PROJECT BABEL

北澤有司

第1話 宇宙エレベータ

 凄まじい圧迫感、振動、そして轟音に包まれた狭い船体の中、その三人はひたすら前方をにらみ続けた。否、そうせざるを得なかった。何故なら、わずかでも横を向いたならそのまま首を持っていかれそうな圧倒的な力が、三人の身体に加えられていたからである。ロケットという乗り物で地球の重力圏を脱出する最後の人類になるかもしれない。使命感のような何かが、この責苦に耐える力を与えてくれているような思いが三人の心中にあった。

 周囲を囲うメーターの数値が、小刻みに上がり下がりを繰り返している。その中で高度計の数値だけが増え続けていた。その値は300を超え、330、350、380と上がって行く。プログラムに従ってエンジン音が突然静かになると、アキラは身体に受ける圧力が急激に弱まるのを感じた。ようやく首を動かせるようになって、アローンは左にいるアシュケナージを見る。アシュケナージの身体を支えていたシートの凹みは、緩やかに元に戻った。アローンはそれを見て、自分自身の体重も地球の重力から解放された事を実感した。アローンの視線に気が付いて、アシュケナージは軽く頷いた。アローンも頷き返すと通信マイクのスイッチを入れた。

「高度400km到達」

低く落ち着いた声が、虚空に吸い込まれていった。


 地上の指令室は針一本落ちる音すらも響きそうなほど静まり返っていた。そこに微かな雑音の後、飛行士の第一声が届いた。

「高度400km到達」

スピーカーから聞こえてきたアローンの声を受けて、ヨーコはロケットの高度を示すモニターを確認した。

「高度400km到達。アローン、アシュケナージ、アキラ、生態信号に問題ありません」

ヨーコの声が指令室全体に響いた。すると、室内にいた全員が立ち上がり、歓声を上げながら隣にいる職員と握手やハグをした。

「了解。予定通りテザー(ワイヤー)の降下を開始する」

つかの間の騒ぎを鎮めるように、デイヴィッドが発した冷静な指示が室内に浸透していった。

 インドネシア共和国パプア州ティミカ近郊、赤道直下の広大な敷地に建つ、幅1キロに渡る巨大な建物内部に指令室はあった。1キロの長さとはいえ、宇宙から見れば小さな点でしかない。建物は海に向かってV字に開く構造の受紐装置そのものだった。宇宙から降りて来て、赤道に沿って高速で海上を移動してくるテザーの先端を接続できるかどうか、これからの90分にプロジェクト成功の可否はかかっていた。

「ドキドキしますね」

ヨーコは振り返ってデイヴィッドに話しかけた。

「なにも最初から成功するとは思っていないさ。未だAチームだからね。代わりはいくらでもいる」

デイヴィッドは笑顔でウインクした。デイヴィッドの言葉の意味をヨーコは考えないようにした。訓練を継続しながら地上で待機しているBチーム、Cチーム、…。デイヴィッドにとってAチームとは、イニシャルがたまたまAだからこそトリオを組ませただけのちっぽけな存在でしかなかった。


 地上指令室の喧騒に比べて、大気圏最上部到達以後のロケット内は次の仕事を待つだけの静かな時間が流れていた。

「アキラ起きろ。きっかり一時間経ったぞ」

肩を叩かれてアキラが目を覚ました。

「ただ乗っているだけとは言え、到着した途端に眠れるものかよ。どういう心臓しているんだろうな」

アシュケナージがアローンに話しかける。

「気を休めていたんだろう。テザーの接続は数百メートル先にある針の穴に糸を通すようなものだ。並の神経でこなせるものじゃない。しかし、繊細な操作なら日本人が最適さ。俺達はアキラに任せておけばいいんだ。気楽なものさ」

アローンが笑いながら返事をした。

「言えてる。輸送機での接続訓練でもアキラに勝る奴はいなかったからな。大船に乗った気分でいられるよ」

「気安く言ってくれるぜ。訓練と言ったって高度数百メートルのお遊びみたいなものだったじゃないか。今は高度400km。同じに考えるのがどうかしてる」

アキラは首を傾げて不満を口にした。

「テザー先端の高度は15,000mだ。ほぼ無風で雲もない。気候・視界共に良好というわけだから、お前は運が良いぜ。電波時差2.63ミリ秒。わずかなものだ。接続まであと15分。後は頼んだぜ」

アローンはそんなアキラの不満など聞こえないように、軽口を交えて現況を伝えてくる。アキラは苦笑するしかなかった。

「モニターできるのは2.63ミリ秒前の映像なんだぜ?気がついたら通り過ぎているってことだ。まあいいや。接続したら、その後はアシュケナージの仕事なんだからな。俺に言わせればそっちの方が大変だよ」

「プログラムに従って上昇するだけだろう?楽勝だよ!」

高度48,400kmまで一人で向かうことになるにも拘らず、アキラの言葉にアシュケナージは笑いを交えて答えた。そして、そのやりとりを合図にしたかのように、彼は立ち上がり、第一エレベータが搭載されているロケット先端施設に移動し始めた。

「もう行くのかよ。接続後でいいんじゃないのか?」

アローンが声をかける。

「アキラの横で手持無沙汰にしているしかないなんて、間が持たないのさ。それなら準備作業の物真似でもしていた方がましなんだ」

アシュケナージは無表情に答えた。

「そうか、なら仕方ねーな。うたた寝してタイミングを外さないようにだけ頼むぜ」

そもそも止める気があったわけではなかったため、アローンもこだわりなく返事をした。

「じゃあな」

アシュケナージはアローンとアキラに背中を向けたまま片手を上げた。

「おお、任せろ」

「またな」

「また?それだけはねえだろう」

三人は口元だけ笑ったが、その目はどこか虚ろだった。互いに二度と会う事が無いと解り切っている間柄だ。真実を語る相手の眼を直視してしまうのだけは避けたい。残った二人の表情に本音が垣間見えたのは、扉が閉じてアシュケナージの背中が見えなくなったその一瞬だけだった。

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