第16話 屋上にて
こっちの世界も気候はあっちと変わらない。
今は7月。初夏の奥多摩は過ごしやすい。
そしてこの辺りは田舎で空気も澄んでいるから夜には星も良く見える。
俺はたまに夜中に屋上へ出て寝そべり、夜空を眺めている。
あっちの世界に居る家族の事、会社の同僚やもう何年も会っていない地元の友達の事、やりかけの仕事、読みかけのネット小説、予約していたゲームソフトの事・・・際限なく色々な事が頭の中に浮かんでは消えていく。
本当に戻れるのだろうか?ひょっとしたらものすごーく鮮明で長い夢を見ているのか?今晩寝て起きたら、あの北新宿のアパートのベッドの上なのでは?なんて考える。
まだ完全に現実を受け入れることが出来ない。
でもおそらくこれが現実なのだろう。もしこれが仮想現実だとしても、俺達にはこれが仮想現実だと認識できる術が無い。だから俺達がいくら考えても、これは俺達にとっての現実なのだ。
屋上のドアを開ける音がした。
こんな時間に誰だろう?と思ってドアの方を見ると美月が立っている。
美月は俺と目が合うとちょっと驚いたような表情をしたが、すぐにいつもの笑顔を浮かべてこちらへ向かって歩いてくる。
「飯田さん、こんな時間にこんな所で何してるんですかー?」
「えっ!?いや、ちょっと眠れなくてさ、夜風も気持ちいいからここで空見てた」
「ふーん、そうなんだ」
美月は俺の横のスペースに落ちている細かい砂やゴミを手で払うと、俺と同じようにゴロンと寝そべった。
「わぁー、こうして見ると星がいっぱいでキレイですねー!」
「だろ?ここって田舎だから星が良く見えるんだよね」
「前からこんな夜中にここで星とか見てるんですかぁ?」
「うん、眠れない時はタマにね」
「何でもっと早く教えてくれなかったんですかぁー、1人でズルイですよー」
いや、真夜中に屋上で星見ませんか?とか、ちょっとアレな感じじゃんか・・・
「ここってさ、いわゆる”異世界”ってヤツじゃん、異世界って聞いて美月は最初、どう思った?」
「えー?そうですねぇ・・・えっと、特に無いけど・・・ってゆーか、すぐに帰れると思ってた」
「そうかぁ・・・俺はさ、異世界ってくらいだからさ、もっと変わった動物とか変な生き物とか居るのかと思ったよ」
「あ、飯田さん、ひょっとしてエルフとかゴブリンとか居ると思ってたでしょ!」
「お!? 何で分かるの?つーか、異世界って聞いてエルフとかゴブリンって言う単語が出てくるって」
「へへへ、実はアタシ、アニメとか結構観てるんですよ、ファンタジー系のヤツとか」
「え!?そうなの?何で?」
「私、小学校で先生してるじゃないですか、授業中にずーっと寝てる生徒が担任のクラスにいるんですよ。それでね、何でいつも寝るの?って聞いたら明け方までアニメ観てるって言うんですよ。そんなに面白いの?って聞いたらね、すごく面白いから先生も観て!って言われて観たんだけど・・・」
「観たんだけど?」
「私もハマった・・・、もう夢中になって毎晩観た!おかげで毎日眠い眠い!で、飯田さんもひょっとしてアニメとか好きなんですか?」
「え?あ、う、うん、前に仕事でアニメ関係のグッズの企画をした事があってさ、仕事で関わるんだから観ておかなきゃな!と思って観たら・・・ハマった!毎晩夜更かしして観た!おかげで毎日眠い眠い!」
と、仕事でしかたなく・・・みたいに言ってしまったが、本当は昔から好きで・・・ライトなオタクだった。
「あははは、ですよねー!アレって1話観ちゃうと次!次!って・・・結局最後まで観ちゃいません?」
「そうそう!観る前に”今日は2話だけ観て寝る!”とか思っても絶対に2話じゃ済まないんだよな」
「わかるー!で、明け方になって”あーあ、またアニメ観て徹夜だよ・・・”って後悔するの」
「うん、それでその次の日もまた観ちゃって、結局一週間ずっと寝不足でさ、だから休みの日は眠くて一日中寝ちゃって大後悔。だったら休みの日に観ればいいじゃんか!って思ったり」
「ですよねー。でもこの異世界ってアニメの異世界とは全然違いますよね」
「あはは、そりゃそうでしょう、もしここがアニメに出てくるような異世界だったらもっと大変な事になってたかもよ」
「うーん、でもここにはカッコイイ勇者とかも居ないし、大きなお城とかも無いし、魔法も使えないし、てゆーか、何なんですかこのド田舎!ナントカ王国の王都とかじゃなくって奥多摩って!奥多摩ですよ、オ・ク・タ・マ。こんなの異世界じゃない!」
美月センセイ、大丈夫スか?先生はかなりアニメに毒されておられるようですね。
「あ、でも飯田さんってこっちの人の血液を輸血したらスーパーマンみたいになったんでしょ?レベルアップじゃないですか!」
「うーん、でも別に岩を砕くとか瞬間移動が出来るとかじゃないし・・・ただちょっとばかり力が強くなっただけだよ、そんな大げさなモンじゃ・・・」
「えー!でもいいなぁ、私も何か特別な力が欲しいですよー、せっかく異世界に来たんだし・・・魔法とか使えたらいいなあ!」
こうして美月と話していると彼女が学校の先生だなんてとても思えない。子供みたいにピュアでいつも屈託のない笑顔で笑っている。外見も可愛いけど中身もきっといい子なんだろうな、と思う。
こんな先生が学校に居たら良かったのにな。俺が小学生の時の担任の先生なんて、いつもしかめっ面してるお爺ちゃんだったからなあ。とまあ、そんな事を考えつつも、俺は美月が横へ来てからずっと気になっていた事があった。
いつもは割とダボっとした、ちょっと野暮ったいシャツを着ていることが多い美月だったが、今晩はぴったりしたタンクトップを着ているのだ。
以前田島が「飯田クンよぉ、あのさぁ、美月はさあ、あれ隠れ巨乳だぜ」と言っていたが、今日俺は確信した。キミは顔に似合わず巨乳だ!夜空を眺めていると見せかけて、実はチラ見していたのだ!わはは。
「み、美月さあ、いつも着てるシャツって今日は着てないのな」
「あー、あのシャツ?えーっとぉ、私って転送されてきた時、水泳の授業中で・・・それで水着のまま転送されてきちゃったんですよ。だから服が無くて、院長先生の奥さんに買ってきてもらったんですけどちょっと趣味が違うかなーって」
「そうか、だからあんなエビ茶色のシャツとか着てるんだね」
「そうなんですよー、でもせっかく買ってきてもらったし、どこかへおしゃれして出かけるわけでも無いから別にいいや、って」
「だったら今日みたいなタンクトップとか、いつも着てればいいじゃん。それも奥さんに買ってきてもらったの?」
「このタンクトップは凛子さんにもらったんだけど・・・いつもコレじゃ、ちょっと恥ずかしいよー! あれ・・・飯田さん、今、変なトコ見てませんでした?」
「は?い、いや、見てないって!」
「うそ!今私の胸見てたでしょ!てゆーか、タマにチラチラ見てたぞ!」
やばい!バレてたか!?
「いいですよいいですよ、もう慣れてるし。男の人ってみんな同じですよねー」
「え、そうなの?分かるの?」
「分かりますよー、目線がここらへんに来てたもん。ってやっぱり見てたな!」
「あーーー・・・・スマン」
「はいはい、別にいいですよー。田島さんなんてしょっちゅうガン見するし」
さすがムッツリエロ侍田島!肝が座っておる。
「飯田さん、あの・・・見たい?」
「へ?み、見たいって・・・何を?」
「ここって、今、私と飯田さんの2人だけだし・・・飯田さんなら・・・いいよ」
「は、はいー?」
美月が体勢を俺の方に向けて近寄ってきた。自身の腕で寄せられた胸がタンクトップからはみ出しそうだ。
彼女の顔と身体が俺にくっつきそうなほどに近くにある。何なんだ、このラッキーな展開は。
「飯田さん・・・」
美月が俺の上に覆いかぶさるような体勢になる。マジでドキドキした。
「なーんてね!うっそだよーん!きゃはははー!びっくりした?」
「お、お前なあ!ななな、何て事するんだ!」
「残念でしたー、この先、機会があったら見せてあげまーす!」
「はぁ?何だよ機会って!?」
「さあ何でしょう?自分でよーく考えましょう!」
こう言う事に関しては奥手な方だと思っていたが、そうでもないのか?
実はイケイケだったりするのか?キミは。
「さーてと、もうそろそろ夜が明けるな。部屋に戻ろうか?」
「そうですね、さすがにもう眠くなってきちゃった・・・あの・・・飯田さん」
「ん?なに?」
「さっき・・・ドキドキしました?」
「そ、そりゃしたよ!マジで神展開かと思った!」
「そうかー、よかった・・・」
「何が?何が良かったのさ?」
「べつにー、何でもないでーす」
「・・・・・」
東の空がぼんやりと明るくなってきた。
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