第49話 誰何

【アンナ視点】

 

 翌日、今日はアリア様が訪れる日だというのに、彼は相変わらず外で運動をしている。

 こういう日ぐらいは休んでも良いと思うけれど、彼としてはこういう日だからこそ、出来る時にやっておこうと考えるのだろう。

 いつもより相当早くから外に出ていたことは、流石に驚いたけれど。


 彼と共に朝食を食べている時には、少しだけ彼が緊張しているように見えて、気に掛かった。

 だが、それも当然だろう。

 そもそもが初めて会う相手であり、尚且つ初めて他家の人間と接触する機会だ。

 それだけでも今までと大きく違い緊張の原因となるのに、更には自身の婚約者だと言うのだ。

 流石の彼でも、いつも以上に肩に力が入る思いだろう。

 

 少しでもリラックスさせてあげたいけれど、私にはいつも通り接することしか出来ない。

 私との時間くらいは気が休まれば良いのだが。


 彼は朝食を食べた後もトレーニングを行っていた。

 本当に少しぐらいは身体を休めて欲しいけれど、彼としても気を紛らす意図があるのだろうか。


 アリア様が訪れる時間が迫り、彼と共に準備を進める。

 といっても私はお茶を出せるように用意をして、彼も着替えをする位だけれど。

 

 着飾った彼は、なんと言うかいつも以上に格好良かった。

 ラース様の元が元だけに、流石にまだ太って見えるけれど、それでも以前よりは確実に痩せている。

 それにより、生来の整った顔立ちも覗き始めていた。

 そして何より、それは彼が普段から並々ならぬ努力をしている証拠であり、そんな部分も感じられて、私の目には特別格好良く映った。


 

 アリア様の訪れる時間となり、彼は御屋敷の門で待っている。

 今頃アリア様は驚いているだろうな、なんて事を考えながら、お茶の用意をする。

 彼がアリア様を離れの客間に通し、一拍遅れて私がお茶を運ぶ。

 これでここからは完全に、彼とアリア様の二人の時間だ。


 

 アリア様は彼の事を受け入れてくれるだろうか、とそんな心配をしながら、私は別の事柄に対しても思考を巡らせていた。

 それは、期日が近づいているということ。

 彼と出会ったあの日から、既に三週間以上が経過している。

 あと数日で彼の事を尋ねると誓った、一ヶ月後が訪れる。


 大丈夫、決心は揺らいでいない。

 その時になれば、しっかり踏み込むことが出来ると思える。

 ただ、その結果どうなるかは本当に分からない。

 そもそも、自分が何を望んでいるのかも、よく分かっていないのかもしれない。


 私の考えを確認したいということや彼の事を知りたいという思いは明確にあるけれど、その先に何を求めているかは、いまいちはっきりとしない。

 けれど、それで取り決めを覆すつもりはない。

 彼の事をもっと知りたいという感情は、紛れもなく本物なのだから。



 彼とアリア様との会話は終わったようで、アリア様が客間の扉を開ける。

 と思ったら、どうやらそういう訳でも無いみたいで、彼が呼び止める。

 

 その時の会話は唐突過ぎてよく分からなかったけれど、アリア様が何やら勘違いをしていたらしい。

 頬を赤く染め、肩を小さく震わせる様はこれまで見てきたアリア様の姿からは想像出来ないもので、今日一日で彼とアリア様との仲が、良いか悪いかはともかくとして、中々に縮まっていることを物語っていた。


 彼はそんなアリア様の様子を微笑ましそうに眺めながら、早々と去っていくアリア様を追いかける。

 …………なんだろう、やはりもやもやする。


 彼とアリア様の仲は恐らく少しは改善したように見えたし、私が抱いていた不安は解消されたはずなのだが。

 それでも私は何か気の迷いだと、彼とアリア様に出したお茶の片付けに取り掛かった。

 

 



 アリア様の来訪から数日が経ち、遂にあの日から丁度一ヶ月が経過した。

 緊張も不安も大きいけれど、不思議と逃げる気にはならなかった。

 逃げたいという気持ちよりも、リスクを負ってでも踏み出したいという気持ちが強かったからだろう。


 その日のことは夜まで何があったのか、よく覚えていない。

 特に何も無い一日だったので、普段通りに過ごしたとは思うけれど、考えることが多過ぎて夜になるまで何があったのか、あまり記憶が無い。


 夕食も食べ終え、現在は彼も私も私室に戻っている。

 まだ深夜という程では無いが、この時間に彼と会うことは殆ど無い。

 いくら専属メイドとはいえ、こんな夜分に主の私室を訪れることはあまり宜しくないが、今回は多目に見てもらおう。

 

 彼に部屋に招き入れて貰い、話し始める。

 何故私の過去やラース様との出会いについてを話したのかは、明確な理由は無い。

 彼がラース様では無いということが確定してしまう前に、少しでもラース様との思い出を振り返りたいとでも思ったのだろうか。


 唐突な出来事で良く理解出来ていないだろうけれど、彼は私の話を真剣な表情で聞いてくれている。


 


 

 踏み出してしまえば、後戻りは出来ない。

 それでも、構わない。


 ここで踏み出さなければ、私と彼との関係はきっと一生変わらない。

 それでは嫌だと、私の心が訴えている。


 未だ、自分が何を願っているのかは分からない。

 けれど、彼を理解し、己の心を理解した先で、きっと紐解くことが出来るだろう。



 胸に燻る、この思いの正体を。


 

 だから、


「……………………貴方は、誰なんですか?」

 

 

 後悔も、期待も、不安も。

 心の奥に押し込んで、私は一歩踏み出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る