第50話 君が居たから

「……………………貴方は、誰なんですか?」


 聞こえてきたその言葉が、目の前の存在が放ったものだと信じたくは無かった。

 それでも、動揺して言葉が出ないようなことが無かったのは、数日前に似たような経験があったからだろう。


「…………えっと、ごめん。よく意味が分からないんだけど、…………俺はラースだけど?」


 自分では不自然さは無く対応出来たと思う。

 仮に少し動揺があったとしても、単純に突然意味の分からないことを言われたから、という免罪符がある。

 即席にしては、十分な返答だっただろう。

 

 けれど、


「はい、姿形は間違いなくラース・フェルディア様です。ですが、………中身は、違いますよね?」


 

 瞬間過ぎる、諦念の二文字。

 

 ……………これは、駄目だ。 

 アリアの時とは明らかに違う。

 アンナは間違いなく、確信を持って尋ねてきている。


 何故、どうして、疑問は尽きないけれど、覚悟するしかない。

 俺がこの世界で積み上げてきたものは、今この瞬間に崩れ去ってしまったのかもしれないと。


 気持ちを整えるため、小さく息を吐く。

 その吐息は、震えていた。



「………………どうして、分かったんですか?俺がラースでは無いと」

 

 正直一人で考え込みたい気持ちで一杯だったけれど、この状況でそんな真似が許されるはずもない。


「……………!?」


 俺がラースでは無いと認めたからか、それとも急に俺の口調が変わったからか、酷く動揺した様子のアンナ。

 俺の返答を聞くまではもしかしたら、という思いもあったのだろう。

 けれど、その疑念は確かなものになってしまった。

 

 だから、気付いてしまった。

 俺を捉えるその視線が、明らかにこれまでのものとは違うことを。


「………やっぱり、……ラース様では、無いんですか?それなら、貴方は誰なんですかっ?どうしてラース様の身体に、別の人が!?」


 そう、アンナは俺のことを問い質してくる。

 アンナにはその権利があるし、その気持ちは当然のものだろう。

 けれど、


「分かっています、全てお話しします。ですが、その前に教えて下さい。貴方はどうして、俺がラースでは無いと気付いたんですか?それだけは、今教えて貰えませんか?」


 そう、ここだけははっきりさせなければならない。

 アンナが何故気付いたのかは分からないが、実例が確かに居るということは、他にも気付く存在が居る、或いはこの先生まれる可能性はある。

 アンナには、絶対に理由を聞いておかなければいけない。


「………っ。………私が、気付いたのは何か確証があったからではありません。それでも、私は此処で、一番近くで、一番長くラース様のお傍に居ました。御当主様や奥様よりも、セドリックさんや御屋敷の方々よりも、アリア様よりも。………だから、分かります」


 未だ俺の口調に慣れないからか、ぎこちない様子ではあるが、そう答えるアンナ。

 その答えを聞いて、一先ず俺は安堵した。

 アンナが気付いた理由として、何か決定的なものがあった訳では無いからだ。

 口調か、仕草か、雰囲気か。

 可能性は色々とあるけれど、それはあくまで常にラースの傍に居たアンナだからこそ感じ取ったものなのだろう。

 ならば、他の人が気付く可能性は、心配する必要は無いように思える。


「ありがとうございます。………それでは、俺のことについてもお話しします。ただ、荒唐無稽な事ばかりで、信じられないとは思います。それでも、誓って嘘は言いません」



 そうして、俺は全て説明した。

 とはいえ、この世界に来たことについて俺自身分からない事ばかりなので、完全な説明にはなっていない。

 それでも前世のことやこの世界で目覚めたこと、多くを説明するため、相応の時間を要した。


 想像の埒外過ぎて、理解が難しいだろう。

 出来る限り噛み砕いて分かりやすく説明することを心掛けたが、それでも普通はすぐには理解出来ないし、信じられる話ではない。


 説明を全て聞き終えたアンナは、呆然とした様子で、


「……別の世界……転生…チキュウ、ニホン」


 俺が告げた言葉をうわ言のように呟くアンナ。

 俺がこの世界で目覚めたことが本当に転生かどうかは分からないと一応告げはしたが、そこはアンナにとっては些細な問題だろう。


 しばし静寂が空間を支配する。

 そうして、一人理解に努めていたアンナがようやく口を開く。


「………………本当、なんですか?」


「はい。誓って、嘘ではありません」


 それでもまだ、信じ切れない様子のアンナだったが、事実としてラースの身体に俺の人格が宿っているという証明もあるからだろう。

 長考の果てに、納得する様子を見せた。



「…………貴方が元々別の世界の存在で、ラース様の身体にその人格だけが宿ったということは、一先ず分かりました。ですが、それでは貴方は自らの意思でラース様になった訳では無い、ということですか?」


 信じられない思いはあるだろうけれど、俺の言葉を纏めてそう問い掛けてくるアンナ。


「はい。俺としてもこの状況は何がどうなっているのか、本当に分からないんです」

 

 ここに関してだけは、俺も説明のしようが無い。

 どうしたらこんな事になるのか、考えたところで分かる問題でもない。


 俺の返答を受け、さらに考え込むアンナ。

 そして数秒の思考の後に、



「………それでは、本物のラース様はどうなってしまったのでしょうか?」


 と、元のラースの人格について尋ねる。

 自然な疑問ではあるし、アンナとしては確認しておきたい問題だとは思うが、この事に関してはあまり尋ねて欲しくはなかった。

 アンナにとっては聞きたくない答えだと思うから。


「……確実な事は言えませんが、この身体に俺という人格が紛れもなく宿っている以上は、ラースの人格は消えた、ということになります」


 或いは、日本の水無瀬令人の身体にラースの意識が生まれ、転生ではなく人格が入れ替わっているなどの可能性も考えられるが、この世界から消えたということに関しては同じだろう。


「…………ッ」


 俺の言葉を受け、ショックを受けるアンナ。

 酷い悪童であったラースの事でも、アンナは大切に思っていたのだろうか。



「…………すみません」


 何の意味も無い事を理解しながらも、アンナに向けて謝罪する。

 俺もしたくてした事では無いが、俺という人格と入れ替わる形でラースの人格が消えてしまったことも事実だ。


 けれど、


「そんなの、………貴方だってなりたくてなった訳では無いんですから。貴方を恨む気持ちなんて、少しもありませんよ」


 そう、俺を気遣う様子を見せるアンナ。

 この子が底無しに優しいことは知っていたが、少しくらいは俺を非難しても良さそうなのに。

 

「ありがとうございます。アンナさんにそう言って貰えると、俺も気持ちが軽くなります」


「……………ッ」


 そう告げると、アンナが俺の言葉に反応する。

 そして、思いも寄らなかった所を指摘する。


「………先から、なんでいつもと口調が違うんですか?今だってさん付けで呼んで、いつもみたいにアンナとは呼んでくれないんですかっ?」


 そう、俺の態度の急変振りを問い質してくる。

 正直、そこを指摘されるとは思っていなかった。

 俺がラースでは無いと確定した時点で、態度を変えるのは俺にとっては自然なことだと思えた。


 それに、


「…………貴方が慕ってくれているのが、ラースなのだとしたら、………俺が親しく接することは、出来ませんから」


 俺はこれまでラースとしてアンナに接してきた。

 親しげな態度で居られたのは、あくまでその前提があったからだ。

 令人としての俺がこれまでの様に気安く接することは出来ない。


「そんな、………私は、そんなこと…………」


 辛うじて聞こえるアンナの声。

 その言葉が何を意味しているのか、心の内で何を思っているのかは分からない。

 けれど、その声音が悲しげに聞こえたことは信じても良いのだろうか。


 少しの沈黙の後にアンナが口を開く。



「じゃあ、今までは全部演技、だったんですか?ただラース様として接しているだけで、私のことなんて何とも思っていなかったんですかっ?」


 語気を荒げ、そう問いかけるアンナ。

 

 それに対して俺は、


「………ッ。それは…………」


 違います、と言おうとして言葉が出てこなかった。

 果たして、本当に違うと言えるのだろうか。


 元のラースの人柄を真似ることは流石に出来なかったけれど、俺はこれまでラース・フェルディアとして生きてきた。

 ラースとして在ろう、としてきた。

 

 悪意なんて無かったけれど、アンナや他の人達を騙していたことに変わりはない。

 それで本当に違うと、偽り無く言えるだろうか。


 そんな風に二の句を継げない俺を見て、


「…………否定して、くれないんですか?」


 悲しげな表情と声音を湛えるアンナ。

 

(……………ッ)

 

 そんなアンナの様子を見て、すぐに否定しなかった自分を心底恨んだ。

 下らない不安に囚われず、水無瀬令人としても君のことを親しく思っていたと告げれば良かった。

 

 けれど、一度迷ってしまえばすぐには抜け出せなかった。


「ッ………これまでの全て、嘘だったんですか!?此処で、私と一緒に居た貴方は全部偽りだったんですか!?ラース様として振る舞っていただけで、本当の貴方は私のことなんてどうでも良かったんですか!?」


 声を荒げ、そう問い質すアンナ。

 

 違う、そんなことは無い、その簡単な言葉が何故か出てこない。


 

 彼女の顔が見れない。

 悲しそうなその声音を作ったのは、紛れもなく俺なのだから。


「これまでのっ、この離れでの貴方との思い出はっ、全部偽物だったんですか!?………貴方は、ラース・フェルディアを演じていた、ただそれだけ………だったんですか?」


 この世界で最も信頼し、大切に思っている、俺の恩人とも呼べる存在。

 そんな存在を、俺は今どんな顔にしてしまっているのだろうか。

 言い表せない程の罪悪感と自己嫌悪を抱え、彼女の顔を視界に映す。


 


 その頬には、一滴の雫が伝っていた。

 


 

 瞬間、蘇るあの日の決意。

 ラースとして目覚め、理不尽に嘆いていた時に救われた、彼女の優しさ。

 その時俺は、何を思った?

 

 この優しい少女が傷つき、悲しむことに比べたらと、そう思ったはずだ。

 なのに、今はどうだ?

 その少女を傷つけ、悲しませ、あまつさえ涙を流させた。


 

 これまでの俺の態度が演技だったのかとか、他の人達を騙していたのではないかとか、そういったことはよく分からないままなのかも知れない。


 けれど、何よりも大切な目の前の存在をこんな顔にさせたかったのかと問われれば………


 それだけは、絶対に、




「…………違う、…………違います!!」


 

 あらん限りの感情を込めて、言葉を紡ぐ。

 こんなに大きな声を出したのは、初めてだ。


「……………!?」


 アンナは俺の言葉を受け、目を見開く。


 

 想起される、これまでの思い出。


「貴方が居たから、訳も分からないこの世界で生きていこうと思えた!」


 初めて出会ったあの日、その微笑みに救われた。


「貴方が居たから、どれだけ辛くても、苦しくても、また頑張ろうと思えた!」


 周りの人々に悪意を向けられ悲しく思った時も、日々のトレーニングで辛く苦しいと思った時も、離れで過ごす君との時間が、傷ついた心を癒してくれた。


「貴方が、…………君が居たから、俺はこの世界でこれまでやってこれたんだ!!」


 そう、全部…………君が居たから。


 始まりからこれまで、全て君が居たから、俺はこの世界で生きていけたんだ。


「君とのこれまでが、偽りだったなんて有り得ない。………全て大切な、かけがえのない本物だ。君との思い出は、俺にとって紛れも無い大切な本物だ、…………アンナっ!!」


 思いの丈を、強く言い切る。

 どれだけ迷いがあったとしても、これが俺の嘘偽りの無い本心だ。


 

 アンナは俺の言葉を受け、呆然としている。


 そして、


「それは、………本当、なんですか?」


 すぐには信じ切れないのか、そう問いかけてくるアンナ。

 俺の返答は肯定以外有り得ないが、ふとある事を思い出していた。



。…………前の時も、ちゃんと本心だったよ」


 少しでもアンナの心を明るく出来ないかと、微笑を浮かべ、そんなことを言う。

 その効果があったのかは分からないが、アンナは目をぱちぱちと瞬かせた後に、少しだけ笑みを浮かべながら、


「…………はい、信じます」


 と、そう告げてくれた。


 そして、今度は自身の思いを語り出す。


「私も、…………私も貴方とのこれまでの日々がとても楽しくて、幸せで、大切なものでした。…………それでも、貴方が何者なのかは分からなくて、何を考えているのかも分からなくて、もしかしたらただラース様として振る舞っているだけで、私のことなんて何とも思っていないんじゃないかって…………」


 アンナの気持ちは自然なものだろう。

 目の前の存在が誰なのかも分かっていなければ、そんな風に不安に思ってしまうことは当然だ。


 ならば、俺はそんな不安を取り除かなければならない。


「ごめん、不安にさせてしまって。でも、改めて言うよ。……君との、アンナとの思い出は全部大切な本物だ。ラース・フェルディアではなく、水無瀬令人として、君の事を心から大切に思っている」


 アンナを真っ直ぐに見つめ、そう言い切る。

 



「………はい、信じます。………あんなに真剣に思いを告げてくれましたから」


 

 そう言われると、なんだか気恥ずかしいものがあるし、よく思い返せば中々に恥ずかしいことを大声で語ってしまった気がする。


 

 けれど、まあ、


 目の前の彼女が、いつも通りの優しい微笑みを浮かべてくれていることを思えば些細なことだと、そう感じた。

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