第43話 名も知らぬ誰か
【アンナ視点】
初めから、違和感はあった。
でもあり得ないことだと、何か気の違いだと自分に言い聞かせた。
それでも疑念は日に日に強くなり、やがて確信へと至った。
確証がある訳ではない、それでも確実に違うと言える。
私の、この場所でのこれまでの全てが、そう思わせるには十分だった。
どうなるかは分からない。
私の望む未来、彼が何を望んでいるのか、幸せな結末とは限らない。
それでも、もう覚悟は決めている。
私が仕える主、ラース・フェルディア様は嫌われ者だった。
けれど、嫌われるのも仕方ないと私でも思った。
私自身嫌ってはいないけれど、好ましい人柄とはとても言えない。
それでもメイドとして仕えているのは、偏に救われた恩があるから。
ラース様は多分、大した理由なく私を引き取ってくれたのだろう。
もしあったとしても、それは恐らくあまり褒められた理由ではないと思う。
救われた身で、この物言いは少し酷いけれど。
ある日、そんなラース様に御当主様も堪忍袋の緒が切れたのか、とてもお怒りになり、罰として伯爵家の本館から追い出した。
それ以降ラース様は、誰もいない離れで暮らすことになった。
当初、御当主様は使用人の一人もつけないつもりだった。
それで普段、自分がどれだけ恵まれているのか分かってもらおうとしたのだろう。
罰を言い渡されラース様はとてもショックを受けていた。
そんな様子を見て少し可哀想だと思ったけれど、自業自得だとも思ってしまった。
これでラース様に仕えることも無くなり、ただの伯爵家に仕える一メイドになるのだと思った。
それまで仕えてきたことで、救われた恩には十分報いたのではないかと自分でも思った。
けれど、御当主様に自分も離れでラース様と共に暮らし、専属メイドとなることを申し出ていた。
自分でも何故そんなことを申し出たのか、分からなかった。
自らが感じる以上に引き取られたことを恩に感じていたのか、自分の感情なのによく分からなかった。
それでも、誰からも嫌われているこの人に、一人くらい味方が居ても良いんじゃないかと感じたのだと思う。
それからは離れでラース様と二人で暮らした。
大変だったし、辛いこともあったし、ますますラース様の駄目な所を見つけた。
けれど、後悔はしていなかった。
辛いけれど、そこまで悪い日々ではないと感じていた。
そんな風にいつかラース様が良い人になってくれないか、なんてことを考えながら暮らしていた、とある日のことだった。
ラース様が騎士との模擬戦の最中に、頭を打ち気絶してしまった。
経緯としては剣を使いたいと半ば強引に騎士を連れ出し、更には自分で転んで頭を打ったという何とも自業自得なことではある。
治療を終えた医師の話では何処にも問題はないらしく、それを聞いて凄くほっとした。
そして、そんな自分に驚いた。
決して好きだった訳ではないけれど、ラース様のことを心配し、無事だと分かって安心するなんて自分でも驚いた。
けれど、その後にもっと驚くことがあった。
目を覚ましたラース様はどこか様子がおかしかった。
話しかけても心ここに在らずといった感じで、もう少し休むからと部屋を追い出されてしまった。
それでも、気絶したことで少し混乱しているのだろうと思った。
再び起きた時には落ち着いているだろうし、お腹も空くだろうからとりあえず食事を作ろうとした。
少し時間が経った後に、ラース様が起きてきた。
そこで、私は衝撃を受けた。
ラース様の雰囲気がおかしかったからだ。
いや、口調、仕草、態度、その全てが普段のラース様と違っていた。
話を聞いてみると、改心したらしい。
それが本当なら素晴らしいことだと思った。
けれど、素直にそうとは思えなかった。
あり得ない、現実的じゃない、私がおかしいだけだ。
どれだけ否定しても、考えは変わらなかった。
この人は、ラース様ではない。
私はこれまで、一番近くで一番長くラース様を見てきた。
ご両親の二人よりも、婚約者のアリア様よりも、誰よりも。
そんな私だからこそ分かる。
違う、全てがラース様とは違う。
そう認識した瞬間、目の前の存在がとても怖くなった。
当然だろう、私の考えが正しければこの人はラース様ではない、全く知らない人なのだから。
けれど、不思議とそんな感情はすぐに薄くなった。
目の前の彼から、敵意とか害意とか、およそ警戒しうるべき様子が感じられなかったからだ。
そして次に、それでは一体誰なんだろうと思った。
何の意図があってラース様になっているのか。
いや、それ以前にどうやってそんなことをしたのか。
疑問は尽きなかった。
けれど、悠長に思考している時間は無かった。
目の前の、名前も知らない誰かとの会話は尚も続いている。
と、そこでまた新たな疑念が湧いた。
この人はどうして謝っているんだろう。
ラース様で無いのなら、この人が謝る必要なんてない。
他人がしたことなのだから、当たり前だ。
けれど、この人の誠意はきっと本物だ。
そう理解してしまったから、余計に分からなくなった。
彼の問いかけ。
本当に自分を許してくれるのか、ということ。
考えることが多すぎて、何を答えたらいいのか頭が回らなかった。
それでも何か言わなければいけない。
思考がまとまらない中、気が付けばありのままの感情を語っていた。
ラース様のことは嫌いではない。
そして、貴方のことも不思議と悪いようには思えなかった。
だから、そんなに謝られると困ると。
今の自分に出来る精一杯の笑顔を浮かべた。
それで彼は納得してくれたのか、安心した笑みを浮かべてくれた。
そして彼がそんな顔をすると、不思議と自分も嬉しくなった。
何故だろう。
名前も知らない、誰かも分からない、普通はもっと警戒しなければいけない。
それでも、彼のことを悪くは思えない。
それ程までに、彼の全てが優しかった。
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