第42話 最後の屋上にて

「あー、アタシ、ちょっと眠くなってきたなあ。そろそろ部屋へ戻ろうかなあ~ふぁぁぁ~」


凛子があくびをしながらちょっと眠たそうに目を擦っている。


「凛子さん、部屋へ戻ります?じゃあ私も戻ろうかな・・・」


凛子と吉野さんは部屋へ戻るようだ。俺も少し眠くなってきた。


「じゃあ俺も戻ろうかな・・・」


と呟いた時、いきなり凛子が俺のシャツの袖口を引っ張った。俺はそのまま凛子に引っ張られてすぐ後ろの給水塔の脇に連れて行かれた。


「飯田っち!あんたね、私とヨッシーが気を利かせてるのに『俺も戻ろうかな』じゃないでしょ!バカ!ボケ!鈍感!」


「へ?何で?」


「せっかく美月と二人きりになれるチャンスでしょ!しかも美月はノーブラだぞ!分かってんのか?この鈍感男!しばくぞ!」


「あ?ああ、そ、そうか・・・まぁ俺はどっちでもいいけどさ・・・」


「凛子さーん、飯田さんと何話してるんですかぁー?」


「う、ううん、何でもない。じゃあ私とヨッシーは部屋へ戻るね。飯田っちはもう少し屋上で涼んでくって。じゃあまた明日ね、おやすみー!」


凛子と吉野さんは階段を下りて部屋へ帰って行った。

屋上に居るのは俺と美月の2人きり。

聞こえて来るのは風に揺られて擦れ合う木々の葉音と、幾重にも重なって聞こえる虫の鳴き声だけだ。


「凛子さんって本当にイイ人ですよね。よく気が利くし、明るくて頼りがいがあって。私いつも思うんですよ、凛子さんが本当のお姉さんだったらなあって。飯田さんもそう思いません?あ、飯田さんの方が凛子さんより年上か・・・」


美月はそう言いながらほんの少し俺の方に身体を寄せた。青い月明かりに照らされた彼女の横顔はすごく綺麗で、風に揺れる髪がガラスのように透き通って見えた。

それは何か儚げで、俺なんかがマトモに見ちゃいけないような気がして思わず視線を逸らしてしまう。


「そうだね、凛子は姉御肌だからなあ・・・あいつはイイ奴だよな。俺より年下だけど俺なんかよりずっとしっかりしてるし、俺もひとりっ子だからあんな姉貴が居たらいいなって思う事あるよ」


「ですよね!でも不思議だな、私達って元の世界ではたぶん出会う事って無かったでしょ?なのにここへ来て皆と出会って、家族みたいに一緒に暮らして・・・私、最初ここへ来た時は絶望感しかなくて、明日の事なんて考えられなくて、『ああ、私はここで、こんな訳の分からない場所で死んでいくんだなあ』って思ってた。すごくツラくて悲しくて、本当に死にたいと思ってた。でもね、皆が居たから生きていられた。川村さん達が元の世界へ帰る道を作ってくれたから・・・凛子さんやもちろん飯田さんも私を助けてくれたから今私がここに居るんだって思う。だからきっとこれって偶然じゃないんです、必然なんです。だって偶然だとしたら出来過ぎだもん」


「必然かぁ・・・そうかもしれないね」


確かに美月の言う通り、偶然だとしたら上手く行き過ぎかもしれない。

数日後にはいよいよ空母へ乗り込む日がやって来る。もし今までの出来事が必然だとしたら、俺達はあの空母で元の世界に帰るのも必然だ。

あと少しでこの世界ともお別れか・・・別に未練なんてこれぽっちも無いけど、ここに来てからの日々は本当に濃い時間だった。大ケガをして整形して輸血してモンスターの様な能力を身に付け、一人で敵地に乗り込んで美月を救出し、そして人を殺した。



「美月・・・あの時の事だけど、もう大丈夫?」


と、問いかけて俺はハッと気づいた。美月はあの時、山下にレイプされたんだ。大丈夫なわけ無い。俺は何言ってるんだ。自分のデリカシーの無さにホトホト呆れる。


「み、美月、あの時の話は、やっぱいいや。ゴメン、他の話題にしよっか、えーと、あ、あそこに見える赤く光ってるヤツがさそり座のアンタレスで・・・」


「飯田さん、気を遣ってくれなくてもいいよ、私はもう大丈夫。あんな事、ちょっと虫に刺されたくらいにしか思ってませんから、全然へーき!あはは!」


平気なワケ無いだろう。君はあの時、拷問されて生爪を剥がされ、全身に打撲と裂傷を負った姿で山下にレイプされていたんだ。あの時、ベッドでレイプされている時の君の絶望的な目を、俺は見てしまったんだ。


「美月ごめん、思い出させちゃったよな、俺ってホント、良く考えないで喋っちゃう事があるんだよな、自分でも呆れるよ」


「あのね、あの時、私が誘拐されたのも拷問されたのも、レイプされたのも必然。そして飯田さんが助けに来てくれたのも必然だよ。今ここでこうして二人で話しているのも必然。すべては元の世界に帰るために起こった必然だったって思うんだ。だからね、あの事件の後、私はこの世界に来て起こった事を、良い事も悪い事も全部受け入れようって決めたの。あの時の事は思い出すとちょっとツライけど・・・でも大丈夫だよ。それにまた何かあったら、きっと飯田さんが助けに来てくれるでしょ?あの時みたいに」


君はそんな小さくて華奢な身体なのに、なんて強い心を持っているんだろう。それなのに俺は未だに山下の亡霊のような輩に苛まれ、怯えながら眠る事もままならない。

皆にヒーローのように言われ、ちょっとだけいい気になっている自分が恥ずかしかった。


「美月、俺は君や皆が言うようなヤツじゃないよ。この前はたまたま偶然に上手く行っただけなんだよ・・・確かに身体は強くなったけどさ、心の中はダメサラリーマンの飯田明のままなんだ。イイ歳こいて部屋も片付けられない、自分の小遣いの管理もできないダメ人間のままなんだ。でも、もしまた美月に何かあったら、俺はまた全力で助けに行くから。この前みたいに上手くやれるか分からないけど、必ず助けに行くから」


「うん・・・ありがと」


美月は本当に不思議な魅力を持っている。

外見は可愛くてふわっとしていて、一見するとちょっと甘えん坊で世間知らずのお嬢さんみたいな感じだが、何かあると突然大胆な行動に出て周囲を驚かす。その胸の中には何があっても絶対に折れない、強い心があるのだろう。

なんか俺とは真逆だな・・・


「そろそろ部屋に戻ろうか?」


「はい・・・・・・・あの・・・飯田さん」


「ん?なに?」


「部屋片付けるの苦手だったら私が片付けてあげる!お金の管理だって私がやってあげる!だからもう飯田さんはダメダメじゃないよ、ね」


「いや、あの、ダメダメなのはそれだけじゃなくてだな、光熱費の支払い忘れたりとか、洗濯物ため込んだりとか、クリーニングに出した服、面倒くさくなって取りに行かなかったりとか、あとは・・」


「あー、もうメンドクサイ!そんなの私が全部やってあげる!元の世界に帰ったら、飯田さんのトコへ洗濯と掃除しに行くからね!」


「でもさ、美月ってずっとお手伝いさんに家事とかやってもらってたんでしょ?掃除とか洗濯とか出来るの?」


「う・・・・、で、出来ますよっ!それくらい!」


「俺のパンツとか洗えるの?部屋も汚ねぇぞ!一人暮らしの男の部屋をなめんなよ!」


「大丈夫だもん!あ、ひょっとして飯田さん、何だかんだ言って、実は部屋に彼女とか居るんじゃないのぉ?私が行ったらマズイんでしょ?」


「彼女なんて居ないよ!自慢じゃないけど最後に女の子とデートしたのがいつだったか思い出せないくらい昔の事だし・・・実質ほぼ童貞みたいなもんだ」


「ふーん・・・本当?」


「本当だって!」


「飯田さん、童貞なんだ」


「ちちち違う違う!俺だって昔は彼女くらい居た事は居たよ、一応は。でも社会人になってから余裕が無くてさ・・・毎朝会社行って、終電間際の地下鉄乗って帰って飯食って寝る、その繰り返し。気が付いたらこんな歳になっちゃって『ああ、女の子と付き合うってどんな感じだったかなー?よく覚えてないなー』って感じでさ、これじゃ童貞と変わんないんじゃねえの?つー事」


「飯田さん、童貞、もう一回卒業してみる?」


「へ?」


「女の子ってどんな感じだったか、思い出してみる?」


「へ?」


いきなり美月が後ろから俺に抱き着いてきた。俺の背中に顔をうずめてじっとしている。俺はどうしていいか分からず、ただドキドキしながらそのまま突っ立っているだけだった。


「お、おい、美月、あの・・・えーと」


「もうちょっと」


「え?」


「もうちょっとこのまま」


美月の髪の匂いがした。後ろから抱き着いている美月の手にそっと触れてみる。小さくて華奢で柔らかくて、まるで子供の手を触っているような感じだった。ああ、女の子って、こんな感じだったなあ。


「飯田さん、女の子の事、思い出した?」


「ああ、思い出した・・・かな・・・なあ、美月」


「なに?」


「美月ってさ、子供の頃、大人になったら何になりたかった?」


「大人になったら?えーと、私は本屋さんになりたかったな」


「本屋さん?」


「うん、前にも話したように、ウチって父も母も仕事で家にほとんど居なかったでしょ、だから私1人で家に居ることが多くて、そんな時はいつも本を読んでたんです。本を読むとね、頭の中にその本の世界がパーって広がって、自分がその物語の主人公になった気がして、寂しい気持ちを忘れさせてくれたんです。だからそんな本に囲まれて暮らせたらいいなって思ってて・・・小学校の文集で自分が将来なりたい職業とか書くじゃないですか?同じクラスの女の子は花屋さんとかアイドルとか書いてたんだけど、その時に私、本屋さんになりたいって書いたら皆に地味だとかダサイとか笑われちゃった。確かにちょっと地味ですよね。飯田さんは何になりたかったんですか?」


「俺はね・・・特に無かったんだな。小さな頃からなーんも考えないで過ごしてた。そのまま成長して、何も考えないまま就職して・・・この歳になってもどうしていいか分からなかった。自分の人生って何なんだろう、俺の生きがいって何だろうって・・・日々の仕事に流されてそんな事すら考えられない、いや、考えるのが怖くなっていたんだな。考えてもどうしたらいいのか、この先どうなっていくのか分からない自分が怖かったんだ、でもさ、この世界に来て”元の世界へ帰る”って言う目標が出来て、『ああ、これが生きがいってヤツなんだな』って思って・・・だからさ、もしあの空母に乗って元の世界に帰ったら、やっと見つけた人生の目標が無くなっちゃう様な気がしてちょっと不安なんだ。もちろんすごく帰りたいけどさ、帰ったらまたあのただ流されていくだけの日々に戻るんだと思うと微妙な心境なんだな・・・」


「飯田さん・・・私も同じような事考えてた・・・こっちの世界に来て不安な事ばかりだけど、皆と一緒に生きるか死ぬかの瀬戸際みたいな経験をして自分がちょっと成長したような気がするんだ。こっちの世界が居心地良いワケじゃないけど、いざ帰るとなるとちょっと名残惜しいって言うか、ね」


「ああ、俺もここで色んな経験をして、ほんのちょっとだけ自分のダメ度が下がったような気がする。ほんのちょっとだけだけどさ。でもこの世界に来て一番良かったと思えるのは、美月はもちろん他の皆と出会えた事だなって思うんだ」


「私もそう思う。皆に出会えて本当に良かったな・・・あの、飯田さん」


「ん?」


「元の世界に戻っても、今と同じように友達で、あ、友達じゃなくて、えっと、あの・・・・・相手してくれます?」


「ああ、もちろん。美月がピンチの時はいつだって時速80キロで助けに行くぞ!」


「ホント!?じゃあその代わりに、さっき言ったように私が飯田さんの部屋、掃除してあげる!でも部屋にエッチな本とかあったら捨てちゃうからね!」


「あはは、今時紙媒体なんて時代遅れなのよ。そう言うモノはパソコンのハードディスクの中にあるものなのだよ」


「あ、やっぱり持ってるんじゃん!」


「まあ、アレだ、俺だって男だからねー、そんなモノのひとつやふたつありますがな」


「はいはい、飯田さんが何観ようと別にいいですけどー。でもきっと部屋の中散らかし放題なんでしょ?きっちり片付けてあげるからご飯奢ってくださいね!あ、飯田さんの手料理がいいなあ!うん、何か作ってください!」


「あ、あははは・・・分かったよ、何でも作ってあげるからさ、その時はよろしくお願いします」


「はい!」


「じゃ、おやすみ」


「おやすみなさい」


俺達はあと数日で空母へ乗り込む。

すべてが上手く行けば来週の今頃は元の世界に居る筈だ。

この屋上へ来るのも、きっとこれが最後なんだろう。

白い満月が、西の空の低い位置で輝いていた。

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