第2章
第52話 本当の出会い
【アンナ視点】
「………………どうして、分かったんですか?俺がラースでは無いと」
彼がラース様では無いということが確たるものになった驚きも大きかったけれど、唐突に態度を変えられたことが、私には何よりも胸を衝くものがあった。
けれど、流石にその後の話の方が衝撃は大きかった。
彼の正体が何者なのかいつも考えていたけれど、まさか別の世界の人間だとは思わなかった。
チキュウ、ニホン、常識では考えられないようなことだし、すぐには受け入れることは出来なかったけれど、事実としてラース様の身体に別人格である彼の人格が宿っているのだ。
彼の様子もとても嘘を言っているようには見えなかった。
重要なのは、話を聞くに彼は自分の意思でラース様になったのでは無いということ。
この状況は彼にとっても訳が分からず、不本意なものになる。
ラース様の人格が消えてしまったことについて謝罪されたけれど、そんな話を聞いた後では彼に非があるとは微塵も思わない。
元々、彼のことを悪い存在だとも思っていないが。
けれど、
「ありがとうございます。アンナさんにそう言って貰えると、俺も気持ちが軽くなります」
その言葉を聞いた瞬間から、私は冷静では居られなくなってしまった。
これまで築いてきた関係が、私と彼との間にある大切な繋がりが切れてしまったような気がしたから。
その後のやり取りに関しては、本当に後悔している。
勝手に傷ついて、勝手に勘違いして、彼を非難するような言葉を浴びせてしまった。
けれど、それでもどうしても答えが知りたかった。
私と彼とのこれまでは、偽りだったのかと。
「…………違う、…………違います!!」
彼があんなに大きな声を出しているところは初めて見た。
彼があんなに感情を出している姿は初めて見た。
「貴方が居たから、訳も分からないこの世界で生きていこうと思えた!」
私はこの世界で、確かに貴方と共に居たのだろうか。
「貴方が居たから、どれだけ辛くても、苦しくても、また頑張ろうと思えた!」
私はこの世界で、貴方の本物になれていたのだろうか。
「貴方が、…………君が居たから、俺はこの世界でこれまでやってこれたんだ!!」
私が、…………居たから。
「君とのこれまでが、偽りだったなんて有り得ない。………全て大切な、かけがえのない本物だ。君との思い出は、俺にとって紛れも無い、大切な本物だ、…………アンナっ!!」
声を荒げ、必死に感情を訴える姿が、私にそれが本心なんだと告げてくる。
いつも通りに、ただ名前を呼ばれることが、こんなに嬉しいのだと知った。
ずっと確かめたかったんだ。
私が貴方を大切に思う感情が、一方通行では無いのだと。
「ごめん、不安にさせてしまって。でも、改めて言うよ。……君との、アンナとの思い出は全部大切な本物だ。ラース・フェルディアではなく、水無瀬令人として、君の事を心から大切に思っている」
胸が高鳴る、心の奥が甘い感情に溶かされる。
告げて欲しかった言葉ではあるけれど、不意打ちというか、予想以上というか…………
けれど、ここまで言われてこれ以上疑う事なんて出来る訳が無い。
本物、だったんだ。
私と彼とのこれまでの全て。
「はい、信じます。………あんなに真剣に思いを告げてくれましたから」
ちょっとした意趣返しとして、そんな言葉を告げてみた。
我ながら、浮かれ具合を全く隠せていないけれど、後悔はしていない。
珍しく少し照れた様子を見せる彼の姿が、何よりも嬉しく思えたから。
彼との話は一区切りついたけれど、これで全て丸く収まったという訳ではない。
先程の話で彼の境遇についてある程度は理解出来たけれど、まだまだ話すことは残っているし、何より私は彼に聞きたいことがある。
話は彼がこの世界でラース様として目覚めた時のことについてだ。
あの時は彼も混乱している真っ最中だったようだ。
私はその場で転生したことを打ち明けなかった理由を尋ねた。
彼が語った打ち明けることによるデメリットは納得出来るものであり、私自身あの場でそんなことを言われていても、どうしたら良いか分からなかっただろう。
話の流れも丁度良かったので、私はずっと聞きたかったことを彼に尋ねる。
どうして、ラース様として多くの人に謝罪をしていたのか、ということだ。
対する彼の返答は、ラース様として生きていくなら周りの人間との関係を改善することが必要であり、周りの人々のためにもラース様として成長することが必要だというものだった。
その理由は私自身今まで考えていたことではあるし、何もおかしなところはない。
しかし、私が彼が歪んでいるように感じたのは、その度合いの問題だ。
自分ではなく、他人を優先しすぎてしまう彼の在り方には、異常と呼べるものがあった。
私の感じていたことを彼に告げる。
それでも彼は必要なことだと言っていたけれど、何処か迷っているようにも見える。
私は彼の本心を引き出すように、この世界で見てきた彼の不安定さを伝える。
他人から聞かされることで、少しでも自覚してくれたらという思いがあった。
そして、大切なことを告げる。
私はもう貴方が誰なのかを知った。
けれど、もっと深く理解したい。
そして、貴方にも知って欲しい。
私の前では、偽らなくて良いんだと。
飾らない、本当の貴方を見せて良いんだと。
私の言葉を受け、彼は思考に耽る。
この世界での、これまでの日々を想起しているのだろうか。
長い沈黙の果てに、小さな嘆きが放たれる。
「………………………辛かった、苦しかった」
聞き逃してしまいそうな程、小さな本心。
けれど、彼が見せた確かな弱みは、私の心を大きく揺さぶった。
そして、そこからは堰が切れたように感情が溢れ出した。
「………そうだっ、辛かった!苦しかった!訳も分からない世界で、嫌われ者に転生してっ、感じるものは悪意ばかりでっ。……なんで俺がっ、なんで俺がこんな目に遭わなくちゃならないんだって、何度も思った!」
溢さないように、考えないように、ずっと隠してきた偽らない本心だったのだろう。
「理不尽だと思った!こんな世界は嫌だと、何度も思った!でも、俺の事を分かってくれる人なんて誰も居なくて、だから仕方ないんだと、どうしようもないんだと、頑張ってきたんだ!」
推し量ることも出来ない位に、彼は孤独だった。
当たり前だ。知らない世界で、別の人間として生きていかなければならない。
この一月の間、彼がどれだけ傷ついていたのか。
「嫌だった、投げ出したかった。………………それでも、君が居た」
先程の彼の叫びが思い起こされる。
そんな孤独な世界で、私は少しでも彼の力になれていたのだろうか。
「ライルさんもセレスさんも、セドリックさんも、屋敷の人達も、アリアさんも皆良い人で、そんな人達を見ていると、それでも頑張ろうと思ってしまったんだ」
その言葉を聞いて、彼の歪みの一端が垣間見えた感覚があった。
彼は優しい、これまでの日々でそんなことは分かりきっている。
自分よりも他人を優先してしまうことも、きっと彼の確かな気質なのだろう。
それでも、この世界ではより他人の為を考えないと彼は生きていけなかったのだと思う。
理不尽な世界でそれでも頑張るためには、自分の為ではなく、他人の為になるしかなかった。
歪で、脆くて、悲しい在り方だと思う。
けれど、それでも立ち止まらず前を向き続けた彼のことが、何よりも格好良く思う。
今日、初めて確たるものとなった、彼の弱み。
彼としては、本来見せたい姿では無かっただろう。
けれど、本当の彼を見て、これまでの彼への見方が変わる訳ではない。
いや、それは違うだろうか。
少し変わった、かもしれない。
けれど、決して悪い方向にでは無いので、そこは許して欲しい。
それはともかく、彼は今までと違う、見せたことの無い姿を見せた。
なら、私はいつも通りの姿を見せよう。
本心を聞いても、本当の姿を見ても、貴方への思いが変わったりしないことを示すために。
私は優しく、温かい微笑みを心掛けた。
手を握った理由は、あまりはっきりとしていない。
孤独な世界でこれからは私が居るということを伝えかったのか、それとも単に私が彼の手を取りたくなったのか。
けれど、それでも誰かが傍に居るということを伝えたかったのだと思う。
まずは、謝罪する。
これまでずっと貴方の苦しみに気付いてあげられなかった。
本当の貴方を見つけてあげられなかった。
貴方はずっと、たった一人で頑張っていた。
私は、本当の意味で貴方の傍に居られた訳ではない。
けれど、これからは違う。
貴方を理解する人がどれだけ少なくても、例え他の誰も本当の貴方を知らなくても、…………………私が居る。
私がずっと、一番近くで、貴方を見ている。
そのためにも告げなければいけない。
ずっと知りたかった、いつも考えていた。
けれど、今ようやく伝えることが出来る。
「………………………ミナセ、レイトさん」
私たちは今日、本当の意味で出会った。
だから、これから貴方は決して一人じゃない。
そんな思いを込めて告げた名前は、彼の心に響いてくれたのだと思う。
静かに涙を流す彼の姿が、何よりも愛おしく思えた。
その瞬間紐解ける、私の想い。
彼に正体を尋ねた時の、いや彼と過ごす時間の中でずっと考えていた彼に対する私の感情。
或いはとっくに分かっていたのかもしれない。
それでも、名前も、誰かも分からない存在に対して、その感情を向けることには腑に落ちないものがあったのだろう。
けれど、ようやく本当の貴方を理解した先で、胸にすとんと落ちるものがあった。
優しくて、努力家で、温かな人柄。
けれど、辛い事や苦しい事を当たり前に感じる弱さも持っている。
それでも、そこで立ち止まらず、傷つきながらも進み続ける強さを持った、とても格好の良い人。
ミナセレイトさん。
そんな貴方に、私は、……………
恋をしています。
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