第8話 お礼は何度でも

 離れのなかに入ると、すぐにアンナを見つけた。


 アンナは俺の姿を見るなり、驚きの表情を浮かべた。


「ラース様、すごい汗ですよ!大丈夫ですか!?」


 どうやら傍目に見ても、俺は相当汗をかいているらしい。

 この身体であれだけ動けば、当然ではあるが。


「ああ、問題ないよ。少し張り切りすぎてしまったかな。……それで出来れば早く汗を流したいんだけど、」


 アンナに問題がないことを伝えつつ、とりあえず風呂に入りたい意志を伝える。

 すると、


「はい。浴室の準備は整っております。夕食の準備もほとんど済んでおりますので、その後は食事に致しましょう」


 浴室の用意ばかりでなく、食事の準備もほとんど終わっているらしい。


 アンナの有能ぶりに感心すると共に、その気遣いにありがたさを覚える。


「ありがとう。……じゃあ上がったら一緒に夕食にしようか」


「!……はい」


 まだ食事を共にすることに慣れていないからか、少し驚いたような表情をしたアンナ。


 しかし、すぐに薄く微笑みながら了承の意を返してくれた。

 





 この世界にも普通に浴室が存在する。日本のような浸かるお風呂はないが、お湯で身体を洗うことも普通に出来る。


 しかし、これはあくまでラースが貴族の生まれだからという可能性はある。

 

 ラースの記憶だけでは詳細までは分からないが、平民やそれ以下の立場ーー奴隷や孤児といった存在ーーでは贅沢にお湯を使って身体を洗うことなど出来ないのかも知れない。



(……………奴隷とか孤児とか、この世界には普通に存在するんだよな)


 前世の感覚的には、そのような存在には忌避感を覚え、在るべきものではないと考える。

 

 だが、この世界の感覚としては至って普通のことだとも割り切れる。

 

 奴隷や孤児といった存在は、必要な社会制度の一つであるし、そういった存在が生まれてくることは、前世と比べ遥かに治安が悪いこの世界では、もはやどうしようもないことだ。


(ラースなんて、殊更見下してたしな)


 そもそも悪童であるラースは、そういった存在を見下していた。平民ですら見下すラースだ、それも当たり前だろう。


 

 などと身体を洗いながらそんなことを考え、前世と今世の価値観の違いに複雑な感情を抱いていたが


(……やめよう、考えたってどうしようもないことだ)


 今そんなことに悩んだところで、答えが出る問題ではないし、そもそも真に正しい答えなど無いだろう。

 そういった人々が存在しているということが、絶対の現実だ。


 

 自分が恵まれた立場に居ることを再認識し、せめて今後はその立場に相応しいように生きようと改めて考えたところで、浴室を出た。




 浴室から上がった後は食堂に行き、アンナと共に夕食を食べている。


 並べられた料理はパン、シチューにポトフ、オムレツと非常に美味しそうなご馳走であった。


 


 サンドイッチを食べた時にも思ったが、この世界の食材や料理といった食文化は前世と酷似している。


 同じように見えて、少し違っているところもあるみたいだが、ここまでくるとほぼ同一のものであると言ってしまって良いだろう。


 無さそうに思えた米ですら、白米ではないが似た穀物が存在している。


 無論、前世ではあったがこの世界には無い食材や料理、逆にこの世界にしかない食材や料理も数多く存在してはいる。


 しかし、こんなにも前世と似た食文化が存在しているということがあるのだろうか。


 それに、食文化だけでなくその他の様々な文化においても前世と似た部分がある。


 

 

 同じように見えて、確かに異なる部分も存在する世界。

 改めて自分が想像を絶するような不思議な状況にいると自覚するが……



(転生とか、異世界とか、前提からして訳の分からない状況なんだ、もう深く考えるのはやめよう……)


 異なる世界の知識を持つ以上、常識や価値観に対して疑問に思う点が多々あるのは当然だが、一々考え込んでいてはキリがない。

 もう少し柔軟に生きることを覚えよう。


 

 それに今はせっかくアンナが美味しそうな料理を作ってくれたんだ、早く味わうのが吉だ。



「………すごく美味しいよ。それにこんなに沢山の料理を作ってくれて、ありがとうアンナ」


 一通り料理を食べた感想は、美味しい。この一言に尽きる。その一品一品がプロが作ったと思える程に美味しく感じる。


 アンナが作ってくれたから、という理由もあるだろうが、やはり料理好きであるアンナは相当腕が良いのだろう。

 料理人を本職としても良いくらいだと思う。


「光栄です」


 そういって小さく笑うアンナは、褒められたことが余程嬉しかったのか口元の緩みを隠しきれていなかった。


 そんなアンナを微笑ましく思いながら、


「でも、これだけ作るのは大変だったんじゃないかな?」


 と尋ねる。恐らくアンナは他にも仕事をしていただろうし、その上でこれだけの料理を作ることは相当大変だっただろう。


 しかし、


「お気遣い頂きありがとうございます。ですが、元々料理は好きですので苦ではありませんよ。………それに……」


「………それに?」


「いえ、その………私の料理をラース様が美味しく召し上がって下さるかも、と考えたら……その、いくらでも頑張れますし、……実際に美味しいと言って頂ければ、それだけで十分…ですので」


 照れたように顔を赤くしながら、そんなことを言ってくれる。


 


 アンナのその言葉にとてつもない嬉しさを感じるが、同時になぜここまで慕ってくれるのだろうかとふと疑問を覚える。 


 思えば、嫌われていて当然のラースのことをアンナだけは変わらず接してくれていた。


 転生してからも、アンナは俺のことを好意的に思ってくれているように感じる。


 単純にアンナが優しいからだと考えていたが、ここまでとなると何か理由があるように感じる。


 受け入れてくれたことを嬉しく思い、あまり意識していなかったが疑問に思うべき点だろう。


 


 いや、


(…………もしかして、過去のことを)



「あっ!それに、ラース様が頑張っているお姿は離れの中からも拝見しましたから、私も頑張らないと、と思いまして!」


 アンナの言葉で思考を中断される。

 

 しかし、それで良かったかもしれない。


(……食事の最中に考えることじゃないな)


 アンナの態度は俺にとって非常にありがたいものだし、アンナも無理をしている様子ではない。

 なら、一先ずそれで良いのだろう。


 今はアンナとの食事に集中しよう。


「……そうか、本当にありがとう」


 改めてアンナに感謝を伝えると、


「もう、何度お礼をするんですか?ラース様」


 と少し可笑しそうに笑っていた。


「何度したって、足りないぐらいだよ」


 実際それだけの働きをアンナはしてくれている。


「せめて俺も、アンナの働きに見合うようにこれからも頑張るよ」


「はい。私も、これからも健康的で体型改善をサポートできるような料理をお作りします。あっ、今日の料理にも野菜を沢山使っていて、脂質も抑え気味に………」


 ……と、そんな会話を交わしながら、アンナとの夕食は和やかな雰囲気のまま続いていった。

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