第73話 未来を守る
数十分程馬を走らせ、フェルド近郊の森へと到着した。
馬に関しては途中で下馬し、街道付近にある検問所へと預けている。
森の様相はそこまで木々が密集しているという訳では無く、日中ならば十分な明るさがある。
とはいえ、ここまで自然がありありと感じられるような森林には前世でもあまり経験が無いため、何処か感動するものがある。
しかし、そこまで気楽な事を言ってもいられない。
「先程申し上げた通り、今回の目的地には低ランクの魔物しか存在しません。私が居る限り万が一はありませんし、純粋な戦闘力なら既にラース様も問題無く対処出来る魔物のみです。とはいえ、決して気は抜かないように。…………準備は宜しいでしょうか?」
セドリックからの問いかけに、改めて気持ちを切り替える。
安全が保証されているとはいえ、これから向かうのは実際に命の危険があるような場所だ。
これまでの模擬戦とは、本質が全く異なる。
けれど、今更引き返す気など無い。
思い出すのは、アンナやアリアの存在。
彼女達のような悲劇を繰り返さないために、俺は戦える力を欲したんだ。
小さく息を吐き、応える。
「……………大丈夫です。お願いします」
セドリックと共に森の中を進む。
先を行くセドリックに着いていく形ではあるが、俺も魔物の索敵は行なっている。
その際に使用しているのが、以前にセドリックも使っていた魔力探査という技術。
魔物も魔力を持った存在のため、近づけばある程度はその存在を知覚出来る。
とはいえ、数km離れた場所も索敵出来るとか、対象の位置を正確に感知出来るとか、そういった万能なものでは決して無い。
勿論距離が近づく程にその精度は上がるが、あくまで数mや数十mの範囲で魔物の大まかな位置が分かる程度だ。
それも俺がまだ教わりたてという事もあり、居るか居ないかが認識出来る程度。
と、索敵を行いつつもそんな事を考えていると、セドリックがふいに問い掛けてくる。
「ラース様、この周辺に魔物は居ますか?」
「…………いえ、俺が探査出来る数十mの範囲では居ないと思います」
「宜しい、ラース様の索敵に間違いはありませんよ。しかし、流石の才能ですね。魔力探査も既にある程度扱えるとは………」
どうやら俺の索敵は正しかったようで、この周辺に実際に魔物は居ないようだ。
セドリックがどの程度まで探査出来るのかは分からないが、敢えて教えないのは俺の訓練のためだろう。
「いえ全く気は抜けないので、まだまだです。感覚も曖昧なものですから」
「そこは致し方無いでしょう。索敵に関しては、慣れが大きいですからな。経験を積み感覚を養えば、魔力探査の精度も上がりますし、魔物の気配といったものも分かってきます」
慣れが大きいというのは理解出来るが、気配などは分かるようになるのだろうかと思う。
まあ感覚的なものだし、本当に経験を重ねて養っていくしか無いのだろう。
と、時折セドリックとも会話をしつつ、索敵に集中して十分弱といった頃だろうか。
遂に、その時は訪れた。
「!………………セドリックさん」
「ラース様も気付かれましたか。ええ、この先に魔物が居ます。距離や数は分かりますか?」
「分かるのは、距離は数十m、数は恐らく複数体では無いという事くらいですね」
「ふむ、十分ですな。大凡正解です。距離は20m程、数は一体のみです。……丁度良い相手ですな。ラース様、戦闘に移ります。御準備を」
「………承知しました。いつでも大丈夫です」
セドリックの言葉で、一気に心が緊張で満たされる。
この世界での、初めての魔物との戦闘。
ずっと理解してはいた命を賭けた闘争という事だが、やはり実際のものとなると感覚が大きく異なる。
セドリックに従い、少し歩いた先で件の魔物を視認する。
セドリックの言葉通り、数は一体だけであり、まだ此方には気付いていない。
「…………ゴブリン、ですな」
セドリックが標的の魔物の名を告げる。
人間の子供程度の背丈、浅黒さを湛えた緑の皮膚、獰猛な目つきや剥き出しの歯茎。
ゴブリンといえば前世でも知っている魔物の一種だが、実際に目にするとイメージとは全く異なるという事が伝わってくる。
木製の棍棒を持ち、荒々しげな息を吐くその姿はまさに人類の脅威である事が伺える。
とはいえゴブリンに対するギルド指定のランクはH、最低ランクの魔物である。
冒険者にとっても駆け出しで相手をする魔物という事で、剣や魔法をある程度使えれば倒せない相手では無い。
事実、俺もゴブリンから受けるプレッシャーはそこまでのものでは無かった。
これが複数体や群れだったら脅威度はさらに跳ね上がるが、相対した感覚としては普段の模擬戦で手加減しているセドリックよりも大きく劣る。
先程のセドリックの言葉通り、単体として見れば正直負ける相手では無いと思った。
「…………………ふぅ」
とはいえ、俺にとっては初めての実戦。
気を抜くような愚かな真似はせず、さらに集中力を高める。
勝算を感じているというだけで、普通に緊張はしている。
「実際の討伐なら気付かれる前に奇襲を仕掛けるのが常識ですが、今回は実戦を積む事が目的ですので敢えて私達を認識させてから戦います。……御準備は宜しいでしょうか?」
「ええ、大丈夫です」
緊張も確かにしているとはいえ、気持ちは落ち着いている。
初めての戦闘という事でパニックになるような事は無いし、恐怖心はあるとはいえそれで動きが悪くなるような感覚は無い。
(…………大丈夫だ、戦える)
セドリックと共に、ゴブリンの前に姿を現す。
此方に気付いたゴブリンは、いきなり襲い掛かるような事は無かったが、鋭い目付きで俺達を睨んでいる。
「では、ラース様。どうぞ」
その言葉と同時にセドリックは少し後ろに下がり、俺とゴブリンが相対する。
剣を構え、身体強化を施す。
ゴブリンの方も相手が一人になった故か、勢いよく駆け出し、俺へと向かう。
動きは早く無いし、隙も大きいため此方から仕掛ければ攻撃は入ったと思う。
けれど、初めての戦闘で先手を仕掛ける事は危険だと思い、ゴブリンの攻撃を待った。
俺へと肉薄し、ゴブリンは棍棒を乱雑に振り回す。
武術も何もあったものでは無い動きで、対処は容易だった。
しかし、威力としては侮れない。
体格からは想像出来ないような勢いある攻撃であり、確かに生身の人間が喰らったら軽傷では済みそうに無い。
けれど、やはり印象の通り強い相手では無い。
動きが遅く大雑把なため、隙だらけだし知性も無いのか、此方の攻撃を誘うフェイントという訳でも無いようだ。
数合程棍棒を剣で受けつつ、大振りな攻撃が来たタイミングに合わせて武器だけを奪い去るように、掬い上げ振り払う。
ゴブリンの握っていた棍棒は数m先へと飛んでいき、これで相手は丸腰となった。
(体勢もよろけてる。攻撃を入れる、絶好のチャンス…………!)
棍棒を振り払った衝撃で、ゴブリンは仰反るようにたたらを踏んでいる。
武器を失った事で困惑もしているのか、完全に無防備な状態だ。
この隙を突けば、確実に倒せる。
手に力を込め、剣を振り上げる。
そして、
(…………………ッッ)
ゴブリンを切り裂く、…………寸前で剣を止めてしまう。
絶好の機会をみすみす逃した形となり、ゴブリンも体勢を立て直してしまう。
そして不自然な位置で剣を止め、今度は俺が無防備になったからだろう。
ゴブリンは武器など無くとも、その拳で俺へと殴打を放った。
それでも、対処しようと思えば出来たと思う。
けれど、何故か受ける事も避ける気力も湧かず、そのままゴブリンの攻撃を喰らってしまう。
身体強化を施している分、痛みは多少だった。
「!……………ラース様」
しかし俺の護衛であるセドリックからすれば、少なからず驚きがあったのだろう。
心配するように俺へと声を掛ける。
「………大丈夫です。ダメージはありません」
実際に身体に問題は無い。
それでも俺の表情が優れない事や明らかに先程の動きが不自然だった事を悟ったのだろう。
セドリックが改めて声を掛ける。
「一度仕切り直しましょう。ラース様、此方へ」
戦闘中ではあるが、セドリックの言葉に従いゴブリンから離れる。
完全にゴブリンから背を向ける事になるが、セドリックが威圧を放ち、ゴブリンが此方を襲う事も逃げる事も出来ずにいることには気付いた。
「ラース様、先程貴方はゴブリンからの攻撃を完璧に捌き、絶好の機会に剣を振ろうとしました。しかし、寸前で止めてしまった。…………何故攻撃しなかったのか、ご自分でお分かりですか?」
セドリックは先程の俺の行動を振り返り、何故攻撃しなかったのか、理由を尋ねる。
それに対する答えは、恐らく俺の中で定まっている。
けれど、それはあまり褒められた理由では無かった。
「…………怖く、なったんだと思います。魔物とはいえ、生き物を殺す事が」
命を賭けた闘争という事は、頭では理解していた。
けれど、自分が傷付けられるのでは無く、相手を傷付ける方が怖いという事は、完全に理解出来てはいなかった。
自分がゴブリンを殺すと察した瞬間、思わず身体が止まってしまった。
俺自身、これが偽善的な思考であることは理解している。
例えば、普段の生活で虫を殺す事に躊躇したりはしないし、植物の採取だって命を摘む行為と変わらない。
真に魔物を慮っているのでは無く、ただ自分が快く感じない事をしたく無いだけだ。
そう理解していても感情はついて来ずに、身体は止まってしまった。
「やはり、ですか。ラース様のような人間は少なからず存在します。そもそも戦いに恐怖しているのでは無く、相手を傷付ける事を躊躇う者です」
「申し訳ありません。戦いの最中に、相手を殺す気概も無く。………闘志を持てという言葉も、今は実践出来ている気がしません」
「謝ることではありません。他者を傷付けるとなれば、潜在的な部分で躊躇ってしまうのは、ある意味人の自然な感情です」
セドリックは俺を責めるような事は無く、理解を示しつつ告げる。
けれど、その後の瞬間には鋭い目を向けつつ、俺に問い掛ける。
「躊躇う事を悪とはしません。しかし、それでも我々は魔物を殺します。絶対に殺すという闘志を持って戦わねばなりません。………それがどうしてか、お分かりになりますか?」
「……そうしなければ自分が殺されてしまうから、でしょうか?」
セドリックの問いを自分なりに考え、答える。
戦闘中に躊躇っていては自分やその場にいる味方にも被害が出てしまう。
一瞬の躊躇や気の緩みで、本当に命を落とす事だって有り得る。
そんな可能性を考えつつ答えると、セドリックは頷きながら告げる。
「勿論、それが最も大きな理由です。ですが、それだけではありません。魔物と戦う際に絶対に殺すという闘志を持たねばならない理由、それは………」
俺の考え以上にも理由があるようで、セドリックは俺に理解を促すようにはっきりとした口調で続ける。
そして、
「それは、…………野放しにした魔物が、いずれ何処かで誰かの脅威となるかもしれないからです」
(…………………!!)
セドリックの言葉を受け、ハッとする。
とても大切な事を見落としていた。
「もし魔物を野放しにしてしまえば、個人でも村でも街でも、いずれ誰かがその魔物の被害を受けるかもしれません。………此処に居るゴブリンもそうです。もし此処で逃してしまえば、いずれ誰かが、誰かの大切な人が、大切な物が傷付けられる可能性があります」
セドリックの言葉が頭の中で反響する。
俺はその場での事しか考えられていなかった。
確かに、そうだ。
今此処で俺が殺さなかった事により、このゴブリンが見知らぬ誰かを襲う事だってあり得る。
俺の全く知らない所で、全く知らない人が被害に遭う可能性だってあるのだ。
俺が自分の心の安寧のために見逃した魔物が、誰かの脅威となり得る。
そんな時、俺は後悔しないだろうか。
いや、そんな事不可能に決まっている。
「だからこそ、我々は魔物を討伐するのです。いずれ訪れるかもしれない脅威を払うために。いずれ起こるかもしれない悲劇を防ぐために。…………魔物の討伐とは、まだ見ぬ未来を守ることです」
(………………ッッ)
とても、とても大事な事を見落としてしまっていた。
俺が戦うべきだと思った原点を思い出す。
そうだ。
そういった存在が野放しになっているからこそ、アンナやアリアは傷付けられてしまったんだ。
当たり前の事だった。
自分や周りの人間を守るだけでは無く、魔物の脅威に怯える多くの人を等しく守るためにも、戦わなければいけないのだ。
無論、魔物と戦う上で全員がそういった理由で戦う訳では無いと思う。
ただ自分の身を守るため、仕事としてお金を稼ぐため、そういった理由も自然な事だと思う。
戦う理由なんて人それぞれで、良いも悪いも無いと思う。
けれど、セドリックの言葉は俺の中にすとんと落ちるものがあった。
見落としていたものが見えた事で、大切なものが分かった事で、本当に覚悟が決まった気がする。
だから、
「ありがとうございます。もう、大丈夫だと思います」
「ええ、良い顔になりました。では、どうぞ」
セドリックが威圧を解き、俺は改めてゴブリンと相対する。
今までセドリックの威圧で足が震え、動けなかったゴブリンだが、その呪縛から解放された影響か俺に向かって再度勢いよく突進する。
相変わらず、その挙動は隙だらけだ。
だから俺は自分からも駆け出し、交差するように剣を振り抜いた。
様子見をしていた先程とは違う。
もうそんな必要は何処にも無かった。
一振り、だった。
確かな手応えを感じ振り向けば、ゴブリンの首が落ち血が噴き出す。
頭部を失い、生命活動が不可能となったゴブリンが頽れる。
「………………ふぅ」
大きく息を吐き出す。
これで俺の初めての魔物討伐は終了した。
不快感は自然と無かった、それを抱く事は俺がこの手で殺した存在に失礼だと思った。
ゴブリン討伐を確認し、セドリックが近づく。
そして、何処か優しげな目で問い掛ける。
「お見事でした。………如何ですかな、初めて魔物を討伐された心境は?」
現在の心境、か。
達成感や虚脱感、勝利の喜び、どれも違うようで上手く言葉が纏まらない。
ただ、一つだけ確かに言える事は、
「………そうですね、……疲れました、凄く」
思わずぎこちない笑みを浮かべつつ、告げる。
俺の、ありのままの心情だった。
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