第51話 ミナセレイト

 崩れかけていた俺とアンナとの関係は、どうにか元通りにすることが出来た。

 話も一段落着いてはいるが、俺のことについてはまだまだ話すことが多く残っているだろう。

 とはいえ、この雰囲気では今すぐに話し始めるのも難しい。


 一先ずは、


「えっと、ごめん。先は大きな声を出して」


 とりあえず、先程から大声で色々と語ってしまったことを謝罪する。

 本当に、………本心を伝えるためとはいえ、相当に恥ずかしいことをしてしまった。

 まあ、後悔はしていないが。


「いえ、………その、私こそ感情的になって、色々と失礼なことも言ってしまって」


 アンナも先程のやり取りについて、そう謝罪する。

 心なしか、その顔は赤く染まっている。


「いや、元はと言えば俺が原因だから、アンナさ、…………アンナが謝ることではないよ」


 今まで心ではアンナさんと呼んでいた弊害か、ついそう呼んでしまいそうになる。

 しかし、先程のやり取りを終えた今では、令人としても他人行儀にならなくて良いだろう。


「いえ、貴方のせいでは………」


 と、俺を気遣うアンナ。

 まだ俺の事を何と呼んだら良いのか分からないみたいだが、それも仕方ないだろう。

 今までずっとラースと呼んでいたし、姿はラースのものなので急に別人の名前で呼ぶのも難しいだろう。


「………じゃあ、お互い様ということにしようか」


 俺とアンナが謝り合った時には、結局いつもこの形に落ち着く気がする。


「……ふふっ、そうですね」


 アンナもそんなことを思ったのか、少しおかしそうに笑っていた。



 

 話し合うべきことは山程あるが、一先ずは、


「アンナ、改めて謝るよ。悪意が無かったとはいえ、今まで騙すようなことをしてしまって。本当にごめん」


 と、令人であることを隠して接してきたことを謝罪する。


「いえ、先程は私も感情的になってあんなことを言ってしまいましたが、貴方のことを悪くなんて思っていません。それに、先程の話を聞いたらそれが自然なことだと思うので」


転生など諸々の話を聞いたアンナは、俺の境遇を理解して、それが当然だと言ってくれた。

 アンナが悪く思っていないようで何よりだ。


 すると、アンナが続けて、


「でも別の世界や転生なんて、本当に驚きました。貴方が誰なんだろうとずっと思ってはきましたが、まさかそんな経緯があったなんて………」


 と、語る。


 

 しかし、先程のやり取りから少し感じていたことではあるが、俺の正体を明かしてからのアンナの印象は今までと少し異なるものがある。

 単純に俺がラースでは無いと確定したからかと思ったが、アンナにも素の性格と目上の存在に対するもので少し差があるのかもしれない。

 

 勿論、それを悪くなんて思わないし、寧ろ素で接してくれることを嬉しく感じる。

 あまり身分差を気にされるよりも、フランクな態度の方が俺も好ましいからな。

  

 と、それはともかく、


 

「俺もこの世界でラースとして目覚めた時は、本当に驚いたよ。初めはどうしたら良いのかも、全く分からなかったからね」

 

 この世界で初めて目覚めた日のことを否応無しにも思い返す。

 ラースとしての記憶があったことでパニックに陥るようなことは無かったが、それでも随分と思い悩んだ。

 そう考えると、一ヶ月という短い期間とはいえ、よく今までやってこれたなと、心の中で笑ってしまう。


「けれど、その場で打ち明けようとは思わなかったんですか?」


 と、アンナが尋ねてくる。

 それ自体は俺もすぐに考えたことだが、同時に打ち明けることによる危険性も考えついてしまった。

 そのことをアンナに告げると、


「確かに、唯でさえよく分からない状況なら、慎重になることが重要ではありますね。………ですが、貴方はやっぱり凄いですね。私が貴方の立場だったら、そんなに色々と考えられないと思います」


 と、俺の言葉に納得を示しつつ、俺の事を持ち上げてくれるアンナ。

 その言葉は有り難くはあるが、


「そんなことは無いよ。あの時は俺も、分からないことだらけだったし」


 この世界でどう生きていくべきかを必死に考えていただけで、決して余裕があった訳でも、上手くやれていた訳でもない。


「そんなことは………でも、それで一先ずは、ラース様として生きていこうとしたんですね」


「ああ」


 ラースがどうしようもない悪童だと分かった時は、なんでこんな子に転生したんだと悩んだことを思い出す。

 ライルやセレス、屋敷の人々など、今は関係も大分改善しているが、初めの頃は本当に酷かったからな。


 

 と、そんなことを考えていると、アンナがどこか硬い表情をしていることに気付く。

 急にどうしたのだろうと考えていると、ふとアンナが口を開く。


「あの、そのことに関してずっと伺いたいことがあったのですが、………何故貴方は、ラース様として多くの方々に謝罪していたんですか?」


 と、そう尋ねる。


 アンナの問いは少し予想外のものだった。

 けれど、それは、


「………それは、ラースとして生きていく上で、周りの人達との関係を改善していくことが俺にとっても良いことで、他の人達の事を思えば、ラースとして立派になることが必要かなと思ったんだよ」


 そう、俺はずっとそういう理由で誠実で在ろうとしてきた。

 しかし、


「はい、その理屈は分かります。貴方の考えが間違っていないとも思います。………けれど、それでも貴方がラース様の罪を背負う必要までありましたか?」


 俺の考えを理解した上で、尚もアンナはそう問いかけてくる。

 

「それは、…………ラースとして生きていくなら、必要な事だと俺は思ったけど。……そうするしかないと」


 初めは理不尽に感じたし、納得出来ない部分も多かった。

 それでもアンナを始め、周りの人々に恵まれた俺にはその必要があると思った。

 だから、今では何とも思っていない。



 いない、はずだが…………

 何故だろう、アンナの真剣な眼を見ていると、どうしてか心が揺れ動く。

 アンナは何を伝えたいんだろうか、そして俺は何を悩んでいるんだろうか。


 そして、さらにアンナは続ける。

 

「そう考えられる貴方は、本当に凄いと思います。でも、それは理不尽なことだと思いませんか?貴方は、辛くは無かったんですか?」


 俺の眼を捉えて離さないアンナの視線が、妙に鋭いものに感じる。 

 咄嗟に眼を逸らしてしまった俺は、自分が何を後ろめたく思っているのかが分からない。


 アンナの言葉を受け、考える。

 理不尽だとは、………勿論思った。

 けれど、アンナとの一件があってそのことは納得出来たし、その後に出会ったライルやセレス、屋敷の人々のことを思えば、大丈夫だと思えた。


「それは、……そう思った事が無かった訳では無いけど、周りの人達のことを考えれば………」


 と、俺がそう告げると、アンナは何処か悲しそうに表情を歪める。

 そして、


「それです。貴方はいつもそうやって、自分では無い誰かを優先する。他人のことを考えられるのは素晴らしいことですけど、もっと自分のことも考えてあげて下さい」


 と、そう告げるアンナ。

 

 

 そう、なのだろうか。

 自分でもよく分からない。

 人に恵まれた俺は、その人達に恩を返さなくてはいけないと思った。

 けど、それと自分のことを考えないのとは、確かにイコールでは無いのかもしれない。


「私には、ずっと貴方が酷く不安定に見えていました。いつも自分ではなく他人のことばかりで、常に完璧であろうとして、ずっと気を張っているみたいで、………そんな貴方の生き方が悲しかった」


 そう、今までの俺に対する印象を語るアンナ。

 アンナの目には、ずっとそう映っていたのだろうか。

 自分では気付かなくても、アンナがそう言うのなら、実際にそうだったのかもしれない。


 それでも、


「俺は……………」

 

 

 言葉が続かない。

 自分の思考と感情が一致していないみたいに、心からの言葉が出てこない。

 

 そんな俺の様子を見て、唐突にアンナが問いかけてくる。


「………以前に私が、同じようなことをお聞きしたことを覚えていますか?」

 

 同じことをアンナに尋ねられた時、勿論覚えている。

 

「ああ、勿論覚えてるよ」

 

「あの時、貴方はそれが自分の決めたことだからと、そう言っていましたよね。でも、それは肯定はしていないけれど、否定もしていません。………貴方は、本当は辛かったのではありませんか?」


 と、そう問いかけてくるアンナ。

 確かに、あの時は自分がそう決めたのだからと、無理矢理納得した側面はあったかもしれない。


 

 アンナの言葉が妙に心に溶けていく感覚がある。

 アンナの言葉に俺は納得しているのだろうか。

 俺は、…………そんなにこれまでのことを辛いと思っていたのだろうか。



「………私はもう、貴方のことを知りました。だから、私の前ではこれ以上偽らないで欲しいんです。私の前でくらい楽になって欲しいんです。………本当の貴方を、もっと知りたいんです」

 

 アンナは真剣で、それでいて少し悲しそうな表情で、そう俺に訴えてくる。



 

 

 アンナの言葉を受け、この世界でのこれまでを振り返る。

 

 目が覚めたら、全く知らない場所で、全く知らない人間になっていた。

 それが別の世界で、家族も友達も、知り合いすら居ない世界だということを知った。

 転生した人間は、どうしようもない悪童で周りの人間ほぼ全てから嫌われていた。

 勿論、優しい人も居たけれど、感じるものは悪意ばかりだった。

 そんな現状を少しでも良くするために、運動も日々の生活も必死に努力した。

 自分のしたことでも無いけれど、多くの人に謝って、今後の関係を改善出来ないかと訴え続けた。


 

 そうだ、俺はずっと頑張ってきたんだ。

 誰も俺のことを知らない世界で、水無瀬令人が居ない世界で、ずっと一人で努力してきた。


 どれだけ、そうするしか無いんだと、頑張ってきたんだ。



 ………………ああ、そうか。

 

 初めから、分かっていたんだ。

 当たり前のことだった。

 

 一人ぼっちの世界で、誰かの罪を背負わされて、多くの人に頭を下げて、好きでもない人間として生きていく。

 

 そんな日々は、そんな世界は…………



「………………………辛かった、苦しかった」


 掠れるほどの声量で、本心を紡ぐ。

 目の前の存在にも、ともすれば自分でも聞こえなかったかもしれないような、小さな嘆き。


 けれど、一度認めてしまえば、もう覆すことは出来なかった。



「………そうだっ、辛かった!苦しかった!訳も分からない世界で、嫌われ者に転生してっ、感じるものは悪意ばかりでっ。……なんで俺がっ、なんで俺がこんな目に遭わなくちゃならないんだって、何度も思った!」

 

 俺の心は知らず知らず、限界を迎えていたのかもしれない。

 罅割れたガラスの様に、ギリギリまで水を張ったコップの様に。

 壊れそうだったんだ、零れそうだったんだ。

 だから、一度溢れてしまえば、もう止められなかった。


「理不尽だと思った!こんな世界は嫌だと、何度も思った!でも、俺の事を分かってくれる人なんて誰も居なくて、だから仕方ないんだと、どうしようもないんだと、頑張ってきたんだ!」 

 

 違う、何より大切な存在の前でこんなみっともない姿を晒したかった訳ではない。

 けれど、その温かな眼差しが楽になって良いんだと、素直になって良いんだと、俺を許してくれるんだ。



 そうだ、あの時もそうだった。

 君が赦してくれたから、あの時その優しさに触れたから。

 それでも、頑張ろうと思ったんだ。


「嫌だった、投げ出したかった。………………それでも、君が居た」


 真っ暗な世界の中で、温かな光が確かにあった。

 そして、次第に光は強くなった。


「ライルさんもセレスさんも、セドリックさんも、屋敷の人達も、アリアさんも皆良い人で、そんな人達を見ていると、それでも頑張ろうと思ってしまったんだ」


 

 俺はきっと、理由を求めていたんだろう。

 

 自分の為、では俺はきっと頑張れないから。

 アンナの為、両親の為、アリアの為、周りの人々の為、そうやって自分以外の何かを理由にして、頑張らないといけない言い訳にしていたんだ。


 アンナが、俺が自分より他人を優先するように見えたのは、きっとそのせいだろう。


 けど、そんな生き方には限界があった。

 いつまでも続くはずも無かった。

 それで大切な存在の前でみっともなく喚いているのだから、本当に俺は馬鹿だな。


 

 そんな存在は、今の俺を見てどう思っているのだろうか。

 醜い本心を聞いて失望されただろうか、本当の姿を見て嫌われてしまっただろうか。

 

 遅すぎる自嘲を抱えながら、アンナの顔を見上げる。 



 

 彼女は普段通りの、優しげな微笑みを浮かべていた。


 

 

 その瞬間、確信する。

 ああ、俺はまたこの微笑みに救われるのだろうと。


 アンナが一歩近づき、俺の手を握る。

 突然の行動に驚いたが、振り払うことも出来ず、受け入れてしまう。

 その眼差しとは裏腹に、ひんやりとした冷たい手だった。


「ごめんなさい、貴方の苦しみに気付いてあげられなくて。ごめんなさい、本当の貴方を見つけてあげられなくて」

 

 少しだけ表情を悲しげに歪め、そう謝ってくるアンナ。

 彼女が謝る必要など無いのに、まるで自分のことのように苦しそうな声音だ。


「辛かったですよね。苦しかったですよね。たった一人でずっと頑張ってきたんですよね」


 そうだ、俺はずっと一人だった。

 どれだけ周りに恵まれようと、本当の意味で俺の傍に居てくれる人はいなかった。

 本当の俺を見てくれる人は、誰もいなかった。


 

 けれど、……………



「貴方の苦しみに気付けなかった私に言えることなのかは分かりません。本当の貴方を見つけられなかった私に、その資格があるのかは分かりません。…………それでも、言わせて下さい。他ならない、貴方のために」


 

 ずっと願っていた。

 この世界で、いつか告げて欲しい。

 その言葉をずっと望んできたんだ。




「…………………これからは、私が居ます」


 

 瞬間、胸が熱くなる。

 心臓の拍動が強まる。

 

 真っ暗な世界で初めて俺を照らしてくれた時のように、また君が俺を明るく導いてくれるのだろう。



「貴方の事を知る人がどれだけ少なくても、例え他の誰も貴方を見つけてあげられなくても、私が居ます。………私が、一番傍で、ずっと貴方を見ています。……………ミナセ、レイトさん」



 ああ、そうだ。

 俺はずっと、……名前を呼んで欲しかった。


 誰も俺を知らないこの世界で、ラース・フェルディアではなく、水無瀬令人として、俺のことを認めて欲しかった。


 叶わないと思っていた。

 儚い幻想だと諦めていた。

 

 

 けれど、君が俺を見つけてくれた。

 その微笑みが、また俺の心を救ってくれた。


 だから、俺はもう大丈夫。


 この先、どれだけ傷ついても、迷っても、君が見ていてくれるから。


 だからきっと、…………


 涙を流すのは、これが最後だ。

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