第25話 私思ったんです。犬はいいなぁと

 子供の頃から優花は、父の賢一さんに厳しく育てられてきたという。

 テストでは高得点のみ求められ、私生活での振る舞いも厳しく律せられたとか。

 優花自身、何度も弱音を吐きたくなったらしく、実際に弱音を吐きもしたそうだ。


 だが賢一さんは一切の甘えを許さなかった。

 今やってることはゆくゆくは優花のためになる。だから全力で己を磨き続けろと言って。


 父に認めてもらうには優等生になるしかない。そう思った優花は努力し続けた。テストでは常に高得点を取り続け、習い事では先生に褒められるほどの腕前を披露する形で。

 けれども、賢一さんが優花を褒めることはなかったという。


「初めてテストで満点を取っても、お父さんは私を褒めませんでした。『一回満点を取ったくらいで満足してはだめだ』と言って」

「それはさすがに厳しすぎるだろう」


 厳格な父親であることは一度会ってわかったけど、そこまでとは。

 優花の頭がいいのは天性のものなんだろうと俺は勝手に思っていた。

 けど実際は賢一さんによる厳しい教育の元、血の滲むような努力を続けて得た物だった。


 甘えが許されないほど厳しく育てられる辛さ。常に優等生であることが求められるプレッシャー。そういったものを優花は味わってきたのだろう。そうとも知らず、優花の優秀さに勝手な理由を付けていた自分が恥ずかしくなった。


「今の私があるのはお父さんのおかげです。ですのでお父さんには感謝しています。ですが褒められることもない厳しい育て方に、少なからずストレスも溜まっていました。そんなある日、私は息抜きに訪れた公園で犬とその飼い主が戯れる光景を見たんです」

「犬と飼い主が戯れる光景を?」

「犬は命令を受けて『お手』や『おすわり』をしたり、飼い主が投げたボールを取ってくるなどしていました。それらの様子を見ていて、私思ったんです。犬はいいなぁと」

「はい?」


 どうして犬はいいなと思ったんだ? 意味がわからん。


「犬は飼い主の指示通り『お手』などをしたり、ボールを取ってきて返すと褒められていました。頑張って期待に応えたら、ちゃんと褒められていたんです。褒められた経験がほとんどない私には、それがとても羨ましく感じたんです」

「なんで羨やむ対象が犬になったんだよ……」

「他にも、犬が飼い主に甘えているのも見ていていいなと思いました。私は弱音を吐くのを許されなかったので、誰かに甘えるられませんでしたし、甘え方もわからない始末でした。だから犬は甘えたいときにちゃんと甘えられていいなと思ったんです」

「だからなんで羨む対象が犬になったんだよ……」


 どうせなら人間を見て羨ましいと思えよ。彼氏に甘える彼女の光景とか見てさあ。


「自分も犬になれたらって思いましたけど、私は犬にはなれません。そこで私は家で犬の動画を観ることにしました。現実で誰かに褒められたり、誰かに甘えられない分、動画内の犬に感情移入して褒められたりする快感を味わおうと思いまして」

「何だよ犬に感情移入して快感を味わうって。できるわけないだろう」

「慣れると案外簡単ですよ」

「それは優花だけだ」


 そもそも普通の人間は犬に感情移入する時点で至難の業だろう。


「犬への感情移入を繰り返すうち、私は動画を観るだけでは物足りなくなりました。どうすればもっと楽しくなれるだろう? 考えた末に私は閃きました。『そうです! いっそ私が犬のように振る舞えばいいではないですか!』と」

「それが犬プレイの始まりかい!」

「ですが当時は飼い主の立場になってくれる人がいませんでした。それでも私は犬プレイがしたい! そう思っていた私は自分の部屋にいるとき、一人で『お手』のポーズを取ってみたり、首輪を着けて犬として振る舞っていたんです」

「ソロプレイじゃないか!」


 最初のほうの話は優花の苦労を物語る過去だった。だから優花は大変な思いをしていたんだなと胸が苦しくもなった。

 だというのに、話が進むにつれ意味不明さとやばさが上がる一方とか。しかもしまいにはソロプレイだよソロプレイ。

 最初の頃感じた俺の胸の苦しさを返せ。


「私自身、自分の性癖が一般常識からずれているという自覚はあります。だから今まで隠して生きてきました。でも康士郎くんと出会って、この人なら私の秘密を理解してくれると思ったんです」

「どっ、どうしてだよ?」

「康士郎くん、1年生のとき言ってたじゃないですか。好きなことに正直に生きていこうと思っていると」

「ああ、そういえば言ったような」

「あの言葉を聞いて、私は救われた気分になりました。まるで犬として振る舞うのが好きという私のあり方を認めてもらえたような気がして」

「だから、俺なら理解してくれると思ったのか?」


 俺が問うと優花は「はい」と口にしてゆっくりと頷く。

 それから「秘密を打ち明けるまでだいぶ掛かっちゃいましたけどね」と言って苦笑いを浮かべた。


「私にとっては、康士郎くんの犬として振る舞うときが一番自分らしくいられる時間なんです。どうか、学校でも犬として振る舞えるようにしてくれませんか?」

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