第69話 気付かぬ真意

 フェルディア伯爵家、本館の書庫にて。

 様々な本を手に取りパラパラと捲っては新たな本へと手を伸ばすアリアを見て、ふと問いかける。


「興味があるものなら、しっかりとお読みにならなくて宜しいのですか?」


「勿論、読みたい気持ちはありますが、一人で読書に集中する訳にもいきませんから。流石にそのような失礼な真似は出来ません」


 と、ある意味常識的な返答だった。

 とはいえ、


「お帰りの時間まで限りはありますが、私の事は気にせず読書をして頂いて構いませんよ。読む機会があるのは此処に居られる間のみですし、後悔があってはいけませんから」


 アリアに持ち帰って貰うという案もあるが、流石に伯爵家の資材でもあるので、それは難しい。

 というより、確実にアリアが遠慮するだろう。

 ならば、帰りの時間まで特に気になるものだけでも読んで貰った方が建設的だ。


「ですが、………それでは、ラース様は……」


 やはり読んでみたい気持ちは強いのか、揺らいでいる様子のアリア。

 とはいえ、俺を気遣う気持ちもしっかりと持ち合わせているのだろう。


「私としては、アリア様にお楽しみ頂く事が一番ですので。……それに、私も書庫にある本を纏めて読む時間が欲しいと思っていましたので、丁度良い機会かもしれません。宜しければ如何でしょう?」

 

「………………………では、お言葉に甘えて」


 悩みに悩んだ結果、やはり読書の誘惑には勝てなかったようで了承するアリア。

 アリアともっと話したい気持ちも確かにあるが、それはあくまで俺の願望だ。

 アリアとしては好きでも無かった俺と、まだそこまで話したいとは思わないだろう。


 そんな事を考えつつ俺も何を読もうかと、書庫の中を見て回った。




 お互いに読書をしながら時折会話も挟みつつ、過ぎるように時間は流れ、3時間程が経過した。

 特に興味がある本に絞っているとはいえ、しっかり読むとなれば一冊当たり1時間程度はどうしても掛かる。

 アリアも選んでいた本の内、半分程しか消費出来ていない。


 しかし、無常にも時刻はいつもアリアが帰る時間となっている。


「そろそろ、お帰りの時間でしょうか?」


「………ええ、そうですね」


 やはり様々な本が名残惜しいのか、何処か表情が晴れないアリア。

 そんな姿を見ているとどうにかしたいと思うが、どうしても難しいものがある。

 一応、方法が一つ無い訳ではないのだが、


「…………今日は我が家にお泊まり頂いて、明日にお帰りになるという方法もありますが。………急に予定を変更するのも、難しいですからね」


 このままフェルディア家に滞在すれば、時間は大幅に確保出来る。

 とはいえ、恐らくライルは許可してくれると思うが、アリアやローレス男爵家には急過ぎる予定だ。

 一応連絡手段自体はあるが、そんな急な変更をされても困る可能性も高い。

 

 と、そう思っていたのだが、アリアから意外な言葉を告げられる。


「いえ、実はその事なのですが。お父様からはフェルディア家に伺う際は、先方の意思次第では滞在させて頂く事は問題無いと、いつも言われています」


「!…………そうなんですね」


 予想外な言葉に驚いたが、よく考えればそこまで意外という訳でも無いかもしれない。

 そもそも貴族同士の訪問なら、歓迎の意味も込めて一泊する事くらい普通だろう。

 

 それに往復でまた日数が掛かるのだから、そもそも日帰りという方が珍しいとも思える。

 今まではラースの事など嫌いだったろうから、日帰りで帰っていたが、往復の時間やコストを考えれば、何日か滞在する方が寧ろ普通だろう。



「ローレス男爵からの許可が頂けているのであれば、後はアリア様の意思次第という事にはなりますが。…………此方でも父上に確認はしなければいけませんが、恐らく断りはしないと思うので」


 諸々の問題は解決したように思えるが、そもそもアリアがその気で無いのなら意味は無い。

 無理に泊める訳にもいかないため、あくまでアリアの考えを尊重して問いかける。


「アリア様のご都合もあるでしょうから、無理にとは申せませんが、……如何致しますか?」


 俺の問いを受け、アリアはやや逡巡した様子を見せつつも、思ったよりも早く結論を出した。


「………では、お邪魔させて頂いて宜しいでしょうか?」


 もう少し悩むかとも思ったが、案外あっさりと滞在する選択をしたため、やや驚く。

 とはいえ、その理由は明白だ。


「承知致しました。…………本当に、読書がお好きなんですね」


 例え嫌っていた婚約者の家に泊まるとしても、書物の存在の方が大きいのだろう。

 そんな思いを抱きつつ、アリアに告げる。


 

 するとアリアは何処か呆れた様な、或いは不満げな表情で俺を見やりながら告げる。



「…………………読書だけが目的、という訳ではありませんが」


(………………?)


 アリアの意味深な表情やその発言の意味が分からず、思わず首を傾げる。

 他に何か、滞在しようと思えるような要因があっただろうかと暫く悩むのだった。





 その後、ライルにアリアの滞在を確認したが、特に問題は無いとの事だった。

 ただアリアからローレス男爵の許可は得られているとはいえ、改めて断りを入れておく事は必要だ。


 しかし、この世界には当然ではあるが電話なんてものは存在しない。

 科学技術の代わりに魔法を用いた文化も大きく発展してはいるが、流石に現代日本程では無い。

 遠方の相手とやり取りをする手段としては、手紙くらいなものだ。


 だが先程も思った事ではあるが、フェルディア家からローレス男爵家へと連絡を取る手段は、実は存在する。

 

 この世界には魔導具の一種である、〈都市間通信魔導具〉というものがある。

 用途としては言葉の通りだが、これは主に貴族領の領都といった主要都市にしか置かれていない。

 扱えるのも基本的には貴族のみであり、使い勝手もそこまで良い訳では無い。


 音声や映像のやり取りが出来る訳では無く、あくまで文字の伝達だけだ。

 文字数にも限りがあるし、必要魔力量も少なく無いため、そこまで気軽に使う事は出来ない。


 とはいえそのような通信手段があり、アリアの滞在をローレス男爵家へと伝える事は問題無く行えた。


 これで本日、アリアはこのフェルディア家へと滞在する事が決まった訳だが、流石に俺がいつも暮らしている離れへと泊めるはずは無い。

 お互いまだ子供であるし婚約者であるとはいえ、未婚の貴族の女性と、他の人間が殆ど居ない離れで宿泊して良い訳も無い。


 という事でアリアは本館の客室に泊める事となり、俺はどうしようかと少し悩んだが、就寝自体はいつも通り離れで行う事にした。

 夕食はライルやセレスも同席しての、本館での食事となり、明るい雰囲気のまま続けられた。

 そして夕食を取り終えた所で、浴室へ向かおうとするアリアへと告げる。


「入浴された後は、就寝まで書庫を利用して構わないそうです。客室で読む事も可能ですので、心ゆくまで読書をお楽しみ下さい」


「ありがとうございます。……………あの、貴方は一緒に読書をされないのですか?私は客室では無く、書庫に居ようと思いますが…………」


 書庫を利用して構わない旨を伝えると、アリアが何処か探るような視線で問い掛けてくる。

 一人の方が集中出来るし、俺が居ては邪魔では無いだろうかと思っていたが。


「私が同席して宜しいのでしょうか?お邪魔かと思ったのですが……………」


「邪魔などという事はありません。……その、貴方とは本の趣味も合いますし、お話ししながらでも、読書は出来ますから…………」


 俺の言葉を否定し、何処と無く照れたような表情でそう告げるアリア。

 俺とはそこまで話したく無いかと思っていたが、思っていたよりは関係も改善出来たのかもしれない。


「承知しました。では、許されるのならばご一緒させて頂きますね」


「当然です。…………あの、書庫に居ますので出来るだけ早く来て下さいね」


「ええ、かしこまりました」


 よく考えれば、他家でいきなり一人というのも落ち着かないのかもしれない。

 ならば、例え俺でも一緒に居てくれる方が有難いのだろう。

 そう考えると、何だかアリアが微笑ましく思え、口元を綻ばせながら返答するのだった。


 



 アリアが本館の浴室へ向かったのと同時に、俺も一度離れへと戻り入浴する。

 現在は浴室を出た後にアンナと出会ったため、軽く話をしている。


「それにしても、アリア様がお泊まりになるなんて、本当に驚きました」


「確かに、いつもは大抵その日の内に帰ってしまうからね。………多分、それだけ本が魅力的だったんじゃないかな」


「…………そういえば、この後も書庫でアリア様と読書をするんでしたっけ?」


「ああ。お一人の方が集中出来るんじゃないかと思ったんだけど、俺もご一緒して良いみたいで」


 と、そんな取り留めも無い会話をしていると、アンナが何処か不満げな様子を見せる。

 その表情は、表現するのならむくれているようにも見える。

 そしてツンとした声音で告げる。


「ふーん。随分とアリア様と仲良くなられたんですね。お二人で一緒に読書ですか。良いですねっ、楽しそうで」


「…………まあ他家に一人で居るっていうのも、きっと落ち着かないんだと思うよ。俺なんかで話し相手が務まるのなら良いんだけど」


 アンナの様子を訝しく思いながらも、そう俺の考えを伝える。

 すると先程の雰囲気から一転、今度は若干呆れたような表情に変わる。


「(………レイトさんって、気遣いも出来て相手の感情の機微とかにも鋭いのに、こういう所は鈍感なんですかね?いや、自己評価が低いからそういう思考にそもそもならないのかも。…………多分読書以外にもレイトさんともっと話したいって気持ちもあるんだと思いますよ……………)」


「…………………?」


 アンナが何かぶつぶつと独り言ちているが、その内容がよく聞こえず思わず首を傾げる。

 とはいえ、恐らくアリアを待たせてしまっているため、あまり長々と話す事も出来ず、本館へと向かうのだった。

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