第8話 せっかくなのでもっと密着してあげますね。ぎゅーっ!
「ママー。なんであのおにいさんたち、いぬのさんぽみたいなことしてるのー?」
「しっ、見ちゃだめ」
俺達とすれ違った子が奇異の眼差しを向け、母親は露骨に嫌悪感を出して子の視線をお俺達から遠ざける。
他にすれ違う人達も、奇妙なものを見る目を向けてくることがほとんどだった。
「見ないでくれ……。哀れな俺を見ないでくれぇ……」
「元気ないですね康士郎くん。デートは始まったばかりですよ?」
「誰のせいで元気なくなってると思っているんだ……」
「康士郎くんが元気じゃないと困っちゃいます。ですので──」
俺より一、二歩先を歩いていた優花は歩調を緩め、俺の隣に並ぶ。
それから、俺の右腕に自分の腕を回してくっついてきた。
「ななな何しているんだ優花!?」
「甘えタイムに入っただけですよ?」
「あっ、甘えタイム?」
「言ったじゃないですか。私のお願いを聞いてくれたら、今日一日康士郎くんに全力で甘えるって。こうしてくっついたのも康士郎くんに甘えているからです。せっかくなのでもっと密着してあげますね。ぎゅーっ!」
「ちょっ、やめろって!」
近い近い近い! あと当たってる! なんか柔らかいものが当たってる!
これ、絶対あれだよね? 優花のむっ、むむむ胸だよね?
やっ、やばい。腕から優花の胸の感触が伝わってきて、おっ、おかしくなりそう。
「康士郎くん。映画館までは、このままで行きましょうか」
「えっ、こっ、このまま行くだと?」
「もうしばらく、康士郎くんにくっついていたいんです。だめ、ですか……?」
上目遣いで遠慮がちに尋ねてくる優花。
こんな、いかにも甘えたそうな顔されたら邪険に扱えるわけがない。
「……わかったよ」
「ありがとうございます! ご主人様大好きです! ぎゅーっ!」
「んなっ! だっ、だから密着度上げるのやめろって! あとご主人様言うな!」
腕が、腕が優花の胸の感触でいっぱいになってしまう! しかもこれだけ密着されているから、優花の匂いがダイレクトに伝わってくるし。
柔らか……いい匂い……柔らか……いい匂い……。
って、だめだ。頭が優花の胸と髪から香るシャンプーの匂いのことしか考えられなくなっている。
落ち着け、このままじゃ思考が堕落していく一方だ。下手すりゃ優花に甘えられるならリードで引っ張るのもいいよねと犬プレイを許容しかねない。
しっかりしろ俺。甘えられるのはいいけど、首輪着けた優花をリードで引っ張るのはおかしいって気持ちは持ち続けるんだ。
●●●
『私ね、もってあと三日なんだって……』
その後、映画館に着いた俺達は上映中の映画から観るものを選んだ。その結果泣ける恋愛映画を観ることになり、今は隣同士の席で映画を観ている。
なお、室内では優花をリードで引っ張らなくてもよくなった。理由としてはリードで引っ張るのは外を歩くときの行為で、室内で行うことではないからというもの。
俺としてはやっと地獄から解放されたが、どうせまた外に出たら優花をリードで引っ張るはめになる。なので所詮は束の間の自由だ。
『ごめんね。七夕になったら一緒に星を見る約束、果たせなくなっちゃった……』
『なっ、何言ってるんだよ! まだ約束を果たせないと決まったわけじゃないだろ! なんでもうおしまいだみたいなこと言うんだよ!』
スクリーンでは余命宣告を受けたヒロインと主人公の男子のやり取りが繰り広げられていた。
この作品は星を見るのが好きな主人公とヒロインが主役のラブストーリーだ。
主人公とヒロインはお互いに七夕の日に二人で星を見て、そこで告白しようと考えていた。しかし病気を抱えていたヒロインが入院してしまい、しかも七夕を迎える前に余命宣告を受けてしまうという流れだ。
始めは本当に泣けるのかと思っていた。だが主役の俳優と女優の演技が上手く、俺は不覚にも涙腺に来ていた。
優花のいる前で泣いてるところなんて、かっこ悪いから見せたくない。何とか堪えなければ。
「……っ!」
とそのとき、俺の左手に何かが触れた。
なっ、何事だ? なんか人の肌っぽいものが触れたんだけど。もしかして、優花が俺の手に触っているのか?
多分そうだろうな。俺の隣には優花しかいないし。
『私だって、約束を諦めたくない! 七夕に二人で一緒に星を見たいよ! でも……もうどうしようもないんだよ……! ううっ……ひっぐ……』
ああ、今めっちゃいいシーン! 観ている人の涙腺をさらに刺激するめっちゃいいシーン! 優花の様子も気になるけど、スクリーンから目が離せない。
「ひょあっ……!」
なんかめっちゃ手スリスリされたんだけど。ちょっ、あっ、くすぐったい……。って、ああ、今手握られた! 完全に握られたって!
優花の行動によって涙腺は引っ込んだから、優花の前で泣き顔見せちゃう問題は解決しそう。でも今度は優花のせいで映画に集中できない問題が発生しちゃったよ。
もしかして、今優花が俺の手触りまくってるのも、俺に甘えてるってことなのか?
でも、映画を観ている間は大人しくしておいて欲しいんだが。映画よりも優花のほうが気になっちゃうし。
いや、別にいいんだけどね。映画の最中に手握るとか、カップルっぽくていいなと思うし。だったら、このまま握られたままでもいいか。
「んっ……?」
スクリーン上ではシーンが切り替わる中、俺の左手にも変化が訪れた。優花の手の感触が消えたのである。
もう握るのはやめちゃったのか?
まあ、映画はこれからクライマックスに向かっていくところだからな。優花も映画に集中するってことなんだろう。もう少し触れ合っていたかったけど、仕方ない。
そう思っていたら、再び優花が俺の手に触れた。
だが今度はここまでとは違った。優花は、俺の手のひらに自分の手を置くような触り方をしてきたのだ。
何だこの触り方は? 今は映画のシーンも一瞬目を離してもよさそうなものだし、一度見てみよう。
そうして目線を自分の左手に移した俺は、はっきりと確認した。
優花の右手が、俺の左手の上で『お手』の形を作っていることに。
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