婚約者の本音

【アリア・ローレス視点】

 

 フェルディア伯爵家の敷地を出た馬車の中で、思わずため息を吐き出します。

 既に幾度と無く行い、特に新鮮味も無いはずのラース様との会合ですが、今日はとても疲れました。

 とはいえ、そこまで長い時間居た訳ではありませんし、肉体的疲労は特にありません。


 しかし驚く事や考えさせられる事が多く、精神的には非常に疲れました。

 その要因はたった一つ。

 幼い頃からの婚約者であるラース・フェルディア様が改心され、とても変わっていたという事。

 

 フェルディア家の悪童と言えば我がローレス男爵領でも有名な存在ですが、本日お会いした彼は悪童などとは思えないような人でした。

 本当に別人のように変わっていた。


 ラース様の事は正直好きでは無い、というよりはっきり言ってしまえば嫌いでした。

 とはいえ、先程の会合でも話した通り私自身はラース様からそこまで酷い事はされていません。

 ラース様といえど他家の令嬢ということで、一定の線引きはあったのでしょう。


 それでも平民を見下し、他者に横柄に接する貴族にあるまじき姿は、私の理想だったお母様とは真逆であり、許せませんでした。

 けれど、ラース様との婚約を決めたのは他ならない私です。

 自分で選んだ事なのだから、婚約者となった事に文句を言う気などありません。


 私も何とかラース様を更生させられないかと、これまで接してきましたが意味はありませんでした。

 もうこのまま名高き悪童である彼と一生を添い遂げる事になるのかと覚悟していました。


 けれど、彼は変わった。

 本日お会いしたラース様は、これまでの私への態度を真剣に謝罪されました。

 あのプライドの高かったラース様が深く頭まで下げて。

 それだけでも改心されたというのは本当の事なのかと思えました。

 

 けれど幾ら変わられたからといって、私の心は既に熱を失っていました。

 以前は変わる事を望んでいたのに、今更改心したといって、これから関係をやり直す事など考えられませんでした。

 

 だから、ラース様にもそうお伝えした。

 それで引き下がると思いました。

 心に何処か引っ掛かるものを感じつつも、これまでのような生活が続くだけ。

 今更関係を変えた所で、私はラース様との未来を思い描く事が出来ませんでした。



 それでも、ラース様は頭を下げ懇願されました。

 間違いを認め、私の感情を理解しながらも、それでもこの先関係をやり直す機会が欲しいと。


 ラース様ご自身でも仰ったように、勝手な言い分だとは思いました。

 今までは私のことなど見向きもしなかったのに、急にそんな事を言われても困ります。


 

 けれどその真剣な瞳が、感情の籠った言葉が、訴えかけるその心が、冷え切っていた私に再び火を灯しました。

 今の貴方ならば、信じても良いかもしれない。

 今の貴方ならば、空白となっていた未来を描く事が出来るかもしれない。


 面前で真摯に嘆願するラース様から、そう思わせられる程の誠意を私は感じました。

 だから、思いました。

 貴方の誠意に応えるように、私も貴方を信じる努力くらいはしてみよう、と。

 

 

 

 その後の会話では、何も無く信じる事も難しかったため、条件を付けさせて貰いました。

 ラース様と向き合い、今後についてを話し合う。


 その時の感情は、不思議と悪くないものでした。

 嫌っていた相手のはずなのに、妙に話しやすいと感じる。

 共に居るだけで雰囲気は悪かったはずなのに、妙に居心地が良い。


 その要因としては、ラース様の対人能力が高い事が考えられました。

 

 正直以前から会話が弾まなかったり、雰囲気が良く無かったりすることに関しては、私にも責任はあると思います。

 私はあまり人と接する事が得意ではありませんし、表情も乏しいので何を考えているか分からないなどと言われる事もあります。

 物事を難しく表現する悪癖もあるのか、同年代の方とは話が合わない事がしばしばありますし、それが原因で同年代の友人も殆ど居ません。


 と、そのように私自身人付き合いが得意ではありませんが、今のラース様との会話では終始雰囲気が良かった気がします。

 ラース様は気遣いに長けていましたし、頭の回転も早いのか私の言いたい事も察してくれていたと、今になって思います。


 物腰が穏やかで常に丁寧な姿勢なので、とても話しやすい雰囲気がありました。

 変わっているのは内面だけでは無く、話の流れでラース様が痩せている事が分かりました。

 話を聞くと、改心して以降トレーニングを行っているようで、それを聞いてより変わったという事が強く感じられました。


 

 と、ここまで本日のラース様の印象を自分の中で纏めます。

 未だ信じ切れない部分や驚きが抜けない感覚がありますが、それも全て条件で定めた一月後に分かる事でしょう。


 

 と、そんな事を考えていると、ふと馬車の中で対面に座る存在が話し掛けてきます。


「それで、ラース様のあの変わりようは一体どういう事だったんですか?アリア様」

 

 この方は幼い頃から仕えてくれている私の側仕えの侍女です。

 年齢は私よりも大分上の大人ですから、きっと私の事は妹や娘のように思ってくれているのでしょう。

 お父様や我が家の方針もありますが、貴族だからといって過度に恭しくせず、自然体で接してくれる事は私にとって有難いことです。


 と、それはともかく彼女からの質問に答えます。


「どうやら、改心されたようでした。これまでの行いを改め、今後は誠実に生きるとのことで」

 

「えっ、あのラース様が!?…………いまいち信じられない気持ちもあるんですが、本当なんですか?」

 

 彼女は心底驚いたように目を見開いています。

 伯爵家の御令息に対してやや失礼な物言いですが、今は私と彼女しか居ませんし、彼女の気持ちは大きく分かるので仕方ないと思います。


「どうでしょう。まだ何とも言えませんが、今日接した限りでは、確かに別人のように変わっていましたよ」


「あー、確かに少ししか拝見して無いですけど、凄く丁寧な感じでしたね。私達の事をしっかり出迎えてもいましたし」


「そうですね。とはいえ、私もまだ信じ切っている訳では無いので、それは一月後に確かめるとします」


 そうして、私は本日ラース様と交わした条件について彼女に説明します。

 それで彼女も納得したようで、今日の件に対する話はこれで終わったかと思いました。

 しかし、彼女は私が触れて欲しく無かった事を話題にしてしまいました。


「そういえば。客間を出た時のあのやり取りは何だったんですか?何やらアリア様が勘違いしていたような雰囲気でしたけど」


「っっ………………」


 

 あの時の事は、本当に私の失態でした。

 ラース様が私の事を引き留めようとしているなどと勘違いをし、単に見送ろうとしてくれているラース様に酷い言葉も浴びせてしまった。

 あの時は少し動揺していたので、つい気持ちが逸ってしまいました。


 誤魔化そうとしましたが、彼女の追求は止まらず観念して全てを説明します。

 すると彼女は意地の悪い笑顔を浮かべ、愉快そうに告げます。


「あはは。それは完全にアリア様が悪いですね。ラース様はただ見送ろうとしてくれてただけですもんね」

 

「…………自分が悪かったということは、私が一番分かっています」


 自然体で接してくれる事は嬉しいですが、こういった所は少し改めて欲しいとも思います。

 まあ彼女からしたら、子供を揶揄っている感覚なのでしょう。

 本気で貶していないという事は、よく伝わってきます。



 私としても、あんな勘違いをしてしまったのには、理由があります。

 というのも、私は本日のラース様との会合の中で二つの嘘を言っています。


 一つは客間を出る際に、ラース様と話をしたいとは思わないと言った事。

 正直な気持ちを言えば、もう少し話をしてみたいという気持ちも確かにありました。

 

 けれど、別人のように変わった彼に心が追いつかず、あのまま話している事に抵抗がありました。

 これまでとの関係も違い過ぎて、私も何処かおかしくなってしまうような感覚がしたんです。


 だから、話の途中でいきなり帰ろうとするなどという失礼な真似をしてしまいました。

 ラース様が気にされていなかったから良かったものの、あれに関してはラース様の過去など関係無く、問答無用で私の過失です。


 この一つ目の嘘が、私があんな勘違いをしてしまった理由です。


 

 もう一つの嘘に関しては、帰り際に一月後の再会が楽しみでは無いと言った事。

 本音では、また会える事を少しだけ楽しみだと感じていました。

 けれどそれを伝えるのは恥ずかしく、あんな事を言ってしまいました。


 こうして素っ気ない態度を取ってしまう事も、私が近寄りがたい原因なのでしょう。

 けれど、そういえば私は割と失礼な言動をしていたにも関わらず、ラース様は嫌な顔一つせず、穏やかな表情のままでした。


 過去のラース様に限らず、私と話しているとつまらなそうな顔をする方ばかりでしたが、今のラース様はそういった方達と比べても、少し違うのかもしれません。


 

 無論、それだけでラース様の事を好きになるという事はありません。

 彼自身分かっているように、変わったからと言って過去を蔑ろにして良い訳では無い。


 けれど、


 それでも今後のラース様との関係は、もしかしたら私にとっても明るいものとなるのだろうかと、私はふと考えました。

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