第44話 本当の貴方は
【アンナ視点】
ラース様ではない誰かとの話は一段落ついた。
何とも言えない空気に耐えられなかった私は、とりあえず食事にしようと提案した。
そんな自分が馬鹿だと思った。
今はそんな場合ではないだろう。
もっと他に考えるべきことがあるはずだ。
けれど、よくよく考えてみれば目の前の相手がラース様では無いなど、私が勝手にそう感じただけだ。
確証なんてないし、他の人に言っても信じてくれる保証もない。
だから、一先ず考える時間が欲しいと思った。
そのためにとりあえず一人になるまでは、出来る限り自然に振る舞おうと決めた。
彼はとても接しやすい人だった。
優しくて、気遣いが出来て、温かい人だった。
元々のラース様と私との関係を考慮してか、何処か遠慮気味ではあったけれど、一緒に食事を取っただけでもかなり親しくなったと思う。
彼のために新しく作った料理の他にも、ラース様のために作った品まで残さず食べてくれた。
普通の人には美味しくない品のはずなのに、嫌な顔一つしなかった。
私も一緒に食事を取ろうと言われた時は、随分驚いてしまった。
貴族の方と食事なんて恐れ多くて、初めはつい断ってしまった。
けど、この人はラース様では無いし、そこを気にする必要はあまり無いのだろうか。
ラース様である自分は嫌われていると思っているのか、私を食事に誘った時も強引には誘ってこなかった。
あくまで私の意思に委ねてくれた。
そんな優しさが温かくて、これから食事を共にすることを受け入れていた。
私が承諾すると、彼はまた安心した表情を浮かべていた。
そんな顔を見ると、また嬉しくなった。
彼が、これからはちゃんとした食事を取ると言った時には、またもつい大きな反応をしてしまった。
料理好きな私としては、偏った食事ばかりのラース様が相手では、思うように料理が出来ず少々不満があったからだ。
つい興奮してしまった私を、彼は笑っていた。
やってしまった、と凄く恥ずかしくなった。
彼はそんな私を見て、とても優しげな笑みを浮かべていて、より恥ずかしくなった。
でも、不思議と嫌な感じはしなかった。
食事を済ませると、彼は運動をすると言った。
ラース様は太っているから、痩せようと考えたのだろう。
それに対して異論なんて無いし、ダイエットするなら食事も気を遣ったものにしようかな、なんて考えた。
そう提案すると、彼はとても喜んでくれた。
待ち望んだ一人の時間となった。
いや、決して彼との時間が嫌だった訳ではない。
寧ろ…………違う、こんなことを考えている場合ではない。
一先ず危険は無さそうだと判断した。
害意のある存在では無いようだし、何かするつもりなら幾らでも機会はあった。
彼がラース様で無いのなら、本当のラース様はどうなってしまったのだろうと思ったが、考えて分かる問題ではなかった。
ラース様のことは心配だが、まず彼が何者なのか知らなければどうにもならない。
けれど、面と向かって聞くことは、何故か躊躇いがあった。
どうしてなのか、自分でも分からない。
ただ、一度聞いてしまえば彼との関係が致命的に崩れてしまうような、そんな感覚があった。
おかしい、関係なんて殆ど無いようなものだ。
名前も知らない、どんな人かもあまり分かっていない。
それでも、それを告げてしまったら、何かが終わってしまう。
そんな予感がした。
もう少し様子を見よう。
とりあえず、今日一日。
そんな風にただ問題を先送りにして、頭をリフレッシュさせようと、仕事に戻ることにした。
夕方になり、彼が運動を終え戻ってきた。
凄い量の汗をかいており、心配になった。
けれど、彼は疲れた様子なんてまるで見せずに、お風呂へ行ってしまった。
その様を見れば、一日とはいえどれだけ頑張ったのかがよく分かる。
凄いと思うと同時に、これからが心配になった。
彼が寝る前に治癒魔法を掛けてあげようか、なんてことを考えていた。
久々に思い切り料理が出来るということで、つい張り切ってしまった。
彼はどれも美味しそうに食べてくれて、沢山料理を作ったことにお礼も言ってくれた。
彼に褒められると、どうしてかとても嬉しくなってしまう。
大変ではないか、と聞かれた時には、そんな必要もないのに凄く恥ずかしいことを言ってしまった。
ただ………嘘では無い、と思う。
重要なことを失念していた。
ラース様が目覚めたことを、御当主様と奥様に伝えていなかった。
色々と考えることが多すぎて、すっかり頭から抜け落ちてしまっていた。
それでも彼は自分のせいだと、私を気遣ってくれた。
また、彼の優しさに触れた。
彼自身が二人に会いに行くと告げ、私は心配になった。
ラース様と二人の関係は決して良いものではないし、彼からしたら初めて会う存在だ。
大丈夫かと尋ねると、彼ははっきりと心配要らないと言っていた。
強い人だと思った。
覚悟の篭った、真っ直ぐな目だった。
そんな目を見ると、不思議と安心出来た。
だから、せめて笑顔で送り出した。
彼が戻ってきて、お二人との話の詳細を伺った。
今後の姿勢で判断して貰えることになったと聞いて、驚いた。
長年変わらなかったラース様とお二人との関係をあっさりと変えてしまった。
けれど、それは決して簡単なことでは無かっただろう。
彼はそのことを誇る様子なんて全く無いから、勘違いしてしまいそうになる。
今日一日の運動に、私やお二人との会話も相まって、相当疲れているだろう。
考えていた通り、治癒魔法を掛けてあげることにした。
その提案をすると彼はとても喜んでいて、今後もお願い出来ないか、と言った。
元よりそのつもりだったので全く問題は無いけれど、私の負担にならないかと心配までしてくれた。
本当に、優しい人だ。
一日が終わる。
現実ではないような、信じられない一日だった。
彼のことをどうしよう。
今日一日様子を見ようと思ったけれど、一日経っても何も決められなかった。
直接聞くのは、やはり抵抗がある。
聞くべきだということは分かっている。
それでも、どうしても心が納得しない。
他の人に相談しようかとも考えた。
御当主様と奥様、騎士隊長のセドリックさん、御屋敷の方々、相談出来る相手は大勢居る。
けれど、それも出来なかった。
まず、こんな話信じて貰えるはずもない。
ラース様が突然変わられたことを疑問に思いはしても、改心したということで普通納得するだろう。
長年、一番近くでラース様を見てきた私だから気付けたことなんだと思う。
それに仮に信じて貰えたとして………彼はどうなるんだろう。
イレギュラー過ぎて想像が出来ない。
それでも、経緯も方法も分からないけれど、伯爵令息に成り代わったというのだから、穏便に事が済むはずがない。
そうしたら、彼は…………
駄目だ、やっぱり他の人に告げることだけは、してはならない。
けれど、理解している。
いつまでもこのままで良いはずもない。
確かめるのならば、私が直接聞くしかない。
……………一ヶ月。
一ヶ月の間、もう少しだけ様子を見よう。
でも、もう先送りにするのはこれで最後だ。
一ヶ月経ったら、もう逃げはしない。
自分の感情が分からない。
望んでいるのか、恐れているのか。
それでも一月後、本当の貴方を教えて欲しい。
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