第56話 生きる世界

 水無瀬令人という本当の俺を、一先ず他の人間には打ち明けないということは決まった。

 しかし、本題としてはこの世界でどう生きていくか、というものなので、まだまだ話し合わなくてはならないことは多い。


「後は、ラースとして過ごす上で、この世界でどういう風に生きていくかということだけど……」


 考えつつもこの問題に関しては、この場で答えを出すことは不可能だろうなと悟る。

 大筋を決めることは出来たとしても、将来の事などまだまだ不確定なものだし、後々になって変わる可能性も大きいだろう。

 

 今まではラースとして、周囲の人間との関係改善だけを考えてきたし、一日一日を生きることで精一杯だった。

 一月という節目を迎えたとはいえ、すぐに今後の展望を描く事も難しいものがある。


 と、そんな事を考えていると、ふいにアンナが口を開く。


「普通は貴族令息ともなれば、15歳になってから王立学院に通うとは思いますが。その後は、ラース様のように家督を継がない立場ならば、文官や騎士として国に仕える、若しくは貴族領地で職に就くといった選択肢が考えられますね」


 貴族の生まれであれば、大体はアンナの言ったような道を辿る人間が多いだろう。

 これが女性なら他家に嫁ぐ事が、そのまま貴族としての務めになる場合も多いが、男性の場合は国や貴族領地に士官する事が常だ。

 まあ、どのような存在にも例外は居るが。


「そうだね。学院卒業後の進路は人によって多様だけど、学院入学はほぼ既定路線と言って良いくらいだからね」


 平民の殆どや下級貴族の生まれならば学院にも通わないという例もあるが、殆どの貴族の子息令嬢は王立学院には通うだろう。


「レイトさんも、王立学院には入学しようとは思っているんですよね?」


 アンナもそこはほぼ決定事項だと思っているのか、確認のように問いかけてくる。 

 俺自身、少し前までは学院入学は当たり前の事だと思っていた。

 しかし、現在では別の進路を辿ろうかという思いが芽生えている。


「そのことなんだけど、絶対とは言えないかな」


「!?………そうなんですか?」


 俺の答えに驚いた様子のアンナ。

 俺自身中々に思い切った選択肢だとは思う。


「勿論、普通に学院に通う可能性もまだあるけど、別の道を少し考えてもいるんだ」


 王立学院入学は、ある意味で安全な道だろう。

 学院で貴族として必要な知識や戦闘の術を身に付け、その後文官や武官として生きる。

 大まかな進路が確立された、生きやすい道だとは思う。


「その別の道、というのは?」


 当然、俺の思い描く他の可能性について尋ねてくるアンナ。

 しかし、それについては、


「…………ごめん、それについてはまだ教える事は出来ない。俺の中でも本当に不確定な可能性だから、もう少し将来の展望が見えてから教えることになると思う」


「そう、ですか。……………分かりました」


 俺の言葉を受け、少しショックを受けた様子のアンナ。

 無論アンナの事は何よりも信頼しているし、出来る限り隠し事などはしたくない。

 

 けれど、俺の考えているもう一つの将来は学院入学とは正反対の、言わば不安定な道だ。 

 しっかりとした道筋がまだ何も見えていない状態で告げることには、どうしても抵抗がある。

 場合によっては、今回隠す以上に不安を与えてしまう可能性もある。

 

 まあアンナに話せない理由は、他にももう少しあるのだが。

 とにかく申し訳無く思うが、今はまだ待っていて欲しい。


 アンナも少しショックを受けた様子ではあったが、将来という重要な話のためかすぐに納得し、引きずっている様子は無かった。



「代わりと言ってはなんだけど、どうして学院に通わない道を考えているのか、ということは話そうと思うんだけど、聞いてくれるかな?」


「はい、勿論です。私も気になっていましたから」


 どういう道を考えているか、ということは告げる事は出来ないけれど、何故学院入学以外の道を考えているのかは告げる事が出来る。

 そして、その理由とは、


「まず一つは、………あまり褒められた理由では無いと思うけど、貴族社会に身を置く事に抵抗があるから、かな。学院に入学すれば、周りは王侯貴族の子息令嬢ばかりだし、貴族社会で生きることはどうしても疲れてしまうと思うから」


 我が儘というか、あまり良い理由では無いが、俺の素直な感情でもある。 

 中にはライルやセレス、アリアの様に善良な存在も居るだろうが、基本的に王侯貴族、それも子息令嬢はプライドが高く、利己的な存在が多い。

 ラース程酷くは無いかもしれないが、似たような気質の人間は多いだろう。

 或いは、ラースより酷い存在が居る可能性も十分にあり得る。


 貴族の世界では身分差別や腹芸が当たり前だろうし、そのような環境に一生身を置くことにはどうしても抵抗がある。


 

 これはある種、俺の我が儘とも呼べる考えで、認められるものでは無いと思っていた。

 けれど、それでもアンナは俺の考えを肯定してくれた。


「それは、別世界の人であるレイトさんには仕方の無いことですよ。家督を継ぐ必要が無い以上、絶対に学院に通わなければならないということは無いはずです。レイトさんの人生なんですから、好きなように生きて良いと思いますよ」


「………ありがとう」


 俺の考えを後押ししてくれるアンナ。

 確かに、俺の考えは現代日本で生きていたが故の部分も大きいかもしれない。

 何にせよアンナがそう言ってくれるのなら、この点については大丈夫だと思える。


「そして、今から話す二つ目の理由が主題でもあるんだけど、…………学院入学の道を選ばないのは、俺がどうしてこの世界に転生したのかを知りたいから、かな」

 

 と、最も強い要因を告げる。

 俺の言葉を受け、アンナは一瞬驚いた表情になったが、すぐに納得する。


「レイトさんが転生した原因を探る、ということは、確かに国や貴族領地に仕える事は出来なくなりますね」


 国家にしろ貴族家にしろ、一定の集団に所属してしまえば、転生した原因を探ることは難しくなる。

 極力、自由に動ける身分の方が都合が良い。


「俺の様に転生した人間や異世界の事を知っている存在、異世界に関する何らかの手掛かり。そういったものを探すとなれば、このアートライト王国以外の土地にも行く必要がある可能性は高いからね。極論、世界中を旅して探すとなれば、一国家に所属する事なんて論外だ」


 

 世界中を探すというのは、流石に飛躍した考えだ。

 そんな事は勿論、簡単に実行出来る訳はない。

 とはいえ、何らかの手掛かりを探す上で、自由な身分というものは必須になる。

 王立学院に通う事はどうしてもデメリットになってしまう。



「………成程、そういった理由があったんですね」


 と、俺の考えに納得を示すアンナ。

 この二つ、特に後者が俺が学院入学に否定的な理由だ。


 だが、実はもう一つ理由がある。

 しかし、それは今告げる事は出来ない。

 今日はこれで二つもアンナに隠し事をしてしまっているが、特にこの件に関してはアンナにだけは知られる訳にはいかない。

 そもそも成功するかどうか、いやそれ以前にどうにかなるかも分からないことだ。 

 今はまだ、俺の心の内に留めて置くべきことだと思う。



「…………………」


 と、そんなことを考えていると、何やらアンナが悩んでいる様な印象を受ける。

 アンナは口を開こうとして、結局閉じてしまう。

 聞きたい事があるが、実際に聞くことが出来ないといった様子だ。


「………どうかした、アンナ?」


 俺の方から尋ねて良いことかは分からなかったが、このままでは状況も動かなかったため、アンナに問いかける。

 俺の問いを受けても、アンナはしばし口を結んだままだったが、やがて…………



「…………レイトさんは、その、………転生した原因などが分かって、もし元の世界に帰れるとなったら、…………やはり、帰ってしまうんですか?」



 不安げな、或いは縋る様な表情で俺を見据えるアンナ。

 その瞳は、憂わしげに揺れている。


 

 成程、先程の話の流れもあり不安にさせてしまったようだ。

 確かに転生した原因を知りたいなどと言えば、アンナからすれば元の世界に帰る手掛かりを探していると思われても仕方が無い。

 配慮が足りず、詳しく説明しなかった俺の過失だ。


 ならば、その考えが杞憂だということをはっきりと伝えよう。

 アンナの不安を取り除くため、優しげな笑みを作ろうと意識する。


「ごめん、不安にさせてしまったね。でも、大丈夫だよ。仮に元の世界に帰る手掛かりが掴めたとしても、俺は帰るつもりは無いから」


「……………!!」


 はっきりと俺の意思を伝えると、驚きに目を見開くアンナ。


「そう、なんですか?」


「ああ。転生した理由を知りたいっていうのは、あくまで純粋に知りたいだけで、知ってどうしようって訳では無いから。俺はこの先、ずっとこの世界で生きていくよ」


 言わば知的好奇心というか、本当に何故この世界に来たのか、ということをただ知りたいだけだ。

 理解出来た上で何かしたいということは無い。

 何なら、最悪分からなくても良い。

 興味以上の何かは無いから。


 まあ、ラースの人格がどうなったのかを明らかにしたいという目的はあるため、出来る限り解明したくはあるが。

 とにかく、帰るために手掛かりを探す訳では決して無い。



 アンナは俺の言葉を受け、安心したように顔を緩めていたが、すぐにハッとしたと同時に告げる。


「ですが、元の世界には御家族や御友人が居たのでは?その方々に会いたいという思いや元の世界に対する未練は無いんですか?」


 アンナの言葉は尤もだろう。

 もし俺と同じ状況になれば、元の世界に帰りたいと願う人は多く居ると思う。

 けれど、


「勿論、そういった気持ちが無いとは言わない。けど、自分でも不思議とその部分は割り切れているんだ。日本において、水無瀬令人が死んでしまったのなら、それはどうしようもない事だから」


 これは転生した直後に思った事でもある。

 新しい世界で生きていくことは当然すぐに受け入れられる事では無かったが、死んだことに関しては仕方の無いことだと割り切れた。

 

 それに、地球において水無瀬令人という肉体が死んでいたとしたら、そもそも戻ることなど不可能だ。

 ラースの身体のまま帰るという事も、戸籍などの問題から無理がある。

 どちらにせよ、現実的な話では無い。


 

 けれど、それら以上に、


「それに、この世界でも大切な存在が沢山出来た。元の世界に帰るということは、この世界での全てを捨てるってことだ。俺にはもう、そんな事を出来る気はしない。…………だから、どちらが大事とかじゃないんだ。どちらも大事だからこそ、選ぶという話じゃない。現実として俺が今生きているのは、この世界だから、俺はこれからもこの世界で生きていくよ」



 これが俺の、ありのままの感情だ。

 アンナを始め、既にこの世界で失いたく無い大切な存在が確かに居る。

 なら、悩む必要なんて無い。

 今居る世界で、そんな存在と共に生きていく。

 それだけで、十分だ。



 そんな俺の言葉を受け、アンナは、




「…………レイトさんが元の世界に帰ってしまうんじゃないかって、凄く不安になったんです。帰って欲しく無いけど、それがレイトさんの願いなら否定することなんて出来ない。…………だから、本当に嬉しいです。この世界の事も大切に思ってくれていて。ありがとう、ございます」



 すっかり不安が取れた、嬉しそうな表情でアンナがそう告げる。

 けれど、寧ろ感謝をするのはこちらだろう。

 

 そう思えた始まりは、君だったのだから。






 

 余談だが、話が一段落ついた後に、


「ちなみに、元の世界には、…………こっ、恋人は居らしたんですかっ?」


 との、アンナからの質問があった。


「あはは、居なかったよ」


 そんな返答をしながら、女の子はやはりこういった話題が好きなのかなと、ふと思った。

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