第80話 女心
アリアから送られた不可解な通信。
その文面をもう一度視認する。
『明後日、伺います』
いや、改めて見ても全く分からない。
2日後にアリアがフェルディア家に訪問する事は分かるが、それ以外の一切が不透明だ。
まず前提となる話だが、アリア・ローレスという少女はこのような用件のみで、悪い言い方をすれば失礼な文章を送るような存在では当然無い。
本来ならもっと丁寧で、挨拶や用件、結びの文もしっかりと書くタイプだろう。
一瞬、危急の通信なのかとも思った。
けれど、こうして連絡を送れているのなら、もっと分かりやすい文章を書くだろう。
仮に時間が無かったとしても、もっとシンプルに「助けて」とでも書けば良い。
それに、そもそもアリアの方から此方に来るという時点で、危険が迫っているという可能性は皆無と言えるだろう。
(…………とすると、どういう理由でこんな文章を送ったんだ?)
様々な要因を検討してみるが、当てはまるものが一切見当たらない。
と、そんな風に悩んでいると、ふとライルが問い掛けてくる。
「どうだ、ラース?アリア君からのこの通信に、何か心当たりはあるか?」
「………いえ、俺には特に」
「………そうか」
ライルと二人、顔を見合わせる。
お互いに不可解そうな表情をしており、この状況が全く飲み込めていない。
「とはいえ、これはお前への連絡だ。普通、アリア君がこのような文章を送るはずも無いし。………疑う訳では無いが、お前との間に何かあったのではないか?」
「いえ、俺としても本当に心当たりは無いですね。アリア様との仲は、前回の来訪で少しは改善出来たと思いますし」
実際、前に会った時は全体的に良い雰囲気だったと思う。
単に俺の勘違いなのかもしれないが、殊更に機嫌を損ねるような真似はしていないはずだ。
「………まあ、確かにな」
二人で書庫にて読書をしていた事を自身も知っているため、納得した表情を見せるライル。
「しかし、ではこの通信はどういう事だ?本当にお前にも心当たりは無いのか?」
「お役に立てず申し訳ありませんが、心当たりは無いですね。………そもそも、前回お会いしてから、アリア様とはそれきりですし」
2ヶ月半程前にアリアが離れを訪れて以来、当然再び会ったという事も無ければ、連絡を取り合っていた訳でも無い。
その間に何かあったという事は考え辛い。
そうしてライルと二人、思考に耽る。
少し怖いのは、文面から相手の感情など伝わって来ないはずなのに、そこはかとなくアリアが怒っているような感覚がある。
あのような端的な文章を送ってきたのも、そこに原因がありそうな気がする。
あくまで、何の確証も無い只の予感だが。
と、そこで一人状況を静観していたセドリックに向けて、ライルが尋ねる。
「セドリック、お前は何か分かるか?」
「ふむ。何となく察しは付くかもしれませんが、………私の口から告げる事はやめておきましょう」
そのセドリックの言葉に静かに驚く。
俺もライルも全く分からなかったのに、セドリックは何か心当たりがある様子だ。
しかし、その上で答えられないとはどういう事なのだろうか。
そんな俺の疑問を代弁するように、ライルが尋ねる。
「心当たりがあるのに答えられないとは、どういう事だ?」
「もし私の推測が間違っていた場合、アリア様に対して非常に失礼ですし、仮に当たっていたとしても同様の可能性があります。私のような立場の人間が告げるべきでは無いでしょう」
その言葉にライルが押し黙る。
セドリックは何か確信を持っている感じがするし、その言葉には何処か説得力がある。
きっと本当に、セドリックの口からは語るべきでは無いのだろう。
しかし、そうなると完全に行き詰まってしまう。
ライルも同様の事を思ったのか、腕を組み悩ましげな表情を浮かべている。
と、そこでセドリックが口を開く。
「一つ、助言という訳でもありませんが。女性の気持ちは女性に聞くのが一番、という事はあるかもしれませんな。加えて、私などより遥かに立場の高い女性がこの屋敷には居られます」
セドリックの言葉には、納得出来るものがある。
確かにアリアの通信の意図を探るには、同じ女性の意見を聞いた方が建設的かもしれない。
そしてセドリックより、何ならアリアより上位の立場の女性と言えば、この屋敷には一人しか居ない。
果たして、俺とライルの脳裏に浮かぶ存在は同じだったのか、
「……………セレスを呼んでくれ」
と、ライルが告げるのだった。
数分後、セドリックに連れられ、セレスがやって来る。
俺が呼びに行こうかとも思ったが、流石に貴族令息が使用人のような真似は出来ないという事で、セドリックに任せた次第だ。
部屋へと入ったセレスは俺達3人が揃っているこの状況を、不思議そうに問い掛ける。
「3人ともこんな所に集まって、一体どうしたの?」
「ああ、実はだな…………………」
と、代表してライルが事の経緯を説明する。
すると、セレスは納得した表情を見せた後に、今度は呆れたような顔で俺達を見遣る。
そして、
「はぁ、そういう事ね。…………まず、ラース。本当に思い当たる事は無いの?」
ため息を吐きつつ、若干鋭くなった視線でそう俺に問い掛けるセレス。
いつもの明朗な雰囲気が鳴りを潜め、珍しいその様子に内心、若干気圧される。
セレスの言葉を受け、考える。
先程から分からないままだが、こう問われたのだから、即答はせずに改めて考える。
だが、やはり心当たりは思い浮かばない。
「申し訳ありません。俺には何とも…………」
「はぁ、分かったわ。…………貴方は?」
俺の返答に呆れた表情を浮かべた後、そのままキッとライルを見据える。
その視線に若干の怯みを見せつつ、やはり俺と同様思い当たる事は無いと言うライル。
「もう。貴方もラースも頭は良いのに、どうしてこういう事には疎いのかしら…………」
俺とライルの返答に、落胆したように言葉を溢すセレス。
一方の俺達は顔を見合わせる。
ライルは何処か情けない表情をしており、きっと俺も同じなのだろう。
と、そこでセレスがセドリックに問い掛ける。
「セドリック、貴方は分かるわよね?」
「ええ。とはいえ、私の口から告げて良いものか、少々測りかねていまして」
「そう。確かに、ちょっと難しいわね」
どうやらセレスとセドリックの考えは一致しているのか、セドリックの言葉に共感した様子を見せるセレス。
俺とライルは完全に置いて行かれている訳だが、何も分からない分際で口を出す事も出来ない。
「うーん、どうするべきかしら。此処で私が言うのもアリアちゃんに悪いけど、何も分かっていないまま会わせるのも、流石に可哀想よね」
先程のセドリック同様、自分の口から告げるべきかと悩んでいるセレス。
俺達3人は静かにその様子を見守り、セレスの答えを待つ。
しばし唸りつつ考え込んだ後に、どうやら答えを決めたようで、パッと顔を上げる。
そして、俺へと向かい告げる。
「いい、ラース。今回は仕方ないから私から教えてあげる。でも、今回だけ特別よ。今後はこういうアドバイスはしないから、ちゃんと自分で気付かないとダメよ」
「ええ、承知しました。ありがとうございます」
正直、何の話か全くわからないが、一先ずセレスの言葉を頭に刻みつつ頷く。
すると、セレスは満足そうに微笑みながら、遂にその答えを告げる。
「いい、ラース。きっとアリアちゃんはね、もっと早く貴方と会いたかったって思ってたの」
(……………ッッ?)
そのセレスの言葉に、少なくない衝撃を受ける。
アリアのあの通信の意味が、俺と早く会いたかったというもの?
正直、直ぐに納得は出来なかった。
俺とアリアの過去の関係を思えば、幾ら前回で少しは関係も改善出来たとはいえ、アリアがそんな風に思うだろうか。
そう考え、セレスへと言葉を返す。
「お言葉ですが、母上。俺とアリア様の過去を思うと、流石にそんな訳は無いのでは……?」
「まあ、確かにそう思っちゃうのも分かるわ。けどね、ラース。この前アリアちゃんが来た時、私の目には貴方と居るアリアちゃんは、凄く楽しそうに見えたわ。それこそ、貴方と居ない時間を惜しんでいるくらいに」
俺の言葉に共感を示しつつも、理解を促すように優しく告げるセレス。
確かに、前回の来訪ではアリアとの時間は、終始良い雰囲気だったとは思う。
けれど、それは今までが酷かったため相対的に良く見える事と、あくまでアリアが寛大である事が理由だと思う。
俺ともっと早く会いたいとまで思う程、関係を改善出来た自信は正直無い。
すると、腑に落ちない俺の様子を悟ったのか、再びセレスが口を開く。
「この前の事を思い返してみて。今まで一度もそんな事無かったのに、アリアちゃんはこの屋敷に泊まっていったのよ?それに、ずっと貴方と書庫に籠っていたし、帰る間際まで貴方と二人で読書をしていたでしょ?一緒に居て楽しいと思える相手じゃないと、こんな事はしないわ」
それは、………確かにそうかもしれない。
セレスの言葉には説得力があり、俺の浅慮よりは納得出来るものがあった。
しかし、未だに信じられない気持ちもある。
アリアが俺の事をそんな風に思ってくれているとは、どうしても思えない。
アリアは俺の事を、嫌いだったと思うから。
すると、そんな俺の思考を読み取ったのか、セレスが優しげに、けれどはっきりとした口調で告げる。
「ラース。貴方が過去の事を気にして、負い目を感じちゃうのは分かるわ。そういう気遣いは大切なものだとも思う。でもね、悪い部分だけを気にするのはダメ。貴方の今を、良い所をちゃんと見ないといけないわ。そうでないと、これから関係を築くアリアちゃんにも失礼よ」
(…………………!!)
その言葉を受け、思い出す。
前回の来訪の、アリアとの別れの言葉を。
『………あの、近い内にまたお会いしましょうね』
社交辞令も含んでいると思っていたが、アリアは純粋な本心として、その言葉を贈ってくれたのだろうか。
いや、決して忘れていた訳では無いのだ。
俺自身、その言葉は覚えていたし、なるべく近い内にアリアに会いたいとも思っていた。
けれど、過去の関係から基準が分からなかったのだ。
婚約者という事で、ラースとアリアは定期的に会う機会を作っていた。
しかし、関係が良くないという事もあり、その頻度は決して高いものでは無かった。
2ヶ月や3ヶ月会わない事はざらにあったし、寧ろその方が普通だった。
だから今回も、数ヶ月空ける事が普通なのだと思ってしまった。
1ヶ月、2ヶ月でまた会うように望む事は、良くない事なのだと。
しかし、
(いや、それもただの言い訳だな。そもそも俺の方から関係をやり直したいと言ったんだから、もっと積極的になるべきだった)
下らない思考を断ち切る。
言い訳を並べた所で、何の意味も無い。
アリアの気持ちを信じ切れなかった俺の過失だ。
それに、アリアからも昔の事は気にしなくて良いと言われていたのだから、不必要な過去に囚われるべきでは無かった。
自らの過ちに気付き、アリアへの罪悪感が募る。
「そう、ですね。完全に俺が間違っていました」
忸怩たる思いで、セレスの言葉に答える。
「勿論、ラースが全部悪いなんて事は無いわ。アリアちゃんももっと素直になるべきだから。でもね、アリアちゃんは不器用な子だから。ラースがちゃんとフォローしてあげて。婚約者なんだから」
「はい。本当に、その通りです」
セレスの言葉を胸に刻む。
今後のアリアとの付き合いで、気を付けなければいけない事だ。
「まあ、そんなに深刻に思う必要は無いわ。アリアちゃんも、ちょっと素直になれなかっただけだから。明後日に会う時に、ちゃんとフォローしてあげれば、それで大丈夫よ」
「ええ、承知しました。ありがとうございます」
優しく告げるセレスにそう答えると、満足そうに微笑んでくれる。
やはり女性の気持ちは女性に聞くのが一番、というのは本当だったようだ。
「……ふむ、あのアリア君が、そんな風に………」
「貴方ももう少し、女心が分からないとダメよ」
「あ、ああ。気を付けるよ」
と、そんな両親の会話を聞きつつ、2日後のアリアの来訪に向けて、気持ちを整えるのだった。
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