第45話 歪み
【アンナ視点】
翌日、目が覚めて昨日の出来事が夢では無かったことを再認識する。
もしかしたら、なんて思いもあったけれど、どうやら紛うことのない現実のようだ。
昨日の決意。
一月後には彼と向き合うということ。
しかし、それまでは彼のことをラース様だと思って、これまで通りに生活しよう。
そう思っていても難しいことだとは思うけれど、なるべく気負わず、ラース様と接するようにしよう。
当の彼は今日、フェルディア家に仕えている人々に謝罪と改心したことを伝えるようだ。
私に対してもそうだったが、ラース様ではないのにどうしてそんなに誠実でいるのだろうか。
彼は当たり前のようにしているが、それは簡単なことではないだろう。
そして、それを実行し御当主様と奥様同様、改心したと認められ、今後の姿勢で評価するということまで受け入れられてしまった。
流石に多くの人は半信半疑で納得していないし、中にはそもそも信じていない人も居る。
それでも長年変わらなかった関係性を変化させたということは、純然たる事実であり、素直に凄いことだと思う。
屋敷の人々との話が済んだ後は、昨日と同様にすぐに運動に行ってしまった。
時間さえあれば運動をしているといった感じで、心配になってしまう。
昼食を食べた後も少し休んだと思ったら、また外に出る。
勿論合間に休憩を挟んでいるとは思うが、それでも夕食の時間までずっと運動を続けているのだから、とんでもない努力だ。
夕食の時も、後片付けを手伝おうとしてくれる。
彼が誰かは分からないけれど、ラース様は貴族の立場なのだから、雑用なんて私に任せてしまえば良いのに。
ラース様だと思って接すると決めた通り、主にやらせる訳にはいかないと断る。
それ以外にも朝から夕方まであんなに運動していたのだから、少しは休んで欲しいという思いがあった。
それでも彼の思いは固く、最終的には一緒にやろうということで話は纏まった。
メイドとしての立場で主に雑用を手伝わせるなどとんでもないことだが、彼と共に居られるという嬉しさもあり、承諾してしまった。
その後は特に変わらない日々を過ごしていた。
相変わらず彼は一日のほとんどを運動に費やしていて、本当に倒れないか心配になる。
それに加えて、私の仕事である離れのことも手伝ってくれるのだから尚更だ。
いや、私にばかり仕事させるのが心苦しいという彼の気持ちは理解は出来るし、私を気遣ってくれる気持ちはとても嬉しいけれど。
ともかく、変わらない日々を送っていたとある日、彼が日中だけでなく夕食後も外に出て運動をすると言い出した。
それを聞いた時には、思わず目眩がした。
唯でさえ彼は人並み外れて努力をしているのに、これ以上など本当に倒れてしまう。
思い直すように説得したけれど、彼の意志は変わらなかった。
いつも、そうだ。
彼は他人のためを思って行動出来るけれど、自分のことはあまり考えない。
こうと決めたら、ただ愚直に突き進む。
そんな在り方は凄いと思うけれど、同じくらいに悲しいと感じる。
だから、私は彼が努力する様子を見たいとお願いした。
理由になっているかは分からない。
けれど、自分を大切にしない彼の代わりに、せめて私が彼の頑張りを見てあげたいと思った。
彼が剣を振るう様を眺める。
本当に一心不乱といった様子で、真剣だということが伝わってくる。
何回も何回も、数えきれない程剣を振るう。
けれど、一日の疲れもあるのだろう。
彼が荒い息を吐き、素振りをやめてしまった。
腕を上げるのも辛い、といった様子だ。
私は、もう止めるよう彼に訴えていた。
それが駄目なら、せめて治癒魔法を掛けさせて欲しいと。
けれど、全て断られた。
私に頼ってばかりではいられないと、出来る限り自分の力で頑張りたいと、そう言われた。
やっぱりだ。
薄々感じていたことではある。
………………この人は、どこか歪んでいる。
必要以上に頑張り過ぎてしまう。
まるで、そうでなければ生きていけないとでも言うように。
そう思った私はどうしてそんなに頑張るのかと、彼に質問をした。
彼は少し思案した後に、「楽しいから、やりたいから」と、そう答えた。
その表情は少し無理をしている笑顔で、けれど苦しさや辛さなんて感じさせないような、私を安心させる笑みだった。
しかし、その笑みが貼り付けたもののように感じてしまうのは、私が間違っているのだろうか。
楽しいから、やりたいから、そんな思いはきっと偽りではないのだろう。
彼自身、純粋にそう感じていると思う。
それでも、私にはそれが全てだとは思えない。
………………彼は、弱みを見せない。
運動に限らず、普段の生活でも完璧であろうとする。
ラース様としての評価を上げるために、常に努力していると言えばそれまでだろう。
後は、単純に彼が優しいから。
彼自身の人柄として、努力を怠らず、他者に気を遣い、あまり弱い部分を見せないということは、確かにあるだろう。
けれど、彼のそれは異常だ。
過ぎるぐらいの他者への配慮と、自らへの徹底はどこか執念めいたものすら感じる。
私には、それが彼の歪みに思える。
考え過ぎ、だろうか。
けれど、それでもやはり、確かなことが一つ。
ああ、貴方はやっぱり………
ラース様では無いんですね。
初めから感じていた、そうだろうと思っていた、そう考えて接してきた。
それでもまた、思いが強まる。
私に向けたその笑みは、面前の彼がラース様では無いと確信させるには十分だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます