第71話 振り返る思い

 翌日、早朝と言っていい時間に目覚める。

 昨日は割と遅くまで起きていたが、普段と変わらない時刻に起きれたのは僥倖だ。

 自室を出れば既にアンナも起きていたようで、顔を合わせる。


「おはようございます、レイトさん。………その、申し訳ありませんでした。昨日は、遅くまでお付き合い頂いて」


「あはは。あの時間にまだ起きていた事は確かに驚いたけど、謝る必要なんて無いよ。昨日はあまりアンナとの時間が取れなかったし、俺も少し話したかったからね」


「ッ…………ありがとうございます。………あの、直ぐに朝食の準備をしますねっ」


「ありがとう。でも、少し外に出てトレーニングをしてくるから、そんなに急がなくて大丈夫だよ」


 と、アンナと短い会話を交わしつつ、動きやすい服へと着替え、離れの外へと出る。

 朝の軽いトレーニングだし、態々訓練場にまで行く必要は無いだろう。

 昨日はアリアの来訪でトレーニングの時間を殆ど取れなかったため、少しでも遅れを取り戻したい。

 

 一時間弱程離れの外にて、汗を流す。

 身体強化を施しつつ、基礎トレーニングや素振りを行い、魔力制御と身体能力、剣の感覚を同時に高める。

 まだまだ行いたい気持ちはあったが、アンナを待たせてもいけないため、早々に切り上げる。


 時刻としてはまだ朝早いので、アリアが起きているかは分からない。

 まあ例え起きていたとしても、こんな時間から何かするという事も無いだろう。


 アンナと朝食を取り、お茶を飲みつつ談笑をしていれば、ある程度時間は経ったので、本館へと向かう。

 どうやらアリアは既に起きていて、客室にて食事を頂いたようだ。

 


「アリア様は、本日は何時ごろお帰りになりますか?」


「遅くとも正午にはお暇しようと思います。帰りの日程もありますし、あまり長々とお邪魔する訳にはいきませんから」


 本館の客室にて、アリアと話す。

 帰りの時間としては妥当な所だろう。 

 そこまで遠くないとはいえ、他領まで馬車での移動となるのだから、日が出ている内に出立するのが常識だ。


「承知しました。………では、それまではまた書庫で読書をなさいましょうか?」


「は、はい。…………お願いします」

 

 昨日の一件もあり、アリアから言わせては気を遣ってしまうだろうと思い、俺から尋ねる。

 少し揶揄うような声音だったせいか、アリアは何処か恥ずかしげに頷いている。



 そんな経緯で午前中はアリアと共に書庫へと籠り、二人で本を楽しむ。

 会話と読書を行いつつ数時間本に没頭していれば、いよいよアリアの出立の時間となる。

 帰り支度を整え、前回同様馬車がある屋敷の門まで見送る。



「急な予定の変更で、宿泊までさせて頂きご迷惑をお掛けしました」


 開口一番、アリアがそう謝罪する。

 真面目な彼女らしい言葉だが、アリアが悪いという事では無い。


「その提案をしたのは私ですので、お気になさらないで下さい。アリア様にお楽しみ頂けたのなら、私としても、フェルディア家としても、それで十分ですから」


 俺の独断で決めて良い事でも無いが、ライルやセレスだって、きっと迷惑などとは思っていない。

 善良であり出来た人間であるあの二人が、そんな事を思っているはずも無い。


「はい。お陰でとても楽しい時間を過ごす事が出来ました。本当に、ありがとうございました」


「こちらこそ、ありがとうございました。またお会い出来る日を楽しみにお待ちしております」


 ローレス家の騎士や侍女の方も待たせてしまっているため、あまり長々と話す事も出来ない。

 それに、アリア達の帰りの日程が狂っては事だ。


 アリアもその気持ちは同様のようで、短く別れの言葉を告げる。


「では、この辺りで失礼致します。…………あの、近い内にまたお会いしましょうね」


「ええ、無論です」


 アリアの方からそんな事を言ってくれるのは、非常に嬉しい。

 そこまで気軽に会える訳でも無いが、遠い距離という程でも無いので、近い内に会う事は問題無く出来るだろう。


 最後に別れの言葉を告げ、アリアは馬車へと乗り込み、そのまま出立する。

 見える距離までは見送り、アリア達の姿が見えなくなった所でその場を去る。


 

 時間にしてしまえば2日と無いアリアの来訪ではあったが、それでも終始楽しかったおかげか、とても短い時間だったと感じる。

 今回でアリアとの関係も中々に改善出来たと感じたし、次に会う事も非常に楽しみだ。

 

 以前は不安だったアリアとの将来も、より良いものとしていけるかもしれない。

 そんな思いを抱きつつ、温かな気持ちで俺は離れへと戻るのだった。

 






【アリア視点】


(………………楽しかった、ですね。本当に)

 

 一月ぶりとなるラース様との再会の帰りの馬車で、私の心は満ち足りたものとなっていました。

 その要因としては勿論、ラース様と過ごしたこの2日間が何の曇りも無く、楽しかったと感じているからでしょう。

 

 

 それにしても、今回初めてラース様の姿をお見かけした時は、非常に驚きました。

 一月前の条件からどれだけお変わりになっているだろうかと考えてはいましたが、想像を遥かに超えていました。

 全体的に体型は太っていた事など分からない程に改善されていて、着飾った様は生来の整った顔立ちも相まって見目美しいと感じました。


 けれどそれ以上に、私との条件を果たすためにそれ程の努力をして下さったという事から、ラース様の誠意が感じられ何処か嬉しいものがありました。


 とは言っても今回のラース様との時間が楽しかったと思えた要因は、何もラース様の容姿が変わっていた事が大きな訳ではありません。

 これは前回から感じていた事ではありますが、やはり今のラース様は対人能力が高く、私が過ごしやすいように終始気遣って下さった事が一番の要因です。



 ラース様との関係をやり直すにあたって、友人として関係を深めようという彼の提案はとても良いものだとは思ったのですが、私にはその友人が居ないのでどうしたら良いのか分かりませんでした。

 その事をラース様に伝えるのはとても恥ずかしかったですが、彼は馬鹿にする事など無く、寧ろ私のフォローまでしてくれました。

 

 それに、あの言葉、…………

 

『それと、他者からアリア様がどう見えているかは分かりませんが、少なくとも私は貴方の事をそのようには思っていませんよ。……確かにアリア様は冷静でとても落ち着いた方ですが、その中にも優しさや温かさがある、素敵な女の子だと思います』


 あんな事を言われるなんて、思っても居ませんでした。

 優しげな表情で告げるその姿から、本心を語っているのだと分かり、思い出してもどうしても顔が熱くなる感覚があります。


 その後の趣味に関する話でも、今まで私の本の趣味は人から理解される事がありませんでした。

 けれど、ラース様は自身の意見を言いつつも、話が繋がるように私に色々と質問や共感する言葉を掛けて下さいました。


 他者からすればつまらないと感じるような私の趣味を否定する事なんて無く、今までの私の経験を察してか、優しい言葉も掛けてくれました。

 

『仮に合わないものだったとしても、他人の趣味を否定したりはしませんよ。アリア様の様子を見ていれば、本当に読書がお好きだという事は伝わってきますから。…………確かにあまり理解されないご趣味かもしれませんが、それでご自身までつまらないなどと言われて良いはずはありません、決して』


(あんな事を言って貰えたのは、初めてですね………)

 

 その真剣な眼差しから、私を気遣う感情が如実に感じられ、心が温かくなりました。

 どれだけ他者に理解されずとも、好きなものは好きと思っていて良いんだと、心から思えました。



 それに読書の話をしている時は、ラース様とはとても趣味が合うのか、終始会話は盛り上がりとても楽しい気分でした。


(まあ、恋愛小説が好みと言った時に笑われた事は、まだ許せませんが………………)


 あの時は本当に恥ずかしかったです。

 自分でも分かっているんです、好きなジャンルが哲学書と恋愛小説では違い過ぎるし、私には似合わないという事くらい。


『いえいえ。可愛らしくて、素敵なご趣味だと思いますよ』


 そこで、ラース様の言葉を思い出します。

 

 まあ、ラース様も馬鹿にする意味で笑ったのでは無いという事は分かっています。

 素敵な趣味と言って下さった事は純粋に嬉しいですし。………ただそれでも恥ずかしいものは恥ずかしいかったんです。



 伯爵家の書庫を見学する提案をして頂いた事は、本当に感謝しています。

 あれ程の書庫は中々お目に掛かれませんし、読んだ事の無い本も沢山ありました。


 ラース様との会合の時間なのに、読書をして良いと言われた時は驚きました。

 勿論流石に失礼なのでお断りするつもりだったのですが、ラース様のフォローもあり、つい頷いてしまいました。

 

 あの方の気の遣いようは何なのでしょう。

 此方が罪悪感を抱かないように自身の感情も述べつつ提案する話術は、言い方を悪くすれば詐欺師にでもなれると思う程です。


 もっと本を読みたいという私の気持ちを察して、滞在する提案までして頂きましたし。

 けれど、宿泊を決めた要因として本だけが魅力的だと思っているあの様子は何なのでしょう。

 貴方との時間も楽しいと思ったからこそ、滞在を決めたというのに。


 私の感情を察する能力が高いというのに、何故ああいう点では鈍感なのでしょう?


(全て分かった上で惚けている?…………いえ、以前の私との関係からも、そういう思考にならないのでしょうね)


 自分が好かれているなどとは思っていないのでしょう。

 勿論私も今回の一件だけでラース様の事を完全に好きになった訳ではありません。

 それでも、一緒に居て楽しいと純粋に思えるくらいには既にラース様の事を信頼している自分が居ます。


 難しいのかもしれませんが、そういった所はもう少し自覚して欲しいと思いました。

 入浴の後の読書も、自分が居ては邪魔などと思っている事も見当違いも甚だしいです。

 貴方との時間だからこそ、より楽しいと思えたんです。


 書庫にて彼を待っている時間も、早く来ないかと何処か落ち着きませんでした。

 彼のために選んだ小説について、色々と感想を聞きたいと思いましたから。


 けれどラース様は中々現れず、もしかすると二人で暮らしているという侍女の方と離れでお話でもされていたのでしょうか。

 何でしょう?そう思うと、何処か気分が良くないという感情があります。


 しかし、そんな悪い気分もラース様がいらした事で去っていきました。

 私の選んだ小説を面白いと言って下さって、良いと思った箇所は私の好みとも一致していて、やはり趣味が合うのだと思い、嬉しく感じました。


 けれど、そんな感情から無意識の内にラース様に接近していた事は一生の不覚でした。

 まるで私の好きな恋愛小説のワンシーンの様に、顔と顔が近くにあり、実際に体験するとあんなにも恥ずかしいのだと理解しました。


 

 しかし、そんな風に読書に夢中になっていましたが、流石に自制が必要だったと感じました。

 幾らラース様も承諾された事とはいえ、一日を合わせて何時間も読書に付き合わせるというのは、とても失礼な行いです。

 表面上では気にされていないように振る舞っていましたが、本当は退屈なんじゃないかと、一日の終わりが近づいているという事もあり、途端に不安になってしまいました。


 けれど、…………


『まず以前にも申し上げた通り、私も読書は好きですから、それは前提から間違っています。そもそも本館の書庫をご覧になるという提案をしたのも、私ですし、読書をする纏まった時間が欲しいとも思っていましたから、アリア様だけが望んだ事という訳ではありません』


 決して嫌な事では無かったと、はっきりと言葉にしてくれました。


『それにアリア様だけが楽しんでいて、私が望まない時間だったとお思いになっているなら、それも間違っています。貴方に勧めて頂いた小説はどれも本当に面白かったですし、時折交わす会話も趣味が合っていて心地良いものだと感じましたから』


 読書に付き合っている時間を、自身も楽しんでいたのだと伝えてくれました。


『だから、アリア様お一人が楽しんで、私には迷惑だったと思うのは辞めて下さい。貴方と過ごすこの日の瞬間は、どれも本当に楽しいものでした。それを、他ならない貴方が否定しないで下さい。またアリア様と、こうして読書をしたいとも思っていますから』


 自身の偽り無い感情を私に否定されたくは無いと、そして、またそんな時間を共有したいと教えてくれました。


(………流石に、あんな事を言うのはズルいです。私は何も悪く無いなどと、つい思ってしまいますね)

  

 あの時の温かな感情を思い出し、思わず胸に手を遣ります。

 本当に、あのような事を言って貰えたのは初めてでした。

 心の奥が甘い感情に溶かされます。



 総じて、この2日間のラース様との時間は紛れも無く楽しい時間だったと言えます。


 そんな風に2日間の事を振り返り、つい口元が緩んでしまったのでしょう。

 対面に座る存在が問いかけてきます。


「随分とご機嫌そうですね、アリア様?」


 幼い頃からの侍女である彼女には、あまり大きく無い私の表情の変化にも気付くのでしょう。


「はい。今回のラース様との時間は、どれも楽しいものだったと純粋に思えます」


「へぇー、それは珍しいですね。アリア様が同年代の方との時間をそんな風に思うなんて。………具体的にはどういう事があったんですか?」


「そうですね、…………まず、ラース様とお会いして直ぐの事からですが………………」

 

 そうして今回のラース様との思い出を順番に彼女に語っていきます。

 しかし、まだ彼との時間を楽しかったと思う気持ちで、心が熱に浮かされていたのでしょう。

 

 気分良く全てを話し終えた後に、彼女から「惚気ですか?」と聞かれた時は、思わず自身の浮かれ具合を呪いました。


 確かにそう言われてもおかしくないようなやり取りもあったかもしれません。

 ですが、流石に今日一日だけで好きになるような事はありません。


 ただそれでも、私に対するラース様の印象が今日という日を境に大きく変わった事は、疑いようの無い事実でした。

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