第42話 嫌な予感

 アンナとの夕食を食べ終え、現在は夜。

 俺は既に自室に居る。


 転生してから一ヶ月というこの日も終わりが近づき、明日からもまた頑張ろうと、そんな事を考えていると、ふいに部屋の扉がノックされる。


「夜分遅くに申し訳ありません。ラース様、入室して宜しいでしょうか?」


 ほぼ確定していたことではあるが、訪れたのはやはりアンナのようだ。

 何の用だろう、と思いつつ返答する。


「勿論、良いよ」


「失礼します」

 

 そっと扉を開き、ラフな格好をしたアンナが部屋に入ってくる。

 お互い自室に戻ってから会うことはほぼ無かったので、その姿は新鮮に映る。


 とりあえず用件は何だろうと思い、


「全然構わないけど、こんな時間にどうしたの?」


 と、尋ねる。


 まだ深夜という訳ではないが、もう夜も遅い。

 いくら専属メイドやまだ子供ということがあっても、異性の自室に訪れるにはあまり宜しくない時間では無いだろうかと、そんなことを考えてしまう。


 すると、


「申し訳ありません。少しお話がありまして」


 と、アンナが答える。


「話?」


 態々こんな時間にする話というものにも検討がつかず、そのまま聞き返す。


「…………はい」

 

 俺の質問に応えつつも、どこか不自然な様子のアンナ。


 

 何だろう、話は決まっているけれど、少し躊躇いがあるような、そんな様子だ。


 

 そして数秒の沈黙の後に、アンナは、


「………ラース様は、私と初めて出会った時のことを覚えていらっしゃいますか?」


 と、そんなことを尋ねてきた。


 唐突なその質問に驚いたが、その答えは決まっている。


「ああ、勿論。覚えているよ」


 ラースの記憶がある俺は、アンナと初めて出会った時のことは知っている。

 とはいえ、今なぜそんなことを聞いてくるのかは分からない。


 アンナの表情からも、何を考えているかは分からないため、とりあえず話を続ける。


「………孤児だったアンナを、俺が引き取ったんだったね」


 そう、アンナは孤児だった。

 どういう経緯でそうなったのかは、ラースの記憶だけでは分からないけれど。

 初めて出会ったのは、倒れているアンナをラースが見つけたところだった。


 

 するとアンナが詳細を教えるように、自身の過去について話し出す。


「はい。………私は元々、フェルディア伯爵領にある一つの村の生まれでした。そこで両親と三人で暮らしていて、裕福ではなかったかもしれませんが、毎日が幸せでした」


 ラースの記憶では知らなかったアンナの過去。

 幼い頃は至って普通の子供だったようだ。

 

 だが、孤児となったということは、この後の話は決してそんな幸せが続きはしないということを意味している。


「両親は行商を営んでいたので、このフェルドにも何度かそのために訪れていました。ラース様と出会った日も、フェルドで行商を終えて村へ帰る途中の日のことでした」


 そう、自身の家庭について語るアンナ。

 ラースと出会った日は、どうやらフェルドに訪れていたようだ。

 


 そして、当時のことを思い出したのかアンナはそこで少し間を置いて呼吸を整える。


 そして、


「………村へ帰っている時のことでした。何度も行き来したことがあったし、街道ということで安全だと思っていたところを、魔物に襲われました。戦う力などない私達は為す術なく襲われるだけでした」


 想像していた類のことではあったが、やはり魔物に襲われてしまったようだ。

 確かにアンナの言う通り街道は一定の安全が保証されてはいるが、それでも絶対ではない。


 そのために普通の行商人は護衛を雇うなどするが、小さな村の名もない行商人ではそれだって難しいのだろう。

 そういった事例はこの世界では数多く存在しているし、最早どうしようもないことだ。


 アンナはさらに続きを語る。


「私も両親もここで死んでしまうのかなって、漠然と感じました。恐怖なんて通り越して、只々諦観するしかありませんでした。………でも、両親は必死に私のことを助けようとしてくれました。身体を張って魔物を止めようとして、私に「生きて」「逃げて」って叫んでいました。…………気付いたら身体が動いていて、ただ必死に走っていました。一度は諦めたはずなのに、両親の姿を見て私は生きなくちゃいけないんだって、そう思いました」


 話として聞いているだけでも心が削られるような、辛い境遇だ。

 きっと本人はもっと傷付いただろう。


 

 そうだ、こういう世界なんだ。

 前世の常識など通用しない、理不尽な世界。

 人の命すら簡単に奪われてしまうような、悲しく儚い世界。


「必死になって走って、どれぐらい走ったのかも分からなくなって、私は倒れました。次に目覚めたのは、フェルディア伯爵家のお屋敷の中でした。………ラース様にとっては違うと思いますが、私にとってはそれがラース様との初めての出会いですね」


 そうやって後半はやや笑顔を見せつつ、ラースとの出会いを語るアンナ。


 

 己の過去について、忘れた訳でも、何とも思っていない訳でもないだろう。

 それでも、きっと折り合いはつけているんだと思う。

 どうしようもない過去として、囚われることなく生きてきた結果が今のアンナだ。


 なら、俺が気にし過ぎるのは間違いだろう。

 アンナもきっと、そういう話がしたい訳ではない。



 しかし、これでアンナがなぜ何もない街道で倒れていたのかは分かった。

 そこに偶然ラースが通りかかったのだろう。


「あの日はたしか、伯爵領の町や村への視察があって俺もついていったんだっけ。その帰りに、女の子が倒れていることに気づいて、それがアンナだったんだ」

 

 一応過去を思い出すように語ってはいるが、ラースの記憶を得た俺は、当時のことを正確に知っている。

 

 ラースがアンナを引き取りたいと言い出し、その時居たライルも子供を放置出来るはずもなく、一先ず屋敷へ連れ帰った。

 それがラースとアンナの出会いだ。


 すると、アンナが、


「後から聞いたことですが、ラース様が私を引き取りたいと仰ってくれたんですよね。ありがとうございます。本当に感謝しています」


 そうやってお礼を言うアンナ。

 

 

 なぜラースがアンナを引き取りたいと言ったのかという点については、俺は知らない。

 俺はラースの記憶を持っているだけで、その時ラースが何を思っていたか、ということは分からない。

 

 とはいえ、予想はつく。

 

 恐らく、明確な理由など無いのだろう。


 ラースにも倒れている女の子を助けたいという思いでもあったのか、それとも自分の召使いでも欲しいと思ったのか、或いは単純に気まぐれか、ともかくこれという理由はないと思う。


 それに、アンナもそのことは恐らく分かっているだろう。

 過去のラースのことを一番分かっているのはアンナだろうし、だからこそ今も理由については何も尋ねてこないのだと思う。


「両親を失い、帰る場所も無かった私を引き取ってくれたラース様には、感謝してもしきれません」

 

 そう、さらにお礼をするアンナ。


 

 以前疑問に思った、なぜアンナがラースなどを慕っているのかという点は、恐らくこのことが要因なのだと思う。

 ラースの考えはともかく、アンナはきっと大きな恩だと感じているんだ。



 と、ここで話は一段落したように思えるが、今になってもなぜアンナが突然こんな話をしてきたのかが分からない。


 そうやって疑問を覚えていると、まだ話は続いているようでアンナは、



「だから、ラース様には感謝しているんです。昔のラース様にお仕えしている時も、辛いこともあったけれど、幸せだったと言える」


 と、語る。


 そのアンナの様子は、俺に話しているというよりは独り言のように自分に言い聞かせているようにも聞こえる。


 

 

 何だろう、空気が変わったように感じる。

 今までの話とは明らかに違うような、まるでこれからが本番だとでも言うような。



「………でも、この一ヶ月も本当に楽しかった。本当に幸せだった。こんな日々がずっと続いて欲しいって、そう思った。………それでも、やっぱりラース様には恩があって、何より私がこのままじゃ嫌なんだって思って。………私は、だから………気付かないふりは、もう出来ない………」


 

 そうやって何かに悩むように、尚も自分に話すようにするアンナ。


 何を言っているのかは分からない。

 どんな思いを抱いているのか、検討もつかない。



 それでも、きっと大切な話なんだろう。


 あとは、ああ………嫌な予感がする。


 

 そんな俺の予感を肯定するように、アンナは顔を上げ口を開く。



 その瞳には強い覚悟と、そして同等の疑念が宿っていた。




「……………………貴方は、誰なんですか?」



 告げられたのは、最も信頼する相手から、最も聞きたくない言葉だった。

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