第70話 共に感じる楽しみ

 アンナとの会話を切り上げた後、本館の書庫にてアリアの姿を見つける。

 やはり、既に着いていたようだ。


「失礼します。…………お待たせしてしまったでしょうか?」


「大丈夫、と言いたい所ですが、確かに少し遅いですよ。時間は限られているのですから、早く此方に来て下さい」


 怒ったり文句を言ったりする様子では無いが、不満を表すようにそう告げるアリア。 

 待たせてしまった事を申し訳無く思いつつ、アリアへと近づく。


「ラース様は英雄譚がお好きだと仰っていましたから、私のおすすめを幾つかピックアップしておきました。………まだ読まれた事の無いものだと良いのですが」


「そうだったんですね、ありがとうございます。…………丁度どれも読んだことの無いものです。では、有り難く読ませて頂きますね」


「はい。読み終わったら、是非感想を聞かせて下さい」


 そんな会話をしつつ、アリアが選んでくれた本を読み進める。

 時折短く話しながらも集中して読んでいけば、あっという間に一冊目を読み終える。

 

 そこまで長いものでも無かったという要因もあるが、やはり物語性のある小説はサクサクと読む事が出来る。

 これならアリアが選んでくれたものを、今日中に読破出来そうだ。


 すると、俺が一冊目を読み終えた事に気付いたのか、アリアが話し掛ける。


「どうでしたか?その本は選んだ中でも、特に私のおすすめなのですが…………」


「とても面白かったですよ。アリア様のセンスが良いのか、私達の趣味が合うのか、凄く好きな小説だと感じました」


「それは良かったです。…………どのような所が良かったと感じましたか?」


「そうですね。…………此処の主人公の台詞や、この部分の戦闘描写は特に良かったと感じましたね」


 アリアに尋ねられた良いと思った部分を告げるが、流石に実物を見ながらで無ければ、何処を指しているのか分からないだろう。

 アリアもそう思ったのか此方へと近づき、小説の中身を見ようとする。


 

 元々離れて座っていた訳でも無いが、一冊の本を覗き込むような形で見れば、必然二人の距離は相当に縮まる。

 そうなればアリアの端正な顔立ちや、さらりと揺れる白銀の髪に、否応無しに反応してしまう。

 

 ただそれ以上にお風呂上がりという事もあり、アリアの髪からほんのりと甘い香りが漂い、思わず身体が硬直する。

 と、一瞬でもそんな思考をした事に罪悪感を抱きつつも、落ち着いてアリアに告げる。



「……………アリア様、少し距離が近いようです。離れた方が宜しいかな、と」


「えっ、………ッッ!?」


 俺の言葉を受け、アリアは耳まで赤くしながら、バッと距離を取る。

 やはり本の事となるとテンションが上がってしまうようで、どうやら無意識の内の行動だったようだ。

 

「い、今のは小説の内容が気になっただけですから!へ、変な誤解はしないで下さいっ」


「ええ勿論、分かっていますよ」

 

 自分の好きな本を相手にも気に入って貰えて、つい気分が高揚してしまったのだろう。

 変な誤解というのが具体的にどういうものか、いまいち分からないが、兎に角心配は要らない。


 

 元々態度に出していた訳でも無いし、俺の方は落ち着いたが、アリアは未だ赤らんだ顔を手で隠しつつ、必要以上に俺から距離を取っている。

 あまり宜しく無いのではと、軽く伝えたかった程度なので、そこまで気にする程では無いのかと思わず苦笑する。


「妙な事を言ってしまい、申し訳ありません。読書を続けましょうか」


「…………はい」


 あまり引きずっても良くないため、空気を変えるようにそう告げる。

 俺の言葉を受け、アリアも元の席に戻り途中だった本を読み始める。


 

 その時、アリアの読んでいる本が上下逆さまだった事は、流石に気付かないふりをした。




 

 二人で一緒に本を読み進め、数時間が経過する。

 やはり読書に集中していれば時間が過ぎるのは早いもので、既に就寝する時間が迫っている。

 俺の方はアリアに選んで貰った本は全て読む事ができ、アリアも積んでいた本は消費出来たようだ。


 と、キリの良い時間でもあるため、締めくくるように告げる。


「もう夜も遅いですし、そろそろお休みしましょうか」


「そうですね。長い時間付き合わせてしまい、申し訳ありませんでした」


「いえ、私も楽しかったですから。謝罪される必要などありませんよ。寧ろご一緒させて頂き、ありがとうございました」


 アリアの言葉を訂正しつつそう告げると、アリアは俺の事をまじまじと見つめながら告げる。


「………貴方は変わっていますね。それでも普通、何時間もただ読書に付き合ってくれる方など居ないと思いますよ」



 と、アリアは、何処か寂しげな表情で告げる。

 

 友人が居ないと言っていた事やあまり理解されない趣味と言っていた事からも、こういう風に好きな物を共有しながら友人と過ごすという時間は味わった事が無かったのかもしれない。


 と、さらに表情を暗くしながら、アリアは自らの振る舞いを悔いるように続ける。



「………改めて考えると自分の好きな事だからといって、つい気分が高ぶってしまいました。ラース様の都合も考えず、長時間拘束してしまい本当に申し訳ありません」


「そんな事は………………」


「いえ、お昼に訪れた際にも読書に付き合って頂いたというのに、さらに泊めて頂いた上で何時間も付き合わせてしまったのは、流石に自制が必要でした。幾らラース様が承諾されたとはいえ、完全に私が一人歩きしてしまいましたから。………申し訳ありませんでした」

 

 

 この日も終わりが近いという要因もあるからだろうか。

 自らの行動を振り返り悔いるかのように、そう謝罪するアリア。

 

 恐らく自らの体験を基に判断してしまっているのだと思うが、間違っている事は正しく訂正しなければならない。

 例えこれまで良き友人に巡り合え無かったのだとしても、彼女が自らを否定する必要など何処にも無いのだから。


 小さく息を吐き、彼女を落ち着けるように柔らかな声音を意識する。

 そして、


「まず以前にも申し上げた通り、私も読書は好きですから、それは前提から間違っています。そもそも本館の書庫をご覧になるという提案をしたのも、私ですし、読書をする纏まった時間が欲しいとも思っていましたから、アリア様だけが望んだ事という訳ではありません」

 

 俺だって本は好きだし、普段は鍛錬であまり時間も取れないので、数多く在る本を消費する時間が欲しいと考えていた所だ。

 

「それにアリア様だけが楽しんでいて、私が望まない時間だったとお思いになっているなら、それも間違っています。貴方に勧めて頂いた小説はどれも本当に面白かったですし、時折交わす会話も趣味が合っていて心地良いものだと感じましたから」

 

 二人で静かに本を読んでいるだけでも、決して悪い時間では無いと感じていた。

 それに、この本の何処が良かったとか、あの小説もおすすめだ、といった話をしている時も楽しい時間だと思った。

 決してアリアだけが望んだ時間では無いのだ。



「だから、アリア様お一人が楽しんで、私には迷惑だったと思うのは辞めて下さい。貴方と過ごすこの日の瞬間は、どれも本当に楽しいものでした。それを、他ならない貴方が否定しないで下さい。またアリア様と、こうして読書をしたいとも思っていますから」


 

 アリアの考えを訂正し、俺の真意を伝えようとありのままの感情を紡ぐ。

 俺にとっても楽しかった時間なのだから、それを本人に否定されるのは俺としても不本意なものだ。

 そんな気持ちを理解して欲しく、自身の考えを告げる。


 その言葉を受けどう感じただろうかとアリアの様子を伺えば、彼女は顔を俯けキュッと握った手を胸に当てている。

 そして、



「…………貴方は、ズルいです。そんな事を言われたら、また一緒に読書をしようとお誘いしたくなってしまいます。自分が間違っていないのだろうかと開き直ってしまいます。…………本当に、今の貴方と居ると調子が狂います」

  

 

 その声音には言葉とは裏腹に、確かな喜色が感じられ、俺の気持ちは伝わったのだと安堵する。

 口元も緩みを隠し切れておらず、その表情は小さくとも紛れも無い笑みを刻んでいた。

 

 また誘われる事も全く構わないし、開き直ってなど居ないとも思うが、今は一先ず俺も楽しかったと思って貰えたのなら、それで十分だ。


 

 と、一連のやり取りをしていたが、流石に時間も時間のため、この辺りで切り上げた方が良さそうだと、ふと思う。    

 幾ら人の多い本館とはいえ、他家の令嬢と夜中に二人きりというのもマズい。


「長々と語ってしまい、すみません。私の考えを理解して頂いた所で、そろそろお休みになりましょうか」


「はい。………………あの、明日も少しだけ此処で一緒に読書をしても宜しいでしょうか?」


「はい、勿論。喜んで」


「ッ………その、ありがとうございます。………では、お休みなさい」


「ええ、また明日」


 最後にそんな会話を交わしつつ、アリアを客室へと見送り、俺は離れへと戻る。 


 

 

 余談だが、普段はとっくに自室に居るはずのこの時間に、何故かアンナが起きていた。

 居室にてナイトティーを共に、少しだけ話をしたため寝る時間がさらに遅くなったが、アンナの有無を言わせぬ迫力を前に断る事は出来なかった。


 まあ俺としても今日はアンナとあまり話を出来なかったので、嫌な訳では決して無かったのだが。

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