第38話 信じる努力

 思いがけないアリアの質問により、衝撃やら安堵やらで気が抜けてしまった。

 とはいえ、そろそろ本題に入らなければ。


 と、そう思っていると、


「遮ってしまい申し訳ありません。ラース様からお話があると仰っていましたね。どうぞ」


 アリアの方から俺に話をするように促してきた。

 その言葉で完全に今回の本題へと移るため、気持ちを入れ直す。

 そして、


「ええ、では………」


 そう言いながら俺は立ち上がる。

 アリアは急に立ち上がった俺に対して、疑問の籠もった眼差しを向けている。


 そして、俺は静かに頭を下げ、


「今までの、アリア様に対する数々の非礼をお詫びします。これまで多大なご迷惑をお掛けし、本当に申し訳ありませんでした」


 と、謝罪の言葉を伝える。


「なっ…………」

 

 この行動には流石にアリアも今まで以上に驚いたようで、目を見開き、声を出している。

 普段感情をあまり出さないアリアとしては新鮮な反応だが、そんな事を考えている場合では無い。


 とはいえ、アリアは相当驚いているため、このまま話し続けてもついて来れない可能性があるので、少し様子を伺う。


 アリアはしばし言葉を失った後に、



「何、を………しているのですか?」


 やっと、といった様子でそう尋ねた。


「先程申し上げた通り、これまでアリア様にしてきた行いに対する謝罪です。こんな言葉一つで赦されるものでは無いと理解していますが、それでも謝らなければならないことですので」


 と、改めて謝罪をする。

 ラースが謝るなど考えられないことなので、理解が追いつかないアリアの反応は当然のものだ。


 

 アリアは尚も理解しきれていない様子だったが、



「……………一先ず、頭を上げてください。伯爵家の御令息が、男爵家の人間に軽々と頭を下げていいはずもありません」


 と、まずは頭を上げるように言ってくる。

 アリアの言葉は最もではあるが、今この状況においては絶対では無いだろう。


「軽々と、ではありません。この場に居るのは私たちだけですし、今までの私の態度を省みれば、この程度は当たり前のことかと」


 と、食い下がり俺の考えを伝える。

 それを受け、さらにアリアは驚いた反応をするが、少し落ち着き、それでもこの状況を良しとは思わなかったのだろう。




「…………分かりました。では、一先ずラース様の謝罪は受け取ります。ですので、頭を上げて椅子に座って下さい。………いつまでも立って頭を下げられたままでは話も進みませんから」


 と、そう告げた。

 ある程度落ち着いたからか、話し方も普段の彼女のものになってきている。



 そして、これに関してはアリアの言い分が完全に正しいので大人しく席に座る。

 誠意を示すためにも頭は下げたが、やり過ぎても迷惑なだけだ。


 

 アリアは俺の謝罪を受け取るとは言ったが、あれは会話の流れでとりあえず言ったようなものなので、この後も気を抜く訳にはいかない。


 まずは、



「先程アリア様が仰ったように、人格が変わった訳ではありません。ですが、心は入れ替えたつもりです。今後は伯爵家の人間として、…………そして、貴方の婚約者として相応しい振る舞いをしようと、そう思っています」


 アリアは俺の態度や言葉に未だ驚いてはいるが、落ち着きつつもあったのが見て取れたため、加えて今後のことについても話す。


 その言葉を受けさらに驚き、顔を伏せ考え込むようなしぐさを見せるアリア。

 だが、やがて俺の言葉を飲み込み、落ち着いて考えられるようになったのか、




「…………つまり、今までの行いを反省し改心したと、そういうことですか?」


 と、そう尋ねてきた。


「はい」


 強く肯定を示すために、そう短く答える。


 

 するとアリアは再び考えるように顔を俯かせた後、やがてゆっくりと顔を上げ、





「………………その言葉を、今更私に信じろと?」


 そう告げた。


 

 アリアは普段から物怖じしない性格であり、その口調は端的で、冷たいものになりがちだ。

 それは決して不快になるようなものでは無いが、この状況においては、この言葉は心に刺さるものがある。


 だが元凶はラースであり、アリアがこう言ってしまうのも仕方がない。

 婚約してから、いやその前から今まで、ずっとこんな悪童と付き合ってきたのだ。


 

 アリアの問いかけは中々にショックを受けるものだったが、ここで嘆いている暇なんて無い。


 心を落ち着けるために、ゆっくりと息を吐き、



「………簡単に信じられるものでは無いと、自分でも理解しています。それでも、今後の生き方で信じて貰えるように尽くそうと思っています。どうかこれからの私を、見て貰えないでしょうか?」

 

 と、精一杯の誠意を込めてアリアに問いかける。

 アリアは表情を微かに歪め、また考え込んでいる様子だ。


 認めるべきか否か、アリアを思い悩ませてしまっていることに罪悪感を覚えるが、今後も婚約者であり続けることはほぼ決まっているようなものだ。


 ならばアリアのためにも、俺のためにも関係は改善しなければいけないに決まっている。


 と、そう考えていると、



「………そもそもですが、ラース様が私に対してそこまで謝罪したり、負い目を感じたりする必要は無いのでは?私はそこまで謝罪されるようなことは、されていないと思いますが」


 俺の問いに明確な答えを出すことはせず、そんなことを尋ねてきた。


 

 確かに、ラースはアリアに対して何か酷いことをしたということは、正直無かった。

 いくら家格が下とはいえ、他の貴族の子供であるため、そのくらいの分別はラースにもあったのだろう。


 婚約を申し込んでおきながら大切に扱わないだけでも十分に酷いとは思うが、直接的にアリアを傷つけたということは無い。


 また、単純に接する時間はフェルディア家の人達や街の住民達と比べると短くなるため、そういった要因もある。


 しかし、それは、


「自分で言うことではありませんが、………私などが婚約者だということで、アリア様にお掛けしてきたご迷惑や気苦労は、決して小さなものではありません。誠意をもって償わなければならない事です」


 直接的に何かしたということは無いかもしれないが、婚約者がこんな悪童ではそれによって生じる問題は絶対にあっただろうと考えられる。

 

 周囲の人間から何か言われたかも知れないし、そもそもラースなどが婚約者では迷惑以外の何者でも無い。

 掛けてきた気苦労やストレスは、小さいものとは言えるはずが無い。


 しっかりと謝らなければならないことだ。


 

 そして俺の言葉を受け、アリアは、




「…………なぜ、今更そんなことを言うのですか?私たちの関係は、確かに既に切れるものではありませんが、最早事務的なものです。今までもそうだったのですから、…………これからもそれで、良いでは無いですか」


 と、悲しそうにそう告げる。


 

 

 アリアがこう言っているのだから、ラースとしての俺にはこれ以上願う事など出来ないのかも知れない。

 だが、それはあくまでアリアが本気でそう思っていたらの話だ。


 他人の感情など正確に分かるはずもないが、それでもこの言葉が本心でないことだけは分かる。

 もし本当にそう思っているのなら、そんなに苦しそうな顔をするはずが無い。


 きっと今までのラースとの関係が酷すぎて、今更良くしようと言うのも難しいものだと感じているのだろう。

 

 或いは、アリア自身どうしたら良いのかが、よく分かっていないのかも知れない。



 

 ラースである俺が、強引に関係を良くしようと言うのは間違ったことなのだろう。


 でもこのままではきっと誰も幸せにはなれない。


 なら、今のアリアの望みとは違っていたとしても、たとえ初めは迷惑に思われたとしても、それでも俺が、もう一歩踏み込もう。


 アンナの時と同じだ。

 俺がそう願っているのだから、俺自身が踏み出すべき場面だ。


 だから、




「………今更だと思われても、仕方がありません。どの口が言っているんだと言われても、おかしくはありません。………ですが、それでも私は貴方との関係がこのままでは良いとは思えません。どうか、私に貴方との関係をやり直す機会を与えて下さい。お願いします」


 

 想いの丈を強く言い切り、深く頭を下げる。


 これでも駄目だったなら、潔く諦めるしかないかも知れない。

 アリアとのことは、また別の何かを考えよう。


 

 頭を下げているのでアリアの表情は分からない。

 俺の言葉に何を感じたのか、今何を考えているのか、そういったことは想像もつかない。


 受け入れられるのか、拒絶されるのか、二者択一の結末だけを思案し、アリアの言葉を待つ。



 永遠にも感じられる十数秒の静寂の後に、アリアは、





「…………分かり、ました。そこまで仰られるのならば、………私も貴方を信じる努力くらいは、してみようと思います」



 その言葉は彼女らしいそっけないものではあったが、俺にとっては何よりも優しいものであると、そう感じた。

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