など出来るはずも無い。
すると、その侍女の方が話し掛けてくる。
「ラース様、私などが同乗させて頂き申し訳ありません。寛大な御心に感謝致します」
「いえ、急な予定を立てたのは此方ですから」
恭しく頭を下げる侍女に言葉を返す。
フェルディア家の人々とは大分気安い関係を築けているので、こういう明らかな貴族扱いは久し振りに感じる。
と、それはともかく。
傍で待機していたローレス家の騎士や馬車の御者にも挨拶をする。
「皆さんも急な予定で御迷惑をお掛けしますが、道中宜しくお願いします」
「「「はっ!」」」
大仰に礼をする騎士達。
そんな彼らに内心苦笑するが、相手が伯爵令息ではこの対応が当たり前なのだろう。
「挨拶も済んだようですし、そろそろ出発致しましょうか」
「ええ、そうですね」
アリアからの言葉に返答し、その場の人間が各々の持ち場につく。
後は俺達が馬車に乗り込むだけとなった。
と、そこでふと転生してから初めてアリアと会った時の事を思い出す。
馬車から降りて来るアリアに手を貸そうかと思ったが、その時の関係性を考えて、迷惑になるだけだろうと思い留まっていた。
しかし現在ではアリアとの仲も大分改善されているし、迷惑とまでは思われないだろうか。
馬車の乗車口は段差になっていて高低があるし、そこまで高くは無いとはいえ、アリアはヒールを履いているので少し危険だ。
婚約者という立場を踏まえても、エスコート位はした方が良いのだろう。
という訳で、先に馬車へと乗り込みアリアへと手を差し出す。
「アリア様。高低差がありますので、御手を」
「えっ」
そんな俺の行動に対し、驚いた様子のアリア。
差し出された手をまじまじと見つめ、動きが停止している。
不快に思われてしまっただろうかと不安にもなったが、そういう訳では無さそうだった。
ほんのりと頬を染めながら、ぎこちない動作で俺の手を取るアリア。
「…………その、ありがとうごさいます」
「いえ。差し出がましいとも思ったのですが、転んでしまってはいけませんから」
婚約者であるラースとの仲すら悪かったからか、異性との触れ合いに慣れていないのだろうか。
手を握るだけで顔を赤くしているアリアの様子を可愛らしく思う。
とはいえ、慣れていない事が災いしてしまった。
緊張で動きが硬くなってしまったのであろうアリアが、段差に躓きバランスを崩す。
「きゃっ」
「………おっと」
手を握っていた事が功を奏し、すぐさま腕でアリアの身体を支える。
軽く躓いただけだったので、転ぶ事も無く対処が出来たのでほっとする。
「お怪我はありませんか?」
「はい、ありがとうござ、………ッッ!?」
アリアに怪我が無い事に安堵したが、俺に支えられ手を取るよりも距離が近くなったからか、益々顔を赤くするアリア。
とはいえ、あくまで腕のみで身体を支えたので、密着しているという訳でも無いが。
「……手を取っていて、正解でしたね」
「ぅ、………はい」
結果的にエスコートしていた事が正解だったようで、苦笑しつつそう告げる。
アリアとしては転んでしまった事が恥ずかしいのか、俺の言葉を認めつつも複雑そうだが。
(いや、でも俺が手を取っていたからアリアさんが転んでしまった訳でもあるのか…………)
手を取って正解などと言ったが、そもそもエスコートしなければアリアも緊張せず、転ぶような事も無かったのかもしれない。
とはいえ、そうで無くとも単純に危険でもあったし、やはり手を貸すのは必要だとも思う。
と、それはともかく。
そんな一悶着がありつつも、無事に馬車に乗り込み、ローレス家へと出発したのだった。
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