閑話

息子の変化

【ライル・フェルディア視点】


 我が家の次男、ラースはどうしようもない程不出来な息子だった。

 勿論私も妻のセレスも、こんな悪童に育つような教育はしていない。

 現に長男は王立学院に成績上位者として入学し、その後も高成績を維持している秀才だ。


 とはいえ、健やかに育ってくれるのなら、別に優秀になどならなくても良い。

 伯爵家の生まれということで一定の能力は必要とされるだろうが、人として正しく成長してくれるのなら、それだけで十分だった。


 けれど、ラースは駄目だった。

 傲慢で横柄な性格、自分こそが絶対であり他者を見下すような、人としてあるべきでは無い姿は許せるものではなかった。

 どうしてこんな悪童に育ってしまったのかと、苦悩の日々だった。


 無論、矯正は何度も試みた。

 言葉で説くことは勿論、離れに追い出したことも自分がどれだけ恵まれた存在なのかを理解して欲しかったからだ。

 先方の希望もあり、ローレス男爵家の令嬢アリア君との婚約も認めた。

 婚約者の存在で、少しでもラースが善良な方向へと変わって欲しかった。


 けれど、そのどれもが上手くいかなかった。

 負担を押し付ける形となった、アンナやアリア君には申し訳無い気持ちが強い。


 我が次男は今後一生、このような人として最低な存在として生きていくのだろうかと、覚悟した。

 

 

 けれど、転機は唐突にやってきた。

 ラースが騎士との模擬戦の最中に頭を打ち、気絶してしまったという話を聞いた。

 詳しく聞かずともラースの過失だと分かるが、その場に居た騎士達にも何らかの処罰は与えなければ、示しがつかない。

 そのことを申し訳無く思いつつ、医師の話を聞くと軽く頭を打った程度で特に問題は無いらしい。

 セレスは酷く心配しラースの元へ行こうとしていたが、罰の意味も込めて此方から会いにいくことは止めよう、と説得した。


 その日の晩、ラースが私達の元を訪ねて来たとの報告が入った。

 向こうから会いに来るのなら、拒絶したりはしない。

 しかし、どうも報告に来た使用人の様子がおかしい。

 話を聞くと、ラースの様子がいつもと全く違うということだった。

 意味は全く分からないが、その使用人も理解出来ていないことなので、実際に会って確かめた方が良いだろう。

 

 そう思いラースを待っていると、ドアがノックされる。

 そして同時に、


「ラースです」


 と、息子の声が聞こえる。

 

 我ながら返答が遅れてしまったのは、仕方が無いことだと思う。

 ラースがこんな丁寧な入室をしたことなど、一度も無かった。


 「失礼します」と告げながらラースが入ってくる。

 それだけでも私は驚きで身体が固まってしまった。

 隣に目を遣ればセレスも驚き、目を見開いている。


「お久しぶりです。父上、母上」


 そんな挨拶をしてきた時には、目の前の存在が本当にラースなのか疑ってしまった程だ。


 もしや先程気を失ったことで、何か身体に悪影響があったのかと思ったが、話を聞くとそういう訳では無かった。

 

 

 曰く、改心したとの事だった。


 

 ずっと願ってきたことだった。

 我が息子が善良な性格に変わって欲しいと、長年願い続けて来た。

 

 けれど、その言葉を聞いた時の私は至極冷静だった。


 真実ならば、これ程嬉しいことはない。

 だが、それだけで本当だとは思えない位に、私はラースへの信用を失っていた。

 

 まだ頭に何か問題があったという方が納得出来るし、ラースならば何か良からぬことを企んでいるのではないかと思ってしまう。 

 ラースにありのままの感情を告げると、セレスが悲しそうな面持ちで私を見ていた。


 しかし、ラースは冷静に私の言葉を受け止めていた。

 自分の信用がないことを理解し、それでも真実なのだと誠意ある態度を示した。

 そして、頭を下げ謝罪までした。


 ここまでされてしまっては虚偽だろうと、無碍にする事も出来ない。

 まさか本当なのだろうかと、私も淡い期待を抱く。

 けれど、その後のセレスの言葉で逆に私の心は水を打った様に静かなものとなった。


 例え改心したということが本当だったとしても、これまでのラースの行いが消える訳ではない。

 これまでの罪を償うためにも、変わったのだと証明するためにも、今後の姿勢で評価するべきことだ。



 私がすぐに赦しはしないということを告げても、ラースは落ち着いたままだった。

 けれど、少しだけ悲しそうな表情をしただろうか。


 ラースは、自らのこれまでの行いがすぐに赦される事では無いと理解していた。

 ならばどうするのかと、私は問いかけた。

 私達はラースへの信用を失っている、屋敷の人間も街の住民も、そもそもラースの悪評は王国内でも広まっていることだ。

 そのような中、どう生きていくのか、と。



「誠実で、在り続けるだけです。俺のこれまでの行いが消えることはない。どうしたって、印象は最悪から始まる。……けれど、いやだからこそ、ただ誠実に生きていきます。認めてもらう、その日まで」


 

 その目を見れば、覚悟が本物だということは伝わってきた。

 

 疑心も、不安も、心配もある。

 けれど、見守ろう。

 ようやく変わった息子を信じることが、親の務めなのだと、そう思ったから。



 

 

 その後の日々では、極力ラースとは顔を合わせないようにした。

 私達の前でだけ、演技をしている可能性もあったからだ。

 

「どうだ?セドリック。ラースの様子は」


 目の前の存在に問いかける。 

 フェルディア伯爵家、騎士隊の隊長セドリック。

 王都からフェルディア領へと戻って来た所を何とか説得し我が家に来て貰った、文武ともに非常に優秀な存在だ。

 私より一回り大人なセドリックには、今だに頭が上がらない、頼りになる存在でもある。


「今の所、極めて良好と言う他無いですな。日々の生活態度も何の問題もありませんし、先日の屋敷の人間達への謝罪も、誠意あるものでした」

 

 どうやらラースは本当に改心したようだ。

 まだ信じ切るには早いが、一定の信頼は置いても良いだろう。


 セドリック以外にも監視を任せている存在は何人か居る。 

 その誰もが良好という判断をしている。


「改心した、ということは本当のようだな」

 

「この一週間だけで考えれば、寧ろ非常に優れた人間性の持ち主だとすら思えます。日々の鍛錬も一日中行い、継続させているようですし。別人なのかと錯覚する程です」


 セドリックの話を聞き、確かにと納得する。

 落ち着いた態度に、他者への気遣い、柔らかな物腰、鍛錬を続ける努力、どれを取っても出来た人間としか思えない。

 本当に別人だと疑ってしまう程だ。

 まあ、そんな訳は無いが。


「……そういえば、ラースに剣の指導しているのだったな。その様子はどうだ?」


 鍛錬の話で思い出したことをふと尋ねる。


「今はまだ、あくまで素振りだけですが。……非常に教えがいのある方です。話を良く聞き、規定された回数をしっかりとこなす。分からないことは丁寧に尋ね、出来るまで投げ出したりはしない。理想の生徒、といった所ですな」


 随分な高評価に、静かに驚く。

 セドリックは元来、自他共に厳しいタイプだ。

 このように人を評価することはあまり無い。


「珍しいな。お前がそこまで言うとは」

 

「まあ元々が酷かったので、相対的により良く見えるということもあるかもしれません。ですが、それ程に今のラース様は善良な方だと思います。私も話をしていて、大人と話している感覚というか、長年の友人と居るような感覚があります。それ程、ラース様の対人能力が高いのでしょう」


 セドリックの話には頷けるものがある。

 改心して以降のラースとしっかりと話したのは、先日の一件だけだが、確かに落ち着いた佇まいに、理解の早い思考は、話しやすいと感じるものがあった。

 セドリックがここまでの評価をすることも、不自然なことでは決して無い。


「とはいえ、あくまでまだ一週間です。より期間を置いて、長期的に判断する必要はあるでしょう」


 と、そう告げるセドリック。

 尤もな意見だ、まだ全てを赦すには早過ぎる段階だ。

 




「うふふっ」


 寝室で、隣に居るセレスが嬉しそうに微笑む。

 ラースが改心したあの日から、セレスはずっとご機嫌だ。

 いや、日増しに嬉しそうになっている。


 それも当然だろう。

 ラースに関する報告が入る度に、息子の高評価が聞けるのだから。


「嬉しそうだな、君は」


「ふふ、当たり前じゃない。ラースがやっと良い子になってくれたんだもの。貴方は嬉しくないの?」


 ラースのあれだけの変化を「良い子になった」だけで済ませるセレスは相変わらずだ。

 

 けれど、それが彼女の美徳だ。

 裏表が無く、いつも明朗な人柄は周囲の人間も明るくする。

 私も何度も、彼女に救われた。


「勿論、嬉しいさ」


「このままラースが良い子で居てくれたら、私達の関係も普通の親子に戻れるのかしら」

 

 と、少しだけ顔を憂慮に歪め、呟くように告げるセレス。

 そうだ、私達がずっと願ってきたことだ。

 それが、淡い理想ではなく現実として見えてきている。


「ああ、きっとなるさ」


 

 未だ、ラースを完全に赦すことは出来ない。


 けれどもう少し様子を見て、それでもラースが変わったままなのなら、その時は…………


 その時は過去を清算し、親子として一からやり直すことが出来るだろうかと、私は密かに願った。

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