第33話 おふくろの味

”コンコン”

「美月ー、昼飯持って来たよー」

「はーい、どうぞー」


俺が美月の部屋のドアを2回ほどノックして呼ぶと、美月が返事をする。

以前、俺が寝たきりになっていた時に毎回美月が食事を運んでくれていたので、今回は俺が食事を運ぶことにしたのだ。

あの美月奪還作戦から3日が過ぎ、俺の肩の傷も、美月の怪我もだいぶ良くなっていた。


「今日のメニューは、えー、何だか良く分からん野菜が入ったおかゆと、何だか良く分からん野菜が入ったスープと、何だか良く分からん野菜の煮物です。あと、何だか良く分からんお茶」


「飯田さん、その”何だか良く分からんシリーズ”いつまで続くんですか?」


「何だか良く分からん物が入ってるので、その間はずっと続きます」


「あの、ものすごく不安になるのでそう言うのやめてもらっていいですか?」


「ダメです。院長先生の奥さんから”何が入っているか説明してあげてくださいね”って言われております」


「”なんだか良く分からん”じゃ説明になってないじゃん」


「こっちの食材に詳しくないので”何だか良く分からん”と言うしかないのです」


「飯田さん、アタシの事からかってるでしょ?」


「からかってないです、自分は至ってマジメです」


「あー、なんかムカつく・・・もういい!食べない!」


「食べないと回復が遅れますよ」


「い・や・だ!た・べ・な・い!」


「子供じゃないんだからさぁ、ちゃんと食べてよ」


「ワタシに食べて欲しいんですかぁ?」


「はい、食べて欲しいです」


「そうなんだぁ、じゃあ飯田さんが食べさせてよ!」


「え!?」


「早くー、食べて欲しいんでしょ?だったら食べさせてよ!あーん・・・」


美月が呆けたような表情で口を開ける。

いや、何で俺がそこまでせにゃならんのよ。


「しょうがないなぁ・・・はい」


俺はスプーンでおかゆをひと口すくい、美月の口へ持ってゆく。


「うまいか?」


「まずい」


「えっ?マズイの!?」


「だってぇ、毎食毎食同じメニューじゃん!ワタシ怪我してるだけなのに、病気じゃないんだから普通の食事が食べたいですっ!」


「まあ、そりゃそうだよなぁ。俺の時もこんな食事ばかりで飽き飽きしたもんな・・・あっ!じゃあさ、夕飯は俺がカレー作るよ!奥さん、今晩はカレーですよ!」


「キャー!マジ?マジ?やったー、飯田さん大好きー!惚れちゃうー!」


俺の実家は居酒屋を営んでいる。親父とお袋、それに従業員が3名ほどの小さな店だ。そんな環境で育った俺は、子供のころから店を手伝う事が多く、料理の腕には少々自信がある。

こちらの世界にもカレーと言う料理は存在しており、以前に病院の厨房で作ったカレーを食べたことがあるのだが、それはまるでおしるこのように甘い味付けで、カレーの香り以外は自分達が想像していた物とはまったく異なるものだった。院長先生の奥さんに聞くとこれがこちらの世界のスタンダードなカレーだとか。


16時から夕食の準備が始まるので、この時間は病院の厨房が空いている筈だ。

俺はこっそりと誰も居ない厨房に忍び込み、材料を探し出してカレーを作り始めた。カレーの匂いでバレて怒られるかもしれないが・・・ま、その時はその時だ。

時間が無いので手の込んだ調理は無理だが、まあまあの出来映えのカレーが両手鍋一杯に出来上がった。


「これ、こんな量だったら皆にも食べてもらえるよな」


俺が鍋一杯のカレーを持って会議室に入ると、美月と石田以外の全員が揃っている。あれ?何で?


「飯田君、どこ行ってたんだ?ミーティングで招集だぞ」

「あっ、す、すいません・・・」

「飯田っち、何で鍋なんか持ってるの?」

「あの・・・ちょっとカレー作ってて・・・スイマセン」

「カレー?」

「あ、いや、美月が食べたいって言うもんですから・・・」

「(ニヤニヤ)・・・ふーん、そうなんだぁ、飯田っち優しいなあ(ニヤニヤ)」


凛子が突っ込みたくてウズウズしている。


「いや、あの・・・美月は病気じゃないのにおかゆとか、あの、ちょっと物足りないじゃないですか、自分の時もそうだったし」


「ふーん、だからお姫様のために王子様がおカレーをお作りになられたんでございますねー、きゃー、何ておスバラシイ!」


あーあ、また凛子の弄りが始まっちゃったよ、ここに持って来なければ良かった・・・


「王子様、その愛のおカレーを、愛に飢えた私達にも味見をさせてくださいませ!」


凛子は鍋の蓋を取り、テーブルの脇に置いてあったパンをちぎってカレーをちょんと付け、パクっと口に入れた。


「!?・・・これ飯田っちが作ったの?マジで?めっちゃウマいんですけど!」


それを見た田島と大谷、吉野が凛子と同じようにパンをちぎってカレーに付けて食べる。


「おおっ!マジでうめーな!」

「何これ?スゲー美味いっすね!」

「おいしい!飯田さんって料理上手なんですね!川村さんも食べてみてくださいよ!」


今まで眉間にしわを寄せて見ていた川村も半ば渋々味見をする。


「おいおい、これ、海自カレーより美味いぞ!・・・ちょっとミーティングは後だ・・・大谷!奥さんのトコに行って白飯余ってないか聞いて来てくれ!」

「了!」


暫くすると大谷が大皿いっぱいの白飯を持って戻って来た。


「うおー!」

「カレーライスだ!」


「あ、あの、俺、美月のトコに持って行きますね」

俺は皿に小分けした白飯にカレーを盛り、美月の部屋へ向かった。





「わあーーー!ホントに作ってくれたんですね!やったぁ!・・・・・・・・・・・・・・・・これ、ホントに美味しい!!今日はツイてるなあ!」

右手は包帯でぐるぐる巻きにされているのでスプーンの持ち方がぎこちないが、美月はあっと言う間にカレーを平らげた。


「あー美味しかった!こっちへ来てカレーなんて食べてなかったからなあ・・・あー幸せ~。でも飯田さんって本当に料理上手いんですね!いいお婿さんになれますよ!」


「はぁ?いいお婿さん?何だそれ?」


「だって私、お料理下手なんだもん」


「美月は料理苦手なんだ?お母さんに教えてもらわなかったの?」


「えっと、私のウチって両親共働きなんですよ。父も母もほとんど家に居なかったんです」


「じゃあ誰がご飯作ったりしてたの?」


「お手伝いさん」


「マジかよ・・・お手伝いさんがいる家庭なんて俺の周りには無かったぞ!ひょっとしてキミはものすごいお嬢様なのではないか?」


「あはは、違いますよー!ウチの父は外交官でほとんど外国に居て、母は製薬会社の研究員でものすごく忙しくて、なかなか家に帰れなかったんですよ。だから私の面倒はお手伝いさんが見てくれたんです。小学生になってからは父と一緒に海外で暮らすようになって・・・でもやっぱり海外でもお手伝いさんに頼むしかないですよね、父は相変わらず忙しいし。だから料理なんて作ったこと無かったんですよー」


「はえ~っ、小学生から海外暮らしなの?」


「はい、外交官の任期って、1つの国に勤務するのが1年から3年くらいなんです。だから母の仕事が落ち着いて私が日本の大学に入るまでに色んな国に行きましたよ」


「すげーなぁ、帰国子女じゃん!じゃあ美月って英語とかペラペラなの?」


「どうかなぁ・・・まぁ映画とかは字幕なしで全然オッケーかな」


「はぁ~・・・ひょっとして英語以外にも何か国語も喋れたりするの?」


「うーん、小さい頃に居た国の言葉はほとんど覚えてないですね・・・高校の時にタイとインドネシアに住んでたからタイ語とインドネシア語はちょっとだけ喋れますけど・・・」


「おー!いいなあ!料理上手より外国語ペラペラの方が全然良いじゃん!俺も外国で暮らしてみたかったな・・・」


「でも良い事なんてあんまり無いですよ、すぐに違う国に引っ越しちゃうから友達とかできないし・・・だから私の小さい頃の思い出って継ぎ接ぎだらけみたいになっちゃって、印象に残ってる事ってあんまり無いんですよ」


「そんなモンかねぇ?」


「そんなもんですよ。で、飯田さんはどこでお料理習ったんですか?」


「俺は実家が居酒屋でさ、両親と従業員が数名しか居ない小さな店なんだけどね、お客さんが多い時は厨房の手が足りなくなるんだ。そんな時は俺が厨房の手伝いをする事になってさ、いつの間にか料理覚えたんだな」


「えーっ!じゃあ何でも作れるんですか?」


「いや、居酒屋メニューだからそんなに凝った物は出来ないけど・・・一般的なメニューだったら何とかなるかな」


「すごーい!今度リクエストしたら作ってくれます?」


「材料がこっちにもあったらね」


「やったー!じゃあ早速いいですか?」


「な、なに?」


「えーっとねぇ、”鱸のポアレ 高原完熟トマト蜂蜜風味のシャンパンクリームソース海草とオーガニック濃緑ほうれん草のソテーを添えて”」


「よく噛まないで言えたな」


「ダメですかぁ?」


「どんな料理か想像もつかん」


「じゃあ”シーコンガティアムガップヤムウンセンタレーロットチャッ”」


「俺、自分の部屋へ帰るわ」


「あー、ウソですウソです冗談ですよぉ!!あの、今度チキンライス作ってください」


「チキンライス?あのケチャップ味の?」


「うん・・・、5歳くらいの時かな?お手伝いさんが突然来られなくなった日があって、母が急いで帰って来ることになってたんですけど、なかなか会社から帰って来なかったんですよ、その日。私1人で家に居てすごく寂しくて・・・夜遅くに母がやっと帰って来て、疲れてるのにもかかわらず深夜スーパーで買い物してきてくれて・・・母は仕事一筋の人だったから料理なんか出来ないんだけど、その時は慣れない手つきで一生懸命作ってくれたんですよ、チキンライス。」


「そうか・・・美月にとってはチキンライスがおふくろの味なんだ、きっとそのチキンライス、美味しかったんだろうな」


「いや、すっごいマズかった」


「は?」


「なんかベチャベチャしてて、ちょっと焦げてたりして・・・ケチャップ入れ過ぎで酸っぱいし・・・いやー、慣れないことはするもんじゃ無いスねー」


「おいおい何だよ、”ちょっとイイ話”っぽく語っておいて」


「まだ続きがあるんですよぉ!母はその時に私がチキンライスを殆ど残したのがすごく悔しかったらしくて、それから仕事の合間に会社の実験設備でチキンライスの作り方を研究したらしいんです。ケチャップの量やら入れるタイミングやらフライパンの温度とか・・・よく分かんないけど母の研究班総出で研究したみたいです、チキンライスの作り方を。それでね、満足のいく物が出来た時に私を会社に呼んで、目の前でそのチキンライスを作ってくれたんですよ」


「へぇー、お母さんすげぇな・・・で、どうだったの?美味しかった?」


「うーん・・・あんまり・・・」


「あんまりかよ・・・」


「でもね、研究室でほかの研究員の人達とチキンライス作ってるお母さん、何だか楽しそうだった。ああ、この人は私や父さんと居るよりこうして白衣着て仕事してた方がいいんだなって思ったんです・・・だから小学生になった時に父に付いて海外へ行こうって決めたんです。母の負担になりたくなかったから」


「美月って優しいな、子供なのにそんなふうに考えられるなんて。もし俺が美月の立場だったら癇癪起こして泣いちゃうよ」


「あはは、そんなコト無いですよー。飯田さんだって・・・あの時、助けに来てくれたじゃないですか。あんな状況で1人で乗り込んできて・・・私、絶対にもう誰も助けに来ないと思ってたんですよ、だって場所も分からないだろうし、時間も無かったし」


「いや、俺1人の力で助けたわけじゃないよ、皆で協力した結果だよ」


「うん、そうですね・・・皆にも改めてちゃんとお礼言わなきゃ・・・・・・・・あの、飯田さん」


「何?」


「あの時のこと・・・あの・・・山下と闘った時の・・・こと・・・気に・・・してますよね」


美月の視線が俺から離れ、フッと遠くを見つめる。

あの時の事・・・・・山下の断末魔の目、生暖かい血しぶき、レイプされていた時の美月の虚ろな目・・・まだ忘れられる筈は無い。


「ああ・・・気にしてるって言うか、何も考えていなくても突然頭の中に浮かんでくるんだ、あの時の光景が」


「そうですよね・・・でも・・・でも、これだけは忘れないでください。あの時も言ったけど、私の命を助けてくれたのは飯田さんなの。だから飯田さんがたとえ悪魔のような人間、ううん、本物の悪魔だったって構わない。飯田さんは私のヒーローだから。飯田さん自身が自分の事をどう思おうと関係ない、人殺しだろうが何だろうが関係ない、そんなの私にとって全然意味無いっ!・・・・・だから、だからもしあの日の事を思い出しちゃって、つらくて仕方ない時は、私を頼ってください・・・何もできないけど、気休めくらいにはなるかもしれないよ、ね・・・」


あの日、あの山下を殺してすっかり気が動転した俺を見た時から、美月は俺の事をずっと気にしてくれていたのだろう。

自分はあんなに酷い拷問を受け、レイプまでされて死を受け入れる寸前だったのに、自分の方が俺なんかより遥かにツライ思いをしたのに、美月は俺を気遣ってくれている。

優しい子なんだな・・・。

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